重ねる日々
こちらの世界では、10日と、30日で日にちを区切るらしい。
10日で「1つ巡り」、30日で「1つ月」、と数えるようだ。月が3つで一つの季節になる。例えば茉莉花がこの世界に来たのは、夏の始まり―――つまり夏の1つ月くらいのことだったようだ。
夏の3つ月が終わり、秋の1つ月に入った。
夏から秋にかけては実りの時期であると同時に、長い冬に備える時期でもある。
ギーズは相変わらず毎日猟へ向かい、茉莉花も畑の世話以外にも、近くの森で、キノコや、香草、薬草、果実などをせっせと収穫して回っていた。
キノコや香草は料理に使う以外は、保存のために干したりしている。
果物はドライフルーツとジャムだ。最近は少しずつ料理をさせてもらえるようになったので、木苺をジャムにしてみたのだが、ただこれまでギーズはジャム作りなどをしてこなかったらしく、小屋には保存のための瓶や壺が圧倒的に足りなかった。
それもあり、夏もそろそろ終わろうというある日、他の消耗品の購入も兼ねて、街まで行くことになった。
街に行くのは3回目だったが、行きがけにギーズがいきなり、
「そろそろ道を覚えたか?」
と言い出すではないか。
「えーと、それは……」
嫌な予感しか無くて、思わず顔を引きつらせると、
「覚えたな?覚えたよな?よし、ワトソンを付けてやる。あいつと一緒なら帰れるはずだろ?」
と言い出した。
……要するに、酒場に行きたいらしい。
これまでも、狩りの帰りに村へ寄っては一杯引っかけたりしているようだったが、ドノバンの店では時間が限られているので、ゆっくり飲むことが出来ない。飲み仲間も皆家庭持ちなので、飲んだ後は大人しく帰ってしまうしで、多分物足りないのだろう。
以前は、街に行ったときには必ず飲んでいたらしいのだが、最近は茉莉花連れなので控えていたようだ。
ため息を付く。
茉莉花としても、ギーズが十分自分に良くしてくれている自覚がある。
我慢を強いたい訳でもない。
「……分かりました。ただワトソンは連れて行きますよ」
大体の道は覚えたが、まだちょっと不安な場所もあるのだ。
「分かった、ワトソンなら道を覚えてるし大丈夫だ。あと不安なら行きがけに森に印を付けながら行くと良い」
と言われ、森や林のところどころに目印の紐を結びながら行くことになった。
街では、いつも通り肉屋やローワンの店で、肉と毛皮を売った後、今回の目的である瓶を3つ、壺を2つ、石鹸、釘などの雑貨や、香辛料やバター、パン、果物などを買った。
ギーズは多少茉莉花に罪悪感を感じているようで、いきなりまた古着屋に行こうと言い出した。
結局前回と同じ古着屋で、またもや乗馬用のキュロット―――ただし成長を見越して前回よりも少し丈が長いもの、とブラウスを買ってくれた。
まるで、飲み屋の帰りに、折詰の寿司で奥さんの機嫌を取ろうとするダメ親父のようである。
帰りはワトソンと二人(?)となった。ワトソンはきちんと道を覚えているようだったし、木に結び付けた印のおかげで問題なく帰りつくことが出来た。
茉莉花側は何も問題が無かったが、翌日の朝すっかりとぐでんぐでんになって帰って来たギーズの、背中に背負った籠の中が―――、見事に空っぽだった。
念のため食料品と、あと自分の服は茉莉花が持ち帰っていたのだが、瓶を始めとする生活雑貨がまるまる無くなっていたのだ。
ほとんど飛び飛びになっている記憶を、本人がなんとか辿った結果、酒場で一緒に呑んでいた飲み仲間たちに配って回ったようだ……。
「あー……、いや、そういう、うん、たまに会う街の奴らと、そうだ、コミュニケーションを…」
と訳の分からない言い訳を始めたギーズをジロリと睨んで、
「返 し て も ら っ て ら っ し ゃ い !」
と言ってしまったのも無理はないだろう。
100均があった茉莉花時代と違って、この世界では瓶にしろ、石鹸にしろ、たわし一つとっても、雑貨品がいちいち高いのだ。基本手作りなので無理はないのだが、それにしても簡単に手放してあきらめがつく金額ではない。
結局その日、もう一度二人で街に向かう事になった。
ギーズの飲み仲間たちも、翌朝になって酔いが冷めてみて、石鹸や瓶を握りしめていたので何事かと思ったらしい。
街に着くと、顔なじみの門番が笑いながら、預かっていた雑貨品を出して渡してくれた。
飲んだ仲間のうち、店中で盛り上がって飲んでいたため、たまたまその場に居合わせただけの見知らぬ相手に配った分までは回収できなかったが、それでも買った品の8割方は手元に戻って来たのだった。
短い夏も終わりが近づいてきた。
相変わらずトレーニングは続けている。
最近素振りや足さばきの練習をしている時に、ギーズの視線を感じることがある。
そう言えばこの世界での剣術はどんな感じなのだろう。
もしかしたら、自分がしている練習はすごく異質なのかもしれない。でもだからと言って今更違う剣術を始める事もできないとも思うのだ。
ある日、いつものごとくトレーニングに行こうとすると、呼び止められたので、何かと振り向くと。
「剣もだが、狩人になるならこっちも練習しろ」
と渡されたのは、茉莉花の身体のサイズに合わせた小振りの弓と、矢の詰まった矢筒だった。
「……!いいの!?」
てっきりまだ、茉莉花が狩人を目指すことに反対なのかと思ったのだ。
「良いも何も、やりたいんだろ?」
「やりたい…!やりたいです!」
即答すると、
「使ったことは?」
茉莉花に弓を渡しながら訊いてくる。
「無いです」
「そうか、じゃあ外に出ろ。基本を教えてやる」
「はいっ!」
それから、毎日の素振りの後に弓の練習も加わることになった。
ギーズは森や草原のあちこちに、動物の習性に合わせて罠を仕掛けている。基本的にそれを毎日見回っているが、それ以外にも森などを回る際にワトソンと獲物を探して、捕獲したりもする。
たまに獲物の運搬に手こずったり、村に寄ったりで遅くなる時もあるが、基本は昼過ぎ、遅くとも夕方前には帰ってくる。
帰ってくると肉の加工だ。
血抜きをしていない物は血抜きをして、皮を剥いだり、鳥なら羽をむしって、痛みやすい臓物を取り出したり、部位ごとに切り出してよく洗い保存する。
数日に一度、干し肉や腸詰づくりもする。
加工作業は茉莉花も手伝っている。
最初、罠にかかった兎を殴るのさえ手が震えたことを思えば、人間の慣れはすごくもあり恐ろしくもある。
食事の支度は基本交代だ。
朝は前日の残りや、パンとミルクなどで終わりにしてしまう事が多い。
昼は、パンにハムかチーズを挟んだサンドイッチと、ドライフルーツなどだ。ギーズは布に包んで弁当として持っていく。
夜は日によってまちまちだ。
大物の獲物が獲れた日などは、豪勢に焙り肉に噛り付くこともある。時間がない時はチーズとパンとハムくらいで済ますこともあるし、余裕があると、腸詰や肉、薬草や野菜で煮込み料理を作ったりもする。
以前はそういった『料理』は、専らギーズの領分だったが、最近は茉莉花も手を出すようになった。
と言っても、茉莉花時代ろくに手伝いもしてこなかったので、大したことはできないのだが。
ただギーズの料理を食べながら、いつも気になっていたことがあるのだ。
それは灰汁取りだ。
野生の肉はどうしても臭みがある。それをごまかすための香辛料であり、薬草なのだが、手間暇かけて灰汁取りをすれば、もっとマイルドな物が出来上がるのではと思ったのだ。
ということで、今日は兎肉の煮込みを作っている。
包丁は無いので、ナイフで肉を切る。塩コショウと、臭みを抜く薬草に漬けておいて、その間に野菜を切る。野菜は畑で摂れたジャガイモとカブ、ドノバンの店で手に入れた人参、インゲンだ。
肉は灰汁を取りつつ根気よく煮込む。時間にして1時間以上は弱火で煮込んだと思う。野菜を入れて、更に煮込んで、また灰汁を取る。塩コショウで味付けしたものにミルクを足す。沸騰しない程度に温めたものを器によそったあと、最後にバターの欠片を落す。
鍋から漂よう匂いに鼻をひくひくさせていたギーズだったが、供されたスープを一口食べた瞬間、緑色の眼がらんらんと煌めいたのを茉莉花は見逃さなかった。
「美味い…!」
そうでしょう、そうでしょう。
ガツガツとたいらげて、あっという間に空っぽになってしまった皿におかわりをよそうと、
「お前、すごいなー。肉の味が全然違うぞ」
と感心しきりのギーズだったが、何度もの灰汁取りの話をすると、
「あー…、まあ、たまに食うからありがたみがあるな」
などと言い出した。
自分で灰汁取りをするのは面倒らしい。
夕食の後片付けの後、つくろい物などの手仕事をすることもあるが、たいていの場合茉莉花はすぐ就寝だ。子供は早く寝るべきというギーズの方針もあるが、何より本人も朝が早い事もあり、夜更かしが苦手なのだ。
対してギーズの方は、いろいろと手仕事をしているようだ。一番は罠や弓など、狩猟道具の手入れだ。茉莉花の弓矢も、この時間に古くなったものを改良してくれたようだ。他にもちょっとした木工仕事などもしているようだ。
ある日、ギーズに「手伝え」と言われて、欅の木の切りだしを手伝わされた。その時に、小屋の中の家具のほとんどが、彼の手作りなのだと知った。
最初は薪にでもするのかと思ったが、それにしては、両の手で抱え込めないくらいの太さの有る欅だ。滅多に木の切り出しなどしないので、何が作るのかと訊いたら、
「お前のベッドだよ、そろそろ本格的に必要だろ」
と言われた。
その時の、胸が震えるような感動を、言い表すのはちょっと難しい。
ベッドが出来上がったのはそれから数日後だった。
無垢材を切り出して作った、飾り気のない、簡素な寝台。
小さい身体に合わせてか、大きさはギーズのものよりも一回り小さい。けれど、だからこそ、この寝台は茉莉花のためだけのものだと、この場所が、茉莉花の生きる場所なのだと、何よりも雄弁に物語っているように思えて。
感謝の気持ちを、一体どう表せばいいのか分からなくて。
せめてもと、「ありがとうございます」と深々と頭を下げたら、少しキョトンとした顔をされた。
多分お辞儀という習慣が無いのだろう。
涙が滲みそうで、思わず俯いてあげられなくなってしまった頭を、くしゃくしゃと撫でられる。
「布団はねーからな、自分で縫えよ」
と言われて、無言のまま頷いた。
―――声を出すと、泣いてしまいそうだったからだ。