魔獣狩り 2
ギュオオオオ…ッ!
貫かれた痛みに、魔獣が咆哮を上げる。
矢が刺さったままの右眼から、紫色の血を垂らしながら、太い足を踏み鳴らすようにして突進してくる。
素早く走って逆サイドに回り込んだギーズが、走りながらももう一度矢を放つ。
恐らく左目を狙った矢だったが、今度は少し逸れて左の耳に刺さった。
痛みと怒りに、魔獣がもう一度咆哮を上げ、左側に方向転換し大きく口を開けると。
ゴオオオオォォ…!!
と、轟音とともに赤黒い炎が吐き出された。
けれど、その時にはすでにギーズは魔獣の後方に回り込んでいた。
スピードは完全にギーズの方が速い。
(す、すごい……!)
茉莉花も矢をつがえてはいるものの、ギーズの動きが速いため、下手に放つと妨げになりそうで手が出せない。
固唾を呑んでいる間にも、完全に魔獣の背後に背後に走り込んだギーズが、サイドの木の幹を、勢いのまま2メートル近く駆け登ったかと思うと、そのまま幹を蹴り、さらに高く飛び上がる。
隣の木の枝中継地にもう一度蹴り上げ、そのまま魔獣の背中の上に踊り出て―――。
両手で構えた長剣を、魔獣の背中に勢いよく突き立てた。
深々と突き刺さった剣は、ちょうど背中側から正確に左の胸を貫いている。
ギュオオオオオォォオ…ッ!
体を大きく揺さぶって地獄のような雄叫びをあげる魔獣。
激しく揺さぶられたギーズが一旦飛び降りてからも、もがくように咆哮をあげ続け、顔を大きくさらしたかと思うと。
大地を切り裂くような断末魔の叫びとともに、もう一度赤黒い炎を口から吐き出した。
致命傷を負っているせいか、先ほどのような威力は無い。
だけど、その炎の先には―――。
「ワトソン…っ!!!」
見慣れた白と茶のブチ犬が。
怯えきって、動かなくなってしまっていたはずのワトソンだった―――。
(ギーズを心配して来ちゃった―――!?)
気付けば―――、勝手に身体が動いていた。
短剣を抜きつつ助走をつけて、近くの木を思い切り蹴りあげる。その反動を利用して高くジャンプし、ワトソンと炎の間に割って入る。
マントを引き寄せて顔と身体を炎から守りながら―――。
ワトソンを抱いてその場を飛び去るのと。
ドド…ッと音を立てて背後で魔獣が倒れるのとは。
ほぼ、同時だった。
「ジャスミン!ワトソン!大丈夫か!」
駆け寄ってくるギーズの声を聞きながら、思わずその場に尻餅をつく。
元の世界で言うところの、かなり大きめの中型犬にあたるワトソンは、8歳の身体には結構重い。
先ほどは無我夢中で抱えあげたけれど、魔獣が倒れたことで、気が抜けたせいか一気に重さが腕と腰に来た。
へたり込んだまま、その場にひっくり返った茉莉花の顔を、くーんくーん…と甘えるような声を上げながら、ワトソンがペロペロと舐めてくる。
「くすぐったいよ」
と、くすくす笑っていると、近づいてきたギーズが無事を確認するように覗き込んで、手を差し伸べてくる。
「怪我はないか?」
素直に手を握って起してもらいながら、
「うん、へーきです……」
防火効果があるというのは本当のようだった。炎を真正面から食らった割に身体も顔も火傷らしいところは無い。
ただし、ポニーテールにしていた髪だけは別で、しっぽの半分以上が焦げて、辺りには髪の毛の燃える独特の匂いが漂っている。
「私は平気だけど、それよりも…」
そう言いながら辺りを見回す。
あれだけ派手に炎を吹かれたのだ。燃え移った木も結構あった。ほおっておけば森林火災になるんじゃないだろうか。
そう思って、周囲を見回すけれど、
「あれ…?」
先ほどまで燃えていた木々の炎はすっかりと消えていた。
とは言え、茉莉花の髪の毛同様、丸焦げになっている木は何本もあったけれど。
不思議そうに辺りを見回していると、
「ああ」
と、ギーズが得心したような声で、
「ギランゴールの炎は、本体が死ぬと消えるのさ、『魔』の炎ってことなんだろうな。とは言え、浴びれば熱いし、火傷もする」
それに、と言葉を続ける。
「もろに食らえば数秒でお陀仏だ。暖炉の火なんかより全然高熱だしな」
まるで地獄の業火みたいだったな……と、思いながら改めてギーズを見上げて、
(………あれ?)
煤と泥に汚れた顔の、灰色の前髪の隙間が、なんか光っているような…?
思わずぱちりと瞬きして、もっとよく見ようと目を凝らすけれど。
ワンワンワンワン!
自己主張するかのようなワトソンの鳴き声に、
「おー、お前もがんばったな」
と、ワトソンの顔を覗き込んで、わしゃわしゃと撫ぜ始めてしまったので、見ることが出来なくなってしまった。
けれどすぐに、もう一度茉莉花の方を振り返って。
「お前も、がんばってくれたな。ワトソンを助けてくれて…、その、助かった」
その顔には、別段変わったところは無かったのと。
『助かった』という、おそらくギーズなりの精一杯の謝辞の言葉に、顔が熱くなってきてしまう。
「い、いや、だって、ワトソンは……家族だし」
家族を助けるのは当たり前だよ、としどろもどろに言うと。
一瞬、虚を突かれたような顔をしてから、
「ああ、そうだな」
と、笑ってくれた、その笑みが。
見慣れた皮肉気なものや、悪ふざけ的なものでは無く。
とても、穏やかなものだったので。
自分が口にした言葉も含めて、頬が熱くなってくる気がして、思わずぷいと顔をそむける。
―――家族。
前世でも今世でも失ってしまったもの。
けれど、今の茉莉花にとってギーズとワトソンは間違いなく家族だった。
照れくさくてなかなか口には出せないけれど。
「しかしなー、髪…、悪かったなあ」
せっかく伸びたのにな、と悔いが残る口調で言われる。
「髪くらいまた伸びるよ」
別に本当にかまわないので、そう言ったのだけれど。
ギーズにとっては、……というよりも、この世界では、女の子が髪を切られるということが、結構なダメージになるらしい。
「しかしなあ」だの、「ジーンにどやされそうだ」だの、しばらくブツブツと言っていたので。
「そんなことより、ギランゴールの解体しないと。ぐずぐずしてると日が暮れちゃいますよ」
と、無理やり話題を切り替えた。
「じゃあバラすぞ。さすがに全部は持って帰れないけどな、毛皮と肝、爪、あとは心臓、それから前足と後ろ足の骨、最低でもこれだけは持って帰るぞ」
その後は、二人がかりで皮を剥いだり、内臓をさばいたりの解体作業に専念することになった。
鹿やイノシシの解体は慣れていたけれど、魔獣の身体はそれらの動物とは比べ物にならないくらい大きい。しかも表皮も固く、骨格もしっかりしている。
皮を剥ぐだけでも重労働だったが、それ以上に固い肉を裂いて、内臓をさばくのが大変だった。
結局目当ての部位を取る頃にはすっかり辺りが暗くなっていたこともあり、その日は近場で野営することになった。
帰り道も数日かかるので、今晩はゆっくり休んで明日の出発に備えるのだ。
その日は狩りをしていなかったので、新鮮な肉は無く、持ってきた携帯食(カラス麦と薬草を練り込んだ固焼きパン)とチーズ、茸と薬草のスープで済ませた。
焚火を囲んで、ギーズやワトソンと夕食に有りつく。無事にミッションコンプリートということで、随分と気持ちは軽かった。
旅そのものは辛いというほどでは無かったけど、やはりそろそろベッドで眠りたかったし、何よりも家に帰れるということが純粋に嬉しかった。
翌朝は早朝に出発した。
行きは魔獣の後を追ってひたすら森の奥に進んでしまったけれど、いったい今は森のどこらへんなのだろうか?
と、はたと気付いたのだが、
「帰りはこれを使う」
とギーズが背負っている革袋から取りだしたのは、
「羅針盤……!」
握りこぶしほどの大きさの金属製の、それはまさに羅針盤だった。
「来る前に簡単に描いた地図を覚えているか?」
と言われ、頷くと。
棒を使って地面にもう一度地図もどきを描きながら、
「この森は基本領境に沿うように向かって広がっている。だから基本は西に向かえば森から出れる」
森から出れれば、辺りの地形や、見える山の位置などで大体は把握できるのだそうだ。
ギーズの言葉通り、2日ほどで森から出ることが出来た。
そこからさらに1日半ほど南下して、街道を進んで無事に村に辿り着くことが出来た。
村では、顔役のコービンはじめ、ドノバンさん夫妻やノーラとシードさん親子、他にも顔見知りの村人たちが、無事の帰還を喜んでくれた。
ギーズは村の皆から魔獣退治の褒賞として、酒樽とチーズの塊をもらってかなりのホクホク顔だった。
ジーンおばさんは茉莉花の短くなった髪を見て大いに嘆いた。それからナッツの入ったトフィーをたくさん作ってくれた。正直別に髪はどうでもよかったので、トフィーがたくさん食べられて大満足だった。
帰ってきてから5日後、今度は街に魔獣の毛皮、肝、足の骨を売りに行った(爪は村に寄付した)
さすが魔獣と言うべきか、毛皮も肝も普段の動物とは比べ物にならないくらいの高値で売れた。
驚いていると、それでもニランゴールは、魔獣の中ではそれほど高くないのだと教えてくれた。ドラゴン種になると肝だけで100万は下らないのだそうだ。
魔獣を倒した後は、また平穏な日々に戻っていた。
朝一番にギーズとの訓練の後、狩りに出る。戻ってきてからは、獲物の解体や加工、道具の手入れや、家事、畑や山羊の世話などを手分けして片付ける。
前は道具の手入れはもっぱらギーズがやっていたが、少しずつ教えてもらって、今では茉莉花も一通りできるようになっている。
畑は日によるが茉莉花が担当することが多い。その間ギーズは薪わりや水汲みなどの力仕事を担当するのだ。
その日も、獲物の解体を終わらせた後、畑仕事に精を出していた。
そろそろサツマイモの種芋を植えるので、草むしりをして土を柔らかくするのだ。
もちろん鼻歌も歌う。以前はアイドルソングなどを歌っていたが、最近の流行は学校で習った合唱曲などだ。
ちょっと懐かしい感じがたまらない。
「♪気球に~、乗って~、ど~こまで行こう」
と、小さな声で歌いながら、草むしりに精を出していたら、
「お前、いっつもなんか歌ってんな」
と、呆れたような声が聞こえてきて。
振り向けば、薪割りを終わらせたらしいギーズが、鉈を手に畑の縁に立っていた。
「歌詞くらいちゃんと覚えた方が良いぞ」
どうやらギーズには、歌詞が分からない歌を、適当にごまかして歌ってるように聞こえたらしい。
小さい子がでたらめ語で歌うような感じだ。小声でぽそぽそだったから、余計にそう聞こえたらしい。
失敬な、とは思うが、まさか違う言語で歌っているとは言えない。
「ギーズはどんな歌が好きなんですか?」
そう言えば、ギーズの歌って聞いたことないなって思う。
村の人たちは結構歌っているのを見かける。
畑仕事の時もだし、収穫祭でも楽器に合わせて歌ってた。夕方のドノバンの店でも、酒の入った村人が3,4人で肩組んで歌ったりしている。
でもそういった際に、ギーズが参加してるのは見たことがない。
「俺か?俺は、楽器の方が得意だったなあ」
ええ、楽器ってどんな? とワクテカしていると、
「笛とか、ヴィオールとかな、これでも名手と言われたんだぞ」
と胸を張っている。
「えー、じゃあ聞けないじゃないですかー」
歌ならばすぐに聞けるけれど、楽器だとそういう訳にもいかない。
残念に思っていると。
「そう言えば、納屋に壊れかけのヴィオールがあったな」
と言い出すではないか。
「どこ!? 納屋のどこにあるんですか!?」
納屋とは、加工場も兼ねている小屋だ。加工肉の倉庫にもなっていて意外に広い。
作業台周りには道具や鍋などがしまわれた棚やクローゼットがあるし、その奥は納屋になっている。加工肉の倉庫は4畳くらいの部屋だがこちらも結構広さがある。そしてやはり棚や箱がいろいろ置いてある。
一度ちゃんと片付けたいと思いつつも、相当時間がかかりそうなので放置している場所なのだ。
「確か納屋の方の奥の棚に……って、まさかお前あの納屋を探す気か?」
「もちろんですよ! だって聞きたいじゃないですか!」
一緒に探しましょう!と誘ったが、「散らかすなよー」と言い残して、ギーズはワトソンと村に行ってしまった。この時間からならドノバンの店で飲めるのだ。
一人になってしまったが、それでも茉莉花はやる気満々だった。
だってギーズの楽器、ぜひ聴いてみたい!
早速納屋に入ると、一番奥の壁一面に作りつけられた棚を漁ってみる。前に、この小屋は放置されていたものを、ギーズが手ずから手直ししたのだと言っていた。
なので納屋の中には、それ以前の古い荷物がしまい込んである。
古い靴や踏み台、足の取れた椅子など、いっそ薪にした方がと思うようなものが出てきたが、楽器らしきものは見つからなかった。
仕方がないので、手前の棚やクローゼットを漁っていると、
「……あ」
棚の奥に見覚えのある布を見つけた。
茉莉花がギーズと出会った時、背負っていた剣を包んでいた布だ。
引き出してみると、案の定ズシリと重い。この布に包んだままにしてあったのだろう。
恐る恐る、布を開いてみると。
現れたのは、見覚えのある宝剣だった。
魔獣退治は終了。
聖剣が出てきました。
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