第4話|それぞれの視線、それぞれの距離
火曜日の朝。
週明けの重さがやや薄れ、オフィスには少しだけ落ち着いた空気が流れていた。
「瀬戸くん、おはよう。ちょっとだけ、相談いい?」
出社してすぐ、**綾瀬 美月**が声をかけてきた。
彼女が“相談”という言葉を使うのは、実はかなり珍しい。
「もちろん、どうしました?」
「……実は、来月からうちのチームに新人が入る予定でね。その教育担当、私が見ることになりそうなの」
「綾瀬さんが?それって……珍しくないですか?管理職の役割なのかと」
彼女は、静かに息を吐いた。
「うん、普通ならそうなんだけど。上から、“綾瀬さんなら安心だから”って言われて……」
「正直ね、ちょっとプレッシャーで。自分が人をどう育てていいのか、分からないの。誰かに頼った経験、あんまりないから……」
その瞳は、どこか弱さを帯びていた。
「……俺でよければ、力になりますよ。遠慮なく言ってください」
「ありがとう、瀬戸くん。……なんか、こうやって素直に話せるの、あなただけかも」
彼女の言葉は、朝の光のようにやわらかくて、ほんの少し、心の奥が揺れた。
—
昼休み。
オフィス近くのカフェで買ったコーヒーを片手にデスクへ戻ろうとしたとき、
**成海 まお**が声をかけてきた。
「ねぇねぇ、悠真くん。今週末、ヒマだったりする?」
「え、たぶん……予定ないけど。どうした?」
「前に言ってたじゃん、散歩で行ってた神楽坂。あれ、気になっててさ。カフェもいっぱいあるって言ってたでしょ?」
「ああ、いいところだよ。坂が多いけど」
「でしょ〜?だから、案内してよ。ほら、散歩マスターのトナカイさん?」
「……トナカイやめろって」
「ふふっ。じゃあ土曜、お昼くらい集合ね〜。楽しみにしてる!」
彼女はそう言って、嬉しそうにスキップ気味に自分の席へ戻っていった。
ただの散歩のはずなのに、妙に胸が騒いだ。
—
午後。会議の合間に書類を取りに給湯室へ行くと、
**岩井 蓮**が冷蔵庫の前でバタバタしていた。
「え、あれ……あれ、どこ入れたっけ……!」
「どうした、何か探しもの?」
「……っ!あ、せ、瀬戸さん……いえ、なんでもないです。見なかったことにしてください」
「いやいや、無理あるだろ。なに探してんの?」
「……えっと、昨日買っておいたプリンが、なくて……」
「えっ、それは事件だな」
「ちょ、笑わないでください!すごい楽しみにしてたんですから……」
そのとき、彼女が机に置いたスマホのロック画面がちらっと見えた。
そこには——さりげなく、俺が以前送った写真が背景に設定されていた。散歩がてら写真を撮るのも俺の趣味の一つだ。
「あ、それ……」
「っっ、違っ……これは、たまたまですから!そ、その……構図がきれいだったから、です!」
真っ赤になった彼女は、プリンのことも忘れたかのように走って去っていった。
—
夕方。デスクに戻ると、ふと冷静になった自分がいた。
……もしかして、これって。
ただの偶然?
それとも、少しずつ何かが重なっていってるのか。
答えはまだ分からないけれど、
今、彼女たちとの距離は——確実に、変わり始めていた。