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碧と白の珠玉   作者: 真緑 稔
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㊼-②第三部 第四章 無有(ムウ)の国へ 三節 大坂夏の陣 二

 二 和睦


「おい、清海。明日は大がま蛙になるなら手伝うてやるぞ」

「せっかくだが遠慮する」



 その宵も赤沢がふきの手料理と酒を持って来ていた。

 赤沢はすっかり十勇士に懐いて五日に一度は差し入れに来る。


 機嫌良く一杯やっている清海に、十蔵がしつこく焚き付けている。

 ほうろく火矢が期待以上の成果だったので、すこぶる機嫌が良い。


「冬の陣ではなかなかの活躍だったではないか。

 土蜘蛛ではなく、大蝦蟇になったおぬしの晴れ姿を見せてくれんかのう?」

「気が乗らん」


「遠慮とは清海らしく無い。

 鉄棒を振り回すより、おぬしの屁の方が威力は数百倍はあるぞ。

 おぬしの屁の臭さは天下一じゃ」

「辞退する」


「わしに再び『閃き』があってな。

 その屁に火を付けてみたいんじゃ。へっへっへ!」

「わしとて人の子。

 蝦蟇蛙の姿で死にとうは無いわ。

 せめて死に際は美しくありたいものよ」


 鎌之助も舌鼓を打ちながら酒を豪快に呑んでいる。

「美しく死ぬるじゃと。

 それはおぬしには似合わぬ。

 坊主が死んだら誰がわしを弔うのじゃ。

 第一、死ぬのも人を殺めるのもご法度である」


 望月六郎も加勢する。

「そうじゃ、折も良い。

『湧雲大蝦蟇の術』については、ここに赤沢殿という生き証人というか、被害者代表がおるではないか。

 清海らしゅうない。

 せっかくの一芸であるぞ」


 海野六郎も、

「清海は厚かましく、もう五十年間は生き残れ。

 おぬしが死んだら世の中が暗くなっていかん。

 わし達のいびる楽しみを奪ってはならんぞ」


 兄思いの伊佐も乗せようとする。

「そうじゃ。

 明るいのがわれ等真田十勇士の取り柄じゃ。

 わしはまだやってないので、兄者と揃い踏みでやってみたい。

 明るくいこう。明るく」


「なあ、頼む。

 大がま蛙をやってくれんか。

 この閃きは筧十蔵の火遁史上、未だかつてない壮大なのものになるだろう」

 甚八まで乗って来た。

「その壮大な火の始末にはこの根津甚八の壮大な水遁がある。安心せい」


「嫌じゃ。

 折角、ふき殿の手料理を食べておる時に屁の話など失礼ではないか」

「なあ、うんと言うてくれ、清海。

 あの臭い屁は国宝級じゃ。

 おぬししかできぬのだ」

 短気な十蔵が珍しくあきらめない。


「つまらん。

 そんな事より、この鮎の柿の葉寿司を食わんか。

 紀ノ川のさざ波の音が聞こえるようじゃ。

 柿若葉の瑞々しい緑に若鮎。

 そして、このほんのりとした酢の薫り。

 あゝ、紀ノ川の初夏(はつなつ)の薫りがわしを呼んでおる。

 小助の桃源郷に帰りたい」


 ねだる方とねだられる方がいつもと逆だ。


 望月六郎にも閃きがあった。

「うむ?嫌な予感がする」

 海野六郎も、

「おぬしもか? 何か変だ。

 清海の言う通りかもしれぬ?」


「確かに。この根津甚八とてもおかしいと思いだしたぞ。

 わし達は一人も殺める事なく、己れの命も繋いできた。

 奇跡的にじゃ。

 それは良い。

 だが、そもそも戦さを起こさぬようにするために大坂城に入ったはずじゃったぞ!」


 間髪を入れず十蔵が早口高音で、

「であろう。

 わしもおかしいと思っておった。

 そこで又『閃き』があったんじゃ。

 わし達は惚けておった、とな!

 この十蔵がいたずら半分に思いつく訳がないではないか。

 大放屁の大爆発で一発大逆転。

 二十万人の命を救うかもしれんのじゃ。

『戦さ惚け』になっておる頭の中を変えるのよ。

 惚けた頭が大衝撃で目を覚ますかもしれぬ」


 燻し銀の声には説得力がある。

「冬の陣では数千の死傷者を出してしもうた。

 三十万が激突したが、取り敢えず何とか和睦に漕ぎ着ける事が出来た。

 それゆえに良しとせねば、と思っておったが。

 十蔵、良く気付いてくれた」


 十蔵は閃きに興奮している。

「今日一日だけで死者の数は冬の陣を大きく上回ったであろう。

 血は血を呼ぶぞ、甚八!」

「それよ。このままいくと明日は収まらんかもしれぬ。

 殿は家康の首をあげると言っておるが、影武者だからといって殺しても良い訳ではない。

 影武者とて人としての人生がある」


 影武者の海野六郎が甚八に同調して、

「『大勢を生かすために小さな犠牲はやむを得ぬ』と言う考え方でわし達は戦さをして来た。

 猿飛が来るまでは。

 のう甚八?」

「『戦さの犠牲者を少なくするために家康の首を取る』というのも同じ考え方じゃ」


「その言い訳がいつの間にか頭を惚けさせて、大戦さや大量虐殺を引き起こして来たように思わぬか?」

「そうだ。

 われ等も魔界の力にいいように翻弄されておる。

 凄惨な殺し合いを引き起こすところだった。

 ところが、清海が『小助』と言うたので我に返った気がする」


「小助が教えてくれたかもしれしれんのう?」

「とは言え、家康か秀忠を拉致するのはこの状況では至難の技。

 首を取る方がまだ可能性がある。

 そこで殿の戦略のように『家康の首』となるのでは?」


 十蔵の目が輝いた。

「そこで首ではなく大放屁じゃ。

 太郎とて鼻を曲げたと言う、清海上人様の伝説の大放屁じゃ。

 その効果たるやほうろく火矢に仕込んだ熊の匂いどころではないぞ。

 全ての者があまりの臭さに戦闘意欲をなくすだろう。

 さらに、屁が充満しておるところへわしが火打ち石で火の粉を飛ばす。

 引火して大爆発が起こる。

 惚け頭も我に返るという筋書きなんじゃ!」


 清海が珍しく乗らない。

「死人が出たらどうする。

 わしの屁で大虐殺になるではないか。

 わしの屁を舐めるでないぞ」


 海野六郎が反省している。

「ふむ? 清海上人が乗らぬという事は、奇策よりも王道を選ぶべきかもしれぬ。

 つまり話し合いじゃな。

 それが平和の原理原則ではないかのう?」


 今夜は望月六郎の毒舌がない。

 これもおかしい。


「よし、わしが天海和尚を動かそう。

 和睦は強い方から持って行かねば成立せぬ」

「強い方は普通は和睦ではなく、勢いに乗って一気に敵を叩き潰してしまいたいもの。

 これもなかなかだぞ、望月殿」

「いや、狸殿。

 和睦の線はわしにまかしてくれ。

 毒舌が言いっぱなしでは申し訳が立たぬ。

 今こそ毒舌の責任を取るべき時じゃ。

 ここはわしがやらねばなるまい。

 甲賀の忍び衆と繋ぎを取ってみる」


「刻限は明朝辰の刻までくらいだろう。

 もう時が無いぞ?」

「やれるだけの事をやってみねばわかるまいが!」


 十蔵の目がまた輝いた。

 今宵は閃いている。


「そうじゃ。屁の代わりに投げ縄はどうかのう。

 三好兄弟に使った方法なら手慣れておるぞ!

 どうじゃ、甚八?」

「秀忠か家康の首に縄をかけて、こちらに引き摺り込むのじゃな?

 ならば刀を使わずに済むのう」


 十蔵は自信に満ちている。

「狙うなら秀忠より家康だな。

 徳川には影武者ゆえに討たれたところで、別の影武者を立てれば良いという心の緩みがある。

 防衛陣のどこかに隙が必ずあるはずじゃ!」


 投げ縄を首に掛けられた伊佐も賛成だ。

「名案じゃ、十蔵。

 明日は全員が投げ縄を用意するか?」

「確かに拉致するのは難しい。

 が、もしできれば一発逆転じゃ。

 影武者でも将軍でもどちらかで良い。

 自らの口から戦闘停止は言えまい。

 が、人質にしてしまえば和睦は成る。

 投げ縄を使えば勝算はあるぞ!」

 十蔵は気が入り聞き取り難いほどの早口だ。


 海野六郎はあいも変わらず、のろりと、

「人殺しはせん。

 戦さも止めさせると決めたんじゃ。

 ありとある手を打とうではないか。

 他の良い手立ても考えて見よう?」


 閃きの十蔵を中心に戦術が練られた。


 …いぬの刻。

 望月六郎はヨモギに繋ぎを取った。

「どうも嫌な予感がする。

 今日の道明寺の気配は異常じゃった。

 篠原一孝殿と天海殿に手を打ってくれるよう頼んでくれ。

 明朝辰の刻までに何が何でも和睦に持込むという離れ業をやる」


「へえ。天海様もあの手のこの手と打っておられますが、ことごとく豊臣方に覆されておりますぞ。

 しかし、望月様のご命令ならなんとしても・・・」

「そうじゃ。なんとしてもやるぞ!

 猿飛はわしらと違って何か掴んでおるのだろう?」


「この数日は夜も寝ず才蔵様と動いておいでのようです。

 惣領様のなさることですさけえ、わしには皆目見当がつきません」

「わかった。猿飛は猿飛じゃ。

 徳川と前田が動けばなるやもしれぬ。

 わしらはわしらでなんとかしようぞ!」


 上忍の頭の「人の役」を務めているヨモギに対して、望月六郎は今でも命令をしている。

 偉そうに出来ないのがヨモギの持ち味とはいうものの、ヨモギはいいようにこき使われている。


 六郎は天海にも毒舌を吐く。


 若い時から甲賀衆では別格の存在なのだ。

 名門信濃望月家に出現した百年に一人の天才と言われ、その器量は白雲斎も認めていた。

 組織に縛られるのを嫌い、自由気ままに暮らしている。


 どうやら、真田十勇士とは普通ではない者達の集団のようだ。

 宝珠が宝珠を呼び合うように引き寄せられたようにも見える。

 では何の為に…?と問いたくなるが未だその答えは本人達は知らない。



 …信繁は茶臼山に西軍の諸将を呼んで再度戦略の確認をしている。

 同じ失態を繰り返す愚将のたぐい)にはならないつもりだ。


 伊木七郎と大谷大学が二人で清海の鳥瞰図を広げて交互に説明する。

「茶臼山本陣は東から真田隊、伊木隊、大谷隊、渡辺隊、福島隊、浅野隊、そして西が毛利隊の布陣でござる」

「岡山本陣は西から新宮隊、岡部隊、御宿みしゅく隊、山川隊、北川隊そして東端が大野治房隊でござる」


「岡山本陣の後方に堀田隊、中島隊、速水隊、伊東隊等の七手組(しちてぐみ)

「後備えに長宗我部隊、仙石隊。

 長宗我部殿は御不満であろうが、貴殿の隊はかなりの損傷ゆえ、明日は全貌を見つつ後備えから押し出して下され。

 留めの一撃の時には存分になされませ」

「そして、船場(せんば)には遊軍として明石隊」


 毛利勝永が補足する。

「騎馬隊の奇襲攻撃は、東からは茶臼山本陣の東側の丸馬出しから真田隊。

 西からは岡山本陣の西側にある丸馬出しから大野隊でござったな」

 信繁と大野治房が答える。

「いかにも!」


 伊木が勝永に、

「そして肝腎要は亀のごとくでしたな」

「亀のごとくでござる。

 今日のような乱戦になると寡兵の吾等には勝ち目はない。

 まして後藤殿、薄田殿、木村殿を失ったのは痛い。

 野戦に見せかけてはいるが、冬の陣の真田丸でやった籠城戦を二つの本陣でやれば良いだけの事」


 大谷が伊木を助ける。

「地の利を活かして敵を慌てさせる。

 我らは両本陣から時が来るまで一歩も出ない。

 両本陣の間に誘い込んだ敵を見降ろして、一万丁の鉄砲と百五十の大筒を撃ちまくる。

 火器では我が方が上回っておりましょう。

 そこへ真田隊と大野治房隊が奇襲攻撃を何度もかけ、さらに混乱させる」


 勝永がわざわざ問う。

「敵は大軍、そう易々と大将の首は取れませんぞ」

 伊木が答える

「ごもっとも。そこで本幕が上がります。

 主役の登場となる。

 秀頼軍三千のご出馬でござる。

 敵の混乱を見定め大野治長殿が先導する。

 機を合わせて全軍が家康本陣を目指す」


 大谷が明石に念を押す。

「この時に船場に待機している明石全登隊は迂回して背後から一撃を食らわす。

 明石隊は家康の首だけを狙って下され」



 …徳川方もその日の戦いでかなりの痛手を受けていた。


 伊達隊は後藤隊と真田隊にやられている。

 明日は馬は使えそうにない。

 騎馬隊はほぼ壊滅の状態だ。

 藤堂隊、井伊隊も木村隊と長宗我部隊に先鋒が務められない程叩かれていた。

 いずれも秀忠が主戦力として読んでいた兵力だ。


 六日深夜。

 柳生宗矩、本多正信、天海、それに秀忠が、岡山本陣で密議をしている。


 宗矩はあくまで慎重である。

「明日の戦いは周到に手を打って来た最後の詰めの一手でござる。

 我が方は数にも勝りやる気もある。

 だが初陣が多く戦さを知らぬ者が多い。

 大坂方は遅蒔きながら左衛門佐が実権を握っておる。

 西軍の牢人達は失うものがない。

 決死の覚悟で我が方の弱点を付いてこよう」


 そこへ西軍の戦略が服部半蔵によりもたらされた。

 西軍の手の内がつまびらかとなった。


 秀忠の顔が曇る。

「うーむ。見事な戦略じゃ。

 知らねば冬の陣での真田丸の二の舞になるところじゃった。

 秀頼公の出馬があれば一気に西軍の士気が上がる。

 西軍の者はこの度こそは死ぬつもりでおる。

 孫子の『とりくるしめば車をくつがえす』の戒めになりかねぬ。

 但馬守、何か手を打たねばなるまい」


「力のある伊達、井伊、藤堂の三隊に先鋒を任せるつもりでござったが…。

 茶臼山には本多忠朝ほんだただともを充てよう。

 実績もあり決死の覚悟もしておる。

 その後ろに松平忠直まつだいらただなお一万五千を置く。

 ちと狂疾の気があるが忠朝には遅れをとりたくないはず。

 岡山口は前田勢一万五千を充てましょう」


「左衛門佐には上田で煮え湯を飲まされておる。

 わしはどうも左衛門佐とは相性が悪い。

 嫌な予感がしてしようがないのだが、爺」

「相性が悪いのではなく左衛門佐が強いのでござる。

 事実を受け入れませんと的確な手は打てませんぞ」


「わかった。それで良い知恵はないか?」

「良い知恵はござらぬが悪知恵ならござる」


「憎まれっ子世に(はば)る」の言葉どおり、本多正信は七十八歳だが矍鑠(かくしゃく)としている。

 清海上人によれば一番に往生出来る資格を持っているのに、未だ現世にいる。


「早速、倅に言って大御所の名で誓紙を書き、和議の使者を出させましょう。

 常高院様が適役でござるな。

 淀殿も常高院様の言葉なら信じましょう」

「お人良しの伯母を騙してまた使う気か」


 秀忠は渋い顔だ。


「これは、これは。

 殿はいったい幾つになられた。

 上田で本当に煮え湯を飲んだのでござるかな。

 左衛門佐には戦さでは勝てぬとご自分で言われたはず。

 これは戦術でござる。

 肝心要の正念場でござるぞ!」


「いかにも」

「戦って勝てぬなら、戦わずして勝つ」


「ふむ」

「さらに、真田信繁、毛利勝永、長宗我部盛親の裏切りの遣り取りを書いた書簡も作成致そう。

 この様な事もあろうかと、三人の直筆に花押のある手紙も以前より入手してござる。

 これに大御所からの返書も流し申そう。

『秀頼君を御出馬になる様に城外へ誘い出し、見事その首を討ちたる時は二十万石を与える』という内容が良かろう」


 正信は半蔵を呼び、家康本陣にいる正純のもとに走らせた。


「和尚、これで良いか」

 秀忠が天海に確認を取る。

「良いも悪いもござらぬ。御大樹が決断されれば良い」

「そうか」


「それにしても佐渡守(さどのかみ)殿。

 たいした者じゃのう、おぬし等親子は。

 もはや悪知恵の領域を越えておる」

「有り難いお言葉でござる」


「だがな、御大樹。

 一時は良くとも騙す者はやがて騙され、殺す者はやがて殺される。

 長い目で見れば天は悪事を決して許さぬ。

 これが世の習いじゃ。

 それだけは覚悟しておかねばなりますまい」

「ふむ」



 …「騙すのではなく、本気で、いち早く和睦に持ち込まれるが良い。

 無益な殺生はせぬが一番。

 それが佐渡守殿の真意である」

辰の刻:午前8時、戌の刻:午後8時


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