異母妹
過去の己の酷い行動による悪評も、家族や周囲の人間たちとの関係も、概ね覆すことができたアンジェリカだったが、変わらないものもあった。
アンジェリカの母は、アンジェリカが学園に通いだす前に、肺を蝕む病に罹り、翌年には亡くなってしまった。
それでも、病で苦しみだしたころに公爵家の仕事から外れるよう説得し、空気の良い領地の本邸で療養するようにしたことは、僅かばかりの延命には繋がったようだった。
アンジェリカが見舞いに行った際、母の最期に立ち会えたことも……幸運といえるのだろうか。
かつての母の葬儀では、人目も憚らず号泣したアンジェリカだったが、今回涙を流すことは無かった。
……それでも、肩は震えてしまったのだが。
そんなアンジェリカとは対照的に、弟のローレンスはかつて一滴たりとも涙を流さなかったのから一転して、今はアンジェリカにしがみついて、ぐずぐずとすすり泣いていた。
過去の葬儀では、他人事のような表情を浮かべていた父も、早すぎる母の死に、健気に肩を震わせる娘と涙を流す息子に、どう接したものか判りかね、視線を彷徨わせている。
些末な変化はあったものの、母の葬儀からしばらくして、父は愛人と、彼女との間に生まれた娘を公爵邸へ連れてきた。
「今日から彼女たちも、この邸で一緒に暮らす。……どうか、受け入れておくれ」
問答無用で同居人が増えたことに変わりはなかったけれど、一言加えられただけ、マシになったのだろうか。
父の愛人は煌びやかな公爵邸を圧倒されたように見渡し、娘の方は年の近い異母姉弟をまじまじと見つめている。
「お二人とも、公爵家へようこそいらっしゃいました。これから、どうぞよろしくお願いします」
「……どうも」
殊勝にも、招かれざる闖入者たちへ丁寧に挨拶したアンジェリカをどう思ったのか。
気に入らないという表情をありありと浮かべながら、ローレンスも一言だけ挨拶の言葉を発する。
「シャーリーです! お姉さま、お兄さま、よろしくお願いします!」
拒絶されなかったことに安心したのか、異母妹のシャーリーは、アンジェリカとローレンスに元気よく挨拶をした。
シャーリーはローレンスと同じ年齢ながら、生まれるのが数ヵ月遅かったので、末っ子ということになる。
嫡男のローレンスと誕生日が前後しなかったこと、シャーリーが女児だったことは、かなりギリギリなラインの幸運であった。
……そうでなければ、父の愛人とシャーリーは、この公爵家へ足を踏み入れることはできなかっただろう。
公爵家の血を引く長女であるアンジェリカが、積極的に迎え入れる姿勢をとったからだろうか。
前回の生の時には、それなりに不自由そうにしていた父の愛人母娘は、さほど苦労することなく公爵邸へ馴染んだようだった。
父の愛人も、かつて恋人を奪った女の娘と息子を見て複雑そうにしていたけれど、関わろうとしてこないローレンスと違い、常に穏やかに接してくるアンジェリカには、それなりに気を許したようであった。
***
「お姉さま、この髪飾り素敵ですね! ……私もパーティーで着けてみたいのですが、お借りしても良いですか?」
「あら……うーん、これはお母さまの形見なのだけど……、ええ、そうね、シャーリーなら似合うだろうし、貸して差し上げるわ。でも、大切に使ってちょうだいね」
「ありがとうございます、お姉さま! あと……先日着ていらしたドレスも素敵で……あちらも良いですか?」
「うふふ、仕方ない子ね」
アンジェリカが断らないのを良いことに、シャーリーが次々とアンジェリカの持ち物を欲しがるのには辟易したけれど……こだわるほどの事ではないので、大抵少しだけ渋ってみるものの、最終的にはシャーリーの望む通りに与えていた。
そんな姉の姿を見て、ローレンスなどは「姉さまは優し過ぎる!」と憤っていたけれど、決まってアンジェリカは「そんなことはないわよ」と返していた。
実際、彼女のそれらの行動は、過去の過ちを鑑みた上でしていることなので、決して優しさなどではなかったのだけれど、弟は『半分しか血が繋がらなくても、同性の妹ができて嬉しいのだろう』と思っているらしかった。
シャーリーと仲良くできるなら、それに越したことはなかったのだけれど……彼女からすればアンジェリカが目障りなのは、今回も変わらないようだった。
どんな席でも必ず「素晴らしいアンジェリカ様の、母親違いの妹」と、アンジェリカありきの存在として扱われることも我慢ならないらしい。
「いつだって私は、お姉さまのオマケなのですわ!」と、文句を言われることもあったものの、「寂しいけれど、それじゃあ次のお茶会は、シャーリーだけで出席してみる?」と、一人だけで行動させるようにしたら、次第にそれも収まっていった。
シャーリーは一人で出席したお茶会だったり、学園での仲間内で「アンジェリカにいじめられている」と吹聴して回っているらしい。
しかし、誰もアンジェリカがそんなことをするとは信じず、むしろシャーリーが嘘つき呼ばわりされることとなる。
今世ではシャーリーに対して、アンジェリカはできる限り良くしているつもりだったので、何が彼女をそこまでさせるのか、測りかねていた。
シャーリーは過去と同じく、王太子のマーシャルに近づいていったので、そのためにアンジェリカが邪魔だったのかもしれない。
シャーリーの奮闘虚しく、マーシャルはアンジェリカへ好意を寄せていた。
立場が逆転してしまったことで、かつてのアンジェリカがどれだけ醜悪だったのか、シャーリー越しに見ることになり、苦々しい気持ちが胸に広がる。
だけど、アンジェリカのそんな気持ちを知らず、王太子マーシャルは今日も彼女へ愛を囁く。
「アンジェリカ、愛しい人……ねぇ、私はいつまで待てば良い? 早く君を、私の婚約者だと世界中に知らせてやりたいのに」
「私もお慕いしていますわ、マーシャル……。もう少しだけ、時間が欲しいの。まだ、心の準備が出来ていないのよ。……そう、私たちの卒業パーティー、その日に、きっとお返事するわ。うふふ……卒業パーティーの日に愛を誓い合うなんて、ロマンチックで素敵ね」
「あぁ、嬉しい……! 楽しみにしているよ、アンジェリカ。その日には、私にドレスを贈らせてくれるね?」
「ありがとうございます、マーシャル。そのドレスを、きっと着ていきますわ」
マーシャルは、学園で可能な限りアンジェリカから離れなかったし、休日には王宮に招待することも数えられないほどあった。
王太子と公爵令嬢のロマンスは、国中に広がるほどの周知の事実であったが……彼らは何故か、まだ婚約を発表してはいなかった。
アンジェリカが何かの際に「学生時代を恋人として過ごすのも、ロマンチックだと思うの」とポロリとこぼすと、そんな彼女がいじらしく可愛いと、周囲は微笑ましく見守っていた。
そんな王太子とアンジェリカの姿を見せつけられても、シャーリーは諦めていない様子であった。
アンジェリカは、シャーリーが卒業パーティーの場で、己をありもしない罪で糾弾しようとしていると知らされた。
王太子や弟が、全てシャーリーのでっち上げでありアンジェリカは潔白であるという証拠も既に掴んでいるので、心配することはないとも言い含められていた。
「あぁ、いよいよなのね……!」
かつての人生で、衆目の元、惨めに断罪された記憶が蘇る。
アンジェリカの行動によって、様々なことが変化していたけれど、このパーティーが転換点であることは変わらないらしい。
――運命の日が、やって来る。