学校生活
授業を担当するのは、都から来た、学士と呼ばれる、モーモントというお年寄りの男の人と、アグネスという中年の女性だった。
以前ノーラが言っていた通り教室は1つで、6歳から12歳までそれぞれの学年ごとにテーブルを使う。
6歳のテーブルは全部で7人、茉莉花とノーラ以外は全員男の子だ。人数はどの学年も5~7人くらいだ。
ノーラは再会を喜んでくれて、自分も一緒に泊まり込みたかったと残念そうに言った。家は街の中心地で、20メートルと離れていないので当然通いである。
授業は、各学年ごとのテーブルをモーモント達が回り、それぞれの教えたり課題を出したりしていく形式だ。
最小学年の6歳は、数の数え方や単位、基本文字などを習う。茉莉花は文字はマスターしていたので、今のところは心配なさそうだ。
学年が上がると、算数や歴史なんかも始まるようだが、何しろ学校はたった2か月、しかも相手は将来はほぼ農民になると決まっている子供たちだ。
あまり高度な事は求められていないらしく、高学年になっても十分ついていけそうだなと、漏れ聞こえてくる6学年の授業内容を聞きながら安堵する。
最初に教わったのが時間についてだ。
1日の時間は、夜中から早朝までを除いた一日の時間を、10の「刻」で区切る。感覚的には1刻が2時間くらいだろうか。
早朝の時間に1の刻が始まり、昼は5の刻だ。
村や街では鐘の音で時間を教えてくれるけれど、都に行くと時計があるらしい。
『時を刻む機械』と言われてもピンとこないのか、みんな「ふーん」という感じだったけれど、
(時計って、私の知ってるあの時計かなあ)
(時計があるということは、そういう技術があるってことだよね……。あれ、向こうでは時計って一体どのくらいに発明されたっけ?確か日本でも徳川家康が持ってたよね…?)
この世界に来て初っ端から、原始人もかくやという生活をしていたせいか、文明的な物があるのが不思議な感じだ。
午前中は基本教室で勉強だ。
昼休憩は1刻まるまる時間が取られる。近隣の子は家に食べに帰る。
午後は課外活動となるが、これは天気に左右される。
吹雪の日は屋内で手仕事だ。
女の子は裁縫や刺繍、編み物など。皆子供と言っても恐ろしく上手い。正直茉莉花は一番下手なのだが、最年少学年ということでなんとか面目を失わずに済んでる(と思いたい)。
男の子は裁縫か木工細工だ。この近辺は木工細工が盛んで、小さい子はは食器や靴などの小物、大きい子になると椅子やテーブルなどを作ったりしている。
吹雪いていない日は、庭に出たりもできる。
そういう時は希望すると、剣術を習うことが出来る。近所の元兵士だったというご主人が教えに来てくれるのだ。
基本男の子が習っているが、女の子でも2,3人参加している子がいる。手仕事とかより、身体を動かすのが好きそうな子たちだ。なんとなく親近感がわく。
同じ寝台で寝ているベティもその一人だ。
学校が終わると、寄宿生は自由時間だ。
この時間に洗濯したり、風呂に入ることもできる。
と言っても厨房の片隅を借りて、盥にお湯を自分で溜めて洗うだけだ。元々村の人々はあまり風呂には入らないらしく、滅多に使われないらしい。
もちろん茉莉花は入りたいが、小屋と違って、水場が離れている事もあり、1人だと少し大変そうだ。
とういことで、剣術を習った直後のベティに、身体を一緒に洗わないかと誘ったところ、快くOKしてくれた。以来、二人でお風呂を使うようになった。
夕食も含め、食事は皆で食堂で摂る。学士も一緒だ。
まかないの人が来てくれた日は煮込み料理なんかも出たりするが、まかないがいない時は、子供たちが交代で支度をする。
夕食の後は部屋で手仕事をしたりおしゃべりしたりして過ごすが、ランプの油や、ストーブの薪の割り当てが決まっているので、夜更かしは出来ない。
慣れてしまえば、学校の生活は実に平和だった。平和すぎるくらいだ。
ただ困るのが運動不足だ。朝授業の前に学校の周りを走ったりもしているが、吹雪があまりひどいと雪だるまになってしまい、走るどころじゃなくなってしまう。
剣術を習っても良いのだが、そもそも彼らが持つと想定している剣は、いわゆるロングソードに近い。茉莉花の念頭にある刀とは全く別物だ。中途半端にやっても変な癖がつくだけになりそうだ。
その剣術だが、習っている子たちの中には兵士希望の子も多いらしい。
女の子たちもそうなんだろうか。
ベティに訊いてみると。
「うちはお父さんが元兵士なの。だから下のお兄ちゃんも兵士になりたいんだって。あたしもなれたらいいなって思ってるよ」
ベティのお父さんは元々この村の生まれだが、しばらくの間兵士として働いていたらしい。
退役して戻ってきて、今は村の外れで農夫をやっている。
子供は3人、ベティは一番下で、6つ上と、3つ上の兄がいる。
一番上のお兄さんは農夫として働きだしたが、下のお兄さんはまだ学校でベティと同じく寄宿組だ。やっぱり稽古に参加している。このお兄さんが兵士希望なんだそうだ。
日本から来た茉莉花には、この世界の兵士が具体的にどんな仕事をするのかがピンとこない。
(コンフィの街の門にいつもいる人たち、あれが兵士なのかな?)
どうしても思い浮かぶのはギーズと酒の話をしている姿だ。
(すごくのんびりした感じだけど)
(でも兵士がいるってことは、もしかして戦争とかあるのかな)
どう訊いていいか分からなくて、とりあえず兵士はどんな仕事をするのか訊いてみる。
「んー、お父さんはグレイブンの領門を守ってたって言ってたよ。あたしも詳しくないけど、大体そういう門とか守るんじゃないかな」
「へえ……」
門を守るのが仕事なら、戦争がある訳じゃないのかなと思う。
ついでに女の人もなれるのかと訊いてみると、
「女の人もいるって言ってたよ、ただ少ないみたい」
(なんとなく中世とかっぽいし、男女差別とか酷いのかと思ったけど…。女の狩人もいるみたいだし、一応最初から性別で撥ねられる訳じゃないのか……)
そんな話をして以来、ベティとは寝る前に布団の中であれこれおおしゃべりするようになった。
彼女は身体を動かすのが本当に好きなようだ。
「手仕事あんまり好きじゃないから、吹雪で練習ができないとがっかりしちゃう」
と言う言葉には共感しかない。
ベティのためにも、茉莉花のジョギングのためにも、なるべく吹雪かないでほしいなと思うのだった。
そんな茉莉花の願いも空しく、今年は例年にも増して吹雪が多いようだった。
学校が始まってから20日―――2つ巡りが過ぎたあたりが、ちょうどピークだった。4日間まるまる吹雪が続いたのだ。
4日もの間、ほぼ切れ間なく季節風が吹き続け、さらには断続的に雪も降っていたので、さすがに村全体がマヒしたかのような状態になった。
人の行き来が途絶え、それまでは通いだった子たちも学校に泊まる子が増えて来た。
5日目になって、ようやく、天候が持ち直した時には、村中が安堵の空気に包まれた。
昨夜までの凶暴なまでの風がパタリと止んで、空は相変わらずどんよりと暗いものの、時折雲の隙間から日差しさえ覗いたりする。
風がないだけで体感的にもずいぶんと温かく感じられる。数日間閉じこもりきりだった後の僥倖のような日だった。
冬の間の数少ない過ごしやすい日ということで、授業はお休みにして、朝から皆で森へ行くことになった。
息抜き兼、薪や木の実などの採集だ。
昼前には集合場所に戻ること。
遠くには行かないこと。
必ず複数人で行動すること。
などを約束させられて、めいめい散っていく。
早速茉莉花もノーラと二人、薪になりそうな枝を拾いながら森を歩く。
途中ベティとアリアも合流する。アリアはベティと同じく7歳組で、おしゃべりで活発な子だ。
そのアリアが、森を抜けて谷川沿いに出てみようと言い出した。
谷川沿いは他の街から続く街道で、そこを通ればもう一つの森にショートカットできるのだが、そちらの森にはサンシュリという小さい赤い実がなる木が群生している。今の時期が最盛期で、一つ一つは小さいがジャムにすると美味しいのだ。
街道を進むと徐々に上り坂になり、片側が切り立って、崖の中腹を削ったような道になる。高さがあるので村を一望できる見晴らしのいい道だが、道幅はあるものの下はほぼ崖のような山肌になっている。
(こんな道、向こうの世界なら絶対ガードレールがあるよね)
ちょっと怖いかも…などと思いながら、灰色の空の下、村の景色を見下ろしながら4人で歩く。
異常は、歩き出してすぐに察知できた。
谷の中腹沿いの道の先が茶色く見えたのだ。
近づいてみると、街道沿いの崖が、大きな岩で完全に塞がれてしまっている。
「上から落ちてきたのかな」
崖の一段上は切り立った岩になっている。あの一部が崩れ落ちたのだろうか。
「大きい岩だね」
「これじゃ通れないね」
「帰ったら大人に言わないとだね」
などと、道をふさいでいる、自分たちの背丈よりも大きい岩を前に話し合っていると。
「ねえ、あれ…!」
ノーラが崖の下を指さした。
見てみると、崖の下に横倒しになった馬車が見えた。
(1台……、ううん、2台だ)
岩の落下に巻き込まれたのだろうか。
2台の馬車が重なり合うように落下したようで、下に叩きつけられた衝撃で、一台は完全にひっくり返り、外れかけた車輪が上を向いてしまっている。もう一台はその下に半分つぶされるようにして横倒しになっている。
繋がれていた馬が、何頭も重なるようにして倒れている。おびただしい血が、雪を赤く染め、その周りには、飛び散った車輪や、大破した馬車の破片が散乱している。
「あ、あそこ…!」
アリアが指さしたほうを見ると、雪の上に毛布のようなものを抱きかかえるように男の人が倒れている。よく見ると抱えられた毛布から服のような物も見えている。
落下の最中に振り落とされたのか、馬車の場所より数メートル離れた場所だ。
下の山肌を覗き込む。
雪の積もった急な斜面だ。傾斜角40度まではいかないだろうか。
(スノボでもあれば下りられそうなんだけど)
何か代わりの物―――と見回して、
「ノーラ、そのザル貸してくれる?」
と、ノーラが抱えていたザルを受け取る。日本でよく使われているザルと違って、厚手の木の皮を編んで作られているから、かなり丈夫で固いのだ。
中に集められていた薪を自分の籠に移し替えると、「代わりに持ってて」と預ける。
「え…、ジャスミン……?」
ノーラのザルに紐を通して、右足に括りつけると。
「下に行ってみるから、ノーラたちは村の人を呼んできて。ザガンのくぼ地のほうから回ってくれば下の森に来れるはずだから」
とだけ言うと、ザルをスノボ代わりに雪の斜面を滑り始める。
新雪ということもあり、ターンするたびにバサササッと粉雪が舞う。
「ジャスミン!?」
「危ないよ!ジャスミン!!」
背後から、ノーラやベティの悲鳴のような声が聞こえてくるのに、
「村の人呼んできてー!!」
と、もう一度叫んで手を振った。
数度ターンを繰り返して、無事に下まで辿り着く。
酷い惨状だった。
辺り一面に飛び散ったおびただしい量の血。
ひっくり返ったり、半分潰れ横倒しになった馬車は、どちらも車体が完全につぶれてしまっている。隙間を覗き込むと、つぶされた人間の腕らしきものが覗いている。
意を決して、その腕の先を覗き込んでみたけれど、座席と屋根が完全にくっつく形で全体がゆがんでしまっている。茉莉花がどうにかできる状態では無かった。
馬車は諦めて、上から見た毛布のようなもので包れていた人の所に行ってみる。
毛布のように見えたのはマントだった。恐らくマントの持ち主が、包れている相手を守ろうとしたのだろう。
抱え込んだまま叩きつけられたのか、マントの持ち主はもうすでに冷たくなっていた。
庇うようにマントに添えられている腕をそっとどける。時間がたったことと、気温のせいで固くなり始めているのを怖々とずらして、マントの中を覗き込むと、
「……っ」
そこにいたのは、茉莉花と同じくらいの子供だった。
しかも―――。
(まだ、温かい…!)
次は21日アップします。
11月12月が死ぬほど忙しいので、10月中はなるべく1日おきにアップできるよう頑張ります。