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Doroshy-ドロシー-  作者: 中山真治
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-序幕-

堅牢な石造の壁の向こう、怒号とも悲鳴ともつかない叫び声が飛び交っている。ガシャガシャと重い鎧を擦りながら、この城の衛兵たちは賊だ、逃すなと、銘々に叫んでいる。


「貴様ら何をしている!」


喧騒を一声で鎮める……女である。

整った目鼻立ちに、白金の髪は光を跳ね返し、まるで濡れているかのように艶めいている。煌びやかなスパンコールで飾られた青いドレスに身を包み、精緻な作りの貴金属で彩られた首元。その全てが声の主の身分を表している。衛兵たちは跪きーーエルファバ様、と主人の名を呼んだ。


「まだ賊を捕えられんか能無し共!早く賊を捉えて私の前に引き釣り出しなさい!」


いささかヒステリックな物言いに、衛兵たちは引き攣った声を返す。その声を掻き消す様にエルファバはーー早くしなさい、と衛兵達を急き立てた。


衛兵達はどこに潜むとも知れぬ賊のもとに走り出し。

エルファバは愚鈍な部下達への苛立ちを隠そうともせず、その背中に罵声を浴びせかけていた。



◇◇◇



「我々の侵入が知れたか?」


石造の城の奥の奥、壁に穿たれた穴から続く地下通路、身を潜めながら進む二人の耳にも、城を包む喧騒は届いていた。


「どうする姐さん、真っ向ぶつかれば勝ち目はねぇよ」


城の来賓にしてはいささか物騒な男女である。


男は獅子のように髪が逆立ち、長身痩躯でありながら……どこにそんな膂力があるのか……黒い鎧を纏い、身の丈ほどの大剣を担いでいる。

女は端正な顔立ちながら飾り気がなく、栗色の髪は短く切りそろえられ、赤く染め抜かれた衣服に簡素な鎧、腰には銀に煌めく剣を帯びている。

女はーーならジーク、ここで引き返すか?と、挑発的な言葉と視線を男に投げた。


「冗談じゃねぇ。この作戦のために大多数の兵を陽動に割いたんだ、ここで引けるわけねぇだろ」


ジークと呼ばれた男は、女の言葉に苦笑いを浮かべる。

女は苦笑いを見て、その意気だとわざとらしくジークの胸に拳を押し付けた。


「ここでなんとしてもエルファバを討つ」


女の言葉にジークは黙したまま頷いた。

刹那ーーいたぞ、ここだと、怒鳴るようなけたたましい声と共に駆けつけた幾人かの衛兵達が、二人の鼻先に槍の矛先を向けた。


「さぁどうする姐さん、なんか策は?」

「ない、真っ向勝負だ」


自身の無策を微笑みながら語る女の横顔に、姐さんはそういう人だよと、ジークは呟く。


衛兵がーー何を言っている貴様らと、発しようとしたその言葉が音になる前に、女の腰元から光の筋が走った。その一瞬の閃きの間に、二人の鼻先に向けられていた複数の槍は、武器として全く用を成さない木端になり床に転がる。


一瞬の沈黙。呆気に取られる衛兵達。

体勢を立て直すべく、衛兵達の長であろう男が号令をかけようとしたその機先を制す様に、ジークが前方に躍り出ながら、手にした大剣を目一杯横凪に走らせた。全く重量を感じさせない素早い太刀筋ではあったが、その実は鉄の塊である、幾人かの衛兵の上半身は事も無げに吹き飛んでいた。


散らばる臓物の湿った音と、衛兵達の渇いた悲鳴が響く。女はその何一つを気にかける事なく、大きく息を吸い号ぶ。


「我が名はグリンダ、南方領カドリングの領主なり!命が惜しいものは道を開けよ、命が要らぬものは剣を抜き……掛かって来るがいい!」


怒号と悲鳴の中、銀色の光の筋が何度も走った。



◇◇◇



少女は目を覚ました。


冷たい石畳みの上に、鮮やかな紅い絨毯。蝋燭の明かりに照らされた色硝子がいくつも組み合わさり何かの図案を描いている。


「此処は……」


誰に聞かせるでなく呟く。少女は、なぜ自分が此処にいるのか、全く理解できずにいた。


「目を覚ましたのね」


透き通る様な女性の声だ。

少女は声の方に振り向く。

美しい薄緑の長い髪が、まず目に飛び込んだ。

華奢な身体に、まるで陶磁器かの様な白い肌。美しいとはこのことであると言わんばかりである。

女性は少女に歩み寄り手を触れた。


この人は……誰なのだろう。

少女はわからなかった。


此処が何処で、この女性は誰で……

自分は何者なのか。


「貴女は……誰。此処は何処なの……」

「何を言っているの?」

「私は……私は誰?ねぇ、どうなってるの!」

「あなた、記憶が……」


わからない、何も。

少女の心を、えも言われぬ不安が押し潰した。

何も分からない、判らない、解らない。

自分は伽藍堂で、この場所も目の前にいる人も、見覚えのない何かだ。


取り乱す。声を上げ取り乱す。

そも、なぜ取り乱しているのかさえも、少女にはわからない。ただ押し寄せる不安と焦燥が、少女を揺さぶっていることだけは確かだった。


「ねぇあなたは、わたしはだれなの?わからない、わからないの」


悲痛である。

自分が何者かわからぬ事が、此処まで人の心を無惨にも斬りつけるものなのか。取り乱し床を這う少女に、緑の髪の女性が声をかけようとしたその時、無粋にも鎧を纏った男達の怒号が、聖堂の中に響いた。


「貴様、何者だ!」

「何処から此処に入ってきた!」

「その靴……貴様が!」


応えられようはずもない質問を投げかけ、男達は腰から剣を抜く。一体自分が何をしたと言うのか?これほどの理不尽な仕打ちを受けねばならない事を、自分はしたのだろうか?少女はただ身に降りかかる不幸の意味すらも解らない。


答えぬなら切り捨てるまでーー男の一人が大きく剣を振りかぶり、少女目掛けて斬り下ろす。刹那少女の手は引かれ、するりと男の殺意をすり抜ける。


「立ちなさい、立って此処から逃げて」


手を引いたのは緑の髪の女性。

彼女は男達から少女を守る様に、凛と立ち塞がっている。


「私は……私は何をしたって言うの……」

「今は逃げなさい、お願いよ」

「あなた……なんなのよ?わたしは……だれ?」

「貴女は……ドロシー。そう、ドロシーよ。貴女は、わたしの希望」


希望……私が何だと言うのだろう。少女には何もわかるはずがない。ましてや、それを考える暇など与えるものかと言う様に、男達の殺意が襲いかかる。


少女の体を突き飛ばし、女は叫ぶ。


「さぁ行きなさい、ドロシー!」


少女は、ドロシーはその声に背を押される様に駆け出していた。




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