㊽-①第三部 第四章 無有の国へ 四節 焼野の雉子(きぎす) 一
一 四万人の生命
四色の光が集まり一つになる。
白い稲妻が四天王寺に落ちた。
細長い台地の臍に生命が吹まれた。
上町台地は龍体が白く光輝き、身震いをするかのように揺れた。
龍の頭と尾の位置にある大坂城と住吉大社は最も大きく揺れた。
四天王寺は飛鳥寺と並ぶ日本最古の仏教寺院である。
聖徳太子の建立と言われ法隆寺とともに秘められた謎が多い。
住吉大社の建立はさらに五百年を遡り秘密に包まれている。
中天には発動する四つの珠が輪を描いて舞っている。
その宝珠を中心にして、佐助と才蔵が東西に浮かび印を結ぶ
今度は宝珠から金鷲と銀狼に金と銀の光が流れた。
宝珠の力が珝と太郎に注入されたようだ。
銀狼は大坂城とその周辺を駆け巡る。
金鷲は上町台地を広範囲に飛び回り始めた。
白虎と朱雀の再来のようだ。
咆哮と羽撃で波動を起こしている。
東西両軍に巣食う魔界の徹底的な掃討戦に出たのだ。
佐助と才蔵がようやく核心を掴んだようだ。
…大地が白い光に満たされる四半刻前の事。
「せめて切腹をせねば皆に申し訳がたたぬ」
秀頼は切腹をするつもりで天守の七階まで来ていた。
大助は左脚を引き摺りながら秀頼に付き従った。
粘り強く説得した。
大野治長も懇願してくれたおかげで秀頼は何とか思い留まった。
大坂城のあちらこちらからすでに火の手が上がっている。
何者かが付け火をしたらしい。
やがて天守閣にも火が移る。
一気に燃え上がり、凄まじい猛火となった。
その日、五月七日は京の都からも夜中を過ぎて尚、炎で明るい空が南西の方角に見えたいう。
…大助はその朝の事を思い出した。
望月六郎に呼び止められ、耳打ちされたのだった。
信繁の命令を受けて茶臼山の丸馬出しを出ようとした時の事だ。
「人の上に立つ者には最悪の想定も必要にござるぞ。
負け戦になり城が焼き討ちに合うかも知れぬ。
その時は山里曲輪の糒蔵に隠れると良い。
若の力で救えるだけの者を救ってくれ」
大助は秀頼と共に山里曲輪にある糒蔵へ急いだ。
秀頼に付き従う者は大野治長、淀に千姫等、僅か三十五人だった。
…山里曲輪は草深い自然を持ち込んだ趣きのある庭園だ。
城郭の最も北奥にある。
赤松の林が有り、川が有り、滝が有り、野うさぎや雉などの野鳥までいる。
広大な山林を思わせる。
林や川があるので火も防ぎやすい。
糒蔵は食糧を備蓄する土蔵であるため、火を掛けられても中は持ち堪えられる。
南に天守の高石垣があり、東は水堀に接している。
火から逃げるには打って付けだ。
山里曲輪を目指して脚を引き摺って歩いている時に、大助はようやく悟った。
左脚と右手を昨日の激戦で負傷しているので戦闘では役に立たない。
大助に出来る任務を信繁は授けて、秀頼の元に送り込んだのだと。
さらに秘められた信繁の深い思いがあった事を大助は未だ知らない。
…申の下刻。
蔵に引き籠った大野治長はいよいよ覚悟を決めた。
千姫との交換条件で秀頼母子の命乞いの交渉を始める。
最後の手段だ。
千姫は秀忠と於江の長女である。
わずか七歳で秀頼と結婚し、それから大坂城で十二年間を過ごしている。
秀忠は交換条件を呑んだ。
返書はすぐに届けられた。
「一、千姫と千姫輿入れの際に千姫に付き従って来た刑部卿局他五名の奥女中を返す事。
二、それ以外の交渉については大坂方からの使者として桐の局を秀忠のもとに寄越す事」
治長の顔にわずかに血の気が戻った。
その時だ。
糒蔵に激震が走った。
轟音と共に白い光に包まれた。
土蔵の壁もかなり落ちた。
桐の局以外の全員が気絶してしまった。
…酉の刻前。
糒蔵の周りは徳川の旗本隊で取り巻かれていた。
蔵の戸が開き、桐の局が姿を現す。
秀頼方の使者に指名された桐の局は五十六歳。
背筋伸び眼光強く、他を寄せ付けぬ毅然とした雰囲気を持っている。
思わず徳川の旗本衆もたじろぐ。
「輿は有りませぬのか?」
「はは、こちらに」
・・・・
…それから数刻の時が過ぎた。
夜が明けるのを今や遅しと、秀忠は一睡もせず待っている。
秀頼本陣となった岡山に千姫一行が運ばれて来た。
屋形の四方に簾をかけた四方輿が新たに六台調達されている。
桐の局の他はまだ意識は回復していない。
鶏が黎明を告げた時、千姫の瞼が開いた。
目を覚ました愛娘の手を握り、
「お千、よう戻った。美くしうなったの。
於江もさぞかし喜ぶであろう」
「父上。早速、秀頼君を!」
秀忠の顔が曇る。
「お千、済まぬ。
それはもうできぬのじゃ。
堪忍してくれ」
千姫は十九歳になっている。
秀頼との間に子こそ無かったが、十二年間の間にしっかりとした夫婦愛を築いていた。
ふさぎ込んでいる事の多い淀に気を使いながらも…。
「父上、それではあんまりにございます」
千姫の顔が蒼白になった。
「もはやできぬのじゃ、解ってくれ。お千」
千姫は秀忠に泣きながら縋りつく。
秀忠は答えようが無い。
今度は救いを求めるかの様に桐の局に視線をやる。
桐の局は千姫の目を見つめて、涙をはらはらと流しながら首を横に振る。
思い詰めた千姫は懐剣を取り出し両手で握り締め、首に当てた。
「それではここで・・・」
千姫が言い終わらぬうちに桐の局が千姫の懐剣を取り上げている。
五十六歳の女性とは思えぬ身のこなしだ。
千姫の耳元で何事か囁いた。
途端に千姫の身体が崩れ落ち桐の局に抱き留められた。
伊賀忍法「蜂」である。
首筋に針を打ち、針先の薬で眠らせる技だ。
「秀頼は自ら命を断ち、焼死した・・・」
という悲しい衝撃を一時的に和らげようとしたのである。
…桐の局は本能寺の変の後、千利休を介して桐という名で秀吉の奥女中として上がった。
その時二十四歳。
秀吉は桐という名が自らの家紋である五三の桐と同じゆえ特に気に入り寵愛した。
秀吉が亡くなってからは淀に仕えた。
乳母の大蔵卿の局と共に奥女中の最古参として、淀がもっとも頼りとした一人である。
だが桐の局は伊賀の「くノ一」だった。
三十二年に亘って大坂城の情報を徳川に流し続けた間諜の柱であった。
先代の服部半蔵正成の末の妹でお安といった。
信長の伊賀焼き討ちの直後。
瀕死の伊賀を立て直す為に兄と共に立ち上がり、只ひたすら忍びに徹した。
徳川の世の為に身を捧げ尽くしたのである。
「そなたの恩に報いるすべを思い付かぬ。
取り敢えず化粧料として伊賀に一千石を与える。
故郷で寛いだらどうじゃ」
「滅相もございませぬ。
将軍家よりそのお言葉を頂くだけで伊賀の誇りとなり嬉しうございます。
この度のお勤めは今日にて終わりとさせて頂きます。
しかし、甥の半蔵正就が昨日討ち死に致しましたので服部党の頭も育てねば為りませぬ。
忍びは死ぬ迄修行と兄より教えられております。
又、新たな使命を頂きお役に立ちたいと存じております」
「なんと有難い。
わしも至らぬ身ではあるが一命を捨て、天下泰平の為に尽くすぞ!」
秀忠はお安の手を取り両手で硬く握りしめた。
その手に秀忠の大粒の涙が落ちた。
・・・・・
…桐の局が山里曲輪から輿に乗って出たのは、酉の刻だった。
その時、火は既に天守閣の七階を焼き崩していた。
秀忠と綿密に打合せを済ませるとまた輿に乗り、急いで帰った。
再び、山里曲輪に着いた時には夜も更けていた。
秀頼、淀、大助達は全員が気を失ったままだった。
桐の局は旗本達に指示をして、千姫達六名だけを外に出した。
出し終わるのを待っていたかのように、蔵の内側から戸が閉められた。
桐の局は不審に思った。
何やら違和感を感じる。
(修理殿あたりが失神を装わせていたのかも知れぬが…?)
気にはなったが、
(秀忠様が首を長くして待っている。
一刻も急がざるを得ない)
そう思い直すと、千姫一行六名を手早く四方輿に乗せ終えた。
ところが、その直後に倉から煙が漏れ出した。
取り囲んでいた旗本衆が慌てて戸を開けようとした。
糒蔵は内から固く閉ざされていた。
入り口を叩き壊すと熱風が吹き出した。
油が撒かれたと見え、紅蓮の炎が渦巻いている。
二十九人の焼き焦げた遺体が確認された。
全員が自刃して果てていた。
…豊臣家は滅亡した。
同時に、関東勢十五万五千、大坂勢五万五千人で始まった大坂夏の陣も終わった。
応仁の乱から百五十年続いた戦乱の世にようやく終止符が打たれた。
わずか二日間の大坂方の戦死者だけでも一万八千人と言われている。
日本国内戦史上最大の激戦となってしまった。
武田信玄と上杉謙信の両雄が鎬を削った川中島の合戦は五回に亘った。
最大の激戦は永禄四年(1561年)の四度目の戦さである。
両軍合わせて八千百人の死者を出している。
大坂の陣の死者は四万人を越えた。
町人の死者も相当数に上る。
戦いの後に火災に紛れ、東軍の雑兵達が略奪暴行をした。
東軍の損傷も激しい。
雑兵の制御も出来なかった。
多勢に無勢の中、徳川本陣深く切り込んだ真田衆の勇猛果敢な奮闘は語り継がれた。
翌五月八日。
酉の下刻を過ぎた頃…。
初夏の長かった一日がやっと紫色に黄昏れていた。
佐助と才蔵は甲賀衆や伊賀衆とともに息のある者の救援に忙しかった。
崩れ落ちた大坂城の天守閣は燃え残りが煙を放っている。
上空からみると赤鬼の顔のように見えた。
昨日の朝は茶臼山には真田六文銭の幟と赤い旗が幾百か立っていた。
新緑の中、夏の朝風にはためき壮観だった。
最前線には三好兄弟の巨体が他を圧するかの如く一際目立っていた。
しかし、今は三つ葉葵の陣幕に変わり三好兄弟はもういない。
戦場には亡き骸が累々と横たわっている。
小太郎と風太郎は茶臼山の北に隣接している四天王寺に救護所を移転させた。
僧侶達の力も借り、不眠不休で治療をしている。
ヨモギは甲賀衆の中から医術や薬に詳しい者達を百名ほど集めた。
小太郎の指示を仰ぎながら指揮を取っている。
…明日には駿府から清庵の弟子達が到着する予定だ。
真宝丸はじめ沢山の妙薬を携えて…。
四半刻:30分、申の下刻:午後5時、酉の刻:午後6時、酉の下刻:午後7時




