アリストテレスの犬
これは小説習作です。とある本を開き、ランダムに3ワード指差して、三題噺してみました。
随時更新して行きます。
【お断り】「名前、無数、自身」の三題噺です。
(以下、本文)
吾が輩は学者犬である。名前はポチ。ボスがそう呼ぶからポチなのだ。通じればペケでもマルでもよい。
この前、ボスが私に向かって失礼な口を利いた。
「ポチ、ポチと呼べば君は振り向く。ホシと呼んでも、ポテチと呼んでも振り向かない。『ポチとは自分に対する呼びかけであるな』と分かってはいるようだね。
でもね、ポチは君の名前なんだよ。名前って何か分かるかい?
この宇宙に存在する無数の物には、全てそれ自身の名前があるんだよ。
『悲しみ』とか『重さ』と言った形のない物も含めてね。」
「犬がこうしたとか、犬のなんとかとか、犬に対する、と言った言葉を口にすると、君は私の方をチラチラ見る。犬なる言葉は自分に関係があると知ってはいるようだね。
でも、君は犬の概念を把握しているかね。そもそも概念と言うものがあるのかね、犬の世界に。」
失礼な。セントバーナードもチワワも一緒くたにして区別しないくせに。
食べても「犬」。かわいがっても「犬」。戦争に連れて行っても「犬」と、根本の所で間違えてるくせに。
以降、本文では、人間による概念把握の当否は判断を保留し、「犬」とカッコ書きする。
人間にとっても「犬」にとっても最大の関心事は、食べること、寝ること、子どもを産み育てること、そして死ぬことだ。
これらの点において、人間と「犬」には違いがない。
我々「犬」は、これらをスピーディーにやる。人間が言うところの「10年」くらいで。
我々に比べると、人間の生物的歩みが遅いことは驚くべきものだ。
離乳まで「6か月」、自立歩行できるようになるまで「1年」、親離れが早くて生後「15年」、遅ければ「30年」。生殖能力を有するのが生後「50年」前後と聞いているから、「人」生の半分くらいは何もしていないのと同じなのだ。
このため、人間は「遅生類」に分類される。
嗅覚はほぼなし。動体視力は微弱。可聴域も驚異的なほど狭い。
このため、人間は「微覚目」に分類される。
それと、牙がない。もちろん角も、攻撃能力を有する爪もない。この生物的無防備さは注目に値する。
このため、人間は「無牙科」に分類される。
それと、人間と他の生物を区分する最大の特徴は、その共喰いの凄まじさだ。
個体数が過剰になれば淘汰が始まるのは他の生物と同じだが、人間の生殖能力の弱さと個体数の多さが両立できる理由は未解明で、今後の研究が待たれる。
このため、人間は「共食属」に分類される。
このため、彼らが自ら称する所の「人間」のことを、我々はホモ・ストゥルトゥス(Homo stultus 、ラテン語で「愚かな人間」の意味)と呼んでいる。