楽器と地図と2つの記憶
鞘を抜いてみると、相変わらずギラリと迫力のある白刃が顔を出す。ろくに光の差さない納屋の中で、白く薄ぼんやりと光を纏っているのがはっきりと分かった。
(やっぱり、打ち刀みたいだ……)
家の道場は古武道の剣術で、居合の稽古もしていた。茉莉花も中学からは真剣で練習を積んでいたからこそ分かる。
反りの具合も、鎬も、切先も、何もかもが日本刀そのものだ。
「なんか、違和感すごい……」
茉莉花がこれまで過ごしてきたこの世界には、およそ『和』の要素のようなものは見当たらなかった。むしろ子供の頃童話で見たような、街も人々の服装も『昔のヨーロッパのどこか(←茉莉花的超ざっくり感想)』っぽいものばかりだ。
剣だって、見たことがあるのは西洋の長剣ばかりだったし。
そんな場所に日本刀があるのは、なんだかひどい違和感を感じる。
けれど―――。
そっと両手で持ち、正眼に構える。
(お、重い……)
さすがに今の茉莉花には振り回すほどの力は無い。
鞘に収めて、布に包んでから元の場所に仕舞う。
『剣だけは、絶対に手放さないでくださいね』
別れ際の、ネリーの声が蘇る。
彼女の事を思い出すのは一体どのくらいぶりだろう。
多分、彼女は命がけで自分を助け、そして伯爵家の宝だっただろうこの剣を託してくれたのだ。
(いつか、この剣を使えるようにならないと……)
両の手を見つめる。
今はまだ小さくて頼りない手だけれど、でも。
自分は絶対にこの剣を使えるようにならなければならない。
それが、クラリベルの身体を預かることになった、茉莉花の務めなのだ―――。
誰に言われるでもなく、そう思ってしまった。
結局、楽器は納屋の入り口横の棚の奥にしまい込まれていた。
取り出してみると、ヴァイオリンをもう少し大きくして、ずんぐりさせたような楽器だった。
箱の中には楽器の他に弓と替えの弦もあったので間違いないだろう。
夜帰って来たギーズに見せると、
「こりゃあ、ちょっと手入れが必要だな」
と言い出した。
確かに埃も被っているし、弦も張っていないので、弾くのは無理そうだと思っていたが、思いのほかギーズの動きは早かった。
翌々日には街に行って、ヴィオールの手入れ道具を買い求めたのだ。
3万ギオンという値段にギョッとした茉莉花だったが、この世界では、食べ物以外は基本ぜいたく品なので、致し方ないのかもしれない。
道具を買い求めた翌々日には、ヴィオールは綺麗に手直しされ、弦も張り替えられた。
ギーズが弾いてくれたのは、茉莉花が聞いたことがない曲だった。
楽器を見て、ヴァイオリンのようだと思っていたが、顎ではなく膝の上に乗せて弓で弾くものだった。
イメージ的には大きな二胡だろうか。
(だけど音はヴァイオリンみたいだ……)
日本よりも湿度の低いこの世界の、夜の空気を震わせる、哀愁のある音。
日本にいた頃、音楽は簡単に消費されるものだった。何もしなくても勝手に耳に入って来る、手軽過ぎてありがたみを感じなくなるくらいの。
だけどこの世界では、楽器は人々の身近には無い。少なくとも村で聴いたのは収穫祭の一回きりだ。
多分、この時間はとてもぜいたくな時間なのだ。
(綺麗な音だな…)
確かにギーズは名手なのかもしれなかった。
*****
ギーズのヴィオールの音があまりりにも素敵だったので、翌日にまた聴きたいと強請ったら、意外な事を2つ言われた。
1つめは、
「ヴィオールの事は誰にも言うな」
そして2つめは、
「お前も練習しろ」
「え、私が?」
自慢じゃないが茉莉花は、ピアノを2週間で辞め、小学校ではリコーダーの試験に最後まで受からず、温情で合格させてもらった女だ。
「知っといて損はねえ、いいからやってみろ」
と言われ。
それから1日から2日おきくらいに、夜ギーズからヴィオールの手ほどきを受けることとなった。
最初のうちこそ、自分に音楽は出来っこないと思っていた茉莉花だったが、意外や意外、するすると覚えることが出来た。
まず真剣度が違う。幼稚園や小学校の頃の、身体を動かしてたまらなかった頃に、無理やりやらされていたピアノやリコーダーと違って、音楽のありがたみを噛み締めながら習うというのは大きい。
それからもう一つ、クラリベルが別の楽器を習っていたのも大きい。楽譜が読めるし、音階も理解しているので、習う際のハードルが極めて低いのだ。
これまで、あまりクラリベルの記憶を意識したことが無かっただけに、これは嬉しい誤算だった。
新たに始めたと言えばもう一つ。
剣の稽古を始めた。
いつもの朝のトレーニング時に、剣の稽古をしたいと頼んだのだ。
先日見つけた伯爵家の剣、いつかあれを使えるようになりたい。その気持ちがあったのは確かだったが、魔獣を倒した時のギーズの戦いが見事だったこともある。
この先狩人になるのなら、また魔獣と戦う事もあるはずだ。
剣の稽古の初日、ギーズに言われたのは、
「お前なりのやり方でいい」
だった。
ナイフの時は持ち方や構えに始まって、かなり手取り足取り教えてくれたのに? と思っていると、
「よく素振りしていただろ? 足の運びや身体の動きを見ると、見たことがない動きだが、きちんと訓練を受けているのが分かる。だからまずはお前なりのやり方でいい。実践で打ち合いをして、足りない部分を補っていけばいい」
と言われ、ギーズが用意してくれた木刀を使って、実戦形式で練習することになった。
ギーズは案の定どえらく強かった。
そもそもこの世界の人間は日本人よりも身体能力が高い。実際に戦っている姿を見たのはギーズくらいのものだが、反応スピードと言い、瞬発力と言い、身体のバネと言い、まるでアニメみたいな動きを平気でしてくる。
もちろん元々体格差があるからまともな打ち合いにはならない。けれど、茉莉花もギーズに負けないくらい、いや、スピードと身軽さだけで言えば、ギーズより上だ。ひたすら走り回りちょこちょこと動き回ることで体格の不利さを補うことが出来るはずだ。
それからは、毎朝のトレーニングに木刀での打ち合いが加わることになった。
とは言え、体格も、反応速度でも、技術面でも、全ての面で優っているギーズの相手は尋常ではなかった。
手加減はしてくれているのだろうが、最初の内は全くと言っていいほど歯が立たず、青あざだらけになっていた。だが、半年ほどするとだんだん剣筋を捉えることができるようになり、10つ月立つ頃には徐々に打ち返すこともできるようになってきた。
そして稽古を始めてから2年近く経った頃、初めて1本取る事が出来た。
茉莉花は10歳になっていた。
初めて6歳でここに来た時に比べると、身長も30センチ以上伸びた。もちろんまだ子供の身長ではあるが、以前よりも格段にできる事も増えていた。
4年間の見習い生活で、最近では一人でも獲物を仕留めることが出来るようになってたし、肉の加工や、狩りの道具の手入れなど、狩人として必要な事はほぼ一人でこなせるようになっていた。
茉莉花が一人で狩場を回ることが出来るようになったので、最近では罠を増やして手分けすることも増えて来た。
獲物が増えるに従って、村や街に肉を卸すことも増える。ここ最近村ならば茉莉花一人で卸しに行ったりもしている。
ただ街は相手が商人ということと、買い出しも兼ねており、なおかつギーズが帰りに呑む前提なため、基本は二人で連れ立って行っている。
その日も二人で連れ立って街に来ていた。
肉屋で肉を売り、ローワンの店で毛皮や牙などを売る。
普段は、ギーズがローワンと取引をするのを、ぼんやり眺めるだけの茉莉花だが、その日は棚の奥の、額に入れて飾られた一枚の羊皮紙に目が釘付けになってしまう。
それは大きさにしてA4より一回り大きい位のサイズだった。羊皮紙独特の黄ばんだ色合いの紙面に、こげ茶のインクで恐らくは銅版画で描き出されているもの。
それは紛れもなく地図だった。多分形からして、ギーズに教えてもらったワイアットの地図だ。
絵のタッチもだが、文字も繊細な文字で描かれているため、茉莉花の位置からだと細かすぎて読むことが出来ない。
(森が描かれてる……。ゴロゴロは真ん中よりちょっと上の筈だから……)
気が付けば食い入るように見つめていたらしい。
「お嬢ちゃんは、えらく地図にご執心だねえ」
ローワンに言われて、我に返る。
「あ……、いえ」
あわててごまかすように言うと、チッと背後からギーズの舌打ちが聞こえた。
見ればローワンが指を2本立てている。
……2千だろうか。
「高ぇよ、1万に負けろ」
(え、てことは2万んん!?)
それはさすがに高すぎだから、と言おうとしたけれど、
「馬鹿言うなよ、こんな詳しい地図は貴重だぜ」
「ワイアットばっかりじゃねえか、それに古い。1万2千だ」
「1万9千」
「1万2千500!」
みるみる間に掛け合いが進み、結局ギーズが競り勝ち、1万5千に決まってしまった。
「……仕方ねえなあ、嬢ちゃんが欲しがってるんじゃな」
ぼやくローワンに、ギーズは鼻高々な様子で、
「ほらよ」
と茉莉花の掌に、丸めた羊皮紙を乗せてくる。
「い……、いいの!?」
「まあ、俺はこれからお楽しみだからな、お前にもなんかねーとフェアじゃねーだろ。何より」
この金の半分はお前が稼いでんだからな。と太っ腹な様子で言い切ってから、
「いや、半分は言い過ぎか。3分の1くらいか、いや3分の1と半分……?」
などとブツブツと言い始めたのには、
「ありがとう!!」
と一言で終わりにしておく。
受け取った地図を広げてみると。
思った通りかなり古く端が擦り切れそうになっているけれど、文字はちゃんと読める。
チャラリラリーン!
茉莉花は地図を手に入れた!
店を出た後、ギーズは例によって酒場に向かってしまったので、茉莉花はワトソンを連れて先に帰ることになった。
すっかり馴染みになった道筋を辿って家に帰ると、早速戦利品を広げてみる。
店で見た通り、地図はワイアットのものだった。
地図と言っても簡単な作りなのか、小さな村までは載っていない。ゴロゴロ村は付近一帯まとめて「ゴロゴロ」とだけ書かれていた。けれど街はいくつか載っていて、城のマークの下に「コンフィ」と記載されているのを見つけることが出来た。ゴロゴロ地区はその上だ。
領土は東西に長く、細長い扇型のような形をしていた。西の端が一番幅が狭く、東に行くほど末広がりに広がっている。
コンフィやゴロゴロは東西で言うと、やや真ん中寄り、南北で言うとかなり北の方だ。
(ギーズが描いてくれた地図、かなり正確だ…)
思わず感心してしまう。
街同士は街道で結ばれているようで、地図の中にはいくつかの街同士を結ぶ線が描かれている。
領地のやや西寄りの真ん中あたりに大きめの城が描かれて、「ワイアット」と書かれている。街道は全てこのワイアットに集約されている。
(首都みたいなもんか……。ていうか、この真っ直ぐな線なに?)
街道はくねくねと描かれているので道と分かるが、それとは別に、領土を二分するように首都ワイアットから西に向かってまっすぐ伸びている線がある。
(川とか? いや、いくらなんでもこんな真っ直ぐには流れないよね。なんかの印かなあ……、あれ、なんか書いてある)
真っ直ぐに伸びた線に沿うように、『ライトクライン』と書かれている。
「なんだ……?」
首を傾げたものの、そういう名前の真っ直ぐな何かが、ここにあるという事なのだろう。
何とはなしにライトクラインを指で辿る。ちょうど領都ワイアットから延びた線が、領土の西端、扇形のすぼまった部分に伸びている、その先には、王冠のマークとともに『ハーディング』と書かれている。
ギーズが言っていた王領ということだろうか。
けれど、茉莉花の指が止まったのは王領のせいではなかった。
王領へつながるワイアット領の西端、扇形の根っこの部分が、一部分くり抜かれたような形になっているのだ。
形としてはかまぼこの半分のような形が、扇形の根っこからくり抜かれている。
その部分はワイアットではないようだ。ワイアットから続く森になっているらしく、木のマークがたくさん描かれている。
そしてその描かれた木のマークの中には、『コーズ』の文字が刻印されている。
「コーズ…」
どくん、どくん、どくん―――と、胸の鼓動が不自然に乱れ打つ。
ふいに、4年前のあの燃え盛る炎が脳裏を過る。
炎に包まれた屋敷。
男たちの声。
ネリー。
(私、このコーズという場所から来た……?)
もうすぐ第1部終わります。
微妙な文字数になってしまったので、どうするか悩み中です。
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