事件のあらまし 【ライナス】
※ライナス視点のお話です。
石造りの屋敷の3階の窓を、外からコツコツと叩く音が聞こえてくる。
ライナス・ジグモントは、毎朝この窓から響いて来る『音』で目を覚ます。
その日も、不規則に鳴らされる音を聞きつけると、躊躇することなく暖かい布団から体を起して、身軽な動作で窓際に向かった。
石壁に埋め込まれた木枠の窓を、番を外して開け放つ。
ライナスに与えられた部屋は3階の角という事もあり、窓を開けた途端に、雪交じりの冷たい風が、勢いよく部屋の中に入り込んでくる。
予め側仕えが、火を入れて温めていた部屋の中の温度が一気に下がっていく。
薄着の寝巻のままのブルリと身震いをしつつも、窓を開けたままで、音を鳴らしていた客人たちを迎え入れる。
飛び込んできたのは4羽の烏だ。
部屋に入るなり、バサバサと軽く羽を鳴らしながら部屋の中を飛び回ってから、窓の側の止まり木に仲良く並んで止まった。
その様に、
「おかえり、今日はお前たちか」
と声を掛ける。
ライナスは17歳、特に背が高くもなく低くもなく、別段太ってもいない。いわゆる中肉中背と呼ばれる身体つきだ。
ふさふさと豊かな明るいグリーンの髪に、陽気そうな丸い黒に近いグレーの瞳と、うっすらとそばかすが散った頬は、どことなく見る者を和ませる雰囲気があった。
それもあってか、初対面の者にも気を許されることが多く、瞳の奥に見え隠れする、存外に思慮深い光は見逃されがちだった。
止まり木に泊まった烏たちが、催促するように「カア」と鳴く。
いずれも、手紙を運ぶために特別に訓練された種で、金色の目を持ち、普通の烏よりも一回り身体が大きく、その足には特殊な筒が取り付けられている。
ライナスが放っている烏は二十数羽に上るが、もちろん全てが毎日顔を出すわけでは無い。今日帰って来た4羽を確認しながら、ベッドラックの引き出しから、『鍵』を取り出す。
金属性の『鍵』は、10センチほどの平べったい金属の棒になっているが、根元には黒い石が埋め込まれ、その石の周りから先端に向かって文字が彫られている。
ライナスが一羽の烏の足に取り付けられた筒の頭に、『鍵』先端部分を押し当てると、カチリ…と小さな音がして、中から折りたたまれた小さな紙が出て来た。
4羽とも紙を取り出し、一羽一羽全て「よしよし」と撫でて、金麦を与える。
烏専用の特別な餌で、この餌を食べると、通常の烏よりも強く長く飛ぶことが可能になるのだ。
取り出した紙に目を通していたライナスだが、とある1枚に目が釘付けになる。持ってきた烏に目をやり、まちがいなく自分の烏だと確認をしてから、もう一度件の紙を読み直す。
きっちり2度、丁寧に読み直してから立ち上がり、ベッド脇の鐘を鳴らした。
ややあって側仕えのロイが、朝食を載せたトレーを掲げて入って来る。ロイは初老の男だ。元はライナスの父の側仕えで、子供の頃からライナスの面倒を見てくれている。
「ライナス様、おはようございます。お食事をお持ちしました」
いつも、烏からの連絡に目を通してからでないと食事をしようとしない主を、辛抱強く待っていてくれるのだ。
「いや食事は後だ。先にアリスター様の所へ向かう」
「分かりました。ではお召し替えを」
ベッド脇のテーブルにトレーを置いたロイが、クローゼットに向かう。
身支度を終えると、部屋を出る。
ここロード家の屋敷は、くの字型の左右の棟に分かれた4階建ての造りになっている。主であるロード家の家族の部屋は4階、3階の右の棟は客人のための客室、左の棟は、ライナスのように、部屋を与えられた臣下の者たちが生活する場となっている。
階段を上り、右側の翼の奥から2番目の部屋が、ライナスの主、アリスターの部屋だ。
ノックをすると、控えていた側仕えの少年がドアを開ける。
「アリスター様にお取次ぎ願いたい」
まだ2の刻を過ぎたばかりだ。本来なら主人を尋ねるには早すぎる時間だったが、ライナスの主は基本この時間には起きている。
ちなみに夜も、遅くまで勉学や仕事などをしている。一体いつ眠っているのだろうと不思議になるほどだ。
奥の間に通されると、すでに部屋着に着替え終えたアリスターが、なだらかなウェーブを描くブルーがかった銀髪を、黒いサテンの髪紐で緩やかに束ね、食後のお茶を嗜んでいた。
「おはよう、ライナス。君もお茶をどうだい?」
と、優雅極まりない仕草で、ティーカップを掲げて見せる。
ロード家の嫡男、アリスター・ロード・サージェンスターは、ライナスよりも1つ年下の16歳。整った顔立ちに、透明度の高い琥珀色の瞳をしている。
その容姿はまさに貴公子そのもので、『光の貴公子』などと呼ばれ、もてはやされるにふさわしい綺羅綺羅しさだ。
だが、そのアリスターが、その立場や容姿から、不必要に持ち上げられているだけの人物では無い事を、ライナスは誰よりも知っている。
そんな主からの勧めに、
「いただきましょう」
と応えて、薦められた向かいの椅子に座ると、アリスターの側仕えであるジェニファーが、ライナスの分のお茶を入れてくれた。
礼を云ってから、手にしたカップの色が、アリスターのそれとは違う事に気付く。
どちらも白いカップだが、ライナスのものは縁に細めの金とダークグレーのライン、さらにその下に明るいグリーンの太めのラインが入っている。
カップを縁取る3色の飾りをしげしげと見ていると、
「気付いたかい? 先日商人が持ってきたものだ。ライナスの、若葉のような明るい緑の髪と、つぶらなダークグレーの瞳を髣髴とさせる色だだろう?」
ライナス用に買い求めたのだ、とキラリ…と光る微笑みで言われて、
(いや、つぶらな瞳って……)
と、照れ半分、半分は少々引き気味のライナスだ。
まるで口説き文句のようだが、別にライナスだけに特別そんな言葉をかける訳ではない。
アリスターの湯水のごとくあふれ出る美辞麗句は、基本的には、世の女性たち全般に送るためのものなのだ。
だが、ごくごく親しい相手に限っては、男性に対しても向けてしまうらしい。
「つぶらな瞳とか言われて、私にどうしろって言うんですか」
げんなりした声を出すライナスを尻目に、すました顔で茶を飲み終えたアリスターは、おかわりのお茶を注ごうとしたたジェニファーに、
「今日のジェニファーの動きはなんだかきびきびとしているね、春の足音みたいな、そんな小気味のいい動きだ。明るい気持ちになってくるよ」
などと言っている。
ちなみにジェニファー・ローレンス、そろそろ50も半ばを越えようという、アリスターの産まれた時からのベテラン側仕えだ。
アリスターの『女性』の範囲には年齢制限と言う言葉がない。
主のそんな様子を見ながら、しぶしぶとお茶を口にしたライナスだったが、口の中に広がる馴染み深い味に、思わずダークグレーの瞳を瞬かせる。
「ドラモットから取り寄せたお茶だ。懐かしいだろう?」
と、目の前の秀麗な少年が、優雅な仕草で自らのカップを口元に運びながら言う。
ドラモットはライナスの故郷だ。このお茶はその北部で獲れる、ミールという特殊な葉で作られるのだ。独特の苦みと雑味のせいか、上流階級には人気が無いようで、王都では滅多に見かけない。
実際ライナスも5年ぶりくらいになるだろうか。
「ええ、ええ、朝から懐かしい味をいただきました」
脱帽です。と肩を竦めて、うっかりと懐かししさに、緩みそうになってしまった気持ちを引き締めてから。
「殿下」
と、あえて敬称で呼びかけると。
口元に受かんだ優雅な笑みはそのままに、途端に纏う空気がそれまでの気安いものから、ピリリと引き締まったものに変る。
その見事な切り替えを頼もしく思いながら、先ほどの文書を手渡す。
「ハーディング家の馬車が、ワイアットで落石事故だと?」
文書を読みながら不審げな声を上げる。
「なぜこんな時期に、それにワイアットはこの時期、季節風の関係で吹雪が多いと聞いたが」
「吹雪は魔晶石でなんとかなりますから。どうやらピアソンに向かう所だったらしいです。ピアソン家の大夫人の具合が良くないらしいです」
「ああ、ハーディング家の奥方、カリスタ夫人だったか? ……は、ピアソン家の出だったな。見舞いか」
「ただ乗っていたのはカリスタ夫人では無いようです。どうやら夫人はここ1つ月ばかり公の場に顔を出していないらしい。身重では無いかと言われている」
「では誰が乗っていたのだ?」
「ハーディング家の嫡男です」
「嫡男?」
意外そうな顔をする。
よほど友好関係の家同士でない限り、見習い前の幼い子供の情報は出回らないものだ。
ハーディング家に、幼い嫡男がいることを知っている者は数少ないだろう。
「はい、夫人の名代という事で向かっていたようです。名前はオズワルド、確か6歳だったと思います」
「6歳? ……そうか」
考え込むそぶりを見せる主人に、
「弟君と同じ年ですね」
と言うと、「ああ」とアリスターが応える。
アリスターが例によって、『わたしの可愛い雪うさぎ』と呼ぶ、溺愛している弟だ。
同学年ともなれば、必然的に学院でも顔を合わせる機会が多い。この先絶対に関わる事になる相手だ。
「訪問は非公式なもののようです。おそらくはピアソンと、あとは通過するワイアット側にのみ伝えて、馬車も3台と小規模で動いていたようです」
「3台? 文書では事故は2台となっているが……」
「現場の近くの街で、1台車輪がダメになったようです。先を急ぐという事でとりあえず2台だけで先に進んだようですね」
「馬車たった2台で、大事な嫡男を行かせたのか」
「ごく内々の、非公式訪問ということで、本当ならば他家には知られることなく終わらせるつもりだったのでしょう。図らずもこんな事態になってしまい、こちらに情報が入ることになりました」
「……本当に、ただの事故なのか?」
光の加減によっては、透明にも見える琥珀色の瞳が、すぅ…と細められる。
ここ最近の状況を鑑みて、何者かの妨害が入ったのではと、言いたいのだろう。
それはライナスも当然考えた。
「ワイアット側としては、事故で通したいでしょう。自領でハーディング家の嫡男が何者かに襲撃を受けたとなればそれこそ大問題です」
「ワイアット側の対応は?」
「嫡男が逗留している村に、騎士を2名派遣したようです」
「2名だけか」
「近隣の村で保護された様なのですが、ごく小さな村で、大人数で向かう訳にはいかなかったようです。2名は嫡男の護衛要員でしょう。それとは別に近隣の街に数名派遣しています。こちらがおそらく事故の調査目的でしょう」
「ワイアット側だけで調査するのか?」
問題になるだろう、とアリスター。
「ハーディング家からも馬車が何台か向かったようです。嫡男の迎えと、おそらくは、事故現場の検分に向かう部隊もいるのではと思われます」
「ふーむ……」
何とかして事故の調査結果を知る方法は無いかと考えているのだろう。
実際のところ、他領で起きた事故のあらましを知ることは難しい。ハーディング家が絡むとなればなおさらだ。
「わかった、引き続き探ってくれ」
「御意」
主に応えてから、すっかりと冷めてしまったお茶を口に運んでいると、
「そう言えば、ヒューバートは戻ったのか?」
と訊かれた。
ライナスと同じく、ロード家に身を寄せている少年、ヒューバート・コーズは、2日前から自領に戻っている。
「まだです。今朝ヒューバートからも連絡が来ました。戻りは明日になるようです」
ヒューバートは、アリスターよりも2つ下、ライナスよりが3つ下になる14歳の少年だ。
ライナスと違って、正式なアリスターの側近という訳ではない。
ただ、もともと騎士及び領主の見習いとして、9歳の頃からロード家に預けられており、アリスターやライナスとは共に育った弟分のようなものだ。
学院入学とともに王都の自家の屋敷に移ったが、現在は訳あってまたロード家の屋敷に身を寄せている。
なかなかに優秀なことから、アリスターも側近同様に目を掛けているし、ライナスも仕事を教えたりするなど、可愛がっている。……便利に使われているという見方もあるが。
その彼の不在に、アリスターは秀麗な顔にわずかに憂いを乗せて、
「……諦めきれぬ気持ちもわかるが。単独で動くのは感心しない。危険すぎる」
ヒューバートの生家、コーズ家の王都の屋敷が、夏前に何者かに襲撃されたのはまだ記憶に新しい。
夜中に賊が侵入し、火を点けられ、雇われている者たちが何名も犠牲になった。
だがその最中、屋敷を預かっていたヒューバートは、ここロード家の王都屋敷に、アリスターやライナスと共にいたため難を逃れることが出来た。
ヒューバートの外泊は、当日の夕方、学院の委員会での仕事の最中に、急遽決まったことだった。
その日ヒューバートは、迎えに来た馬車の御者に、執事への手紙を持たせそのまま帰らせた。そして自らは、アリスターと同じ馬車で直接ロード家に向かっている。
ヒューバートのロード家宿泊を知っていたのは、学院内のごくわずかな顔ぶれと、あとは御者、そしてコーズ家の屋敷の者のみだ。
おそらく賊も、ヒューバートの留守は知らなかったと思われる。
夜中にコーズ家の屋敷の火事の報せを聞き、あわてて駆け付けた時には、すでに屋敷は半壊状態だった。
そして、わずかに生き残った使用人の保護や、事情聴取などに明け暮れ、ようやくひと心地ついた、翌日の昼のことだった。
王都の北西にある、コーズ領の本家屋敷の襲撃と、両親と妹の死亡が伝えられたのだ。
その時のヒューバートの、絶望を絵に描いたような姿は、何度思い出しても胸が痛む。
さすがに一人にしておく訳にはいかないと、アリスター自らロード家の屋敷に留め置き、常に側近たちに側にいさせたほどだ。
その後、妹の遺体が見つかっていないこと、家庭教師の女が、屋敷からかなり離れた場所で、遺体で発見されたことなどが伝えられた。
それ以来ヒューバートは、時間が許す限り自領に帰っては、妹の消息を求めて奔走しているのだ。
「すでに事件からは8つ月以上経っている。乳母の遺体が見つかったのは、ディランの森近くだったか? だが、あの聖域では……」
コーズ領の北西に広がる、精霊ディランの森。
襲撃の夜、もし令嬢をどこかに隠すのであれば、ディランの森はある意味最適の場所かもしれない。少なくとも自分ならそうするとライナスは思う。
ディランは人を嫌い、踏み荒らす者には容赦しないと伝えられている。さらには深く広大な聖域の森は、磁石や魔晶石の力さえ吸い取ると言われ、迷い混んだが最後、二度と出れないとも言われている。賊もおいそれとは足を踏み入れたがらないだろう。
最もそれは諸刃の剣だ。
何の知識も準備も無しに飛び込んだ令嬢が、一人で生き抜ける場所ではない。
おそらくコーズ家の令嬢は、もう生きてはいないだろうというのが、アリスターやライナスの、そして大方の見方だった。
もっとも、
「……それを彼に言うのは酷な事でしょうね……」
両親を殺され、たった一人の妹の遺体は見つかっていない。
ここ最近は少し持ち直してきたが、秋くらいまではひたすら妹の生存を信じ、探す事で、かろうじて生きることが出来ているような状態だったのだ。
「自領に戻れば、親類などもいるでしょうし、今回はダン・アレンも一緒に行かせています。全くの一人になるという訳でないでしょうが」
コーズ家の襲撃は、まさしく国中に衝撃の走る事件だった。
王都と領地2か所同時に襲撃されたのだ。賊の目的は明らかにコーズ家そのものだ。
アリスターが、ヒューバートの単独行動に良い顔をしないのも無理はない。
さりとて、ヒューバートの気持ちは痛いほどに分かる。何より、
「グラスコートの事も有ります。いずれにせよ、調査は続けるべきでしょう」
グラスコートはコーズ家所蔵の国宝の聖剣だ。
これが、事件以来、やはり行方不明となっている。
妹もだが、グラスコートの行方も追う必要がある。
「あと8年しかないのですから」
と言うと、アリスターは眉を顰めつつも頷いた。
自室へ続く廊下を歩きながら、ふと窓の外を見る。
灰色の空の下、小雪がちらつくのが見えた。
今頃ヒューバートも雪の空の下、妹の消息を探し回っているのだろうか。
『妹君は、亡きコーズ夫人に大変よく似ていたそうだな』
『クラリサ夫人ですね、コーズ家の外戚筋の出で、美しいと評判の方だったはずです』
ふと、最後にアリスターと交わした会話を思いだす。
(そう言えば、妹の名はクラリサ夫人から採ったと言っていたな、名前は、確か―――)
―――クラリベル―――
綺麗な名だな、と呟いた声は、冬の風に流された。
アリスターの側近 ライナス視点のお話でした。
他の人視点は初めてなので、少し新鮮です。
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