出会い
ギーズが出て行ってから2週間が経った。
茉莉花はあい変わらず、動物を狩り、山羊と畑の面倒を見て、獲物と加工肉を村に売りに行くという生活をしていた。
生活面で言えば、やはり確実に人手―――特に大人の男手が減ったのは大きかった。
分かってはいた事だが、大きな獲物を運ぶのは難しくなったし、村や街に持ち込むときも一度に運べる量が限られるので、通う回数が増えた。
ただ基本の生活そのものは特に変ってない。
毎朝日の出とともに起きて、水くみ、汚物の処理、畑の世話…は今の時期それほどないけど、もう少ししたら収穫がある。
朝食の前の鍛錬も、ギーズとの打ち合いが無くなってしまい、今は一人でトレーニングと素振りをしている。これはとにかく物足りない。
そして食事だ。
以前は朝食に粥を作ったり、卵を焼いたりと、ちょっとしたものを作ったりしていたけど、今はパンと山羊のミルク、前の日の残りものとかで簡単に済ませている。
朝食の後は、身支度をして出かける。基本は罠の見回りだが、罠以外でも獲物に出会えれば仕留める。他にも山菜や茸、果物なんかを採ったりする。
家に帰ってからは、収穫品の加工だ。
肉の必要な部位を切り出したり、日によっては腸詰やハムづくりをする日もある。
作業小屋の奥の貯蔵庫は相変わらず冷蔵できるようになってるから、安心して作り置けるのだ。
果物はそのまま食べる分と、ドライフルーツにしたり、ジャムにしたりもする。
いずれにしろ、これまでと違って、全部の作業を一人でやるから、時間はかかるようになった。
食料関係の作業が終わったら、家周りの事をする。掃除や、暖炉の手入れ、ちょっとした修繕などだが、実はこれが一番困る。他の仕事はともかく大工仕事はどうにも子供の身には難しいからだ。これはいざとなったら村の人に頼らないといけないかもしれない。
家の事が終わったら、暗くなる前に夕食作りを始める。
朝と昼は簡単に済ませるが、夕食だけはちゃんと食べようと決めているのだ。野菜、肉、香草、キノコなんかを、煮込んだり、焼いたりする。
これも最初のうちはついつい二人分作ってしまったりもした。
夕食と片づけの後は手仕事だ。
繕い物をしたり、家や狩りで使う道具の手入れしたり、縄をよったり。日によるけれど、大体1、2時間くらい、必要に応じてだ。
今までは、この時間はギーズとお茶を飲みつつ、あれこれおしゃべりしながら作業していた。
1日おきくらいでギーズにヴィオールを習ったり、演奏を聴かせてもらったりしていたのもこの時間だ。
いわゆる団らんと呼べる時間で、一日で一番好きな時間だったのだ。
日中は仕事に追われている事もあり、多少物足りなかったり不便だったりする事はあっても、『一人』だとか『寂しい』とまでは思わない。
だけど夕食から就寝までの、この『夜』の時間帯は、いやでも孤独を意識する時間だった。
それなりにがんばって練習していたヴィオールも、一人きりになると触る気になれない。
特に寂しさが堪えた最初の3日は、食事も味気なく感じられて、簡単な物しか食べなかった。
だが4日目に、これではいけないと、夜には1品で良いから何か作ろうと決めてからは、きちんと食べられるようになった。
ワトソンにもずいぶんと慰められた。
この賢い犬は、ギーズが戻らないこと、茉莉花が寂しがっていることなど、ちゃんと理解しているようで、常に傍らから離れず、何かと鼻面を押し付けて甘えてきては、気持ちを軽くしてくれたのだった。
そんなこんなで、多少寂しさは抱えつつ、それでも茉莉花の、前世今世通して初めての一人暮らし生活は、滞りなくスタートしていた。
肉類を売りに行く時も、村の人たちはもちろん、ギーズが話を通してくれていた街の人たち、肉屋さんも、パン屋さんも、それから商会のおじさんも、「ギーズから聞いてるよ」「一人で大変だね」と親切にしてくれたし、子供だからと言って買いたたかれたりすることもなかった。
何も困ることはなかった。
このままギーズの帰りを待ちながら、ワトソンと二人静かに暮らしていくものだと思っていた。
ある少年と出会うまでは。
その日、いつものように罠を見廻って、特に獲物が無かったため、代わりに山菜やキノコ、果実を少し多めに摘んだ帰り道のこと。
「ワトソン?どうしたの?」
一緒に歩いていたワトソンが突然そわそわしだした。しきりに右の方を気にして低く唸りながらも、怯えてその場から動こうとしない。
その異様な様子に、思わず背負っていた弓を手に取った瞬間。
「うわあああぁぁ~~ッ」
どこからか子供のものらしい叫び声が聞こえて来て、反射的に声のした右の方角に走り出した。
後から後ろに隠れるようにしてワトソンも付いてくる。
森の中を50メートルも走っただろうか、木々の間に見覚えのある紫色の毛皮が見えて来た。
(ギランゴール―――!!)
走りながら矢をつがえた時、
「ぅああぁぁーっ!」
ともう一度叫び声経聞こえて、木々の隙間から小さい影が飛び出してきた。
(子供―――!?)
と思った時には、もう目の前に紫色の巨体が迫ってきていた。大きく開かれる口。
(やばい、火を噴く―――!)
咄嗟に、目の前の子供を抱えて横の茂みに飛び込む。ワトソンも付いてくる。
間一髪、茉莉花たちが先程までいた場所が、赤黒い炎に包まれる。
抱き込んでいた子供に「そこにいて!」と、背後の木の影に追いやると、矢をつがえつつ魔獣の反対側に走り込む。
相手は魔獣だ。ギーズもいない―――。
だけど、迷っている暇はなかった。
『ギランゴールのような大型の四つ足魔獣は、まず弓や槍で弱い部分、わき腹や、目、頸なんかを狙ってなるべく弱らせるんだ』
『お前はとにかく身が軽い。動きも俊敏で、キレもある。大型の魔獣はお前のスピードには付いてこれない。とにかく右へ左へ攪乱して、隙を付いて攻撃しろ』
子供のいる茂みから十分距離を取ってから、ギランゴールの左斜め前に勢いを付けて回り込む。
こちらに気付いたギランゴールが、大きく口を開けようとするよりも早く、走り込みながら矢を放つ。
『目を狙え。魔獣は鼻が利かないのが多い、両目をつぶすことが出来れば成功率が変わってくる』
ヒュン…ッと、風を切る音と共に放たれた矢が、爛々と光る金色の左目に命中した。
痛みと怒りに、地響きのような咆哮を上げながら突進してくる巨体をかわしつつ、身を翻して今度は逆側に回り込む。
決して愚鈍では無いギランゴールだが、ギーズの言葉通り、スピードでは茉莉花の方が絶対的に速い。
一旦離れるかのように脇の木々に入って見せてから、大きく木を蹴って飛び出し、右のわき腹に矢を放つ。
ゴオオオオォォ……ッ
怒り狂った魔獣が大口を開けて、左目を潰した憎き敵がいたはずの右わきに向かって炎を吐く。だが、その時には茉莉花は背後に回り込んでいた。
臀部にも矢を放つけれど、こちらは意外に皮下が厚いのか、刺さりが浅い。痛覚も鈍そうだ。
地団太を踏むように、振り向いての炎の攻撃を、間一髪避けて、もう一度木を踏み台にして、ジャンプすると、今度は右側に回り込む。
燃えた枝や葉がバラバラと落ちてくるのを交わしながら、狙いを右目に定めて弓を引く。
命中―――!
両目を矢で貫かれたギランゴールが錯乱と怒りで、手当たり次第に炎を巻き散らかし始める。
炎そのものは、2メートル飛び出すか飛び出さないかの勢いだだが、いかんせん辺りは森なので、他の木に燃え移るとやっかいだ。
なるべく早く仕留めなければ―――。
右耳のすぐ脇を、高熱の炎が掠めるのを、間一髪マントで躱す。
チリリ…と髪が焼ける匂い。
『弱ってきたところを剣で仕留める。首を撥ねるのは相当の力がいるから無理だろう。他にも急所はいくつかあるが、部位によって死ぬまでに時間がかかる』
『一番早く仕留められるのは心臓、左の前足の付け根辺りだが、肋骨の隙間を縫うようにして刺さねばならん』
『他にも喉笛、頸動脈、後ろ脚の付け根の大腿動脈辺りも失血死が狙える』
『背後から狙えるのが頸椎と腎臓だ。背中に飛び乗ることができれば狙える』
すでに燃え始めた木の幹を蹴り上げて、ギランゴールの背中に飛び乗る。
振り落とそうと暴れるのを、たてがみを掴んでなんとか持ちこたえながら、頸の後ろ側から小刀を突き刺す。
剣ではないので刺さりは浅いが、ちょうど血管を捉えたようだ。
血が噴き出して、茉莉花の顔と服もみるみる赤く染めていく。
地響きのような咆哮を上げてますます、振り落とそうと暴れまわるのを、必死でしがみついてこらえながら、もう一度、血でぬめる手で小刀を刺そうとした、その時、
「うわあぁぁぁッ」
魔獣の背の上で、頸を回して悲鳴の方を見れば。炎や前足で押され、なぎ倒された木の隙間に、先ほどの子供の姿が見えた。
(なんでこんなところに―――!?)
戦闘が気になって出てきてしまったのだろうか。
とはいえ、今は助ける余裕はない。
茉莉花の下で魔獣は、未だ致命傷に至らないのか、最後の悪あがきとばかりに何度ももがいて手足をばたつかせている。
その頸に何度も小刀を突き刺す。
(早く、早く止まれ―――!)
必死で念じながら、渾身の力を込めて突き刺す。
ひと際大きな血飛沫が上がって―――、ようやく、魔獣の身体が大きく傾く。
ドシャアアアァァ……ッと、音を立てて倒れ込む背中から飛びのいて、ふうぅ―――と、思わず大きく息を付く。
辺りの火が引いていくのを確認してほっと息を付くも、さすがに茉莉花自身もボロボロだった。
顏も服も血まみれだし、服はあちこち破れ、焦げ付いている個所もある。
それでも。
(なんとか、倒せた―――)
安堵のあまり、その場にヘナヘナと座り込んでいると、
ワン、ワンワンワンッ!
茉莉花を呼ぶワトソンの声に、
(そうだ! 子供が―――!)
と、我に返る。
慌てて立ち上がり、子供のところに急ぐ。
倒木の下になっている子供の服をワトソンが引っ張っている。幸い上に重なっているのは細い枝だったので、小刀で薙ぎ払う。
気を失っている小さな身体をざっと確認する。
肩口の服が裂けて、傷口が覗いている。
他に傷はないか、慎重に抱き起してみると、薄っすらと目を開ける。
意識が戻ったことに安心して、
「大丈夫?」
と顔を覗き込むと、
「ひっ!! ぃああぁぁぁ…!」
と、悲鳴を上げたかと思うと、そんままもう一度気を失ってしまった。
(……え、これって私の顔見て気絶したってこと!?)
失敬だぞコラァ!
茉莉花は憤慨した。
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