第8話|神楽坂、すれ違いの午後と、ほんの一歩
集合は、飯田橋駅のB3出口。
人通りの多い土曜の昼間、石畳の道に日差しが差し込んでいた。
「お待たせ〜!悠真くん!」
声に振り返ると、そこには白いカーディガンと淡い青のワンピースを着た**成海まお**がいた。
普段の会社とはまた違う、春らしい装いに、思わず見惚れそうになる。
「いや、俺も今着いたとこ。……似合ってるな、それ」
「え、なに急に。……ふふ、ありがとう」
顔を少しだけ赤く染めたまおは、髪を耳にかけて、隣に並ぶ。
—
神楽坂の坂道を、ゆっくりと登っていく。
道端には古民家風のカフェや、和菓子屋、小さな雑貨店が並んでいた。
「なんか、思ってたより静かでいいね、ここ」
「でしょ?休日でも、ちょっと奥に入ると人が少なくて落ち着くんだよ」
「……へぇ。悠真くん、こんなとこ似合うんだ」
「どんなイメージだったんだよ」
「うーん、“仕事できるけど地味に家と会社を往復してるタイプ”?」
「それ、けなしてるよな」
ふたりで笑い合って、少しだけ肩が近づいた。
—
そのあと、まおの希望で寄ったレトロ喫茶店。
店内はアンティークなインテリアに囲まれ、心地よいジャズが流れていた。
「ねぇ、悠真くん」
「ん?」
「最近さ……アスカさんと、よく話してるよね」
唐突に出た名前に、一瞬、言葉が詰まる。
「……まぁ、ちょっと。偶然が重なってるだけ、かな」
「そっか」
まおはそれ以上、何も言わなかった。
けれどその視線は、窓の外をぼんやりと追いながら、どこか遠くにあった。
「別に責めてるわけじゃないよ?
ただ……ちょっとだけ、自分がバカみたいだなって思った」
「なんで?」
「だって私、今日このために昨日ずっと服選んでて、朝も何回も鏡見て、
それでも“ただの同期”なんだろうなって思いながら来たの。なんかさ、それって虚しくない?」
いつも明るい彼女が、今は笑っていなかった。
「でも、今日一緒に来てくれて嬉しかったよ。
たぶん、もう少ししたら、また“同期っぽい私”に戻るからさ」
「……戻らなくてもいいんじゃない?」
「え?」
「俺は、今日のまおも、ちゃんと見てるよ」
言ってから、自分で驚いた。
そんなストレートなこと、普段の俺なら絶対言わないのに。
「……じゃあ、もうちょっとだけ、このままでいようかな」
まおは静かに笑って、コーヒーカップを手に取った。
—
帰り道。
夕方の神楽坂は、昼よりも静かで、少しだけロマンチックだった。
でも、それ以上の言葉は出なかった。
それが“すれ違い”なのか、“優しさ”なのかは、自分でも分からない。
ただ、今日という日が、少しだけふたりの距離を変えたことだけは——間違いなかった。