第6話|自然体という名の侵食
金曜日の朝。
オフィスに入ると、いつもより明るい声がフロアに響いていた。
「おはようございまーす!うわ〜、今日いい天気だねぇ」
声の主はもちろん、**西園寺 アスカ**。
広報担当というポジション柄、普段から社内をふらふらと横断する彼女は、今日もいつの間にかフロアの真ん中にいて、誰とでも気軽に話していた。
だけど、妙なのはその“自然すぎる距離の詰め方”。
「ねぇ瀬戸くんって、メール打つの早いよね。
見てたらなんか、ピアノ弾いてるみたいだった」
そんなこと言われたの、人生で初めてだった。
「それ、ほめてます……?」
「うん、才能感じた。あ、あと、さっきのレポートもすごく読みやすかったよ。広報の資料に流用しちゃおっかな〜」
冗談交じりに笑うアスカの言葉に、周囲の視線がふわりとこちらに集まる。
成海まおは、少し離れた席からコーヒー片手にこちらをちらりと見ていた。
岩井蓮は、資料に目を落としたまま、ペンの動きが一瞬止まっていた。
綾瀬美月は……その表情を読ませないまま、PC画面を静かに見つめていた。
—
昼休み。
突然のLINEが届いた。
《ねぇ、瀬戸くん。今、時間空いてる?ランチ、どうかなって》
……アスカさんからだった。
断る理由はなかった。いや、断ったら逆に何か変に思われそうだった。
—
近くのサラダカフェ。
彼女はメニューを開きながら、ふわっとした笑みを浮かべる。
「ほんとに思ってたより、話しやすい人だった。もっと取っつきにくいかと」
「それ、初対面の時に言うやつじゃないんですか?」
「あはは、ちょっとずつ距離詰める派なんで」
まっすぐな目。
堂々とした距離感。
それなのに、どこか嫌味がない。
「……ずるい人ですね、西園寺さんって」
「えっ、やだ。それ、ほめてる?」
「たぶん、半分くらいは」
「じゃあ、その半分だけもらっとくね。ありがと」
——この人、誰とでもこうなのか。
それとも俺だけ、なのか。
—
午後のオフィス、俺の周りの空気は、どこか妙にピリついていた。
直接何かがあるわけじゃない。けれど、誰もが少しだけ、無意識にアスカの言動を気にしていた。
「自然体」は、ときに武器になる。
それを彼女は、どこまで自覚しているのだろう。
—
金曜日の夕方。
誰かの気持ちが、少しずつずれていく音が、聞こえた気がした。