お仕事がんばり中
居候生活を始めてから最初の数日、 茉莉花は、言いつけられた家事をこなして日々を過ごしていた。
当初教えられたのは、水汲み、掃除、洗濯、犬と山羊の世話などだ。
この中で大変といえば水汲みだろうか。
6歳のクラリベルの身体では、水をなみなみと汲んだバケツはかなり重い。それを、朝夕の食事に、掃除に、洗濯にと、一日に何度も繰り返すのはなかなかの労働だ。
(高く持ち上げたり、ひねりを加えたりすれば、筋トレになるよね……)
などと考えてしまうのは前世からの性だ。
これまで生きるために必死でご無沙汰していたが、最近また少しずつ身体を鍛えたい熱が再燃してきた。
今のところは仕事に慣れるのが最優先だが、昼間の空いてる時間などに、柔軟をしたり、手ごろな棒で素振りを始めたりしている。
掃除は、簡単な片づけと、部屋の箒かけとモップでの水拭きだ。
ギーズはあまり掃除に重点を置いているわけでは無いらしい。仕事用や料理用などの道具類さえ整頓されていて、あとは床に散らばる藁くずや干し草さえきれいになっていれば、他はかまわないようだ。
窓拭きは気が向けばで良いと言われているし、暖炉もまた今度と言われている。
下手に訊くと「別にいいぞー」と言われそうなので、勝手にぼろ布ではたきもどきを作ってかけてみたり、テーブルや棚を拭いてみたりしている。
犬とは、出会い頭の因縁もあり、最初はお互いになんとなく遠巻きにしていたけれど、茉莉花が一緒に暮らして、水や餌をくれる相手だと認識すると、懐いてくるようになった。可愛い。
元の世界でビーグル犬と呼ばれていた犬種に似ている。なんと名前はワトソンだそうだ。助手役にはピッタリの名前だと思う。
山羊は、背丈が変わらないので、最初こそおっかなびっくりだったけど、慣れてくるとやっぱり可愛い。名前はベルちゃんだそうだ。
この山羊を、朝山羊飼いに預けるのも茉莉花の仕事だ。
カランカランと鐘の音が聞こえてきたら、ベルを連れて出る。
山羊飼いは小屋から40分ほどのところに住んでいるらしい。灰緑色のぼさぼさ頭の、たぶん少年と言っていい年頃だと思う。ニキビ面の顔をいつも俯けている。極度に無口なので「おはようございます」と挨拶をしても、「ん」と返ってくるだけだ。
山羊が牧場に出ている間に、山羊小屋の掃除、帰ってきたら乳しぼりもする。最初はなかなかうまく出来なかったが、3日目くらいからスムーズに絞れるようになってきた。結構楽しい。
最初の数日が過ぎて、徐々に仕事に慣れてくると、今度は汚物の処理と畑仕事が加わった。
汚物というのはつまり、排泄物だ。
狩猟小屋の裏口から、屋根続きでもう一つ小さな小屋に入れる。そこに壺―――トイレが置いてある。
このトイレに溜まった汚物に、野菜くずなどのゴミを刻んだものや、藁屑を足して、畑の横の土溜まりに撒いて掻き混ぜる。混ぜた後は同じく藁を編んだ筵のようなものをかけておく。いわゆる堆肥を作るのだ。
ギーズの畑は、畳3枚くらいの小さなものだ。家を空けがちで手はかけられないから、このくらいでちょうどいいらしい。
ジャガイモの収穫が終わって、今の時期はサツマイモだ。サツマイモを収穫したらカブやネギも植えるらしい。
茉莉花時代もじゃがいもとかプチトマトとか育てていた。元々植物の世話は嫌いじゃない。楽しみだ。
だけど、ほんとに手が掛からないものばかりなので、草むしりくらいしかやることが無い。なのでひたすら堆肥作りに精を出す日々だ。
土いじりが多くなると、重要度が上がるもの。
それは、何と言っても洗濯と風呂だろう。
たい肥作りの時には、布でマスクや前掛けをするものの、それでも撥ねてしまうこともある。デインジャラスである。
洗濯ももちろん茉莉花の仕事だ。当然手洗いなのだから、さぞ大変だろうと身構えていたら、
「あ~、洗濯物が出た時にでも、ぼちぼちな」
と言われてしまった。
なんですと? と思い、もう一度訊くと、どうやら滅多に洗濯はしないらしい。
どおりで服が皆何とも言えない色している思った。シャツも、ズボンも、胴着も、ケープも、長衣も、茉莉花が借りたものも含めてみんな、濃淡はあれど、くすんだ茶色のような、色褪せたココア色のような、なんとも言えない色をしているのだ。
(多分これって、元はみんなそれぞれ色があったんだよね?)
何年(!)にも渡って着続けて、汚れと汗と垢でが染みついての、この色なのだろう。しかも擦り切れてるし。
「でもせめてシャツは洗いましょうよ、シーツとかも」
「あ? 別にんなもん、洗わなくても死にゃしねーだろーが」
と面倒くさそうに応えられたので。
速攻でシーツを剥がし、予備のシャツに着替えさせたのは言うまでもない。
「石鹸が」だの「布が傷む」だのぶつぶつ言っていたが、
「村とか街で人に会ったりするんですよね?最低限の身だしなみは大事ですよ。……臭いと嫌われますよ」
と言ったら、何か思い当たることがあるのか、苦い顔になっていた。
ちなみに、始めてギーズの服を洗った時の、盥の色は本当に恐ろしかった。明るい日の下で洗うので余計である。洗った水を流すときも、『環境汚染』問う言葉が浮かんだくらいだ。
風呂も同じだった。これまでは夏場にもっぱら行水。(この時に服も一緒に洗ったりしていたらしい)
湯で身体を洗うのはせいぜい半年から1年に1度くらいのものだったようだ。
つくづく、ここに来る前に放浪生活を体験していた良かったなと思う。あの野外生活を思えば、どんな暮らしでもお大尽様だ。
それでもやっぱり風呂は入りたい。特に夏場は。
茉莉花が自分でお湯を沸かすのならという条件で、毎日……、は無理でも、せめて一日おきに身体を洗うことを承知してくれた。
早速バケツを担いで何往復もして、お湯を沸かす。
前に茉莉花の服を干した時に使っていた、梁から通されたロープに、シーツを掛けて目隠しを作り、その中で体を洗う。
この世界に来て初めての風呂だ。
とは言っても、盥にお湯を溜めて身体を洗うだけなので、完全に浸かる訳では無かったが、それでも垢だらけの身体や、油でベトベトになっている髪を洗えるのは嬉しかった。
石鹸も、大きい洗濯石鹸みたいなものがちゃんとある。
だがこの石鹸、いくら洗っても泡が立たないのには参った。
石鹸があまり良くないのか、汚れすぎで泡立ちが悪いのか。
それでも、髪も含めて全身を3度目に洗った時は多少なりとも泡が立ったので、やはり汚れすぎだったのだろう。
茉莉花でさえそんな状態で、さらにその後にギーズも洗ったので、スポンジほどのサイズがあった石鹸がなんと半分くらいになってしまった。
「こんなに無くなっちゃうなんて…」
あと2回も風呂に入ったら無くなってしまう。
目減りした石鹸を前に、愕然としていると。
「しょーがねーな。おい、明日街へ行くぞ」
毛を布で拭き取りながらギーズが言う。灰色のくせ毛は、濡れるとぺしゃんこになって、頭のサイズが一回り小さくなったように見える。
「街?」
「石鹸は街じゃないと手に入らねーんだよ」
どうせ、お前の格好を何とかしようと思っていたからな、と言われて。
「ありが…「これはお前を村に出すために必要な事だからな、礼ならいらねーぞ」」
ありがとうございますの言葉が遮られた。
ギーズ曰く、茉莉花の今の格好では、小さい村では浮いてしまうのだそうだ。
「これからお前には、村に使いに行ってもらったりするからな。そのための先行投資だ」
ということでお礼は必要ないらしい。
「そうと決まれば明日は早いぞ、さっさと片付けて寝ろ」
と、目隠しのシーツを片付け始める。
どうやら街はここからだと3時間くらい歩くことになるらしい。
茉莉花も慌てて、盥や石鹸などを片付け始めた。
*****
翌朝、メリーを山羊飼いに預けて、帰りは小屋に入れてもらうように頼む。
相変わらず、「ん」と返事だけしか返ってこないけれど、頼んだことはきっちりやってくれるらしい。
ざっと掃除をして飼い葉と水も替えておく。
簡単な朝食の後、大急ぎで片付けを済ませて簡単な身支度をしていると。
「ジャスミン、お前はこれを着ろ」
と、ギーズのシャツと頭巾を渡される。
シャツは上から被って、首元を紐で縛って着るタイプの物だ。
今の(元)乗馬服を脱いで、代わりに着ろということだろうか。けれどシャツはそれほど長さが無いので、丈が膝上の、ミニスカートになっていまう。
大人の女性はロングドレスを着ている世界だ。子供は多少短いスカートを履くとは言え、さすがにまずいのではないだろうか。
首を傾げていると、
「いや、その上からだ」
乗馬服の上から着ろということらしい。
「えーっ!さすがに暑いですよ」
と抗議すると、むむ…と難しい顔をして、今度はもっと長い上衣を出してきた。
「これならその服が無くてもいいだろう。着てみろ」
言われた通り、乗馬服を脱いで上衣を着ると、ちょうど丈も膝と脛の間くらいの長さになった。
ぶかぶかすぎるので、袖を目いっぱいまくり上げて、さらに皮のベルトを締める。
ケープ付きの頭巾は紐を縛れば落ちないけれど、大きすぎて短いマントみたいになった。
あとは、それぞれの身体の大きさに合わせた籠を背負って支度完了だ。
小さい茉莉花の籠には、お弁当用のパンとチーズ、瓶に詰めたミルクが二人分。それから布でくるんだ猪の腸詰が少し。
大きい方のギーズの籠の中には、残りの腸詰と、あと昨日仕留めてきた鹿の肉がぎっしり詰まっている。
鹿の解体は茉莉花も手伝った。
小屋の横に納屋兼加工小屋がある。そこで鹿や猪などの大物を解体したり、干し肉や腸詰などの加工肉を作ったりするのだ。
小屋の奥は貯蔵庫になっていて、天井の梁からは、解体済みの肉や加工肉などがたくさん吊るされているのだが、その場所はいつも冷蔵庫みたいにひんやりとしている。
そう言えば、ちょっと不思議だ。
何はともあれ、今日はそれらを売りに行くのだ。
小屋のすぐ側の森を抜けると、なだらかな勾配の草原に出た。ここまで来るのは初めてだ。
朝の清々しい空気を胸いっぱいに吸い込む。
爽やかなピクニック日和―――と言いたいところだったが、そんな悠長なものでは無かった。
今日はワトソンも一緒で、二人と一匹の道中なのだが、茉莉花以外の一人と一匹が、とにかく速いのだ。
足場の悪い岩場を越えて、谷川に架かった丸太橋を渡って、小さな林を突っ切る。
ほぼ道なき道を迷いなく進むギーズ達に合わせると、茉莉花は半ば小走りで付いて行くことになる。
時々思い出したかのように、立ち止まったりスピードを落したりもしてくれるのだが、しばらくするとまた元に戻っている。
(このスピードに付いていけないと、狩りには行けないんだろうな)
今のところ、小屋周りの家事を頑張っている茉莉花だが、もう少し仕事に慣れてきたら、狩りに連れて行ってくれるよう頼むつもりでいる。
けれど、このスピードに付いて行けないと、足手まといになってしまいそうだ。
つまりは、狩りの間中ずっと走り続ける事になる。
(体力作りから始めた方が良いな…)
片手間の素振りや筋トレだけじゃなくて、走り込みも含めて、ちゃんとメニューを考えたい。
(ベルちゃんを送る前に、周りをぐるっと一周して来ればいいかも。水汲み筋トレも鍛える部位をもっと増やそう。あとスクワットと…)
普段あまりものを考えないくせに、こんな時ばかりやけに頭が働く茉莉花だった。
どの世界に行っても脳筋茉莉花です。
次は街に到着です。