鹿を狩る 魔光弦道を横切る
無事に森を抜けて、比較的なだらかな丘陵をさらに南下。半日ほどで、1つ目の目的である川に辿り着くことが出来た。
ここからは川沿いにさらに南西に向かうのだ。
川に沿って歩き始めて2日目、森の中で鹿を見つけた。森の中でも小さな野ネズミや鳥、リスなどは獲ったりしていたが、鹿のような大物は久々だ。
ヘイワードに音を立てないよう身振りで伝えて、気配を殺しながらジリジリと近づいて矢をつがえる。
ヒュン…ッと、放たれた矢が空気を切って弧を描き、見事鹿の胴に命中した。
あわてて逃げようとする足元に、もう一本矢を当てたところで、茉莉花の合図で走り込んできたワトソンが逆側から足に噛みつく。
倒れながらももがく首に、素早く小刀を入れる。
「これでよし、と」
「すごいな」
感心するヘイワードに。
「鹿は重いから、食べられる部分だけ持って行こう」
一度軽く手を合わせてから、頸動脈を切り血抜きをする。
胸から股間まで小刀を入れ、骨を断ち、内臓を取り出す。ちょうど昼時でもあるので、心臓や肝臓は後で軽く炙って食べる事にする。
内臓を取り出した後は、首の部分からズルズルと皮を剥いで、ロース、肩、バラ、モモなどを切り出していく。
今日食べる分はそのままに、残りはハーブと塩をまぶして布に包み、革袋に詰める。真夏では無いが日中はそれなりに日差しがある。夜のうちに表面だけでも炙っておいた方がよさそうだ。
その日の夜は、バラ肉を炙って食べた。
久々にガッツリと食べた気がして大満足だ。
重たいお腹に幸せな気持ちになっていると、
「昼間、鹿に刃を入れる前に手を合わせていたな」
森の中で野ネズミや鳥を獲った時もやっていた、と言われて、「ああ」と応える。
『日本人ですから』と応える訳にはいかないので。
「おまじないみたいなものかな。ありがたく食べさせてください、みたいな感じで」
「猟師の習慣みたいなものか?」
「いや、私が勝手に始めたの、ギーズはやってなかった」
と答えると、
「ギーズとは?」と言われたので、
「私の狩りの師匠、あの小屋は元々ギーズのものなの。今留守中だから預かってたんだよね」
「そうなのか」
と一旦納得した様子を見せてから。
「其方の戦い方はとても見事だが、どのようにして戦い方を覚えたのか? そのギーズと言う者に教わったのか?」
と訊かれて「そうだよ」と答える。
「ギーズは私よりももっと強いよ、だって本物の猟師だもん」
ヘイワードは少し呆れた顔をして、
「其方が師を慕っているのは分かるが。いくらなんでも其方より強いという事はないだろう。一人で魔獣を倒す猟師などそういるものではあるまい」
魔獣を一人で倒すというのは相当にすごいことだと言われて、うーん…と軽く首を傾げる。
「でもギーズも一人で魔獣を倒してたよ? それに私5回に1回くらいしかギーズに勝てないし」
どう考えてもギーズの方が強いよ、と云うと。
「驚いたな。……そのギーズというのは何者なのだ?」
「何者って……、だから猟師だよ、本物の猟師」
と答えると、ヘイワードが、幾分濃いグレーがかった眉を片方だけ持ち上げて、
「猟師という言葉で全部片づけてはいないか? そもそも其方の強さも相当なものだぞ?」
そう言われても。
「そりゃあ魔獣倒したけど……。あの時はたまたま、運が良かっただけだよ?」
「いや、魔獣を倒した時の身のこなしや、狩りの時の弓の腕はほんとに見事だ。正直私の剣術の師範よりも茉莉花の方が強いのではないか?」
と言われて、「いや、さすがに先生の方が強いでしょ」と答えつつも、
「ていうか、ヘイワード、剣を習ってるの?」
そっちの方がびっくりだ。だって最初に魔獣に追われていた時も、その後茉莉花が狩りをしている時も、いつも見てるばかりだったのに。
「もちろん、習っているぞ、弓もだ」
貴族の男子が戦い方を習うのは基本だ、と胸を張って言ってくる。『貴族』という部分はさらっと聞き流しつつ、
「じゃ、なんでいつも見てるだけなのよ」
「それは私が弱いからだ」
「胸張って云う事か!」
呆れると、
「いや私が弱いのは事実だ。それならそれで、戦いは別の者にまかせて、私は強さ以外の、他の誰にも負けない価値を身に付ければ良いのだと、師には言われた」
「強さ以外、……頭がいいとか?」
正直日本では、それも女子としては、強さなんてほとんど役に立たない。
それよりも頭の良さや、要領の良さ、愛嬌なんかの方が、はるかに生きるのに役立つだろう。
でもこの世界ではというと。
村の学校を見る限り、農村ではあまり『勉強』そのものは求められていなかった。農夫には農夫の知るべき知識や知恵があり、それを身に付けていけば十分生きていけるようだった。
それはギーズを見る限り、猟師の仕事も似たような感じだ。
だが、やはり貴族の社会では違うのだろうか。
「そうだな。私はまだ家庭教師に付いている段階だが、大変に覚えが良いと言われているぞ」
「そうなんだ」
家庭教師! やはり貴族の社会は勉強が必要なようだ。
(クラリベルのままだったら辛かったかも……)
と他人事のように考えていると、「それに」と、ヘイワードが言葉を繋ぐ。
「私は将来兄上の補佐ができるようになりたいのだ。だから兄上に失望されぬようにがんばらねばな」
「ヘイワードはお兄さんがいるんだ」
「ああ、兄上はすごいぞ。剣術も騎士たち並みに強いし、勉学も優秀なのだ。この春に大学を卒業されたが、2学年もスキップされたのだぞ」
お兄さんの話をしている時のヘイワードは、目がキラキラとしてすごく嬉しそうだ。
「今は、兄上の側近たちにはとてもかなわないのだが、私も早く大きくなって、兄上に頼られたり、お役に立ちたいと思っている」
(そっかあ、大学を卒業したお兄さんて……、こっちでは何歳で卒業なんだろ。日本だと22歳で卒業だけど)
いずれにしろ、かなり年の差がありそうだ。
(このくらいの年頃だと、1歳、2歳の差でも大きいもんね)
歳の差の開いた兄弟に憧れるのは、どこの国でも一緒なのかもしれない。
それにしても。
(『お役に立ちたい』かあ……)
正直、茉莉花の中の兄弟のイメージには無い感覚だ。
クラリベルの記憶を思い起こした時も思ったが、やはりこの世界の貴族の感覚は、日本人のそれとは違うのだろうなと思う。
(もっとこう……、時代劇チック、みたいな?)
ヘイワードも、カブトムシ相撲や泥団子にはしゃぐところなどは、前世で関わってきた小学生男児たちと大差ないように思える。だが少しでも深く接してみると、普通の子供とは全然違う面が見えてくる。
覚悟の決まり方が桁違いで、自制心、特に自らを律する精神力などは、その辺の大人顔負けだ。
偉そうで高飛車な態度はあっても、決して甘えた態度ではない。
それは、このサバイバルとも言える、強行軍の道中何度も思った事だ。
水汲みや薪集め、地面の地慣らし、天幕張りといった仕事を、茉莉花の指示通りきちんとこなすし、道なき道を、何十キロも歩き続ける時も、遅れをとるまいと、弱音一つ吐かずついて来る。
すでに肉刺だらけの彼の足は、おそらく一歩歩くごとに、数十の刃物の上を歩いてでもいるような、痛みに苛まれているだろうにもかかわらずだ。
足の件は出発して3日目に気付いた。
泉があったので、天幕を張って交代で水浴びしようという事になったのだが、その時偶然チラリと見えたブーツの下の足が、いくつも肉刺が潰れて血まみれだったのだ。
さすがに見かねて、何度も清水で洗った後、傷薬を塗り込んで布を巻いてやったりしたが、それでも歩くたびに相当痛むだろうと思う。
そういう姿を見るに、多分将来的に人の上に立つ人間として、厳しくしつけられてきたのだろうなと思ってしまう。
それは以前、オズワルドに対しても思ったことだが、
(これが“貴族”というものなのかな)
やはり自分には縁のない世界だと思ってしまう茉莉花だった。
道の悪さは相変わらずだったが、旅そのものは順調だった。
基本的には川に沿って進むだけだったし、何より水の心配がいらないのは精神的に楽だ。
断続的に草原や崖、森などが続いているため、香草や茸を摘んだり、獲物を狩りながらをひたすら歩き続けて、10日経った頃。
森の中の木々を抜けた先に、突然ぽっかりと森が開けた場所に辿り着いた。
森の中に、時折木々の開けた小さな広場のような場所があるのは珍しくないが、この場所が特殊なのは、一直線に森を貫くように木が開けている事だ。
そしてその草地になった場所に、金属製の細長い棒のような物が2本、1直線に敷かれているのだ。
「これは……」
見渡す限り、右も左もどちらも、地平に向かって真っすぐ伸びている金属の棒を前に。
そう言えば前に地図で、一直線のラインが引かれていて不思議に思ったことを思い出す。
2本の棒が平行に伸びている様子は、まるで電車のレールのようにも見える。
だが電車のレールと違って、本当にただの直方体のような棒が、ひたすらに長く地平まで続いている。
それにその金属らしき表面も、酷くツヤツヤで、微妙に発光しているようにも見える。
「魔光弦道だ」
ぽかんと眺めている茉莉花の耳に、ヘイワードの声が聞こえた。
「魔光弦道……」
そう言えば、地図で見たのも確かそんな名前だったなと思っていると、ヘイワードがしゃがみ込んで、2本のレールを手触りを確かめたり、軽くたたいたりと検分し始める。
「ヘイワード?」
「やはりライナスの言っていた通りだ」
小さな呟き声には、どこか確信めいた響きがあった。眉を顰めた横顔は、何か深刻な事態を感じている様にも見える。
魔光弦道とは何なのか。
見たところ、レールのように見えるが、果たして茉莉花が想像してる鉄道のような物であっているのか。
そして、ヘイワードの感じているらしい、異変のようなものは何なのか。
訊くべきか、訊かないべきか―――。
少しだけ迷ったが。
「ヘイワード、今日はこの先の森を抜けたところまで進んじゃおうよ」
結局、訊かない方を選んだ。
それは、この先ヘイワードを無事に送り届けたら、この縁はきっぱりと切れるのだという、茉莉花なりの線引きでもあった。
(深入りをすれば、戻れなくなる―――)
けれど、そんな茉莉花の意図とは裏腹に、この先ヘイワードの関わる事情――すなわち、王国を揺るがす事情に、図らずもこの先どんどん深入りしていく事になるのだった。
魔光弦道を越えて、さらに南下すること2日目。
崖沿いの道を抜けて、森に沿って歩いている時だった。
ふいに、風を切ってくる気配を感じた。
「危ない!」
咄嗟に、ヘイワードを抱え込むようにして押し倒すと。
ヒュン……ッ!!
と、頭上を掠めて、背後の木に矢が突き刺さる。
ヘイワードを背後に庇いながら、すかさず辺りを伺うと、10メートルほど先の木の陰に、弓を手にした、男が立っていた。焦げ茶のマントを羽織り無造作に伸ばした髪を後ろで束ねている。
「なんだよ、外したのかよ」
男の後ろから、さらにマントを羽織った男が3人近づいて来る。
(4人……、いや、5人?)
男たちのさらに向こうに、もう一人のを見つける。息を殺して、辺りの気配を慎重に伺いながら、
「立てる……?」
伏せたままの状態でいる背後の少年に、囁き声で尋ねると、
「大丈夫だ」
と返事が返ってくる。
「合図したら走るから、立てるようにしといて」
ほぼ吐息だけで伝えると、
「分かった」
「ワトソン」
愛犬の様子を伺うと、低い唸り声を上げながら、やはり様子を伺っている。茉莉花の指示があればすぐに動いてくれるだろう。
「悪いな王子様、残念だがここで死んでもらうぜ」
最初に口を開いた男が、そう言うなり斬りかかって来る。
咄嗟に後ろ手にかき集めていた、乾いた土をまき散らす。上手い具合に土煙が立ったところを、
「早く!」
と、ヘイワードの腕を掴んで駆け出す。
ワトソンが並走してくるのを確認して、そのまま背後の森に向かって、茂みに飛び込んだ。
次話の投稿は27日になります。
この先の予定について、活動報告に書きました。




