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やり直し



「はっ……」



アンジェリカは目を覚ますと、自分が今までとは全く別の場所にいることに気づいた。


先ほど、ルアーンの身に何が起きたかは、克明に思い出せる。

再び、ボロりとその大きな瞳から涙が零れ落ちるが、そんなことは些末なことだ。



「これは……私は、一体……?」



辺りを見渡せば、記憶に懐かしい公爵家の自室であった。



修道院から連れ出されたのかと思ったけれど、それにしては身体が軽い。


熱に浮かされる感覚もなく、頭もシャッキリしているのがよくわかる。



治療されたのか?


それにしては、薬の匂いもなく、辺りに漂うのは部屋に飾られた花の芳香だけである。


広くふかふかとしたベッドから起き上がれば、部屋がやけに子供っぽいのも気になった。

裁かれたアンジェリカの部屋を、そのまま残しておいたにしても、違和感がある。


ベッドから抜け出す際、足元にあったルームシューズが、やけに小さい。

手も足もぷくぷくとしていて、やはり……小さい。

視界が、低い。


鏡の前に立って、アンジェリカはようやく理解した。






「子供に、戻ってる……!」






アンジェリカは慌てなかった。


ここがあの世で、最期の裁きの前に見せられている白昼夢なのか、それとも本当に、過去の記憶を持ったまま子供の時代に戻ってしまったのか――わからないことだらけだったが、そんなことは捨て置いた。


かつて、自分が他者に行ってきたこと、そのせいで断罪され、裁かれたこと。

そして……その先で得た安寧すら、あっという間に壊されてしまったこと。



今までの『アンジェリカ・ペンバートン』の人生に、想いを馳せる。



どうにもできない理不尽な部分もあったけれど、そもそもは己の行動で回避できたことも多かった。


なのでこの現状については――『やり直し』の機会が与えられたのだと、そう思うことにしたのだ。



過去の己の至らなさを反省し、今世へ活かそうと、強く誓った。



***



物事を判断する際は感情ではなく、理屈で考えるように教えてくれたのもルアーンだった。


確かに彼女は、アンジェリカに必要だったことを、全て教えてくれていた。



「アンジェリカ様はまだ十歳なのに、もうこんなところまでマスターしてしまうなんて!」

「いえ……先生の教え方が、素晴らしいからですわ」



かつては癇癪を起して逃げ回っていたマナーや勉学の授業も、精神的に成長したアンジェリカには苦にならなかった。


大人しく授業を受け、学び、自分のものにしていく作業を……楽しいことだとすら、感じた。

様々なことを学ぶほどに、ルアーンに近づいているような、そんな気がしていた。


必要なことを身に付けていくうち、かつての自分は本当に、ただ家の権力を笠に着た、張子の虎であったことを実感した。



異母妹に、してやられるわけだ。



権力にどれだけものを言わせようが、それを上回る圧倒的な権力を行使されては、どうにもならない。

……それも、己の能力に見合わないものであれば、猶更。



一度自分を裏切った、公爵家の令嬢としての権力に再び頼ろうとは、もう思えなかった。



「姉さま! 姉さま、見てください!」

「まぁ! ローレンスは、もうこんなにお勉強ができるようになったのね。よく頑張ったわ、偉いわね」

「えへへ……僕、姉さまみたいな素晴らしい人になるのが目標なんです!」

「あらあら……では、一緒にもっと頑張りましょうね」

「はい、姉さま!」



アンジェリカは、かつて不仲であった家族との関係も、改善しようと心掛けた。



弟のローレンスは、あれだけ母と共に過ごしていても、愛情に飢えていた。


母は、どれだけローレンスが努力しようとも、彼を褒めるようなことはしなかったらしい。



「嫡男であれば、このくらいできて当然」と、課題を与えるばかりだったのだろう。



かつては羨み、憎々しげに睨みつけるばかりだった弟に、声をかけるのには少々勇気が要ったけれど……母に大切にされながらも尚、孤独を持て余していた幼い弟は、アンジェリカが優しく接していくうちに良く懐いた。


「実は、私も剣術に興味があるのよ」と秘密めかして告げ、共にこっそりと木剣を握ることもあった。

結局、母にバレてしまったものの……母はアンジェリカにも、ローレンスと共に剣術の授業を受けさせてくれた。


昔では考えられなかったことだが、今ではローレンスの方から笑顔で駆け寄ってきて、楽しく会話を交わすことも、日常の些細な一幕となった。



「お母さま、お庭の薔薇が美しく咲いていますよ。今日はお天気も良いですね」

「あら、それじゃあ、お昼は庭でいただきましょうか」

「わぁ! ピクニックですか!? 楽しみですね、姉さま、母さま!」



母も、親しく過ごすアンジェリカとローレンスに、思うところがあったのか。


アンジェリカからもそれとなく水を向け、共に過ごす時間を増やすうちに、穏やかな時間を過ごせる間柄となっていた。



ローレンスを一人前の後継者にしようと、常に気を張っていたのだろう。

アンジェリカに刺激され、今まで以上に励むようになったローレンスを見て、母も少しは肩の荷が下りたようだった。


母がこうなってしまった原因の一つが、父であることは明白だった。


男子に恵まれなかった公爵家の長女として育った、アンジェリカの母。

幼いころから、何もかもが公爵家の為にと言われ、過ごしてきた。

父との結婚も、公爵家の為に親が決めたものだった。


彼女には、やりたいことは疎か、恋など、とても許されなかった。



ただ、ひたすらに、『公爵家』の為に――。



だけど、そのために婿入りしたアンジェリカの父は、母を支えはしなかった。


父は父で、侯爵家の三男として生まれ、元より爵位を継げる立場ではなかったので、文官となり愛する女と結婚するはずだったところを、家のために強引に白紙にさせられ、恨んでいたのだった。


その恨みを母に向けたのはお門違いもいいところだけれど、それなりに憐れに思えなくもない身の上であった。



既に公爵家に祖父母は亡く、若くして公爵位を継いだのこそ、婿入りしたアンジェリカの父であったが、公爵として公爵領を治めたり……といったことを始めとする様々な責務は、全て母に圧し掛かった。


始めから家同士の事情のみの、冷え切った関係ではあったけれど……ローレンス(跡継ぎ)が生まれた途端、それが更に顕著となった。


父はそれまでも愛人との関係は目こぼしされていたが、とうとう愛人の家に入りびたるようになった。

既に役目は終えた、とばかりに愛人宅へ住み込むようになった夫を、アンジェリカの母は見返したかったのかもしれない。



――そうして必死に育てたローレンスが、かつての世界では公爵家を捨てて騎士の道を選んだとは、随分皮肉なものである。



かつてのアンジェリカは、一人で公爵家を背負って立つ母へ、憧れの眼差しを向けていた。


ローレンス()さえいなければ、自分もカッコいい母のようになれたのに……と思っていたが、それがとんでもない勘違いであったことは、彼女の母の置かれた環境を知るほど、理解できた。



大半の日々を愛人宅で過ごすアンジェリカの父だったが、公爵邸へ顔を出すことも皆無ではない。


アンジェリカは、そうしたタイミングを逃さなかった。


子供らしい無邪気さを装って、構ってほしいのだとアピールしたり、二つ三つ、仕事に役立つような、ちょっとした思いつきを教えてやれば、少なくとも視界に入れてもらえないということはなくなった。



「お父さま、次はいつお家にいらっしゃるの?」

「そ、そうだな……また、もう少ししたら顔を出す。そうだ、アンジェリカはどんなお菓子が好きなんだ?」

「あら! お土産をくださるの? うふふ、私、木苺のタルトがだぁいすき」

「そうか……! では、次来るときは木苺のタルトを用意しよう」

「嬉しい! お父さま、ありがとう!」



父は父なりに、アンジェリカのことを大切に思うようになってきているのか。


自分の家にもかかわらず、娘に「いつ来るのか」と聞かれて平然としているなんて、アンジェリカの父ながら恥ずかしい限りではあったけれど、おやつが増えるのは大歓迎だった。



貴族の子供たちが集められたお茶会でも、事件は起きなかった。


アンジェリカは、既に公爵家の令嬢として当然の礼儀作法を身に付けていたので、そもそも笑われるようなこともなかったし、かつて手を上げた令嬢とはすぐに打ち解け、友達になった。


親の爵位を笠に着ず、優しく、美しいアンジェリカに、同年代の子供たちは、皆惹きつけられた。

恐怖や権力によってではなく、アンジェリカに好意や親しみを持って繋がる者たちが、たくさんできた。



誰にでも優しい上に賢く、人好きのするアンジェリカと親しくなりたいと思う者は大勢いたが、王太子であるマーシャル殿下も、その内の一人であった。



「ようやくアンジェリカ嬢に会えて、本当に嬉しいよ。君の素晴らしい評判は、たくさん聞いているんだ」

「まぁ……! 光栄ですわ、マーシャル殿下」

「アンジェリカと呼んでも? 君には、私のこともマーシャルと呼んで欲しいな」

「あら、……うふふ。勿論ですわ、マーシャル。……お呼びするのは、まだ少々、恥ずかしいですが」

「嬉しいよ、アンジェリカ。慣れてもらえるくらい、君とはたくさん会って話したいな」



過去の人生では、一度たりとも王太子から声をかけられることのなかったアンジェリカだったけれど、今回はあっさりと向こうの方から近づいて来た。


王太子とあまりにすぐ親しくなることができて、アンジェリカが拍子抜けしたほどだった。


そう……かつての方が、おかしかったのだ。

公爵家の令嬢たるアンジェリカに、王太子が声をかけないなんて、普通であればありえない。


過去のアンジェリカはそれほど嫌われていたのだと、まざまざと突きつけられながらも、王太子に輝かんばかりの美しい笑顔を向けられて、複雑な気持ちになってしまったアンジェリカであった。



過去を塗り替えていくアンジェリカだったけれど、ルアーンのことを、ひと時たりとも忘れることはなかった。

彼女を探したこともあったけれど……そのころには既に、彼女の生家であるストラウド男爵家は没落してしまっていた。


いずれ会えることは、わかっている。

アンジェリカは全てを終わらせ、自信を持って彼女に会いに行こうと、固く心に誓ったのだった。



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