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だったら あがいてみせましょう!  作者: こばやし羽斗
手に入れろ スローライフ
7/33

ジャスミン


 

 気持ちはまるきり千尋だった。

 ミルクを持っていなかったら、土下座くらいしていたと思う。

 茉莉花の勢いに、男は一瞬あっけにとられたような顔をして、

 

「馬鹿言うな、服も荷物も大分乾いただろ。さっさと帰れ」

 

 吐き捨てるように言うと、顎をしゃくって、乾かしている服と、テーブルの上の剣を指し示す。さすがに風呂敷バッグは流されてしまったようだ。

 

「役に立てるよう一生懸命頑張ります!弟子にしてください! ……ここに置いてください!」

 

 なおさら強い気持ちで頭を下げる。

 屋根のある部屋、暖炉、ベッド―――。

 一度人らしい生活の場に来てしまうと、もう一度あの野宿生活に戻るということが、とてつもない苦行に思えて仕方なかった。

 

 多分もう限界だった。

 身寄りも、食べ物も、寝る場所も、服も―――生きていく糧一式、さらには先の見通しも、何一つ無い、無いない尽くしの生活は。

 

 だけど、当然そんな茉莉花側の事情など男には関係ない。

 

「ガキなんか置いとく余裕はねえ、服着てとっとと出てけ!」

 

「なんでもやります!掃除だって、洗濯だって、料理だって。狩りのお手伝いもします。働かせてください!」

 

 ビシッとドアを指さされるのに負けじと言い返すと、「はっ」と失笑される。

 

「ガキが何できるって言うんだ」

 

 嘲りを含んだ言い方に、ぐっと奥歯を噛み締める。

 泣きたくは無かった。

 多分泣いてもどうにもならない。

 

「仕事は覚えます。働かせてください。置いてもらえるだけで良いんです」

 

 屋根があるだけでもありがたいくらいだ。

 

「その辺の隅で良いです。食事だって自分でなんとかします」

 

 だからお願いします―――と、ぐぐっと眉間に力を込めて。

 一歩も引かない覚悟で、6歳児の目線からはより一層大きく見える男を見据える。

 

 お互いに無言だった。しばらくそのまま睨み合って。


 ……ややあって、男が露骨に嫌な顔をしてため息を付いた。

 

「……お前、親は」

 

「いません、……私一人です」

 

 いろいろと訊かれたらどうすればいいのだろう。

 嘘はつきたくなかった。

 だけど、正直に話して良いのかどうかも分からない。

 

 自分が怪しいというのは重々分かっている。

 まず持ち物が不審すぎる。豪華すぎる剣。どう見たって市井の民が持ってて良い品じゃない。トラブルの匂いがプンプンする。

 服もだ。数日間のサバイバル生活ですっかり汚れて擦り切れてるけれど、元々は高級な仕立てだと分かる品だ。下着だって、レースやシルクのリボンの縁取りのある下着なんて、どう考えても一般庶民のものじゃない。

 盗品か、それとも訳アリの子供か、普通だったら関わり合いになりたくないと思う。……実際訳アリだし。

 怪しすぎるのを重々承知で、それでも一縷の願いを込めて必死の眼差しで男を見つめ返す。

 そのままたっぷり1分以上は経っただろうか。

 先に視線を逸らしたのは男の方だった。チッと、舌打ちをして。

 

「……鍋を洗うぞ」

 

 不機嫌な声の意味が、一瞬よく分からなかった。

 

「……え」

 

「鍋だ、あとそのボウル、何でもするんだろうが」

 

「は…、はいっ」

 

 とっととしろ、と背中を向けられて、飲み終わったボウルを手に慌てて立ち上がる。

 その間にも、男は暖炉にくべられた小鍋を下ろして、「洗い場は外だ」と背中を向ける。

 その背を慌てて追いながら、

 

「あ…、ありがとうございます!」

 

 と思わず頭を深々と下げるけれど、男は背中を向けたままの振り返らかった。

 

「役に立たなかったら叩きだすからな」

 

 とだけ吐き捨てるように言うと、木製のドアを開けて外に出て行た。

 

 

 

 *****

 

 

 外はすでに夕方になっていた。

 男の住む狩猟小屋は、周囲を森に囲まれた小さな草原に建っていた。

 玄関を出てすぐ左側はちょっとした崖になっていて、そのえぐれた中腹から滝湧水が流れ落ちている。その真下に木桶を置いて水を貯めているのだ。

 小屋の反対側にはもう一つ小屋がある。見た目からして納屋だろうか。一角が板で仕切られた動物小屋になっていた。

 

 男に教えられて鍋とボウルを洗っていると、遠くからカランコロンと鈴の音が聞こえて来た。何かと思えば山羊飼いが山羊たちを連れて帰って来たのだ。

 どうやら男も一頭預けているらしい。メエ~、メエ~と特長的な鳴き声が聞こえ始めたら、出迎えに出ていた。

 

 その後は言われるがまま、山羊の世話や、狩猟道具などの片づけを手伝っているうちに、あっという間に日が暮れて、辺りは暗闇になった。

 

 夕食は搾りたてのミルクと腸詰、ドライフルーツ、パンだった。

 食糧は自己調達するつもりだった茉莉花だが、

 

「ガリガリのくせに、バカな事言ってんじゃねえ」

 

 と一蹴すると、


「……ったく、どんんだけケチだと思われてんだ」


などとぶつくさ言いながら、茹でた腸詰を皿に盛る。

 

「皿が一枚しか無えから、お前はこっちな」

 

 と、布の上にドライフルーツとパン、そしてそのパンの上に腸詰も乗せてくれた。

 二人の足元では、犬が肉に噛り付いている。

 この世界に来て初めて味わう人らしい食事だ。涙が出そうなほどに美味しくて、感動しながら味わっていると、


「そう言えばお前」


 と声をかけられる。茉莉花が視線を上げると、


「その髪、どうしたんだ」


「え? 髪?」


「なんでそんな酷いことになってんだ」

 

 え、酷い―――?

 とギョッとしていると、さらに、


「誰かに切られたのか?」


 と、真剣な顔で訊かれる。


「えーと…、切りました」


 と言うと、唖然とした顔をされる。


「切ったって……、自分でか!?」


「は、はい……その、じゃまで……」


 と言うと、呆れた顔をされる。


 どうやら、この世界では女性は髪が長いのが普通らしい。

 あまりにひどい髪なので(そんなに酷いのか……と逆に落ち込んだ)、誰かに無理やり切られたのかと思ったのだそうだ。


(そっか…。日本も昔は女の人みんな髪長かったもんね。今度から切らないようにしよう)


 と内心肩を竦める。


(それにしても…)


 チラリと、向かいの席で、パンをちぎって口に運んでいる男を盗み見る。


(心配、してくれたのかな……)


 体が小さいせいか、はたまた胃が縮んでしまってせいか、パンも、腸詰も、半分くらいしか食べられそうにない茉莉花とは違い、男は茉莉花の倍近くの量を気持ちのいい食べっぷりで胃に収めていく。

 そもそもカトラリーなどないし、マナーもへったくれもないが、それでも意外にも上品な食べ方をする。それなりのスピードなのだが、食べ物を食べる所作がきれいなのだ。


(ちょっと意外……って言ったら怒られるかな。でも―――)


 粗っぽく見えても、決して下品では無い。そんな男の一面が垣間見えた気がしたのだった。





 夕食の席で、男はギーズと名乗った。

 

「私は…」

 

 と言いかけて、思わず口ごもる。

 

 『クラリベル』と、名乗っても良いものなのだろうか。

 

 確かにこの世界での名前はクラリベルだ。だが意識の上では茉莉花のままだ。正直自分がクラリベルだという意識はない。

 

(それに……)

 

 脳裏に浮かんだのは、屋敷を襲った男たちだ。

 この名を名乗ることで、自分自身はもちろん、このギーズという男まで、何かしらの事件に巻き込まれるなんてことは無いだろうか。

 何と言ってもほんの12、3日前の出来事なのだ。


 だが『まつりか』と名乗るのも躊躇われた。異質な名前になるだろうし、多分この世界の人は上手く発音できないだろう。

 

 

「じ…茉莉花(シャスミン)

 

「あ?」

 

「ジャスミン……、です」

 

 咄嗟に出たのは、馴染み深い名前をもじったものだった。

 



 

 夕食の後、茉莉花が食器を片付けていると、ギーズが納屋から干し草の束を出してきてくれた。並べて上からシーツを掛ければ簡易ベッドになる。

 

(こ、これはもしや、ハイジのベッド…!?)

 

 おお…と少し感動しつつも、この干し草は山羊の冬のご飯なのでは?と思って躊躇するが、これは去年の物だから大丈夫なのだそうだ。

 安心して毛布に包まる。


 毛布もシーツも、どちらも古くゴワついていていたし、干し草の匂いと相まって、古い畳のような匂いだったけれど、それでも野外で夜明かしをすることに比べたら、天と地ほどの差があった。


(屋根のある部屋、布団、最高だよ。ギーズに感謝しないと…)


 迎え入れてくれた男に、改めて感謝の念を抱きつつ横になる。




 

 最初の印象通り、ギーズはやはり狩人だった。

 兎などの小動物や、イノシシ、鹿なんかを獲っているらしい。罠も仕掛けるが、メインは弓矢なのだそうだ。

 

(そう言えば、小屋の前の小さい畑もあったな…。山羊もいるし。兼業狩人(?)みたいなものかな)


 基本は自給自足に近い生活だけど、村や街なんかに、定期的に肉や毛皮を売りに行っては、代わりにパンや生活必需品を手に入れているそうだ。

 狩人と言うと、ライフルを片手に、雪山で熊に挑む寡黙な一匹狼的なイメージだけど(←それはマタギだ)

 ギーズは別に寡黙な感じでもないし、村や街の人たちとも普通に付き合いがあるらしく、別に一匹狼という訳ではないようだった。




 

 何が何でも置いて欲しくて、必死の思いで頼み込んだ。


 それはもちろん、森でのサバイバル生活が限界だったというのもあるけれど、多分咄嗟にギーズのことを、信頼できる人だと直感で判断したからだ。

 

 その時その時は必死で、いちいち都度考えていたわけでは無かったけれど、例えば飼い犬への態度や、溺れる子供を結局は助けてくれるところや。

 そして、何と言っても最大の決め手は、テーブルの上に置かれた剣を見たからだと思う。

 

 誰が見ても一目で分かるほどの高価な拵えの、さらに異様な輝きを放つ宝剣。子供が持っているにはどう考えても不自然なそんな剣を、無造作に乾かして、さらにはあっさりと、持って帰れと言ったのだ。

 多分あの瞬間、茉莉花の中で、彼の評価は固まったのだ。

 だからだろう。

 


「とにかく、この剣はお前さんが持つにはまだ早い。しばらくは俺が預かる」


 

 食後、クラリベルの剣を取り出して、ギーズがそう宣言した時も、何の抵抗もなく受け入れることが出来た。

 もしもこのまま返してもらえなかったとしても、それは自分の見る目が無かったんだと納得できると思えたのだ。



 屋根の下で眠れること。

 大事な判断を大人に委ねることが出来ること。

 

 どちらもこの世界に来てから茉莉花が望んでも得られなかったものだ。

 クラリベルと比べるべくもないが、茉莉花自身もまだ18歳の未成年で、元の世界では両親や祖父の庇護下にあったのだ。




その日、この世界に来て初めて、心の底から安堵して眠ることが出来た。


 

 


 

 

 


なんとか新しい生活がスタートしました。

次はお仕事をがんばります。

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