雨の夜にやってくる
「ここにいてはいけません。あれは雨の夜にやってくる。」
夕方に突然降りだした大雨から逃れるために立ち寄った、山の中腹にある神社内の舞台に先客として板間に座っていた一人の若侍がそう言った。(※四季の祭りの際に奉納される舞や芝居のための舞台。)
私は自分がいる場所が能舞台だから、ひょっとして何かの芝居の台詞か何かだろうかと思ったが、侍の身なりや所作は完璧で、特段怪しいところはなかった。
もし、怪しむところがあるとすれば、その男が香り立つような色気を帯びていたくらいだ。
年の頃は二十を超えているだろうに月代も剃り上げず前髪を垂らしたその姿から察するに、どこかの御小姓なのだろう。美しい男だった。
共に武士というご同輩のよしみというか、なぜだかその男のことが気にかかり、私は話しかけてみた。
「某、備前池田家家臣の木村 主水正と申す。主の言いつけにより、加賀前田家に向かう途中でござるが、そなたはどこの家中の者か?」
私がフイに話しかけたので、男は驚いた様子で私を見て、それから一言「某は杉田香丸。主の勘気に触れて、家を追われた者にございます。」と答えた。
ふむ、浪人者か。またこの年で香丸などと幼名を名乗る以上、やはり色小姓の者なのだろう。
そう思って改めて見ると、白く細い首筋に陰りを帯びた痩せた顔が改めて美しいように見えた。
・・・・ごくり。と生唾を飲み込んだ。
初めはそんなつもりはなかった。ただ・・・・
ただ、私はこの美しい男に後ろ盾がないことを知ると、その弱みに付け込むように近づいて、その太ももに手を置いて試すように尋ねてみた。
「そなた、先ほど面白い事を申していたな?
雨が降れば何がやってくるというのか?」
私に太ももを撫でられた男は、頬を赤らめながら優しく微笑むと語り始めた。
「なんでもよろしいではないですか。
それよりも早くこの場を離れたがよろしいでしょう。こんなところを見られたら、ただではすみません。」
「こんなところとは、どんなところか?」
私はそう言いながら香丸を優しく押し倒す。すると、香丸は抵抗など見せずに「あっ」と小さな可愛い声を上げながら、私のなすままに身を任せた。
雨がシトシト降り続いていた。
事が終わると私は身を起こし、身なりを整えると
「駄賃もよいが私の家に来ぬか?
御上に話を通して召し抱えて貰えるよう手配しても良い。
その代わり・・・・そのかわり、しばらくの間は私の女として、そばにいてはくれないだろうか?」と、告白した。
香丸は極上の男だった。これほどの陰間に出会ったことはない。身体は雪のように白く、体内は冷たくこれまで感じたことがないような歓びを与えてくれた。
それで、中士という位にも関わらず精一杯の背伸びをして告白してみた。(※中士、中級武士のこと。)
しかし、香丸は寂しそうに笑って首を振った。
「お情けありがとうございます。私も久しぶりに燃えるような一時を過ごせました。
ですが、もうすぐ主が私を殺しに来るのです。どうかお許しを」
私はギョッとした。そして震える香丸の肩を抱き寄せ問うた。
「殺しに来るとは穏やかではない。
いや、いかに主従の関係にあってもこのような場でのお手打ち、お上がお許しになるわけがない。主にとっても厳しい沙汰があるだろう。それを避けるためにもどうか私に事情を話してはくれまいか?
話し次第では私が仲介してあげられると思う。」
私とて備前31万石の池田家に仕える目付の身分。ある程度の外交も行っている。口には自信があった。(※目付とは役職名。)
だが、香丸は白い肌を隠しもせずに服をはだけたまま、あられもない姿の体を起こし、私に事情を話して聞かせた。
その話は荒唐無稽そのもので、普段の私ならば怒りさえしたかもしれません。ですが、語る香丸の儚げな姿に魅力され、ただ最後まで口を挟まずにジッと聞くのでした。
「私の罪は到底、許されるものではないのです。
お察しの通り。私は主の色小姓に過ぎません。
あれは6月の雨の事でした。城を囲う明智の軍勢より何とか主とともに逃げおおせようとしたとき、この先の丘で休憩を取りました。
非力な私は見張りだけ任されたのですが、連日の戦の疲れもあって、ついウトウトとしてしまい接敵に気付くのが遅れて囲まれてしまったのです。
その事を知った主がもうすぐ私を殺しに来るのです。
こんなところを主に見られたら、あなたも手打ちに合うでしょうか。どうか、早くお逃げ下さいませ。」
香丸はそれだけ話すと肩を揺らして泣き始めた。
しかし、冷静になればどうも話がおかしい。
「戦とはなんだ? この太平の世の中に。
しかも明智とは? 明智光秀の事を申しておるのか?
そもそもお前の主とは、何者か?
一体、何の話をしているのだ?」
私がそう言って尋ねると香丸は慌てていった。
「ああああっ!
お許し下さいませ、お許し下さいませ。
私の主は丹波の国人、江田 秀和の手の者です。どうか、どうかお見逃しくださいませ。」
「・・・江田 秀和?
はて、聞いたことのない名だ。」
私がそう言って首を傾げると、香丸はそれ以上の問答をさせぬためか、それとも身売りをしたいのか、私に抱きつくと何度も何度も口づけを求めたのです。
その口づけの甘い事。私は夢心地となって彼を受け入れました。
どれくらいそうしていたでしょうか?
雨はまだシトシト降り続いていました。
ですが、そのシトシト鳴る雨音に紛れて、ズシンズシンと地響が聞こえてきたのです。
その音を聞くと香丸は血相を変え、それまでとは一変して主から逃がしてくれと言い出した。
「後生でございます。どうか私を連れて逃げて下さい。あなたには全てを差し出しました。ですから。何卒、何卒〜っ!!」
その姿は先ほどまで見せていた主の罰を受けいる殊勝な態度とはまるで違っていた。
それどころか酷く浅ましいと言っても過言ではない。
その上、私の要領を得ない態度を待っていられないのか、能舞台から飛び降りると全裸のままで雨の中を走って逃げていきました。
ところが不思議な事にその姿をあの地響が追って来るようにズシンズシンと言う音は高鳴っていきます。
いよいよ私は香丸が心配となり、後を追いかけて追いつくと、その手を取って共に走りました。
夜の雨の中、どこをどう走ったのか、もうわかりませんが半時は走ったでしょうか?
突然、香丸が歓声を上げたのです。
「ああっ! あそこです。あの峠を抜ければ主様は追ってこれません。」
香丸が前方に見える峠をそう言った時でした。
私の目の前に鎧を身にまとった巨大な鬼が現れたかと思うと、私の体を突き飛ばし、そして香丸を掴み上げたのです。
「この色狂いの卑怯者めっ!
また私を裏切って、自分だけ逃げようというのか?
その身を敵に売って命乞いとは許せぬ。
男を惑わすその身体、私が食いつぶしてくれるわ。」
鬼はそう言うと香丸の体を噛みちぎりだしたのです。
「お許し下さいませっ!
お許し下さいませっ!」
「いいや、ならん。主を見捨てて自分だけ逃げるために体を売るような奴は、許すわけにはいかん。
未来永劫、雨の夜の度に裂き喰ろうてやるわっ!」
香丸の悲鳴と鬼の怒号。私は生きた心地がしませんでした。
そうして、とうとう香丸は食い殺されてしまいました。
巨大な鬼は、その後、私に狙いを定めると襲い掛かってきます。
「おのれっ! 明智の手先めっ!
城落ちようとも、丹波武士の意地を最後まで見せてくれるわっ!!」
そう叫びながら襲ってきます。
私は慌てて逃げ出しました。こんな得体のしれないものと戦って生き延びれるわけがないからです。
走って走って。走りながら念仏を唱えて鬼から逃れようとしました。
しかし、巨大な鬼は早く、その手はとうとう私の襟首をつかんだのです。
その爪が凶悪なほど鋭くなければ、私はその場で終りでした。
ですが、不幸中の幸い。私の服は爪によって引き裂かれ、私は捕まることなく香丸が言った峠を乗り越えることが出来たのです。
峠の坂を走りこえ、ふと振り返った時。そこには誰もいませんでした。
ただ、いつの間にか雨は止み、山の向こうから昇る朝日が鬼のいた場所を照らしていたのでした・・・・。
それから・・・・。私はキツネにつままれたような思いで一度山を下りて麓の村に行って事情を話して聞かせた。
何でも村人が言うには、ここは昔、明智光秀率いる織田軍と丹波の国人が激戦を繰り広げた場所で、最後の砦であった波多野 秀治が支配する八上城には江田 行範 という国人がおり、美青年を殺した江田 秀和とはその血族ではないかという事でした。
明智光秀に攻め滅ぼされる前に逃げ出した小姓とその主の悲しい最後であったのだろう。
二人とも亡霊であったというのなら、落ち武者として主と逃げていた香丸は体を売って敵に助けを求め、それを見つけた主が香丸を殺し、その後、自分も死んだのだろう。恐らくはあの峠の坂で。
私と村人は未来永劫憎しみ合う二人を憐れんで、その魂を救うために峠に塚を立て、ねんごろに弔ってやりました。
それから私は主命の為に再び加賀の前田家を目指すのでした。
時に宝暦8年6月10日のことでございました。(※宝暦は江戸時代の年号。宝暦八年は1758年のこと)
おわり