慟哭
新しい暮らしには、すっかり馴染んだけれど――私をこの場所へ送り込んだ連中への恨みは、ずっと燻ったままだった。
私が修道院で暮らし始めてしばらく経った、ある快晴の日。
この日王都の大聖堂にて、王太子マーシャルと大恋愛の末に結ばれた公爵令嬢シャーリーの結婚式が執り行われた。
婚約が発表された際も、彼らの物語は世紀のロマンスとして盛り上がったそうだけど、結婚式当日の盛り上がりはその比ではなかった。
王族の久しぶりの慶事に、国中が沸き立った。
各地で祝いのための催しが開かれて、どこもかしこも朝からお祭り騒ぎが繰り広げられた。
王都の端にあるこの修道院にも、熱気と歓声が伝わってくるほどだった。
私を奸計に嵌め、辱めるだけでは飽き足らず、名を汚し、全てを奪い取り、本来の居場所から追いやった憎い連中が、諸手を挙げて祝福されている。
私にはとても……とても、耐えられなかった。
燦々と降り注ぐ陽光すら、恨めしかった。
ここ数日は、部屋から一歩も出られなかった。
朝までは、どうにか耐えた。
だけど、閉めきった窓の向こう側からですら、遠くで彼らを称える祝福の声や、楽しげな祭りの喧騒と振動が風に乗って伝わってくると……もう、ダメだった。
卒業パーティーの光景。
交わした言葉。
浴びせられた罵倒。
蔑むような視線。
冷たい牢。
下品な大衆紙の束。
結末の決まり切っていたお粗末な裁判。
あっさりと見限った取り巻き連中。
娘に無関心だった両親。
実の姉を見捨てたローレンス。
まるで使えなかった親戚共。
そして――うっとりと互いを見つめ合ってから、私を嘲笑った、マーシャルとシャーリー。
あの日からの出来事が、グルグルと頭を駆け巡る。
怒りで、視界が真っ赤に染まる。
いつしか口からは、自分のものとは思えない、獣のような咆哮が上がっていた。
何も、見たくない。
何も、聞きたくない。
あんな連中を祝うような世界、無くなってしまえば良いのに。
どうして、私が、こんな目に遭わされなければいけないの?
「あ、ああああああアァァァァァァア!!!! 許せない! 許せない、許せない、許せないィィィイ!!! あの連中を、許すものか! 私をこんな目に遭わせて、許されるものかァ!! あんな女のせいで、全てが奪われた!! あの男が、全てを奪った!!! 誰も、私を守らなかった!!! 私は、公爵家の娘だったのに!!! あの女とは、比べ物にならないほど、高貴な血を引いているのに! 罪なんて犯していない!! 私は、私に許された当然の権利を行使しただけ! あんな女、いなくなった方が、良かったのに! それなのに、何故、あんな女が王太子妃に!? アイツらこそ、秩序を軽んじる、国に仇なす存在じゃない!! 裁かれるべきなのは、アイツらの方なのに!!! 許さない! 許さない許さない許さないユルサナイ――」
頭を掻き毟りながら、醜く、狂ったように叫ぶ私を、そっと抱きしめたのはルアーンだった。
これまでも、鬱々と気が滅入った日には、手を握って、ただ隣にいてくれた。
「大丈夫、大丈夫よ、アンジェリカ……。貴女は、何も悪くないわ。許さなくたって、良いの。許せないのは当然だわ。貴女をこんな目に遭わせた連中が、全部間違っているのよ。狂っているのは、世界の方。良いのよ、アンジェリカ。全部全部、吐き出してしまいましょうね」
「あ、ああ、ぁ……」
「良い子ね、アンジェリカ。私が、付いているから、大丈夫。もう大丈夫よ……」
気づけば私は、ルアーンの腕に抱かれて、大声で泣きじゃくっていた。
泣くようなことなんかじゃ、無いのに。
それなのに……何故か、涙が溢れた。
ルアーンの腕の中は、温かかった。
私は彼女の柔らかな胸に顔をうずめて、わんわんと泣いた。
普段の私なら、振りほどいていたのに。
ううん、相手がルアーンじゃなかったら、きっとそうしていたわ。
それなのに彼女といるときは、不思議と気持ちが安らぐの。
ルーアンは理想の母のようでもあり、理想の姉のようでもあった。
でもきっと、彼女はそのどちらとも、少し違う。
もっともっと――特別な、存在。
既にもう言葉になっていない叫びにも、ルアーンは一つ一つ頷いては、頭を撫でてくれた。
私は泣きながら、ただひたすらに彼女にしがみついていた。
***
気づいたら……泣き疲れて、いつの間にか眠ってしまったようだった。
ぼんやりと目を開くと、私は温かな膝を枕代わりに、寝台に横たわっていた。
ルアーンはずっと付いていてくれたようで、ゆったりとした歌を口ずさみながら、優しく私の髪を撫でている。
柔らかな旋律の歌声が、夕日に照らされた室内に溶けていく。
もう――外の喧騒は、気にならなかった。
私が目覚めたことに気が付いたのか、歌が止み、彼女の手が私の頬に添えられる。
「お目覚めかしら? 私の眠り姫さん」
美しく笑うルアーンに、返事をしようとして――「ぅ゛ん゛」と、くぐもった声が出て、眉を顰める。
嫌だ……もう、最悪だわ。
大声で泣いたせいで、喉はガラガラだし、目は痛いし、鼻もヒリヒリする。
頭もガンガンと痛むし、瞼は腫れているだろうし、顔もぐちゃぐちゃでしょうね。
とりあえず顔を洗おうと起き上がろうとしたところで、ルアーンがこちらに屈んだ。
私の上に影が落ちて、ルアーンの顔が近づき――そのまま、目尻に一つ、口づけが落とされる。
軽いリップ音を鳴らして唇が離れると、続けて額、頬……と口づけが降ってきた。
熱くしっとりした吐息が、顔にかかる。
ルアーンの唇は、柔らかくて温かかった。
優しい彼女のことだから、聖母のような表情を浮かべているのかと思ったけれど……不思議と、今彼女がどんな表情を浮かべているのか、わからなかった。
「ん……」
滲む視界の中、とうとう唇が重なった。
振り払うようなことはせず、力を抜いて、身を任せる。
初めての口づけは、涙の味がした――。