別れと、そして予感
(”きし”は”騎士”……だよね、”ひりゅう”は……、”飛竜”……?)
まさかね、と、気になって窓の外を見ようとした時、
「お話し中失礼いたします。アグネスです。オズワルド様に至急お伝えしたいことが」
ノックの音とともに、アグネスの声が聞こえて来た。
「どうぞ」
とオズワルドが応えると、アグネスがドアを開けて顔を出した。茉莉花を見ると目線で退室を促される。
あわてて深々と礼をして退室し、何はともあれ外を見ようと庭に出ようと廊下を歩いていると、
「あ、ジャスミン!」
「学士のお話終わったの?」
ノーラとベティ、アリアが茉莉花を見つけて駆け寄ってくる。
「ねえ、外見た?飛竜すごいよ」
「私初めて見たよ」
「やっぱりあの貴族の人の迎えかな?」
と口々に言われて、
「ジャスミンも見て見なよ」
と手を引かれる。
「飛竜って……、やっぱり竜?」
小走りで廊下を進みながら訊くと、
「そうだよ、お父さんから、都には人が乗る竜がいるって話は聞いたことあったんだけど、私も見たのは初めてだったよ」
廊下の突き当りから庭に出ると、途端に視界が、風に巻き上げられた雪で白く染まる。
灰色と白にけぶる中、目を凝らすと、バスケットコート並みの広さの有る庭には、子供たちが何人もそわそわと落ち着かない様子で立っている。
その視線の先、ちょうど学校の軒先に当たる場所に2つの大きな影が見えた。
「男の子たちまだいるんだ、さっきからずっと居るよね」
「寒くないの?」
ノーラたちに話しかけられて、
「だってすげーだろ」
「いいなあ、俺もあんなの乗ってみてえ」
と口々に男の子たちが応える。
「触ったらだめだよ、学士たちに言われたでしょ」
「分かってるよー」
子供たちの声を背に、茉莉花は恐る恐る二つの影に近づく。
(ほんとに竜だ……!)
足を曲げて伏せているため高さは分からないが、胴の大きさは馬より一回り大きいくらいだろうか。
竜と言うだけあって、1頭はパールがかった緑色、もう1頭はのエナメルがかった青紫色の鱗に覆われている。頭部は蜥蜴に少し似ていて、大きな口からは鋭い歯がぎっしりと覗いている。
そしてどちらも、今は折りたたまれているものの両側に大きな羽を持っている。
その異形でありながら、風格のある姿を、
(すごい……!)
と、ぽかんと口を開けて見ていると
「あなたたち、いつまで外にいるの!?冷えるからもう入りなさい」
と背後から学士アグネスの鋭い声が聞こえて来た。
「はあい」
「ちぇー、もうちょっと見たかったなあ」
などとぼやきながら入っていく子供たちを追って。初めて見る竜に後ろ髪を引かれながらも茉莉花も中に入って行った。
屋内に入って各々手作業を始めても、皆そわそわとして身が入らないようだった。中には完全に道具を放り出して、ああでもないこうでもないと言いあっている者たちもいる。
娯楽や刺激のほぼ無い平和な村にとって、馬車の事故に始まるここ数日の一連の出来事は、十年に一度あるかないかの重大事件だ。
さらには冬ごもり中で子供たちは退屈しきっている。しかも大人たちが、子供たちに説明らしい説明もしてくれないとあっては、皆が気になって仕方がないのも無理は無かった。
「まあ、なんですか、皆さん手がお留守ですよ」
見ればドアの所に、学士アグネスと、モーモント、そしてなぜか村の顔役であるコービンさんも立っていた。
いつにない顔ぶれを見て、皆がお喋りを止めると、コービンが前に進み出て来た。
「みんな、ここ数日の出来事にそわそわとして、仕事が手に付かない者もいると思う。簡単だがここ最近のことについて、私の方から話せることを説明させてもらう」
だから、気持ちを落ち着けて元の生活に戻って欲しい、と前置きをしてから。
「両親や周りの者からいろいろと訊いていると思うが、2日前にザガンの窪地側の山道で落石事故があった。道が塞がれ、貴族の馬車が崖下に落ちる大事故となった」
「その馬車だが、学士アラウダによると、貴族の中でも特に身分の高い重要な家の物だということが分かった。そして、生き残った貴族の方をわが村で客人として保護することになった」
そこまでは知ってるな?とコービンが見回すと、皆神妙に頷く。
「それで今日だが。学士たちの連絡を受けて、客人や事故の様子を見るために、新たに騎士様が二人村にいらっしゃった。皆も庭にいる飛竜で飛んでいる姿を見たと思う」
茉莉花は見ていないが、飛竜に乗って来たのはやはり騎士だったらしい。
(飛んでるとこ見たかったなあ…)
騎士と言う響き自体がもうカッコいいよね、と呑気に考えていると、さらにコービンが、
「今この村に、客人の迎えの馬車が向かっているそうだ。吹雪の具合にもよるが、おそらくもう3,4日もすれば到着すると思う。それまでは騎士様も、この学校の建物内の客間に滞在していただくこととなる」
てっきり飛竜でオズワルドも帰るのかと思ったが、そうではないらしい。
(そりゃそうか。二人乗れなくは無さそうだけど、吹雪の中飛ぶの子供には厳しいよね)
それにしても、雪の中よく連絡取れたなと思う。まさかこの世界、電話がある訳じゃないよね、などと少しだけ疑問を感じたけれど、
「客人を助けたことにより、この村は何らかの褒賞を頂くことができるそうだ。本日騎士の方からもお褒めの言葉をいただいた」
連絡についての疑問も、褒賞と言う言葉と、子供たちが歓びの声を上げる姿に、すっかり考えの外に押しやられた。
(よかった。切っ掛け作っちゃったし……)
事故に関わったり、貴族の少年を預かることは、村にとっては少々負担だったはずだ。
もしかして迷惑をかけてしまったのでは?と少し心配だったのだ。
胸を撫でおろしていると、
「ただし」
コービンの声音が張りつめたものに変った。
「皆も知っての通り、貴族の力は絶大だ。もし、客人及び二人の騎士に何か粗相するようなことでもあれば、この村は簡単に取り潰されてしまうだろう」
その言葉に子供たちの顔に不安と怯えの色が走る。
「だから皆にはくれぐれも気を付けて欲しい」
と厳しい声で、コービンが続ける。
絶対に、客人たちには接触しないこと。
部屋を覗くなど論外、庭にいる時などに話しかけたり側に近寄ったりもしないこと。
もし万が一廊下などで行き会うことがあったら、すぐに頭を下げて通り過ぎるのを待つこと。
竜も同じ。絶対に近づかないこと。
基本、礼儀作法など欠片も知らない子供たちだ。下手に接触すれば、どんな怒りを買うか分からない。それくらいならば、最初から接触しない方が安全だ。
急遽アグネスとモーモントが、挨拶の仕方を教えてくれることになったので、その日の残りの時間は、お辞儀の練習で終わった。
翌日以降、全く元通りとはいかないまでも、子供たちはいつも通り過ごすよう心掛けていた。
同じ建物内に貴族の少年や騎士たちがいることは分かっていても、話題に出すのすら憚られると思っているのか、まるで無かった事のように振る舞っているのが少しおかしかったが、確かに下手に噂をして聞かれでもしたら大ごとだ。
最初からないものとして過ごした方が平和なのだ。
茉莉花ももちろん、皆と同じように静かに過ごしていた。
一度だけ夜の自由時間に、騎士の一人を廊下の先で見かけたことはあったが、すぐに頭を下げてやり過ごした。
オズワルドとはもちろん顔を合わす機会もなかった。
騎士が来てから3日目、授業が終わり部屋に戻ろうとしたところで、またもや学士に呼び止められた。
「ジャスミン、少し時間を取れますか?」
と言われたので、ベティと別れ学士の後に付いて行くと、またもやオズワルドの部屋に連れて行かれた。
今日のオズワルドは、もうベッドではなく長椅子に座って本を読んでいた。
アグネスが茉莉花を連れて入ると、前回同様アグネスに下がるように伝える。アグネスがお辞儀をしてから立ち去ると、部屋にはオズワルトと、ジャスミンと―――騎士が二人残された。
(ええええ~~~……)
二人の騎士のうち一人は、オズワルドの座る長椅子の後ろに立っている。
そしてもう一人は、今茉莉花が入って来たばかりの、ドアの前に立っているではないか。
つまり、何かあっても部屋から逃げ出せないということだ。
しかもだ。
(今、嫌な事に気付いたんだけど…!)
前回オズワルドは、『今ならば咎めだてする者もいません』と言ったのだ。
咎めだてする者、つまり茉莉花の言動を監視するものが、今日はバッチリいるということだ。
(なるべく喋らないようにしよう……)
余計な事を喋って、切り捨て御免などと言う事態になったら、死んでも死にきれない。
戦々恐々としている茉莉花をよそに、オズワルドが例の天使の笑みで、
「ジャスミン来てくれてありがとう」
などと言っている。
しかも「良かったら座って」などと、自分の向かいの椅子を薦めてくる。
これにはさすがに頑なに首を振る茉莉花だった。
だって騎士の顔が怖い。
オズワルドの後ろに立つ騎士は、二十代半ばくらいの若い男性だった。黒い髪を後ろで束ね、膝丈の長い衣に胸当てと肩当てを付け、腰には長剣を携えている。
体格は細身ではあるが鍛え抜かれているのがよく分かる。
大人しそうなノーブルな顔立ちだが、黒い眉の下の赤い目が真っ直ぐに茉莉花を射抜いている様が怖い。とても怖い。
茉莉花の視線から、事情を悟ったらしいオズワルドが、
「メルヴィン、脅さないでください。ジャスミンは私の客人です」
と抗議をして、
「ジャスミン大丈夫ですよ、騎士たちにはジャスミンとは話すだけだと伝えてあります。決して傷つけたりしないですから、だから座ってもらえますか?」
と言われる。
オズワルドの言葉に、メルヴィンと呼ばれた騎士が、少しだけ気まずそうに視線を逸らす。
なんというか、オズワルドと騎士たちの間に、少し溝のような物を感じる。
少し不思議に思いながらも、どうしたものかと迷っていると、さらにオズワルドが向かいの席を「どうぞ」と、手で指し示してくる。
「じゃ、じゃあ…、失礼します……」
騎士とオズワルド、どちらの圧も耐えきれない。
正直もう帰りたくて仕方がないが、ドアの前にはもう一人騎士がいる。
仕方なく向かいの椅子に座り、借りてきた猫のようにカチコチに固まっていると、
「ジャスミン、私は明日の早朝この村を離れる事になりました」
ということは迎えの馬車が来たのだろうか。
「今迎えの馬車が村の顔役のところにいるそうです。明日学校が始まる前の早い時間に発つ予定です」
「体調は、もういいのですか?」
「はい、腕以外はすっかり問題ありません」
そう言ってから、少しだけ肩を落として、
「本当はジャスミンに何かお礼をの品を用意したかったのですが、……あとダメにしてしまった洋服の替えも。……ですが、私が意識を取り戻して村の者から話を聞いた時には、もう迎えの馬車が出発した後だったので、手配が間に合わなかったのです」
申し訳なさそうに言われて。
「お、お礼なんて、とんでもないです」
お礼の品なんて、何かとんでもない物が来そうで怖い。それに服は別にダメになっていない。ちゃんと洗濯したし、明日また着る予定だ。
「顔役のコービンさんから、村に褒賞が頂けると聞きました。それだけで本当に充分です」
茉莉花の言葉にオズワルドが背後のメルヴィンに合図を送る。メルヴィンは、ベッドサイドのテーブルの上からトレーを持ってきて、テーブルの上に乗せる。
布張りのトレーに置かれたのは四つ折りに折られたハンカチだった。
「今は差し上げられるものがこれくらいしかありません。もしよかったら受け取ってもらえませんか?」
レースで縁取られて、白バラを貫く剣と、それを囲む月桂樹の刺繍が入っている。
一目で高級品と分かる品だった。
「事故に合った時に身に付けていたものなのです。それ以外の持ち物は全て馬車の中に置いて来てしまいました」
「でも……」
「ジャスミンに持っていてもらいたいのです」
と重ねて言われて。
そこまで言うのなら―――とも思う。
(ハンカチくらいなら、まあ良いか)
「あの、では……、頂戴いたします」
とトレイの上からハンカチを受け取ると。
「良かった」
オズワルドが嬉しそうに微笑うと。
「オズワルド様、そろそろお時間です」
メルヴィンが声を掛けてくる。
明日は早朝に発つのだ。準備などがあるのだろう。
「分かりました」
とがっかりしたようにオズワルドが応える様子に、会談の終わりを感じて茉莉花も立ち上がる。
「ありがとうございました」
深々と礼をして、退室しようとすると。
「ジャスミン」
と、もう一度声を掛けられる。
「なぜかな、ジャスミンとは、もう一度会うような気がするのです」
と言われてびっくりする。
どう考えてもオズワルドとでは生きる世界が違い過ぎる。
「私はただの狩人ですけど……」
(見習いだけどね)
と心の中で付け加える。
「でもそんなそんな気がしてならないのです。どうか、そのハンカチは必ず持っていてください。また会うその日まで」
と不思議な予言めいた言葉を言われて。
茉莉花は「必ず」と約束をしてオズワルドの部屋を退出した。
次は他の人視点の番外編です。
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