【第4回】アイディアの女神
『チャンスの女神は前髪しかない』
と言われるがアイディアの女神も前髪しかない。
『きたっ』と思った瞬間につかまないと取り逃してしまう。
この間スマホに不可解な文章が残っていた。
「花を刺す」
「完全になろうとした犯罪」
「堕天使」
と書いてあった。私のスマホである。間違いなく私が打っている。間違いなく小説のアイディア。
なんですか?これ?
10秒くらい眺めた。壺を眺めたら蜂蜜が一滴もなかった『くまのプーさん』みたいな顔をしていたに違いない。
内容から言って天使が『完全になろう』となんらかの犯罪をおかし堕天使になった話であろう。『かぐや姫』っぽい匂いがするが匂いがするだけだ。
私はアイディアの女神の前髪をつかみそこねたのである。
かと言って長すぎるメモもだめだ。
『オレの隣に中原さん』を書いていたときのことだ。
2人の『その後』がバーーーッと降ってきた。
『きたっ!』と思って日記兼予定帳にしてる『ほぼ日手帳』に書きつけ始めた。
書いても書いても終わらない。
私の場合『セリフ』がひたすら降ってくる。あとは2ページ程度の漫画の状態で降ってくる。それをひたすら書くのだが途中で『このままではまずい』と思い始めた。
思考に手の動きが追いついていかないのだ。
書くスピードより遥か先にセリフが流れていくし、これを全て書いていたら『小説』になってしまう。
『小説』というのは5分10分で書けるものではないので、要所要所のみを記しあとはゆっくり考えながら書くしかない。
どのセリフを書いてどのセリフを無視するかという取捨選択に迫られたのである。
『重要』なセリフだけ書いてあとは内容を『あらすじ』で書いていく。気付いたらシリーズ最終章までのだいたいの概要が出来上がっていた。
ややこしいことにこの『アイディアフィーバー』がやってくると、他の話も降ってくる。
この時は『中原さんシリーズ』と『月の人魚姫』という両方のアイディアが降ってきた。手帳に2つを並列で書かなければいけなくなった。
おおよその見通しを立てて3ページくらい後ろに『月の人魚姫』を書きつけるが、書きつけているうちに別の『中原さん』が降ってくるので
バーーーッと手帳のページを戻して書きつける。
『中原さんを』書いてると『月の人魚姫』が降ってくるのでまたバーーーッとページを先送りして『月の人魚姫』を書く。
早く!早く早く早く早く早く!!!!
早く書いて!女神が来てるうちに書いて!!忘れるよっっ。
忘れてしまえば戻ってこないのだ。
面倒なことにさらに『その子ハタチ』という話のアイディアが降ってきた。
2つで!手一杯なのに!!
気がつくと手帳は書いている当日より何週間も先までアイディアで埋まっていた。
旦那に怒られる。
「子どもが!寝ようとしてるのに何やってんの!!!」
ハッと布団部屋を見るとうちの『小さいのが』パジャマで「ママー」と言いながら立っていた。
ヤバイ。毎度のことだが全てが上の空になってしまうのだ。
子どもを寝かしつけて自分も眠った。
一度アイディアが降ってくるとこれが何日も続く。朝目が覚めてから眠るまでの十何時間セリフが降り続けるのである。
ぼんやりとソファーに座り、歯磨きする度歯ブラシを噛み締めてしまうので10本以上ダメにした。
歯医者の予約を忘れ、2回目は時間を1時間間違えた。さすがに注意される。
『小さいの』の重要な支度を間違え学校から慌てた調子の電話がくる。
文字が全て上滑りになって読めなくなる(なぜかスマホの文字は読める)図書館から借りた本を1行も読めずにそのまま返した。頭の中にセリフが降り続ける。
私は物語に取り憑かれてしまうタイプなのだ。
子どもが生まれてから10年以上小説が書けなかったが致し方ない。赤ん坊や幼児は上の空で育てると死ぬ。
今回はコメディだったので何日も笑い続けてしまった。ハムカツを買ってても、商店街で自転車を走らせてても無限に笑ってしまう。社会的にヤバイ人だが止まない雨のようにセリフが降ってきて御し難い。
漫画なの?なんなのこの人漫画なの?
だって!!
と思うと笑いがこみ上げて大変だった。
そしてハッと我に返ると真っ黒に書きつけられた手帳と自分が取り残されていた。
……アイディアねぇ。いいじゃないですか。よかったですね。で?これ構成考えて文章にするの誰がやるんですかねぇ?
私だぁ〜〜〜〜〜〜!!!!
シリーズ累計8万4781文字もありやがった。ふざけんじゃねぇよ。書くのが大変なんだよ書くのが!!
『中原さんと花沢くんシリーズ』を最後の1行書き終わったときは感無量だった。もう1行たりとも書きたくない。自分で言うのもなんだけどよくやった。
ノルマは!果たしましたからね!!女神様!!!
横を見ると手帳。開けると『月の人魚姫』と『1分だけが叶わない』と『その子ハタチ』のアイディアが書きつけてあるではないか。
手帳では間に合わなくてノートも買ってる。さらにスマホの『メモ帳』にもセリフが打ってある。
『これ全部ノルマか〜〜〜っ』と思うとこうやって日記に逃げてしまうのです。
日記は小説の30分の1くらいの労力しかいらない。
まるで期末試験前に部屋を片付け始める中学生のようだ。
それでも『アイディアの女神』がやってこない苦しみに比べれば楽だ。
能動的苦しみ、とでも言おうか。
アイディアの降ってこない物書きほど悲しいものはない。
そして私は今日も皿を洗いながら散歩しながら歯磨きしながら『物語』を読み続ける。
アイディアの女神様に一生好かれる人生でありたい。
【次回】3度の飯より好きなアレ
【2020年9月28日初稿】