置きざり初日、サバイバル知識で乗り切る!
河合茉莉花の、人となり、育った環境、普段の生活、これらすべてを一言で表そうとすると、「脳筋」という言葉に集約されてしまかもしれない。
……十代の少女にとって、誉め言葉になるかどうかは微妙だが。
ちなみに、中学からの親友に言わせると、
「茉莉花ん家は環境がそもそもゴリラだからねー」
である。
大変失敬な言葉だが、あながち間違いでもないというのが、他の友人たちも含めた共通の意見だった。
なんてことだ。
家族は、スポーツメーカーに勤務する父、専業主婦の母、小学校の体育教師の兄という顔ぶれだったが、もう一人、一家の中心とも云える人物も同居していた。庭の道場で古武道の剣術道場を開いている祖父である。
祖父は一見、穏やかな好々爺然といった見た目だったが、齢76にして、朝晩走り込みと筋トレ、素振りを欠かさず、正月は富士山頂でご来光を拝むのが毎年の慣習という『筋金入り』だった。
その祖父に可愛がられ、小さいころから懐いていた茉莉花は、ごくごく自然にその薫陶を受けて育った。
つまり、
朝から、走り込みに始まる鍛錬。
学校に行けば所属するバスケット部の練習。
帰宅後は道場での鍛錬。
長期休暇は、部活の練習や試合の合間を縫うようにして、林間合宿(という名のサバイバル訓練)。
という、体育漬け生活(友人曰く半ゴリラ生活)である。
そんな生活を、それでも何の疑問を持つことなく受け入れていたのは、本人の気質もあったが、父や兄も似たような生活をしていたからだ。
母はごく普通の専業主婦だったけれど、元は道場の門下生で、昼間の空いてる時間に祖父を手伝ったりしているので、やっぱり同類(半ゴリラ)かもしれない。
ちなみに茉莉花という名前は母が付けたそうだ。
妊娠中毎日のように、某メーカーの茉莉花茶を飲みまくったかららしい。
由来はともかく、茉莉花自身はこの名前を気に入っている。すごく繊細で、可憐な響きに思えるからだ。人間自分に無いものには憧れるものだ。
スポーツ三昧の生活のせいか、一家揃って脳筋なせいか、成績の方は少々心もとなかった。が、奇跡的に、中学から近所の女子大付属校に入ることが出来た。(補欠で)
ただ、受験の心配がなくなったということで、ますます半ゴリラ生活一直線になってしまうことになる。
高校生ともなると、周りは彼氏やおしゃれの話題で盛り上がっていたが、残念ながら、そちら方面には全く縁がないまままで来てしまった。
それでもさすがに、高校卒業も間近になると、このまま色気のいの字もないまま女子大生になってもいいものだろうかと、不安めいた気持ちがチラリ、チラリと、頭に過るようになってきた。
(そういえば大学って私服じゃない? まずいなー、少し服買わないと、ジャージくらいしかないよ)
(合コンとかあるのかなー、…男子なんて、道場で受け持ってる小学生くらいとしか、何年も喋ってないけど、大丈夫かなあ)
などと、なんだかんだと春からの新生活が少しずつ楽しみになりつつあった。
そんな卒業を間近に控えた2月の朝だった。
いつもの日課の走り込みの最中に、近所の交差点を横切ろうとした時だ。
早朝で人気が無いせいか、トラックが信号を無視して突進してきた。
とっさに足を止めた茉莉花の視界に、道の真ん中をちょこちょこ横切る子犬の姿が飛びこんできたのだ。
その瞬間、子犬に向かって、反射的に身体が動いてしまった―――、ところまでは覚えている。
けれど、そこから先の記憶はない。
*********
不安でいっぱいの夜が明けた。
結局倒木の上に座り込んで一睡もしないまま過ごした。ひどく長く感じたが、たぶん実際には夜明けまで2時間も無かったのではと思う。
うっすらと空が白み始めた頃、命綱だったトーチの灯が、役目を終えたとばかりに消えた。
さらに明るさが増して、薄暗くはあるが、手元を見るのには不自由なくなった頃。
茉莉花が初めにしたことは、持たされた荷物の確認だった。
最初に確認したのは革袋だ。中身は、
・ビスケット
・チーズの塊
・エールひと瓶
ビスケットは全部で26枚あった。薄い板張りの化粧箱に入っている。そう言えば屋敷で、このような箱に菓子が入っているのを何度も見かけた。
チーズは布で包れていて、ハムの塊くらいの大きさがあった。茉莉花が良く食べていたプロセスチーズなんかとは違って、もっと硬い石鹸みたいなタイプだ。
食べ物と飲み物があるのはありがたかった。もちろん先々を考えて慎重に消費する必要があるけれど。
袋の中には他に、
・ナイフ
・モノクル
・羽ペン
・ペーパーウェイト
・インク瓶
という、分かるような分からないようなラインナップが入っていた。
これらはおそらく『クラリベルのお父様』の物にちがいない。書斎机の上の物をかき集めて来たようで、全ての品に家紋らしきものが刻印されている。葉のついた蔦がくるりと渦を巻く中心に、剣と金槌のようなものがクロスしているマークで、屋敷のあちこちで見た覚えがあった。
そして革袋とは別に、もう一つ渡された細長い荷物。
これが、ネリーが絶対に手放すなと言った剣なのだろう。
6歳の子供にとってはかなり重いそれを、膝の上に抱え込んで布を解く。
中から現れたのは、たいそう豪華な設えの、宝刀と言っていい代物だった。
鞘は黒い漆器で、金細工の装飾が施されている。鍔も金箔と金細工、木製らしい柄は表面に動物か何かの皮らしきものが貼られている、ザラザラとした素材で滑り止めになっているようだ。柄頭と目貫、目釘も金細工だ。
ちなみに鞘と柄頭の金細工は紋章を象っていて、さらに紋の下に緑の石が埋め込まれている。柄頭に埋め込まれている石は大人の親指の爪くらいの大きなものだ。
この金細工や石だけ見ても、相当に値の張る逸品だということが分かる。
まるで芸術作品のような剣を、膝に乗せたまま、そろりと慎重に鞘を抜く。
最初の感想としては、『ただの刃物じゃない』だろうか。
刀身そのものは長さと言い、片刃で浅く反った鎬造りなところといい、日本刀、それも打ち刀に似ている。
(よく斬れる剣を突き詰めていくと、こう言う形になっていくものなのかな…? ていうかこの刀身、なんていうか、ギラギラしてる…? すごい迫力なんだけど…)
実際その白刃は、ぼんやりと光さえ纏っているように見える。
(いや、ほんとに光ってる…よね?)
朝の光の中、うっすらと白い光を纏っている剣の圧はすさまじく、手にしているのが怖くなるほどだった。
厳重に鞘に納めてもう一度布に包む。
(うん…、これは確かに手放すわけにはいかないわ…)
多分伯爵家の宝だったにちがいない。なんとか肌身離さず持ち歩けるようにしなければと思う。
他に持たされた物は、シーツが3枚と、ネリーが持ち出してくれたドレスだ。
シーツは厚みがあるしっかりとした生地だ。正直3枚あるのはかなり助かる。このうち2枚はクラリベルとネリー、それぞれが被っていたものだが、もう1枚は予備で持ち出していたのだろうか。
ドレスは乗馬服と外套だった。これには『ネリー、グッジョブ』と言いたくなった。何しろ今は、踵まで覆うヒラヒラとしたネグリジェ姿なのだ。
初夏とは言え夜は冷えるから、羽織れる外套があるのはありがたいし、野外活動には動き易く、なおかつ身体をしっかりと覆う服が必要だ。乗馬服なら、厚手の長袖で、スカートも脛丈で長めだが、裾がキュロットのように分かれているから動き易い。
早速乗馬服に着替えることにする……が、基本お嬢様のドレスというのは自分で着るように作られていない。
背中やら袖など、あちこちを小さなボタンやら紐で留めなければならないのだが、面倒な部分はすべて無視して適当に腰の所で縛っておいた。かなり不格好だが動くには問題ない。
着替えを終えて、ざっと自身の姿を確認する。
どこから見ても子供の身体だ。手も足もひょろひょろとして頼りない。しかも掌にも膝小僧にも傷一つなく、どこもかしこもつるつるすべすべだ。
確かにクラリベルの中に残っているのは、ネリーと大人しく室内で過ごした記憶がメインだ。毎日のようにお散歩と称して屋敷の庭には出ていたけれど、本当にただの散歩で、よく手入れされた庭園の散歩道を、ネリーやお母様とお淑やかに歩いた思い出ばかりだ。
外を走った記憶もあるにはあるが、地面を駆けずり回ったり、寝転んだり、泥団子を作ったり、木登りしたりといった思い出は全く無い。
(ほんとのほんとに、お嬢様だったんだなあ)
茉莉花自身の記憶とのあまりの差に、しみじみと独り言ちながら、感覚を確かめつつ手足を動かす。
靴はもともとブーツだ。
火事の最中、裸足で逃げ出すのは危険だ。逃げ出すためにブーツをきちんと履いたクラリベルは、実はかなりすごいのではないだろうか。
(危機管理能力は高かったのかも……)
そんなクラリベルの身体の中に、今は茉莉花がいる。
少なくとも純粋培養お嬢様のクラリベルよりも、茉莉花の方が、今の状況を切り開くための手を打ちやすいだろう。
「まずは目の前の、やれることをやっていこう……」
と、誰にともなく呟いた。
手始めに、脱いだネグリジェを裂いていくつかに分けた。子供用とは言え、布をたっぷりと使った、脛までのドレスタイプだ。細長く裂いてロープ代わりにしたり、荷物を包むための風呂敷代わりに使ったり、活用法はいくらでもある。
両袖は、手首のところで絞ってフリルになっている。この袖を、両足のひざ下に括りつけた。
現在茉莉花がいる場所は、森の中のぽっかりと開けた草地になっている場所だ。広場を横切るように倒れた倒木の周りは、比較的背の低めな下草がびっしりと生えている。もう少し森の側に行くと、背の高めの雑草と、低木の茂みになっている。
この茂みや雑草群の中を、足に布を巻き付けた状態で、草や葉に擦り付けながら歩き回る。こうすることで朝露を集めることが出来るのだ。
荷物の中にはエールの瓶もあったが、先が見えない今、なるべく手持ちの物は大事にしたい。
広場の周囲を30分ほども歩いただろうか。喉の渇きを満たす分くらいは集めることが出来たので、荷物を置いた倒木に座って休むことにした。
ビスケットを一枚齧り、集めた水を飲む。と言っても容器が無いので、布から直接絞って飲む。
もちろん、空腹は全く満たされなかったが致し方ない。
ネリーはここで待てと言ったが、いろいろと考えて、今日は午前中のうちに少しだけ辺りを散策することにした。
ただネリーがいつ戻って来るか分からない。それに荷物もどうにかしないといけない。
とりあえず、倒木に余った布を結び付けて、その下の地面に「すぐ」「戻る」と書いておいた。
クラリベルが文字を習い始めていてよかったと思う。片言でも意味のある言葉が書けるのは幸いだった。
荷物は木に吊るしておくことにした。
ネグリジェを裂いた紐に、細長い石を括りつけて、枝に引っかけるように投げる。枝からぶら下がった紐に革袋を括りつけて吊り下げる方式だ。
さらに余った布で風呂敷バッグも作った。
風呂敷を広げて片側の角二つを輪っかを作るように結んで、もう片側の角をその輪っかから通して結ぶという簡単なものだ。
この中に、ナイフを入れる。
残りの紐で、剣を包んだ包みを背中に縛りつければ準備は完成だ。
歩く時は、必ず右側の木の幹にナイフで傷を付けながら歩くようにする。
森の中は薄暗い上に、木の根や下草、大小の石の上に、落ち葉や木くずが積もっていて、とにかく足場が悪い。
それに当然、大小の虫や蛇なんかもいたりする。ただ日本の夏よりも乾燥していて、かなり涼しいせいか、今のところ蚊やブヨなどはいないようだ。
あとはクラリベルの身体の感覚に慣れていないのも難儀だった。
茉莉花の感覚では、ほんの一昨日まで女子高生―――それも背が高く筋力もある身体だったのだ。
目線も、リーチも、歩幅も、全く違う。
頭では分かっていても、咄嗟に、石や根っこ、虫などを避ける時など、つい茉莉花時代の感覚で身体を動かしてしまう。
結果、思ったより足が上がっていなかったり、一歩が狭かったりして避けきれなかったり、躓いたりする。
結局ほんの1時間ほど森をうろついただけで、疲労困憊状態で、先に進むのを断念せざるを得なかった。
できれば果物の木や、何より水場を探したかったが、初日なのだからこんなものだと自分に言い聞かせる。
荷物の所に戻った時には、一歩も動きたくないくらい疲れ切ってしまっていた。
だが、今日はもう一つ大事なチャレンジがある。火起しだ。
茉莉花時代、祖父主催の林間キャンプ(サバイバルに近い)などで、火起こしなどは何度も体験していたが、着火剤やら、炭やら、ふいごやら、焚火台を使う事だってあったし、何よりライターがあった。
けれど今は便利な道具は何もない。
とりあえず、石を集めて簡易の竈を作り、拾い集めて来た針葉樹の枯れ葉を敷いた。本当は松ぼっくりが欲しかったが見つけられなかった。心もとないので、枯れ枝をナイフで削ったものも用意しておく。
革袋からモノクルを取り出し、エールを垂らして簡易レンズを作る。太陽光を集めて火を点けるのだ。
合宿キャンプの時、父に習った方法だ。モノクルではなく眼鏡だったが。
当時は物珍しいと思いこそすれ、実践する日が来るなどとは思っても見なかった。
将来何の知識が役に立つか、案外分からないものだと思う。
燻りはしたものの、なかなか火にならなかったり、拾って来た薪になかなか燃え広がらなかったりと七転八倒して、なんとか火を起した後は、寝床の確保だ。
シーツがあるのはありがたかった。木に括りつけて風よけにする。苔の上に枯れ葉を敷いてもう一枚シーツを広げる。寝床の完成する頃にはちょうど日も暮れて来たところだったが、慣れない作業で酷使された小さな身体は、もうそこまでで限界だった。
重たい身体を叱咤しながら、外套を引っ張り出して、設えたばかりの寝床に潜り込む。
そのまま、気絶するかのように眠りに落ちた。