友達のはなし 【ノーラ】
※ノーラ視点のお話です。
「えっ、じゃあジャスミン行っちゃったの?」
ジーンおばさんから、聞かされた話に、ノーラは目を見開く。
ノーラの親友――ジャスミンが、突然故郷であるロハスに帰ったというのだ。
「ああそうだよ、あんたの家も尋ねたみたいなんだけどね、留守だったからってんで、伝言を頼まれたんだよ」
家族で畑に出ていた時間だったのだろう。
『プレトンには帰ってきたら行こう』
それが、ノーラ宛に親友から託された伝言だった。
4、5日もすると、ノーラの家の果樹園が落ち着く。そうしたら、プレトン谷の花畑に一緒に出掛けようと約束していたのだ。
直接ノーラに伝えに来る時間も惜しいほど、急いでいたのだろうか。
「途中まででも、サムに送らせようと思ったんだけどね、あしずりまで親戚が迎えが来るから、必要ないって言うんだよ」
ジーンおばさんが、顔を曇らせて心配する。
無理もない、ジャスミンを、ことのほか可愛がっていたのだ。
「おばさん大丈夫だよ、ジャスミンしっかりしてるし、それに狩りの腕なら、もう一人前だってギーズが褒めてたんでしょ?」
せめてもと、慰めの言葉を言ってみる。
ノーラだって、ジャスミンに行かれてしまって十分ショックなのだけれど。
でもここは、ジーンおばさんの慰め役に回ることにする。
「そりゃあ、あの子はしっかりしてるけどねえ」
とため息を付くおばさんの心配は、何も道中の安全のことだけじゃないのだろう。
おばさんの気持ちが少し分かる気がする。
ノーラの言葉通りジャスミンはしっかりしている。しかも弓や小刀の扱いは、ギーズのお墨付きだ。
心配ではあるけど、ジャスミンなら、ちゃんとロハスに辿り着けるんじゃないかという気がする。迎えが来るならなおさらだ。
じゃあ何が心配なのかといえば、
『ジャスミンがもう村に戻ってこないんじゃないか』
それが不安なのだ。
ノーラはゴロゴロ村に住む農夫の娘だ。家は麦畑の他に、果樹園と養蜂もやっている。
ノーラの父シードは、もっと南の村の出身だったのだが、4男だったこともあり、12歳の頃コンフィの街に奉公に出された。
これは何も珍しい事じゃない。
街の子供は基本8歳を過ぎると見習いや奉公に出されるらしい。農村では、子供も働き手になるから、家に残る子が多いけれど、子だくさんの家だと、ある程度畑仕事を覚えたら外に出るという子は珍しくない。
コンフィでは野菜の卸売り問屋で奉公しており、野菜の卸しに来た母と知り合い、結婚してからは、農夫としてゴロゴロ村に住み着いた。
村で農夫として登録すると、空いている家や畑があれば無料で提供してくれるのだ。
最初の内はもっと森の側に住んでいたらしいのだが、数年して村のお年寄りが亡くなって空いた家と畑を引き継いで、今の村の中心部に引っ越した。
子供はノーラの他に兄が二人、上の兄は結婚して村の外れに住んでいる。下の兄は分からないが、結婚相手がいれば多分ゴロゴロに住むだろう。
基本的に農夫の子供は、兵士になるか、子だくさんで奉公に出されるか、よその村の相手と結婚するか、この3つで村を出る事が多い。
もちろん水害や蝗害で村を出たりする場合もあるけれど。
村にはそんな感じで、他から来た人が結構いる。
だけど、農夫の習性なのか、いちど『ここ』と決めてしまうと、今度は根が生えたように動かなくなってしまう。
ノーラの父もまさにそれで、元々他の村から来た事なんて忘れたかのように、ほとんどゴロゴロから出ようとしない。
父の世界は家と畑とドノバンの店、それから年に何度かコンフィの街に、卸や種の買い付けに行くくらいだ。
この世に、それ以外の場所なんて存在しないみたいな顔して生活している。
村の側にはちゃんと街道が通っていて、そこを進めば他の街にも村にも行けるというのにだ。
『街道は、手押し車で麦を売りに行くための道としか、考えてないんだよ』
『道は、コンフィの市場以外にもいろいろ繋がってるのに、その他の場所に行ってみようなんて欠片も思ってないんだから』
憤慨してジャスミンにぼやいたことがある。
つまりノーラは、村の外に出たいのだ。
たしかにゴロゴロ村にいれば、食うに困るという事は無い。裕福では無いけれど、村の人たちはみんな似たり寄ったりだから別に気にならない。
仕事はしなければならないけれど、自分の家の畑だし。
それでも。外の世界を知りたいのだ。
だってこのままじゃ、多分村の誰かと結婚を決められて、そのままゴロゴロで過ごすことになるだろう。
一生村以外の世界を知らない生活になるのだ。
そんなの耐えられない。
だけど。
正直女の子が、村の外に出る機会は男の子より少ない。奉公に出されるか、外の人と結婚するかのどちらかだ。
男の子みたいに兵士を希望すれば外に出る事もできるけど、兵役につく女の子はやっぱり少ない。
というようなことを、つらつらと話したら、
「ノーラは村から出たいの?」
と、ジャスミンに不思議そうな顔で、訊かれた。
「出たいよ! 出たいに決まってるじゃない」
「そっかあ」
と残念そうな顔をされた。
「私はずーっとここにいたいから、ノーラいなくなったら寂しいな」
とも。
そう言われると心が揺らぐ。
ジャスミンは、少し紫がかった銀髪に、青い目の、すごく可愛い子だ。
正直顔だけだったら、村で一番器量よしだと言われている3つ上のエミリアより、可愛いと思う。
だけど、まだ10歳だし、本人があまり身の回りに構わないので、どうにもそういう扱いにならない。
服装もキュロットは履いてるものの、男の子みたいな恰好ばかりしているし。
髪も無造作に後でひとくくりにしてるだけだったり、一度なんて魔獣に焼かれたからと言って、すごく短くなっていた。
髪を切らなきゃいけないなんて、ノーラだったらものすごくショックだし、恥ずかしくて外になんか出られないと思うけど、ジャスミンは「洗うのが楽だ」と言ってけろりとしていた。信じられない。
1年くらい経って今では大分伸びて来たけど、その髪によく被ってる頭巾、これがブカブカな上に壊滅的にダサい。
せっかくきれいな髪の色なのにもったいと思うのだけど、本人的にはどうでもいいみたいだ。
ジャスミンは、村の外れの森に住む狩人、ギーズのところの養い子だ。
ギーズはやっぱりよそから来たらしい。飲み友達のノーラの父は、
「たぶん兵士あがりだろう」
と言っていた。
兵役についている人の中には、故郷が無かったり、訳有りで帰れなくなったりする人がいるそうだ。そういう人の中でも特に腕が立つ人は、用心棒や猟師になるらしく、兵士あがりと呼ぶらしい。
ギーズは猟師の中でもかなり腕が立つそうだ。村ではギーズが持ってきてくれる肉を心待ちにしている人がたくさんいる。
酒飲みで、村ではよく酔っぱらってるけど、魔獣狩りの時には本当に頼もしかった。
ジャスミンが一緒に行ったのは驚きだったけれど。
そう、ジャスミンはギーズの元で猟師見習いをしているのだ。
女の子が猟師?と驚く人もいるが、本人にとっては多分天職だ。
仕事の話をしている時が一番楽しそうで、ノーラくらいの年頃の女の子が話題にするような、料理やお菓子作りのこと、縫裁縫や刺繍のこと、そして男の子のことなどの話題は今一つ反応が薄い。
料理はするみたいだけど、お菓子作りをしてるという話はとんと聞かないし。
何より、裁縫はジャスミンの天敵だ。
学校の手仕事の時間はそれはそれは嫌そうにしてるし、なんとか用事を作って逃げ出せないものかと、始終そわそわしているくらいだ。
刺繍なんて『死んでもやりたくない』とまで言うジャスミンを、とにもかくにも椅子に座らせて、針を持たせる学士はほんとにすごいなーと思う。
じゃあ男の子の話題はどうかと言えば、剣術を習ってる子たちの練習なら、いつも食い入るように見てる。でも多分、ジャスミンが興味があるのは剣の腕そのものだ。
だから、男の子の話になると、「ハーマンの突きは瞬発力がある」だの、「ジミーの剣先は右に流れがちだ」だの、男の子じゃなくて、剣の話になる。
ただ本人は剣術のクラスには入って無い。どうやらギーズから習ってるみたいだけど。
実はノーラは、ジャスミンが小刀を使っているところを見たことがある。
森を歩いている時、木の上から蛇が落ちてきたのを、さっと薙ぎ払ってくれたのだ。
悲鳴を上げるノーラを庇って、目にもとまらぬ早さで小刀を抜く姿を、ちょっとだけ『カッコいい』と思ってしまった。
ノーラを守ってくれる王子様がいたとしたら、こんな感じなのかな? とも。
以来、ノーラは少しだけジャスミンをカッコいいと思って見ている。
カッコよくて、そして『特別な子』だとも。
元々ノーラにとってジャスミンは『特別』な友達だけれど。
でもそれは、子供の人数が少ない村の中で、同い年の同性だからという理由が大きかった。
だけどそれだけじゃなく、ジャスミンは他の村の女の子とは何かが違うのだ。
普段は別に感じない。
むしろ裁縫を嫌がってそわそわしたり、庭に出れると知って真っ先に飛び出して行ったり、髪の毛とか、ろくにとかさないで縛っちゃったり、そういうところはちょっと子供というか、小さい男の子みたいだなーって思う時も多い。
だけどふとした瞬間、すごく大人な時があるのだ。
一番初めにそれを感じたのは、忘れもしないあの貴族の馬車の事故の時だ。
あの時ノーラは、ベティやアリア、そしてジャスミンと一緒に谷底の馬車を見つけた。
正直自分たちにはできることは何もないと思った。
自分たちにできることは大人たちを呼んでくることだけだと。
それはベティやアリアだって同じだったと思う。
だけど。
「ノーラ、そのザル貸してくれる?」
そう言って、ノーラのザルを借りたジャスミンは、なんと足に括りつけて、崖を滑り降りたのだ。
あの不思議な滑り方をジャスミンはどうやって知ったんだろう? 一度だけ頼んで教えてもらったけれど、結局ノーラには上手く出来なかった。
でもすごかったのは、見たことない方法で滑り降りた事だけじゃなかった。
あの後、一人で残ったジャスミンは、雪の中に投げ出されていた貴族の子供の骨折を応急処置して、冷え切った身体を焚火で温めてあげていたそうなのだ。
あの時、ノーラたちはただ、言われるまま大人を呼びに行っただけだ。それくらいしかできなかった。
その場にいたのが、例えば6学年の子たちだったとしても、多分ノーラと似たり寄ったりで、大したことはできなかったんじゃないかと思う。
あんな風に動けたのは、ジャスミンだからだ。
あの肝の座り方というか、いざという時の瞬発力と胆力みたいなものは、本当にすごいと思ってしまったのだ。
そして、その親友であるジャスミンは、故郷であるロハスに出かけたらしい。
「ロハス……」
実は、おばさんに話せなかったことがある。
以前、街の様子が知りたくて、何度かジャスミンにロハスの事を訊いたことがあった。
だけどそういう時決まってジャスミンは複雑な顔をしていた。そのいかにも喋りたくないという様子に、自然ノーラは、件の街について尋ねるのをやめたのだった。
(もしかしたら何か複雑な事情とか、嫌な思い出とかあるのかもしれない。そもそも火事でお母さんが大怪我したらしいし)
そんな、何年も帰ろうとしなかった場所に、急いで帰っていったというジャスミン。
それだけでなんだか不安な気持ちになるのは、多分そのジャスミンが誰よりも慕っているギーズがいないからでもある。
ギーズも親類が病気とかで、少し前に出かけて行ったまま帰ってくる気配がない。
(ギーズがいないこの村に、ジャスミンはちゃんと帰ってこれるのかな?)
(ロハスに行って、また嫌な事とかに巻き込まれたりしないのかな?)
頭をもたげる不穏な考えに、そんなことあるはずないとかぶりを振って、思わず山小屋の方角を仰ぎ見る。
うっそうと茂った森の向こうの山小屋に、今はもう誰もいないと思うと、なんだか酷く寂しく感じてしまう。
「ちゃんと帰ってくるよね…? ジャスミン」
思わず口をついて出てしまった呟きが、意識しないままに不安に揺れた。
ロハスについて言いたくなさそうにしていたのは、言うべきことが無かったからです。