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碧と白の珠玉   作者: 真緑 稔
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㊻-②第三部 第四章 無有(ムウ)の国へ 二節 神獣秘伝 二

  二 傾城(けいせい)


 三竦(さんすく)みという言葉が近いのかもしれない。

 一つは徳川、一つは豊臣、一つは魔界だ…。



 秀忠は危険を顧みず前線へ何度も脚を運び、各隊を励まし、自分の足と目で状況を確認しつつ戦っている。  

 頭には「無能」という冠を乗せているが…。


 秀頼はこの日に至るまで、まだ一歩も大坂城から外に脚を踏み出さない。

 過去の栄光と保身にすがる者は、時代が大きく変わる時は生き残れない。

 秀頼母子は歴史にその教訓を明確に刻み込むかもしれない。

 頭に乗せている「過保護」という冠は、こちらも演技であるかもしれないが…。


 魔界の正体については未だに掴み切れない。

 もっとも、掴んで入れば戦争など起こさずに済むはずだが…。



 秀頼は食べ物の中に盛られていた幻薬が断たれてから話の理解度が良くなってはいる。


 …淀は佐助の従兄妹いとこのせいか、最初から佐助には好意を持っている。

 血の繋がりが濃く、伯父を彷彿とさせる精錬な性格に惹かれるのか?


 信長の血を引いているので芯は強い。

 だが、世間で言われるような傲慢な人ではなかった。

 忍耐強く、どちらかといえば内気な女性である。


 淀にとっては妹二人と我が子を守るだけでも身の丈に合わない重荷だった。

 戦火の中をなんとか生き抜いては来たが、環境があまりに激しく変わり過ぎた。

「鬱」の病にかかっている。


 信繁はそんな淀を憐れんでいる節がある…。


 淀の「鬱」を晴らす鍵こそが、魔界からの呪縛を解く鍵だと佐助と才蔵は睨んでいる。

 才蔵は女中や鼠になり大坂城内の状況を隈なく把握した。

 佐助は誰にも知られないように出没しては、秀頼母子の心の鎖を外しにかかっている。

 最後の二つ、そして、もう一つの鎖というところまでは来ているのだが…。


 天海や篠原一孝、ヨモギとも連携しながら事を進めてはいるが、そう簡単ではない。

 三人とも俗世の組織の中の一員である以上、組織という鎖に縛られる。

 佐助と才蔵は俗世とは無縁だが、俗世に直接手出しが出来ないのでもどかしい…。



 十二月十一日。(1615年1月10日)

 真田隠岐守信尹(さなだおきのかみのぶただ)が徳川からの使者として真田丸を訪れた。


 信尹は昌幸の弟で家康に使え、旗本として四千石を領している。

 幼名が同じ「源次郎」という事もあり、互いに親近感が強い。


「大御所が信濃一国で迎えたいと仰せじゃ。

 もうこの辺で良いではないか」

「真田の家はすでに兄が家督を継ぎ、徳川にお仕えして居ります。

 信濃一国といえば兄上の上田領も含みますし、他家の方々にも迷惑がかかる」


「それはそれで大御所もお考えじゃ。

 おぬしのせいで源三郎も苦しい立場にあるぞ」

「それはそうでござろう。

 しかし、ああ見えても兄上はなかなかの曲者でござる。

 この度とて中風を理由に本人は出陣せず、息子の信吉のぶよし信政のぶまさの二人を送り出しております。

 それも兵はたったの七百。

 本来兄上の石高でいえば千五百は出さねばならぬはず」


「だから兄の立場もあると申すのじゃ」

「いやいや、もし家康殿に疑われておらぬ証拠でござる。

 でなければ上杉殿や伊達殿の様に、兄上自身が大勢を引き連れて『いの一番』に参陣するはず。

 そうですな、二千五百か三千というところでしょう」


「よく読んでおるな」

「もし、ご自身が参陣すれば徳川はもう一つ難題を抱えますしな。

 私と内通し裏切るかもしれぬという懸念でござる」


「それはある。

 もともと仲の良い兄弟だからな」

「もし兄が寝返れば上杉も毛利も次々と…」


「真田は小大名とはいえ、源三郎を信頼している大名は多い」

「上杉、毛利の一万五千が反旗を翻し牙を剥く可能性が出て参りますな」


「源三郎もさることながら、特に上杉はおぬしに好意を持っておるからな」

「そうなれば、家康殿は関ヶ原でご自分が吐いた唾をご自分の顔に受ける事になる。

 薄氷を踏む思いでござろうな。

 ゆえに兄上は江戸に留まらせた。

 実質は人質でござるがな。

 拠出する兵も寡兵の方が良い、という策に落ち着いたのでござりましょう」


「弟じゃのう。

 わし等兄弟と良く似ておるわ。

 源三郎は九度山への仕送りとて苦労をしておったぞ。

 浅間山の噴火のせいで凶作続きだからな」

「それはかたじけないと思うております。

 ですが力は私より上。

 幼い頃から実感しております。

 まして兄上には小松殿という強い味方がございますからなあ」


「源三郎も源次郎もしたたかじゃのう」

「叔父上兄弟にはとてもかないませぬが。

 父は天才ですが、叔父上は『したたかさ」』では父を凌いでおるというのがもっぱらの評判でござる」


「全く手に負えぬな」

「叔父上、相すみませぬ。

 信繁は権勢への欲は一切有りませぬ。

 ただ、どうしてもやらねばならぬ事がござるゆえ、ご勘弁を」


「おぬしは幼少の頃より忍耐強さでは源三郎より一枚上をいっておった。

 その上いざとなると頑固者ゆえどうにもならぬ。

 命をいとおしめよ。

 死んではならんぞ!」


 信尹(のぶただ)は信繁の言葉に一抹の不安を感じながら、真田丸を後にした。



 十二月十六日。

 秀忠は淀川から水軍で備前島を落とした。


 フランキ砲やカルバリン砲、セーカー砲等、十二門の新式大砲を船を使って搬入した。

 清海がここだけは抑えておかねば、と言っていた要所が備前島である。

 北側の天満川は既に徳川勢の手中に落ちている。


 この備前島は大坂城の京橋口のすぐ近くで、本丸までは五町しかない。

 備前島と本丸との標高差は十三丈ある。

 巨大な水堀に絶壁という構えは鉄壁であり、絶対に落とせないはずだった。


 …この世には『絶対』という言葉は存在している。

 が、この世の現実には未だ存在した事がない。


 天守閣はさらに十三丈の高さがある。

 十二門の最新鋭の大砲の前に裸体を晒しているも同然だった。


 強みであった二十六丈という高さが逆に弱点となった。

 清海が指摘した大坂城の隠された盲点がこれである。

 近代兵器の前には、大坂城は時代遅れの城である事が証明されようとしていた。


 この日秀忠の役に立ったのが片桐旦元だ。

 大坂城を追い出され、女々しくも徳川方にまわっている。

 正確には且元の持っていた情報である。

 旦元は城内の様子や天守閣の芯柱の弱点まで知り尽くしている。



 一方では、常高院や織田有楽斎を使い和睦工作が進められていた。


 …常高院はお市の方の二番目の娘でお初。

 淀君の妹、秀忠の妻の於江の姉である。


 …織田遊楽斎は信長の十一番目の末弟で六十九歳。

 淀君には叔父になる。

 秀忠やその妻千姫にとっても大叔父にあたる。


 淀君が信頼を置いてはならぬのに、信頼を置いていた人物である。

 関が原では東軍に付き、冬の陣では大坂方の情報を秀忠に漏らしていた。


 …織田を名乗る間諜がもう一人いた。

 信長の次男織田信雄である。


 冬の陣では大坂方の大将として淀君から推挙され本人も一旦は受けた。

 その翌朝、遁走し徳川方に付いでいる。

 信繁に見透かされたからである。



 新式大砲と言っても、いずれも精度はまだまだだった。

 撃っている方も脅せれば良いと(たか)(くく)っていた。


 東軍は残っている大筒も掻き集めた。

 東側の佐竹義宣隊、南側の井伊直孝隊、松平忠直隊、藤堂高虎隊からも一斉射撃を行った。


 備前島のフランキ砲のうちの一弾が以外に伸びて、天守閣の二層目の芯柱付近まで届いた。


 天守閣が少し傾いた。


 更にもう一発が淀君の居間に当たった。

 淀君の側女が八人、手足を捥ぎ取られたり内臓破裂などの被害にあった。

 余りの惨たらしさに奥女中達は泣き叫んだ。


 これでそれまで猛々しかった大蔵卿局を始めとする大坂城の女子衆一万人の態度が一変した。

 大野治長はじめ重臣も全員あっさりとそれに従った。


 東軍と西軍との和睦はあっけなく成立した。



 十二月二十二日。(1615年1月21日)

 秀頼は誓書を書き血判をした。


 豊臣家は安泰、大坂城の惣構堀は埋める。

 二の丸の破壊は豊臣家が、三の丸の破壊と惣構(そうがまえ)堀の埋め立ては徳川家の持ち分と決められた。


「堀をすぐに埋めよ!」

 間髪を入れず秀忠の命令が出た。


 翌二十三日。

 松平忠明まつだいらただあきら)、本多忠政、本多康紀ほんだやすのり)が普請奉行となり、八万人の人夫で堀を埋めにかかった。

 作業は徹夜で進められた。


 真田丸も取り壊された。


 惣構の壮大な空掘も二十五日には埋められていた。


 塀や石垣だけではない。

 (やぐら)も城門も堀際にある武家屋敷、町屋まで壊され家財道具も堀に投げ込まれた。

 二の丸、三の丸の巨大な外堀の埋め立ては約束には無かった。

 しかし、関東方が続いて勝手に埋め立ててしまった。


 さすがの大野修理も慌てた。

 家康に直訴にいったが会う事すら出来ない。

 本多正純にいいようにあしらわれ、うろうろしている間に大坂城は天守閣が剥き出しになっていた。


 難攻不落と言われた大坂城もただの裸城になってしまった。


 大航海時代の世界で、植民地政策をとっていた西欧列強は日本には手出しが出来なかった。

 軍事力に恐れをなしていたからである。


 その象徴が一望の野原と化した。



 …柳生宗矩が首をかしげて本多正信と話をしている。

「大坂城の女狐どもは何を考えておるのか魂胆が読めませぬ。

 支離滅裂でござるぞ。

 大坂城への執着心を棄てて頂くために、強引に二の丸の堀まで埋めはしたが…」


 正信も表情が暗い。

「四国に移って頂くために、大坂城には未練を残さぬように誘導するのは間違いではなかった」

「説得は引き続きせなばなりますまい?」


「無論じゃ」

「にしても、不可思議な事もあるものよ。

 四国半分の土佐と阿波で話はついておったのに。

 水面下で何度も交渉し、最後は上杉殿にまで説得して頂いたのも、取り敢えずは水の泡になり申した」


「百二十万石から三十万石になった上杉殿に比べれば、六十六万石から五十万石ゆえに悪い話ではない。

 何故気が変わって大坂城に固執したのか? 」

「残った天守はもはや傾いておりますぞ」


「傾いているのは太閤の国よ。

 いくら太閤の金があっても人材がおらねば国はやがて潰える。

 国を治めるには『身の丈に合う』という事を知らねばならぬ」

「秀頼君は人間の筋は良い。

 四国五十万石を苦労人の左衛門佐が家老となって仕切れば、身の丈に合いましょう」


「そうじゃな。国を支えるのは人であるからな。

 左衛門佐なら良いと和尚も仰せであった」

「左衛門佐もさる事ながら、真田十勇士と呼ばれる、表にはでぬ凄腕の家来がおりますからな」


「上田城を落とせなかったのは、それだけの人材がおるからじゃ。

 ゆえに左衛門佐がその気になれば四国五十万石は治る」

「とすれば、和睦のすり替えがより一層不可解でござる」



 …「わしも腑に落ちぬ。

 こういう時は何か見落としがあるものものぞ」


備前島:本丸との距離五町(550m)、本丸との標高差十三丈(40m)

二十六丈:80m


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