『お祖母さまはいったいどうして行方不明となられたのか』
わたしにはどうしても確かめたいことがあります。
それはお祖母さまが行方不明になられた真相です。
先週のことです。わたしがいつものようにお祖母さまをお部屋まで迎えにいくと、お祖母さまはそこにいらっしゃいませんでした。
どうやら夜おそく家を抜け出され、そのままお帰りにならなかったようなのです。
わたしの知らせを聞いたお祖父さまはすぐに警察へと電話し、捜索願いを出されました。
しかし、懸命な捜索にもかかわらず、三日経ってもお祖母さまを見つけることはできませんでした。
お祖母さまのような方が行方不明となるのはよくあることだそうで、警察の方々も探索を切り上げてしまわれました。
ですが、わたしにはどうも納得がいきません。
確かにお祖母さまは認知症を患っておられました。それは事実です。昼のあいだお外を徘徊なさったことも一度や二度ではありません。
しかし今回、お祖母さまが家を抜け出されたのは夜のことなんです。それがわたしにはどうも信じられません。
それというのも、お祖母さまが御就寝なされるとき、二階にあるお祖母さまのお部屋にはいつも外から鍵が掛けられるのです。もちろんこれはお祖母さまが夜中に出歩かれるのを防ぐためです。
中から開けることはできず、わたしかお祖父さまかのどちらかが鍵をはずす以外に部屋から出る方法はありません。
わたしがその点を警察の方々に指摘すると、彼らはおおかた鍵を掛け忘れたのだろうとおっしゃいました。しかし、わたしは確かに鍵を掛けたと記憶しているのです。まだ子どもであるわたしの言い分など彼らには取り合ってもらえませんでしたが、絶対に間違いありません。
いったいお祖母さまはどこからお部屋を抜け出されたのでしょうか。
もうひとつ気になることがあります。
お祖父さまのことです。
わたしの両親はわたしが小学校三年生のときに事故で亡くなってしまいました。ですから、わたしは現在、唯一の身寄りである父方の祖父母と一緒に暮らしています。
幸いにして両親が遺してくれたお金が多分にありましたから、年金暮らしをなさっている祖父母のもとであっても、なんとかやっていくことができました。
お祖父さまもお祖母さまも、わたしにはとても優しく接してくださいましたし、お祖父さまはひょうきんなお方でいらっしゃいましたから、笑顔の絶えない家庭であったと自信を持っていうことができます。
去年の暮れにお祖母さまが認知症になられてからは、確かにお祖父さまの表情から笑顔が減ったかもしれませんが、それでも家の中が暗くならないようにと懸命に努めていらっしゃいました。
畑仕事に勤しんでおられましたが、わたしは学校に行かなければなりませんでしたので、お祖母さまの介護をなさるのは基本的にお祖父さまのお役目でした。
介護をなさる上で、理不尽な目にも多々お遭いになったことでしょう。ですが、わたしには決して弱音を吐くことはありませんでした。まことに尊敬すべきお祖父さまなのです。
しかしそんなお祖父さまはこのところ……いえ、お祖母さまがいなくなってからというものどうも様子がおかしいのです。
はじめは当たり前のことだと思いました。なにしろ長い間連れ添われたお祖母さまの行方が分からなくなってしまったのですから。
違和感を覚えたのは、警察による捜索の中止をあっさりと受け入れてしまわれたときからです。お祖父さまの性格を考えると、警察の方々に対してもっと食い下がっていたはずでした。
しかしお祖父さまはそうなさらなかった。それどころか、近所の方々の有志により続けられている捜索にも参加されることはなく、畑に行かれる以外はまるで何かに怯えるかのようにお部屋に引きこもってしまわれているのです。
近所の方々は相当ショックだったんだろうとおっしゃいましたが、わたしにはどうもそれだけのように思えません。
お祖母さまのお部屋の鍵を持っているのはわたしとお祖父さまだけであること、それから最近のお祖父さまのご様子。
その二つの点を鑑みると、たとえわたしがまだ中学生だったとしても、容易にひとつの推定を立てることができます。
ですが、それは到底信じられないことです。あのお優しいお祖父さまがそんなことをなさるはずがありません。
しかし、その可能性が高いというのもまた事実です。
では、もし仮にお祖父さまの仕業であるのなら、お祖母さまをいったいどこに連れて行ったのでしょうか。
むろん、あそこしかないとわたしは思いました。
わたしの家には今は使われていない地下室があるのです。居間の隅にある畳の下にその入り口があり、この家に連れてこられたばかりの頃は、よくこっそりと忍び込んでお祖父さまに怒られたものでした。
わたしはお祖父さまが畑に行かれる日中を見計らってそこに忍び込むことにしました。
学校から急いで帰ったわたしは、迷わず居間へと足を進めました。
畳をのけて、地下室への扉を開けたと同時にわたしを襲ったのは強烈な異臭でした。お祖父さまに連れて行ってもらった植物園で偶然にも嗅いだことのある、ショクダイオオコンニャクのような匂いだとわたしは思いました。
冷たい汗が身体を滴り落ちていきます。
ショクダイオオコンニャクの匂いは、屍肉の匂いに似ているということをわたしは知っていたのです。
わたしの理性が、この先へ足を進めることを拒否するかのように、静かに痙攣をはじめました。
逃げ出したいと思いました。このまま扉を閉じて畳で覆い、何も見なかったことにしてしまいたいと本気で思いました。
しかし、そういうわけにもいきません。
ここで文字どおり臭いものに蓋をしたとしても、疑心暗鬼に囚われた日々を過ごしていかなければならないに違いないのですから。
覚悟を決めたわたしは、懐中電灯のはかない光を頼りに、そっと階段を降りていきました。
地下特有のじめじめとした湿気と、次第に強くなる異臭に辟易としながらも、わたしは地下室へとたどり着きました。
そして見つけたのです。
変わり果てたお祖母さまの姿を。
心臓が止まるかと思いました。半ば予期していたことだとしても、叫ばなかった自分のことを褒めてやりたいくらいです。
昼食を抜いていたことも助かりました。そうでなければ、きっとその全てをぶちまけていたことでしょう。
お祖母さまの身体は無造作にうつ伏せにされて石床の上に転がされていました。
目を背けたい光景であるはずなのに、見えない悪魔の手に突き動かされるように、わたしの手は、お祖母さまの体の隅々まで光を当てていきました。
右足が曲がってはいけない方向に曲がっていました。
頭部から背中にかけて赤黒いシミで染まっていました。
虫がたかっているのか、無数の羽音がうるさく響いていました。
階段をあやまって滑り落ちたということはありえません。
明らかに、お祖母さまは誰かに殺されたのです。
もちろん犯人はひとりしかいません。
暗い影が、蛇のように背筋を這い上がっていくような錯覚に陥りました。わたしが今いるのは現実であるのか分からなくなってしまいそうでした。
ですが、いつまでもここで放心しているわけにもいきません。
とにかくお祖父さまに見つからないうちにここから出なければいけませんでした。
しかし、それも遅かったようです。
とつぜん視界が真っ白になりました。地下室の電気がつけられたのだと気づいたのは、間も無くのことでした。
わたしは、恐る恐る背後を振り返りました。
階段の前にたたずんでいたお祖父さまは、見たことのない表情をなさっていました。狂気の宿った目というのは、今のお祖父さまの目のようなことをいうのでしょうか。
手には農作業で使う鉈を持っておられます。白熱灯からの光を受けた鉈は、まるで酸化した銅のような鈍い輝きを放っていました。
蛇に睨まれたカエルが如く、わたしの身体はぴくりとも動きませんでした。そのくせ、頭だけはしっかりと働いているのです。
ああ、わたしはこれから殺されてしまうのでしょうか。
そう思うと、お祖母さまとお祖父さまと暮らしてきた日々の思い出が、走馬灯のように脳裏を駆け巡っていきました。
編み物をなさっているお祖母さまの姿、その傍でお祖父さまのおっしゃった冗談にけらけらと無邪気に笑っているわたし……。
もう決して戻れない穏やかな日常が次々と浮かんでは消えていきました……。
わたしを現実へと引き戻したのは鉄を打つような甲高い音でした。
それは鉈が床に落下した音でした。
お祖父さまはただ黙ってわたしを抱きしめました。
何も見なかったことにしてくれとお祖父さまはおっしゃいました。ここには何もなかったし、私たちは地下室の存在は知らなかった、いいねとわたしの耳元で囁かれるお祖父さまの声は、ひどく弱々しいモノでした。
むろん、わたしには首を縦に振る以外の選択肢など残っておりません。
先に部屋に戻っていなさいというお祖父さまの言葉に従い、わたしは重い足を引きずるようにして地下室を後にしました。
部屋に戻ったわたしはそのままベッドに横になりました。いちどお祖父さまが夕飯に呼びに来られましたが、わたしは食欲がないと言って追い返してしまいました。今はお会いしたくなかったのです。昼から何も食べていないとはいえ、まだ一晩は大丈夫でしょう。
しかし、それは一晩だけなのです。
明日からはまたいつも通りの生活に戻らなければいけません。
お祖父さまと朝の挨拶を交わし、朝食を食べ、学校へ行く……。
果たして、わたしは正気でいられるでしょうか。今までのような普通の家族として過ごしていけるのでしょうか。
わかりません。
ですが、ひとつだけ確かなことがあります。
お祖母さまが行方不明になられた今、わたしの身寄りはもうお祖父さましかいないということです。
それだけが確かな事実であり、それゆえに、わたしの取れる選択肢は初めからたった一つしか残されていなかったのです。
(了)