第18話「神を殺したあとで」
春の来方は、今年に限って、ほんの少し遅かった。いや、遅かったのではなく、半拍だけためらったのだ、と街の誰もが言った。半拍のためらいは、王都のあちこちに掛けられた色褪せた布片を、やさしく膨らませる。手垢の艶は汚れではない。触れた温度の履歴だ。布片の端に、子どもの字で縫い付けられた小さな文句——「きょうは自分で決めた」。それは見出しにも標語にもならないが、読む前に指が止まる。止まれば、隣の息が聞こえる。息は、合図に勝る。
朝刊の隣に重ねて置かれる遅延便は、もはや“号外”ではなく、家々の机の上で当たり前の位置を占めている。紙は少しざらつき、ページの下で□の目印が薄く光る。読者はその□に人差し指を置き、半拍待って、次の行へ進む。急ぐ記事は朝刊にある。遅延便は、急がないと読めない。ページの隅には「半拍後記」という欄があり、今日の出来事ではなく、昨日の息づかいが淡く保存される。編集後記にはいつも短い感謝が載る。宛名はない。いずれ来る最終頁の署名も、イニシャルだけで十分だろう——そう確信できるほどに、読者は自分の拍を覚え始めている。
王墓の丘は、相変わらず朝の風がよく通る。欄干のRは、冬の間に少し角が丸くなった。風化のせいだけではない。触れる手の脂が、石を守る。ここでは、止まる理由を誰も説明しない。けれど、止まる。半拍の停止は、喪でも儀礼でもない。日々の呼吸の練習だ。止まれば、隣の息が聞こえる。聞こえた息に自分の拍を合わせるのではなく、ただ、ずれないように気をつける。揃えないことのために、少しだけ気をつける。
塔の窓で、ヴォルクは街を眺めた。彼の目は疲れていない。敗者の目でも勝者の目でもない、管理者の目。管理者は、勝敗の手前で世界の輪郭を測る仕事をやめない。彼は負けていない。装置は動き続ける。戸籍の文字は濃淡を保ち、家庭鐘は規則正しい。だが、勝ち切れない。鐘は鳴るが、同時には鳴らない。名は太るが、隣と重ならない。彼は筆を取り、譜柱の草稿に、短い一文を加えた。「沈黙を許す」。滑稽だ、と彼は心の片隅で笑う。沈黙を規格化するとは。だが、彼は人でもある。勝ち切れない者として、勝ち切れない街に、隙の規格を残す。神を殺したあと、神の席は空のまま、人が座ったり降りたりする。それで、いまは充分だ。
郵便局の裏庭では、トーマが冊子の束に紐を通している。遅延便の連載をまとめた『半拍の練習帖』。表紙は布。活字は少なく、余白が多い。読み手が自分の拍を書き足すための欄は、見開きの半分を占める。採算はよくない。だが、部数は伸びる。買う者は、そこに自分の遅れを書き込む。遅れは怠慢ではない。呼吸の位置だ。冊子の末尾、いつもの感謝の下に、彼は小さくイニシャルを記す。R。自分のものではない。誰かの拍に宛てる記号。宛先のない封筒は、なぜか、最もよく届く。
孤児院の庭では、女騎士が静の太刀を教える。型名も号令もない。足裏の重みと、肩の高さだけを合わせる。子どもに剣を持たせなくても、剣術は教えられる。呼吸が整えば、怪我は減る。怒鳴り声は、拍の乱れの代用品にすぎない。乱れを半拍遅らせれば、怒鳴る必要は消える。女騎士の歩幅は名の代わりであり、稽古の号令であり、街路の安全の指標だった。名のない彼女は、だから、誰よりも確かだった。
神殿の洗濯場では、エレナが布を絞る。祈りは続けない。途中で切る。切り方を、今は教える側になった。子どもたちに「言葉を途中で止めてもいい」と伝えると、最初の数人は泣いた。止めることは、切り捨てではない。守ることだ。叫ばずに治す方法の第一歩は、黙ることを許すこと。護符の裏のRは意味を持たず、意味を持ち続ける。彼女が泣くとき、泣き声は半拍遅れて喉を震わせる。泣き方が街の拍と同じ形になったのは、たぶん、偶然ではない。
そして、わたし——リセは、いまや名も影も持たないまま、温度として街に浮遊している。朝はパン屋の前に立ち、焦げの香りの温度を確かめる。昼は橋の欄干に頰を当て、石が保存している冬の冷たさが、春に溶ける速度を測る。夜は王墓の風に背を向け、背中で息を数える。誰にも見えない。だが、止まる足の気配だけは、はっきりと感じる。欄干のRの前で足が半拍止まり、隣の息がひとつ増えるたび、胸が少し温かくなる。笑えない。痛いとも言えない。けれど、「温かい」という語だけは、まだ落としていない。語は脆い。けれど、この語は、街が持ち直した数だけ、どこかで補充される。
春の午後。王墓の丘で、小さな集まりがあった。誰が呼んだわけでもない。風が布を同じ方向へ揺らし、布が人を誘っただけだ。トーマが布片を掲げる。そこには子どもの字で「きょうは自分で決めた」とある。彼はそれを読み上げない。掲げるだけで、充分だ。女騎士が少し笑い、剣を鞘から一寸だけ抜く。春の光が刃に触れ、すぐに納まる。見せるための剣ではない。納めるための剣だと、街が知ったからだ。エレナは護符を握り、祈りを途中で切る。沈黙が輪になり、丘の風が半拍遅れる。沈黙は、同意ではない。未決だ。未決は、装置の手に余る。
丘の端で、わたしは背を向けて風に立った。懐中時計は、もう動かさない。秒針は最初から無かった。蓋の内側の丸い空白だけが、輝きを持つ。最後の魔法のあと、わたしにできることは何もしないことだ。都市は、自分の拍で自分の遅延を行う。半拍の癖は、もはや儀式や装置の外側で、身体の側に根を下ろした。わたしはただ、温度としてそこに在る。風が頰を撫でる。風の撫で方は、名指しできないほど優しい。
塔の窓でヴォルクが、ひとつの仕草をした。窓を閉めて、沈黙に頷く。彼はまだ管理者だ。だが、管理の指の間から、未決が零れ落ちるのを、もう恐れない。勝ち切れないことが、暴力を鈍らせる。負け切れないことが、憎しみを希薄にする。彼は譜柱の新章の見出しに、二本の線を引いた。線の間は、空いている。空いているからこそ、読み手の拍が入る。
街は、少しずつ、叫ばずに治る方法を覚える。完全ではない。だから、良い。勝ち切れず、負け切れず、半拍遅れて続く。孤児院では、子どもたちがRの数え歌を遊びに混ぜる。「あーる、ふたつ、やすむ。/あーる、みっつ、わらう」。叱る声は減り、笑いは増えるが、笑い合いの合図は決して揃わない。揃わない笑いは、不謹慎ではなく、余白だ。余白のある笑いは、誰かの涙と同居できる。
夕暮れ、遅延便の最終頁に、いつもより長い編集後記が載った。文は短い。読点は少ない。余白が広い。最後の行にだけ、署名があった。
編集人R
誰が書いたのかは、誰も知らない。けれど読者は、窓を半拍遅れて開け、紙の端を親指で押さえ、風の祈りを部屋へ入れる。ページがふわりと持ち上がり、□の印が空に浮かぶ。ページは閉じられ、読みは終わらず、呼吸だけが続く。
欄干のRは、ゆっくりと風化を始める。角は丸くなり、溝は浅くなる。だが、手垢の艶が増すほど、読み手は増える。布片は色褪せ、触られるほど強くなる。王墓の銘板には朝の光が斜めに差し、「王冠は空でよい。空の周りを、人が温度で満たせ」の文字が、誰のものでもない発話として、毎朝新しく読まれる。空は空のまま。満たすのは、名でも善でもなく、温度だ。
街の端で、小さな鐘が鳴った。遠い。別の端でも、やや遅れて鳴る。さらに離れた場所で、鍋の蓋がコツンと鳴る。誰も合わせようとしない。合わせない音が、奇妙に調和する。調和は、同時に鳴ることではない。隣の息が聞こえる距離で鳴ることだ。塔の最上階の大鐘は、長く沈黙していたが、その夜、たった一度だけ、遅れて鳴った。誰の合図でもない。誰かが勝ったからでもない。街が、半拍の癖で、鐘の中へ風を入れたのだ。
わたしは笑えない。けれど、風が代わりに笑った。音のない笑いが屋根を撫で、旗を揺らし、王墓の銘を優しく撫で、布片の端を持ち上げる。誰も、神の名を呼ばない。呼ぶ必要がない。神は最初から、人の中にしかいなかった。なら——神を殺したあとで、街は、人のままに生き直す。
パン屋の前に、また朝が来る。焦げの匂いが、冬から春へ移る速度で息に混じる。橋の欄干は夜の冷たさを少し抱えたまま、昼の光へ滑らかに溶けていく。王墓の風は、誰の背中にも同じ厚みで触れる。止まる理由を知らない足が、Rの前で半拍止まる。止まれば、隣の息が聞こえる。呼ばれない名は、呼ばれないまま、温度に溶ける。温度は拡散せず、溜まる。虚無の器が、満ちに近づく。満ち切らないことが、ちょうどいい。
わたしは、背を向けて風に立つ。秒針のない蓋の丸い空白に、春の光が入る。光は時間ではない。けれど、拍にはなる。拍があれば、今日を選べる。今日を選べば、隣の息に気づける。気づけば、居場所が増える。居場所が増えれば、空は空のままでいられる。
街は歩く。ばらばらに。けれど、隣の息が聞こえる距離で。
——<了>




