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女子修道院 2

※このお話は、全てフィクションです※



ルアーンの言った通り、私はこの修道院にすぐ慣れることができた。



先輩修道女たちの誰もが、かつての爵位など気にかけることなく、皆親切だった。

私よりも年上の者たちばかりだったせいか、隔離された環境ということもあるのかもしれない。


年下の新入りが珍しいようで、ルアーンと共に居る私のところに来ては、頼んでもいないのにあれこれと教えてくれたり、世話を焼いてくれた。



そしてこれも言われていた通り――確かにこの修道院には、日常生活に必要な全てのものが揃っていた。



敷地内の建物はどこも丁寧に清められていて、今までに比べれば狭いけれど、それでも一人で眠るには十分な大きさの寝台に、清潔で柔らかく、ふかふかとした寝具。

ほつれたところなど全く無い、新品の修道服。

数組の絹製の下着までもが、はじめから手配されていた。


食事はそこまで手の込んだものではないけれど、敷地内で育てられた新鮮な野菜や果物に、定期的に届けられる肉や甘味。

修道女たちは自家製の香草茶を好んで飲んでいたけれど、それなりの品質の茶葉の用意もあったし、茶器も揃っている。


勉強や読書が好きな修道女もいるらしく、狭い部屋ではあるけれど、部屋いっぱいに本が詰め込まれた書庫に、出入りの者に頼めば読みたい本を取り寄せてもらうことまでできるという。



「まさか、こんなにも好待遇……というか、整った環境だとは思っていなかったけれど、これはどこかのご実家が寄付でもしているの?」



私の当然の疑問に、ルアーンは笑顔で答えた。



「あら……まぁ、そうよね。この修道院は、とある貴族が管理しているらしいから、それなりに出資もあるのかもしれないけど……。でもね、アンジェリカ。私たちは、ここにあるものを享受して当然なくらいには、お金を稼いでいるのよ?」

「そんな金額を……? 一体、どうやって……?」



かつて私が公爵令嬢として過ごしていたころとは比べ物にならないくらいに質素だし、雇いの人間もいないので全て自分たちの手で行う必要があるけれど、それでもこの暮らしは、庶民どころか下手な下級貴族のそれよりは上等なものではないかしら。


外部からの煩わしい干渉すら無い、満ち足りた平穏な生活。


誰もがこの修道院から一歩も出ることなく、この人数、この水準の生活を支えられるほどの収入……?



「うふふ、当然の疑問よね? 丁度良いから、その辺りも説明しましょうか」



そう言ったルアーンに手を引かれて訪れたのは、修道院で二番目に大きな建物、ガラス張りの温室だった。

隣接する場所にはもう少し小さな温室も併設されていて、この辺りのことを修道女たちは『薬草園』と呼んでいた。


むわりと湿気がこもる広大な室内には、陽の光をたっぷりと浴びて、青々と茂った草が群生している。



「これがなんだか、わかる?」



草を指して、ルアーンに尋ねられるけれど……正直、『草』ということしかわからない。


素直に首を横に振ると、ルアーンは説明を続けた。



「この草の葉がね……乾燥させると、一部の貴族たちが大好きな『オクスリ』になるの。うふふ……勿論、当たり前だけど、禁止されているのよ? はじめのうちは、本当に薬として使われていたそうだけど、効果のわりに中毒性が強くて、かなり前に禁じられたの。でも……人の(サガ)なのよね? 禁止されると、欲しくなってしまうの。中毒性があるから……なおさら、ね?」

「それは……そう、でしょうね」

「世話もね、定期的に水をやるだけで、勝手に育つのよ。育ったら、刈り取って乾燥させて……そうしたら後は、欲しがる者たちの元へ運ばれていくの。乾燥させたものなら、もしかすると目にしたこともあるかもしれないわね?」



これだけの説明で――よく、わかった。


禁止されているのに、一部の貴族たちがこぞって求めるのなら、値はどれだけでも吊り上がるでしょう。

大した手間もかからず、育てた分だけ売れていく。



これを聞いた私の感想だけど……『良い商売だな』と、素直に感心した。



信用のある貴族が運営する修道院で、これだけ大規模な栽培が行われているとは思わないでしょうし、たとえ監査があったとしても……莫大な収益を叩きだしているのだから、買収も容易だわ。

そもそも、余程のことがなければ、摘発に乗り出すような仕事熱心な者もいないでしょうね。

栽培を行っているのが、かつて貴族だった女性たちだから、ある程度の知識もあるので『商品』を乱用して使い込むという心配も少ない。



別に、忌避感なんて、全く無かったわ。



ルアーンの言った通り、乾燥させた状態なら見覚えがある。

かつての社交界でも、遊びで嗜んでいる者もいたし、誘われたこともあった。

ただ、煙いし、匂いが好きじゃなかったから、断っていたというだけ。


年配の貴族ほど、少なくとも一度くらいは使った者も多いのではないかしら?

その商品の一部がここで作られたものだと知ったことで、少しばかりの感動すら、あった。


清廉潔白な人間が、もしこの光景を見れば憤ったかもしれないけれど……そんな人間は、この修道院にはいないでしょうね。


この修道院には、独立したご立派な礼拝堂もあるけれど――ここに来てから、礼拝なんてただの一度も行われていない。



だって、ここでは神を信じている人間なんて、一人もいないのだから。



神への祈りどころか、この修道院に送られた誰もが、やはりどこか、今までに出会ったことのない……頭のネジが何本も抜けているような部分を感じさせた。


普通なようで、普通ではない人たち。


そんな彼女たちが、二人組の相部屋で、各々何をしているのかなんて、考えるまでもなかった。

私とルアーンは当然のように同室だったけれど、私たちがたっぷりと眠って、起床して、朝食を済ませてお茶を飲んでいるところに、ようやく一人、二人と、やけに肌艶の良い修道女たちが下りてくる。


昼を過ぎても部屋から出てこない者たちもいたけれど、誰も咎めることはしない。


日々の生活の中で、誰かに迷惑をかけない範囲でなら、全てが許容された。

だけど、夜中にうるさくし過ぎたり、使いかけの物を出しっぱなしにしたりすると、注意されたりもする。


皆が同じ修道服をあてがわれていたけれど、それぞれが自分の好みに合わせて手を入れているようで、着崩す者もいれば、動きやすさを重視して足元などを大胆な露出をさせている者もいた。

私とルアーンは特に何もせず、そのまま着ているけれど、頭巾だけは髪をすべて入れると暑いので、頭に被せるだけに留めている。

完全に外している者もいたけれど、屋外では日よけにもなるので着けるようにはしている。



ここでは、誰もが自分の得意なことで貢献していた。


綺麗好きな者は、エリアごとに清掃を。

料理が得意な者は、昼食や夕食を担当したり。

植物の知識がある者は、薬草園の管理を任されていた。

花が好きな者は、花壇の管理を。


作業に手が必要なら、呼ばれれば誰もが駆り出された。


この修道院で全員が担当する主な労働と言えば、土いじりだった。

温室の草は水をやれば勝手に育つとはいえ、他にも育てている薬草や香草の一部も売ってもいたし、畑でも草取りや害虫対策などが欠かせなかった。



公爵令嬢として育ってきた私には、何もかもが未経験のことで、おっかなびっくり、一つずつ体験していった。


週に何度か、晴れた日には数人がかりで洗濯をした。

たらいに水を張って石鹸を入れ、裸足で踏んでいたところでつるりと滑って、びしょ濡れの泡塗れになったときは、その場にいた全員に大笑いされた。

だけど不思議と、嫌な気持ちはしなかった。


丸々と実った野菜を収穫して、そのままかじったときには、こんなに美味しいものがあるのかと感動した。

収穫した野菜たちを調理場に持って行って、サラダやスープの作り方を教わった。

鍋を焦がさなかったことを大いに褒められて微妙な気持ちになったけれど、火事を起こしかけた者もいたと聞いたら、少し誇らしく思えた。

出来上がった料理は、決して手の込んでいない質素なものだったけれど、自分の手が加わったと思えば、やっぱりどこか一味違うように感じた。


初めてモップを握って掃除をしたけれど、妙に熱中してしまって、気づいたらフロア全部が綺麗になっていて、とても褒められた。


花や果物の名前は知っていたけれど、野菜をはじめ、薬草や香草の知識はほとんど無かったので、この修道院での大切な部分だからと、かなりの時間をかけて、たくさんのことを教わった。

特に薬草については、薬師でも目指しているんだったかと思うほど入念に教えられた。

そのおかげもあって、簡単な熱冷ましや痛み止めの薬は私でも作れるようになったし、反対に毒の知識も増えた。

実際に作ることこそなかったけれど、その気になればきっとこの修道院の誰もが、敷地内に植わっている草花から毒を作り出せる。


様々なことを学び、経験していく私を、ルアーンはずっと隣で支えて、面倒を見てくれた。



植物の知識や手入れについて不安が無くなってきても、どうしても虫だけは我慢できなかった。


どれだけ虫よけの香を焚いても、薬を撒いても、一掃することは不可能だった。

そんなときには、虫の平気なルアーンが軽々と追い払ったり、掴んで殺してどこかへ捨ててくるのを眺めるばかりだった。

常日頃から頼りになるルアーンだけれど、この時ばかりは後光が差して見えた。



修道女たちは誰もが面倒見が良いけれど、決して私の個人的なことに首を突っ込むことは無かった。

けれど、話好きな者もいて、勝手に己の武勇伝を語りたがる修道女も少なくはない。



何故、自分はここにいるのか?


彼女たちは代わる代わる、それを私に聞かせていった。



「気に入らない貴族の子息をぶん殴って、前歯を何本かへし折ってやったら、気づいたらここにいた」と言って、豪快に笑った赤毛の修道女だけど、「他にも使い物にならなくしてやった部位がいくつもあったでしょう?」と突っ込まれると、照れくさそうにガシガシと頭を掻いた。


政略結婚相手の横暴な夫から離縁されてきたという、至って普通の理由を述べた少し年嵩の修道女は、恥ずかしそうにはにかみながら「出てくる前に、あの男が収拾していた婦人画を、ぜーんぶ焚き木にして、焼き芋をしたの」と発言すると、周囲はやんやと喝采を上げて盛り上がり、その日の食事には芋がふんだんに登場した。


「スケッチをしていただけなのに、年の離れた従妹が池で溺れ死んでしまったのを、私のせいにされてしまったのです」と、感情の読み取れない目で淡々と話した背の低い修道女だったけれど、誰かに乞われて、その日描いていたというスケッチを思い出しながら再現してみると、池で見事に咲き誇る花と、もがいて沈みかけていく幼女が克明に描かれていた。


実家が家同士の争いに負けて送られてきたというおっとりした修道女に、変態貴族の目に留まったせいで夫人の悋気を買い逃げてきたという歌が得意な修道女など、たくさんの修道女たちが、己のかつての境遇を語った。


けれど、誰一人として、私の過去を探ろうとする者はいない。

流石に、私が何者だったのかは知っているのだと思うけれど、触れられたことはなかった。



きっと……私が、自ら話すのを、待っているのだと思う。



変わっているところも大いにあるけれど、優しく親切な修道女たち。

ずっと付き添ってくれている、ルアーン。


彼女たちを信じたい気持ちは――ある。

きっともう、心の底では信じ始めている。



だけど……かつて、あっさりと掌を返して裏切られた光景が、今もまだ、ありありと私の脳裏に焼き付いていた。



この話を書くために、少し草花などの調べ物をしましたが、とてもドキドキしたと報告させていただきます。

ダメ、絶対!

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― 新着の感想 ―
[一言] いいですね~皆さん!! 武勇伝知りたかったのでおもしろいです。
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