決意をしたものの
(私、このコーズという場所から来た……?)
確かに、このコーズとワイアットの境界には広大な森が広がっている。茉莉花が最初にいた森も相当大きかった。
だがただ森というだけならば、地図上にははたくさんあるのだ。
(え、待って、遠すぎる)
地図には縮尺が無い。けれど魔獣狩りに行った時に分かった、この近辺から北の領界までの距離で考えると、地図の中のコーズまでは500キロ近くある。
当時6歳だったことと、森の中をさ迷った日数からして、どう考えてもそんな距離を移動してるはずがない。
(うん、どう考えてもあり得ないよ、よく考えて……)
最初に馬で連れてこられたのが、このコーズの森だったとして、いくら歩き回ったとしてもそんなに移動しているはずがない。何よりギーズと出会ったと小屋の近くの森とはそもそも繋がってもいない。
(森から別の森へワープしたってこと? ……そんなこと、できるはずが……あ……っ!!)
『おい、そこの人間』
『寝るなというのが聞こえないのか』
(あの、喋るカモノハシ……!!)
頭の中に蘇るのは、特徴的なくちばしを持った姿だ。
(え、待って。あれって夢じゃなかったの……? でも、確かにあの夢のあと、目が覚めたら草原にいたような……?)
あの時は、極度の疲労と飢えで、半分以上意識が朦朧としていた。
前後のつながりや時系列も正直あやふやなうえ、記憶そのものも、本物なのか確信が持てない。
けれど。
(あのカモノハシの仕業でもなければ、500キロも移動するなんてありえないよね……)
あのカモノハシは、もしかしてすごい存在なんだろうか?
(いや待て待て、結論急ぐの良くない。まず本当にコーズから来たの?)
そもそもなぜそこから来たと思うのか?
もう一度記憶を探ってみるけれど、そもそも茉莉花の記憶はあの火事からで、それ以降も衝撃的な出来事の連続で、正直冷静な判断が難しい。
そして、それより前の記憶となると、クラリベルの記憶になるのでどうにも心もとない。
(それに、クラリベルはほとんど屋敷の中で暮らしていて、そんなに外に出てないんだよね。せいぜいが家の周りの散歩くらいで)
会う人もネリー以外は、両親と家の使用人ばかり。たまに客が来ても挨拶したらすぐ部屋に戻っていた。まだ学校も行っていない。
外との接触がないから、当然客観的に自分を見る視点がない。
自分の家がどこにあるかとか、自分がどういう立場かとかそういう情報がまるでないのだ。
それなのに、なぜか思ってしまうのだ。
自分はこの場所から来たのだと。
そしておそらく、その直感は間違っていない気がする。
結局、その日は夕方になって、ワトソンが中に入れろと吠えるまで、地図を前にあれこれ考え続けてしまったのだった。
散々考えに考えて、結局出た結論は、
一度行ってみよう。
だった。
それだけかよっ!と言われそうだが、茉莉花なりに考えたのだ。
距離的に考えて今すぐ行くのは難しい。多分片道だけで1か月くらいの道のりになるはずだ。もちろん今すぐには難しいだろう。もう少し大人になって、一人旅が出来るようになってからになる。
先立つものも必要だろう。これから少しずつ資金も貯めて、できれば馬や馬車などの交通機関も視野に入れて考えていかなければと思う。
(3年、4年計画になるかな)
その頃茉莉花は13歳だ。
13歳になれば一人旅も可能だろうか。
その為には、このコーズと言う場所に関する情報をきちんと集めた方が良い。
もちろん道程にある村や街のことも。
それに、何と言っても、ギーズの協力を仰ぐ必要がある。
元々家が襲撃されたことと、その波及を恐れて、ギーズには茉莉花の事情を一切話していない。
当時は自分のことで精いっぱいで、他まで頭が回らなかったが、何も言わずに子供一人を受け入れてくれた彼の懐の深さは、改めて驚嘆に値すると思う。
(だけど、コーズに行くっていう目標が出来たからには、ちゃんと事情を話さないとね。話して協力をしてもらえるようお願いしよう)
そしてギーズや村の人から、少しでも情報を集めよう―――。
と、思って待っていたけれど。
その日、夜更けになってもギーズは帰ってこなかった。
(懐が潤ったから、気持ちが大きくなって飲んだくれてるんだろうなー)
仕方がないので、明日確認してみようと、先に休むことにした。
明けて翌日、朝起きてみると、案の定隣のベッドで、布団もかけずにひっくり返っているギーズの姿があった。
「ギーズ、朝だよー!罠を見に行かないの!?」
とりあえず揺すってみるけど、
「うー……、あたまいてぇ…」
と、か細い声が返ってくるだけだ。
仕方が無いので、テーブルの上に、粥とドライフルーツと水を置いて、一人で出かける事にした。
ワトソンと一緒に罠を見廻って、掛かっていたイノシシを仕留めて帰ってくると、ベッドには廃人が座っていた。
真っ青な顔をして、髪も服もヨレヨレのギーズに、
「おはよう。イノシシが掛かってました。重いから毛皮と肉だけ持って帰ってきたよ」
これは特にジャスミン一人で狩りに出た時などに、よくやる方法だった。
鳥や兎くらいなら一人でも持ち帰れるが、イノシシやシカになると全部を持ち帰るのは難しい。
そういう場合、とりあえずその場で簡易に解体して、毛皮と、肩、腕、腿、ロースなどのめぼしい部位を袋に詰めて持ち帰るのだ。それだけでも十分重いのだけれど。
行ければその日のうちにもう一度行って、残りの部位を取れれば取るけれど、時間が経つと、鳥や他の動物などに漁られてることも多く諦める事も多い。
「おー、ありがとな」
とへろへろの声が返ってくる。
テーブルの上に置かれていた水は無くなっているけど、粥はそのままだ。
「なんか食べる?」
取り合えず水差しからもう一杯水を汲んで渡しながら尋ねると、
「いや、やめとく……頭いてぇ…」
水を飲み干して、頭を押さえながら答える。
「もー、いくらお金入ったからって、飲みすぎですよ」
「面目ない…」
としょんぼりした声が返って来たので、それ以上言うのは止めてあげた。
「もっと水いる?汲んでこようか?」
「頼む…」
「了解」
と、桶を手に玄関のドアを開けた時だった。
バサバサバサバサ―――ッ。
黒い影が、茉莉花の横をすり抜けて部屋の中に飛び込んできたのだ。
咄嗟にナイフを抜いて構えたものの、よく見たらカラスだった。
珍しい光景に目を瞬かせていると、バサバサと部屋の中を一周したカラスがギーズの座るベッドの柵に止まった。
一連の出来事を眉間に皺を寄せて見ていたギーズが、カラスの足に手を伸ばす。
見れば、カラスの足に白い紙が括りつけられている。
(伝書バトならぬ、伝書カラスだ―――!)
こういうのファンタジー映画とか漫画で見たことある! と、密かに感動している茉莉花の視線の先で。
ギーズが手紙を読み始めて―――。その表情が読み進めるにつれ、だんだん険しいものに変っていく。
さらには読み終わった手紙をグシャリと握りつぶしたかと思うと、頭をガシガシと掻いて、苦い顔のまま黙り込んでしまう。
「……ギーズ?」
思わず声を掛けると――多分茉莉花の事は意識に無かったのだろう―一瞬ハッとしたようにこちらに顔を向けてから、
「あー……、ジャスミン悪いが、今日仕留めたイノシシだけどな、ロースをジーンおばさんの所に下ろしてきてくれねーか? 前に新鮮な肉を欲しいって頼まれたんだ」
「……分かった」
明らかにジャスミンを追い払う言い訳だ。
もちろんそれは分かっているけれど。
(でも一人きりで考えたい時だってあるはずだよね……)
そう思い、作業小屋から肉を持ってきて袋に詰め、手早く支度をする。
「…ギーズ」
迎え酒のつもりなのか、今はエールを注いだコップを前に、難しい顔で座り込む本人に声を掛ける。
「行ってくるね」
ジャスミンの声に、ようやく顔を上げたギーズが、少しだけ笑う。
「おう、気を付けてな」
軽く手を振って見送るのに背を向けて扉を閉める。
外に出ると、ワトソンが駆け寄ってくる。
「村へ行くよ」
と頭をわしゃわしゃと撫でながら言うと、嬉しそうにしっぽを振って付いて来るワトソンとともに、村への道のりを歩きだした。
もう何度も数えきれないくらい通った慣れた道だったけど、これまでにない、なぜか不安な道行きだった。
脳裏に蘇るのは、今まで見たことがない位険しいギーズの顏。
声を掛けるのも躊躇われるような背中。
考え込んでいるうちに足の動きが自然と鈍くなる。いつになくのろのろと歩くうえに、ついつい立ち止まっては小屋の方を振り返るジャスミンに、ワトソンがクンクンと鼻を摺り寄せてくる。
「ごめんごめん、あんまりのんびりしてると帰りが遅くなっちゃうよね」
茶色い頭を撫でてから、意を決して今度こそしっかりと歩き出した。
長さが半端なのでいったん切ります。
続きは早めにアップします。




