⑨第一部 第三章 第六天魔王 一節 叡山焼き打ち
佐脇良之の鎧は血飛沫に染まっている。
手に持つ剣の刃こぼれも甚だしい。
愛馬「颯」の脚がピタリと止まる。
良之の目には周りの景色がスローモーションで映っていた。
…時は元亀二年九月十二日(1571年9月30日)。
所は比叡山延暦寺。
佐助が前田利家より「千子村正」を拝領した日から、時代を二十六年前に遡る。
この後に起こる「本能寺の変」の十一年前の事である。
衣に火が移り、逃げ惑いながら火達磨となりこけまろぶ僧侶。
家から焼き出されるや否や、矢に串差しにされる乳飲み子を抱いた女。
阿鼻叫喚。
地獄絵の中に朱に染まった颯の雄壮な胴体が静まり返っている。
「殿!どうしたのじゃ!」
孫十郎は流れ矢を払いながら、二度三度と良之の周りを巡る。
颯はピクリともしない。
「ええい! 御免!」
孫十郎は槍の柄で良之の背をしばき上げた。
「うむ。孫十郎…」
良之はようやく我に帰った。
「殿っ!ここは戦場ぞ。何を呆けておる!」
「・・・・・・・」
良之は颯を返しながら口を開く。
それは孫十郎が予想もしない言葉だった。
「引き返す。これは戦さに非ず。
虐殺じゃ。
武士の道に非ず!」
…その六年前の五月の事。
十三代将軍、足利義輝が三好三人衆に殺された。
京は三好三人衆の手に落ちた。
義輝の弟に当たる足利義昭は信長に助けを求めた。
求めに応じて京を奪還した信長は、義昭を十五代将軍とし室町幕府の再興を成した。
「天下静謐」
「天下布武」
信長が掲げた二つの旗頭は、
「将軍が平穏に京に住むことができる時代」
「将軍を中心とした戦争の無い平和な世の再興」
を意味している。
義昭は信長を父と呼んだ。
信長は義昭の忠実な臣下として身を粉にして働いた。
信長には己れが天下を取るという野望は微塵もなかった。
四国に逃げた三好三人衆が京に上り、義昭を襲った事件がある。
信長は岐阜から三十里を一昼夜で駆けつけて義昭を守った。
二人の信頼関係は厚く、天下は順調に治るかに見えた。
…ところが前年の四月。(1570年)
若狭の武藤氏と義昭との間で諍いが起こり、信長に討伐命令が下った。
諍いを起こした武藤氏を庇護していたのは越前の名門、朝倉義景だった。
この事件をきっかけに「天下静謐」の歯車が狂い始める。
北近江(琵琶湖の東北側)の浅井長政にも裏切られた。
浅井長政は信長の妹お市の嫁ぎ先だ。
朝倉、浅井連合軍の一部が比叡山を味方にし延暦寺に立て籠った。
三好、浅井、朝倉、比叡山、さらに本願寺が敵にまわった。
信長の生涯で最強の敵は本願寺顕如の一向一揆である。
東に上杉、武田、北条。西に毛利。
本願寺顕如を中心とする「信長包囲網」が完成したかに見えた。
やがて信長は将軍義昭にも裏切られる・・・。
信長の命運は首の皮一枚で繋がっていた。
延暦寺と一年に亘って辛抱強く交渉を続けていた信長が突如吠えた。
それは悪魔に魅入られたかのようだった。
「叡山の坊主供は坊主に非ず。
利権を貪り、女を囲い、仏の道を穢すばかりじゃ!」
三万の織田軍は三千人の僧や女子供まで皆殺しにした。
その昔、天台宗の開祖・伝教大師最澄は京の都から見て鬼門(北東)に位置する比叡山に入り、小さな草案を結んだ。
国を護り担う若き人材育成のためだ。
「一隅を照らす、これ則ち国宝なり」
これは最澄の言葉である。
比叡山延暦寺は国の柱となった要人は言うに及ばず、法然・親鸞・一編・栄西・道元・日蓮を始めとする日本仏教の祖師を輩出した。
以来、八百年の歴史を誇り、日本の精神文化の象徴であった延暦寺が紅蓮の炎に包まれた。
根本中堂、山王二十一社をはじめ六百の堂塔全てが火の海と化した。
経巻・仏像・寺宝・古文書に留まらず、当時の日本の国の知的財産の大半ともいわれた文化が灰になった。
明智光秀はこの焼き討ちの功により、比叡山の麓・琵琶湖の要衝の地である坂本城主となる。
信長家臣で最初の「一国一城の主」の誕生だった。
…叡山焼き打ちから四カ月経った元亀三年正月。
故郷である尾張の荒子城で新年の祝い酒を酌み交わす兄弟の姿があった。
兄の利家は所領二千四百五十貫の荒子城主。
弟の佐脇良之は前田利家の実弟である。
織田家の重臣、佐脇藤右衛門の後継ぎとなり、信長の側近・精鋭部隊の良将として常に最前線を駆け巡っていた。
叡山の一件で信長の勘気を被り、徳川家康の元に身を寄せている。
利家が武田信玄の動勢を懸念して、
「孫十郎の話では武田は北条との和睦を進めておる。
いよいよ上洛するようじゃ」
板倉孫十郎は甲賀忍者の上忍である。
佐脇良之の側近を務めているが、配下には数百人の忍びを抱えている。
利家は孫十郎の意見と情報を尊重していた。
一本気ゆえに、ともすれば周りの景色を見失いがちな己の欠点を自覚している。
それを埋めているのは孫十郎の力だった。
良之は兄の利家に輪をかけて駆け引きの苦手な男だ。
利家は自分の事よりも、良之を守るために孫十郎を側近につけていた。
孫十郎はこの兄弟に「忍びの習わし」を破って仕えた。
もともと忍びの者は主君を持たなかった。
自分達の技を売り、ひとつの仕事が終われば報酬を受け取り、次の仕事を請ける。
忍びはそれぞれの集団が団結している。
他者からの支配は受けない。
自由であり独立している集団だった。
それが「忍びの衆の誇り」でもある。
そのような集団を「一揆」と呼んだ。
一揆という言葉は、本来は心を同じくする者の集団という意味である。
だが、覇者が力を強めるほどそのような集団への弾圧が強くなっていく。
「一向一揆」に代表されるように権力者への反抗集団という意味合いが強くなっていく。
伊賀にも「忍びの習わし」を破って、十二代将軍足利義晴に仕えた忍びが現れた。
服部半蔵保長である。
服部家はその後徳川家康に仕えた。
兄の利家が呟いた。
「孫十郎の話のとうり武田は強いぞ……」
弟の良之の方は俗世を傍観しているような物言いだ。
「お屋形様は負け戦さはしませんぞ。
さてどうなさるかな?」
「武田が上洛となるとまず矢面に立つのは三河殿じゃ」
「徳川の殿は逃げ場がございますまい。
となれば、堅固な浜松城での籠城策が賢明でござるが……」
「とは言え、三河殿とても目の前を素通りさせはすまい」
「義理堅いお方ですから撃って出るかもしれませぬな」
利家は弟の腹が読めた。
「その時は誰かが犠牲を覚悟で先陣を切らねばならぬということか?」
「徳川家に身を寄せる織田のものが、ぬくぬく新築の城で籠城という訳にも参りますまい」
「はやまってはならぬぞ!
わしとて『 笄斬り』をやった折は勘当を受けた。
だが、今はこのとおりじゃ。
あの時は若気の至りじゃった」
利家がまだ『傾き者の犬千代』と呼ばれていた頃の事。
大切にしていた「笄」を拾阿弥という茶坊主に盗まれた。
その上に陰湿に侮辱されたことがある。
利家は怒りを抑えきれず、信長の目の前で拾阿弥を斬り殺した。
その笄は妻のまつからもらったもので、まつの父の形見だった。
笄とは短刀の鞘に差して髪の乱れを整える「髪かき」である。
「叡山の件はわしと孫十郎とでしっかり取り繕うてある。
僧兵に背後を突かれた。
おぬしのあの行動が無ければ多大な犠牲が出たであろうとな」
あの日、比叡山の麓にある日吉大社で僧兵達の集団が大騒ぎを起こした。
良之隊が山から降りた場所で、孫十郎が配下の甲賀衆に命じて起こした騒ぎだった。
鎮圧したのも良之隊の格好をした甲賀衆だった。
「孫十郎の働きにはいつもながら驚かされますな」
「ゆえに安心するがいい」
「しかし、お屋形様はそう容易くは参りませんぞ。
緻密な上に勘が良いですからな。
兄上の方が良くご存知のはず」
「時が解決する。
まして、おぬしは特別じゃ。
お屋形様は冷徹に見えるところはある。
実際は生真面目で、細やかな心配りをされるお方じゃ」
良之は渋い表情だ。
「お屋形様は変わりましたぞ」
「おぬしの気性を特にお気に入りである事には変わりはない」
「ふむ」
「桶狭間で抜け駆け同様に出陣されたお屋形様に、一番について行ったのはおぬしではないか」
「そうですかな?」
「未だに織田家中では槍ではわし。
刀ではおぬしじゃ!」
「はいはい。私とてもう三十五。
いつまでも童扱いも困ったものですな」
「いや、おぬしはいつまでもわしから見れば子供じゃ。
わしの口から言うのも何じゃが、もう少し清濁を併せ飲んでもらいたいの」
「我等は目糞鼻糞でございませぬかな?」
「身も蓋もないな…。
その事より信玄公はいずれにせよ手強いぞ」
「一度で勝てぬとしても何か手を打っておかねばなりますまい」
「何もかもお屋形様任せという家臣団もこまりものよ」
「叡山の件を考えますとな」
「正義感が強いお屋形様とはいえ、あれは酷過ぎた…」
「信玄公は信玄公で手を打たねばなりませぬ」
「お屋形様が一向門徒や仏教衆の勢力を抑えるために、切支丹を厚遇されるのも気になる」
「確かにイスパニア人達は我等の思いもよらぬ知識を持ってはきますが…」
「物事には裏があるゆえに叡山の件と関わりがあれば、これからは気が許せぬ」
「イスパニアの黒い陰に操られ、無辜の者達の血に塗られた『天下布武』をこの国の神仏がお許しになりますかな?」
「うむ……」
良之の目が庭にいく。
「さてさて固い話はこの辺で。
折角のまつ殿と琴との心尽くし…」
「そうじゃ、そうじゃ。
琴もまつも一緒に楽しもうぞ!」
「庭をご覧なされ。
お屋形様と前田家の花が紅白で開いておりますぞ!」
「チッ、チッ、チ、チ」
「まあ!かわいい」
まつが目を細めている。
目白が来て枝から枝へと遊んでいる。
誰も気づかないが目白は「三本足」だった。
利家兄弟とその妻達は正月の祝いの膳を囲み束の間の団欒に花を咲かせた。
…早咲きの紅い木瓜と白梅が一輪づつ暖かい微笑みを投げかけている。
三十里(120km)