発端1 【ライナス】
※ライナス視点のお話です。
茉莉花たちが出発する2日前から始まります。
「そちらの方はどうだ!?」
待ち合わせ場所である、楡の木の元に現れた相棒に、ライナス・ジグモントが声を掛ける。探し求める相手の、せめて手がかりだけでも何かなかったか。問うその声は、極力冷静を装っているものの、隠し切れない焦燥が籠ってしまっている。
声を掛けられた相手、ダン・アレン・サモンドは、馬上から下りることなく、ただ首を振ってみせるだけだ。
元々口数の少ない男だが、焦りや困惑が強くなると、まるで声を出す事そのものが禁忌であるかのように、押し黙ってしまう。
藍色の髪とくっきりとした太めの眉、大柄で屈強な体つきの彼が押し黙る姿は、どこかいかめしい印象さえ抱かせる。
だがダン・アレンの、見た目に反して、朴訥とした優しい質をよく知り尽くしているライナスは、ただ相手の表情とかぶりを振る仕草だけで納得して見せた。
もう一度騎乗すると、
「今度はもう少し南の方まで捜索範囲を広げてみよう。お前は引き続き、川沿いを東の方を当たってくれ」
ライナスの言葉に、ダン・アレンが頷いて、再び件の東の方角へ馬を走らせていく。
その背を見送って。
ライナスも己の馬を南の方へ急がせる。
はぐれた川沿いを探すと一口に言っても、その川沿いも谷あり森有りの、決して見通しが良いとは言えない地形だ。
丘の下に連なる深い森の木々を見渡す。先ほどより確実に日差しが傾いて来ている。
日暮れが近かった。
夜になれば、森の中は真の闇に包まれる上に、危険な動物も活動を始めるだろう。
探す相手は、一人では火を起す事すらままならない10歳の子供だ。この森の中で一人で夜明かしが出来るとはとても思えない。
なんとしても、日暮れまでには、探し出さなければならないだろう。
「無事でいてくださいよ、ヘイワード様……!」
藁をもすがる気持ちで呟いた声は、駆け抜ける駿馬の蹄の音にかき消された。
******
異変は10日ほど前に始まった。
「王都に入れない、だと?」
その日、朝一番に部屋を訪れたライナスの報告に、アリスター・ロード・サージェンスターが、その透明に近い琥珀色の瞳を大きく見開いた。
「一体いつからだ」
滅多な事では動揺を表に出そうとしない主の、いつになく不審をあらわにした声に、報告をした当のライナス自身も、事の異常さを噛み締める。
「最初の報告は、朝一番でした。ロードから通じる門が開かないとういものです。王都への連絡を請け負った役人からの報告でして、門前で何度も開門を願い出たようですが、らちが明かなかったそうす」
「らちが明かないとは?」
「一応門には兵が立っていましたが、何を言っても『通せない』の一点張りなのだそうです。門の中や物見の塔にも人影はあったそうなので、兵たちの単独の行動という訳ではなさそうです」
主の目が、テーブルの上に広げられた1枚の紙に向けられている。
今朝届いたばかりの、王都の門の異変を知らせる手紙だ。
「さらに私が身支度をしている間に、届いたのがこちらです」
手にしていた数枚の紙をアリスターに差し出す。
紙には、1刻粘ったが、やはり門が開く様子がないという続報。さらに別のドネリー、ハーディングそれぞれの門も閉鎖されているようだという報告の手紙だった。
王都エルトランは、世界の中央にある湖 シグドラ湖に浮かぶ巨大な島だ。
そのシグドラ湖を囲んでいるのが、3つの王家の領地である、北のロード王領、西のドネリー王領、東のハーディング王領だ。
王領と湖に囲まれた王都へ入るには、基本的には2つの方法しかない。
1つ目は、島をぐるりと取り囲む城壁に設けられた、3つの門を通る方法だ。
これは、ロード、ハーディング、ドネリーの、3王領それぞれから延びる橋を渡って行く事になる。
2つ目は、王領の外側に広がる『7つの大領地』から、王都に延ばされた魔光弦道を使う方法だ。
各領都から、王都の中心まで延びるレールの上を、馬車を連ねたような、特殊な車両で移動する方法だ。魔光弦道の走行には、王の許可が必要となっており、また乗車にあたっては王と各領主両方の承認が必要となる。
王都で行われる政治や社交にはオフシーズンが存在する。春の復活祭後の新年の休暇、秋の豊穣祭シーズン、冬の盛りである長い夜の期間がそれにあたる。
これらの期間中、王都の貴族たちのほとんどは領地に戻り、シーズンが明けるとまた王都に戻ってくる。
ちなみに現在は、復活祭後の新年の休暇中だ。ほとんどの貴族はすでに帰領済みであり、現在の王都にはほぼ貴族が残っていないはずだ。
基本的に、は門と、魔光弦道の、上記2つ以外の方法では王都に入る手段はないと言われている。
シグドラ湖は深く、どれほど気温が下がろうと絶対に凍る事は無い不凍湖だ。また王都を囲む城壁は高く堅牢で、複雑な呪が張り巡らされており、いかなる武器や魔晶石の力を以てしても、傷をつけることは不可能と言われているのだ。
が、実はまことしやかに、王都に入る3つめの方法があると言われている。
その方法とは、3王領の領都から、湖の地下を通って王都に直接つながる、秘密の『道』があると言うものだ。
半ば都市伝説的な話なので真偽のほどはさだかではない。
また仮に本当に『道』があったとして、それは王族のみに知らされているとも言われており、一貴族であるライナスには、実際に存在しているかを知る術はないのが現状だ。
王都の特殊な事情を加味しながら、今回の異常事態について考えを巡らせていると、
「失礼いたします。アリスター様、ハーシェル領のお母上様から、緊急の伝令が来ております」
と、アリスターの居間の前室に控えていた側仕えが、声を掛けてくる。
「通せ」との言葉に、ローラという少女の女中見習いが、伝令烏を収めた鳥籠を捧げ持って入って来た。
烏の足の伝令用の筒は、本人の持つカギでないと開けることが出来ないため、烏そのものを連れてきたのだ。
捧げ持った鳥籠を、促されるままテーブルに乗せ、鳥かごの扉を開けようとするローラだったが、緊張のあまりかその指先がわずかに震えている。
確か普段は、女中頭の元で見習いをしている少女だ。いきなり『王子』であるアリスターに対峙することになって緊張しているのだろう。
その様子に気付いてか、気付かないでか、
「ありがとう、確かローラだったか? 君はもう下がるといい、この烏は少し気性が荒くてね、君のその可憐な桜色の爪先に傷でもついてしまったら申し訳ない」
などと言いながら、十代半ばだろう女中見習いの少女を赤面させているライナスに代って、ライナスは、鳥籠を開けてカラスを連れ出した。
ただ、手紙を取り出すにはアリスター所有の鍵が必要だ。主に向かって手を出し催促するが。
「いや、お茶のお変わりは大丈夫だ。今朝のお茶はローラが入れてくれたのかな? 私の心を癒してくれる優しい味だったよ、ありがとう」
口が止まらないらしい主の手から、奪い取るように鍵をひったくると、ローラに向けて、もう片方の手で下がれと合図を送る。
と、頬を染めてうっとりした表情を浮かべた少女が、名残惜しげに礼をして退出していく様子に、
(こりゃあ、後で女中頭に釘を刺さないとな)
とため息を付く。
のべつくまなしに美辞麗句で女性を褒めまくる主のせいで、基本アリスターの部屋には若い女性の使用人は近づかないように定められている。
だが現在、アリスターの両親であるロード大公夫妻が、末の姫を連れてハーシェル領の南部地方に滞在中であるため、屋敷の中の使用人の数が少なく、配備も変更されているのだ。
ハーシェル領への滞在は、去年から体調が思わしくないロード大公の療養のためだ。ハーシェル領南方では気候が良い上に、ロード大公妃であるジョアンナは、ハーシェル領主の娘なので多少融通も訊く。
その大公妃ジョアンナからの手紙に目を通したアリスターが、無言のままライナスに差し出してくる。
丁重に受け取って目を通す。
『極秘』と銘打たれ、ロード家の紋章入りの紙に認められた手紙には、ジョアンナ自らの手で、『ハーシェル領の魔光弦道のレールから魔光が消えた』と書かれていた。
「これは……」
「おそらく王都の『時の石』が外されたのだろう」
「…………」
『時の石』すなわち時の魔晶石は、数種ある魔晶石の中でも、もっとも貴重で最重要とされており、その管理や使用などは、全て王の許可の元に行われている。
誰か一個人が、簡単に持ち出すなど不可能なはずだ。
国を動かす重要な仕組みの中枢には、必ずと言っていいほど、この『時の石』が使われている。
魔光弦道もその一つだ。
王都と領都。両方の『駅』、そして車両に、それぞれ『時の石』を収める事により、両方の都を繋ぐレールに魔光と呼ばれる光が点り、車両が動く動力になるのだ。
閉鎖された門と、『時の石』が抜かれた『駅』、これはつまり、現在王都が完全に封鎖されていることを指す。
門が閉ざされ魔光弦道が動かないとなれば、誰も王都へ潜入することができないからだ。
問題は、それが明らかに、意図的に行われているということだ。
一体誰の手によるものなのか。
考えられるパターンの一つとして、王都が何者かに乗っ取られた場合がある。
ただ門での対応の記録を見る限り、兵らは明らかに命令を受けて動いているようだ。
貴族が少ないシーズンとは言え、数百人は残っているであろう兵士たちや、王直属の騎士団を掌握するのは並大抵のことではない。起こったとすれば、それはすでにクーデターだ。
それほどの大規模な動きが起こったとして、果たして王都以外の場所に情報が漏れないなどあるだろうか。
そしてもう一つのパターンとして考えられるのは、兵や騎士達に命令できる立場の人間が自主的に行っている場合だ。
兵や騎士団を統率し、時の魔晶石を動かすことが出来る人間―――。
答えはおのずと絞られてくる。
(だが―――)
おそらく、目の前の主も、ライナスと同じことを考えていることだろう。
物憂げに、額にかかるブルーがかった銀髪を払う仕草は、アリスターが考えを巡らせている時の癖だ。
軽く瞼を伏せて、もう一度、透明度の高い琥珀色の瞳が、真っ直ぐにライナスに向けられた。
「とりあえず昼まで待とう。それで状況が変わらないようであれば、私が行こう」
その声は、まるで散歩にでも出向くかのような軽い響きだ。
「な……っ、なりません。王都がどういう状況になっているのか、よく調べもしないうちに。……危険すぎます」
潜入はそもそも危険が伴うが、何者かに王都が占拠されている場合と、王本人の意思により封鎖が行われている場合とでは、対策が全く変わってくる。
前者であれば、なるべく多くの兵力が必要だが、後者の場合、政治的な判断も必要となる。あまり多くの人員を連れていては、下手すれば王に対する反意ありとの見方をされてしまう場合もあるのだ。
せめて、もう少し情勢が分かってから……と言いつのるライナスに、
「だが、調べると言ってもな。そもそも王都に出向かない事にはどうしようもないだろう」
門が閉じられている以上、烏のやりとりもできない。いかなる侵入物も城壁に阻まれてしまうのだ。
王都の状況を知るには、自身が中に入る以外方法はないのだ。
「ですが、何もアリスター様自ら動かなくても」
「私でなければ駄目なのだ。仕方あるまい」
と軽く肩を竦める。
それはつまり―――。
王都へ入る、第3の方法である『道』を使うということだろうか。
少なくとも、はっきりとした正史の記されている400年もの間、第3の方法である地下通路が使われたという記録はない。
もっとも、王家のみに知らされた方法であることから、使われた記録そのものも抹消されている可能性も高いのだが。
「おそらく、今頃ハーディング家でも何か手を考えている事だろう、ドネリー家は……どうなのか、分からぬがな」
現在の王、ザカライア・ドネリー・サージェンスターは、3王家の1つ、ドネリー家の出身だ。
もし今回の一連の王都封鎖がザカライア王の手によるものであれば、おのずとドネリー家の対応は変わってくるだろう。
「私もお連れ下さい」
すでに決意を固めている主に、ライナスは申し出た。
長くなってしまったので、いったん切ります。
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