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碧と白の珠玉   作者: 真緑 稔
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㊺-③第三部 第四章 無有(ムウ)の国へ 一節 大坂冬の陣 三

 三 土蜘蛛


「桶狭間のおり信長公が自ら一騎駆けをされ死地を脱したのは、もはや伝説でござるかな?」



 江戸城本丸では、天海がそれとなく将軍家指南役の柳生宗矩(やぎゅうむねのり)に話しかけている。

 秀忠はじっと二人の会話を聞いている。

 信繁隊が華々しく大坂城に入った日より八日前、片桐且元が大坂城から出奔した翌日の十月二日の事だ。


 宗矩が答える。

「結果、織田方には緊張感が漲り、信長公は三千の兵で二万二千の今川を破った。

 和尚の意図は、大坂の事が伝説、つまり他人事(ひとごと)では困るという事でござるな」

「下手をすると、このたびは徳川が今川になるかもしれぬ。

 わが旗本も諸大名も兵さえ集まれば戦さは勝てると、心のどこかに甘さと奢りがある」


「確かに。豊臣の真の恐ろしさを知らぬ者が多うござります」

「もし、将軍が一騎駆けをされたらどうなるかな?」


「先の関が原の折には真田にてこずり間に合わなかったゆえ、諸侯の中には笑う者も多いでしょうな」

「将軍は大御所の顔色を気にしておるとな」


「愚か者は笑うでしょう」

「だがあの時はまず上田を落とす事が大御所の最優先の命令でござった」


「そのためにあえて徳川本体を真田攻めに送りました。

 本多正信殿と榊原康政殿までつけて」

「会津の上杉を抑えるには信濃の真田を抑えねばならぬ。

 西の戦さは長期戦になるはずであった」


「福島正則殿が功を焦ったおかげで、急転して段取りが変わりましたがな」

「結果、首の皮一枚のところで勝ちを拾った」


「戦さは何が起きるか解りませぬ」

「真田は予想外に強かった」


「安房守はもうおりませぬが、左衛門佐が大坂城に出城を作っております。

 真田は侮れませんぞ。この度とても」

「そこで信長公にあやかってみては…」 


「名案にござりましょう。

 上杉殿も伊達殿も大軍を出してくれたが、好んでの参陣ではござらぬ。

 力のある上杉と伊達がその気になれば我が軍の小童達にも喝が入りましょう」


 秀忠がようやく話の意図を汲み取った。


「あいわかり申した。

 後で大御所からのお叱りをうけた、と噂を流せるくらいに、わしが信長公の役を演じよう。

 さすれば大御所のご威光が増し、諸大名の結束がさらに固まる。

『大坂の事終わる迄は吾を前面に立てるべし』とのお言葉通りということでござるな」 


「如何にも。

 大坂方の裏で蠢いておる者の正体が未だに解りませぬ。

 大御所のご懸念もそこにござった。

 この度の戦さが終わる迄は御大将は愚者を装うが上策にござります」

「愚者なればいか様にも強引な策が取れるゆえ。

 その代わり、駿府の大御所には大坂方を刺激せぬように、逆にゆるりゆるりと西上して頂こう。

 最上の策は石舟斎殿の無刀取りであるゆえに…」


 十月十一日。

 家康が駿府城を出発した。

 鷹狩りを楽しみながら「柿が熟して自ずと落ちる」のを待つ様に大坂を目指した。


 十月二十一日。

 伊達政宗一万、上杉景勝五千が徳川隊の先鋒として江戸を出発。


 十月二十三日。

 秀忠本隊五万が江戸城を出発。

 付き従う軍勢は、一番、酒井家次(さかいいえつぐ)

 二番、本多忠朝(ほんだただとも)

 三番、榊原康勝(さかきばらやすかつ)

 四番、酒井忠世(さかいただよ)

 跡備えとして安藤重信(あんどうしげのぶ)、本多正信等の譜代の面々である。


 秀忠は飛ばしに飛ばし、掛川で先鋒の伊達政宗に追い付いた。

 歴戦の強者たる政宗とても仕方がない。

 更に急いで西上した。


 秀忠があまり急いだため、供の者達も付いていく事が出来ない。

 なにせ徒歩(かち)の者が大勢いるし、荷駄隊の者達は大変である。

 人馬供にへとへとであった。


 追い付かれた伊達も上杉も堪らない。

(秀忠の阿呆め!)

 と腹の中では思っているが、先鋒隊が本隊に追い抜かれる訳にはいかない。


 後で家康からどんな無理難題を押し付けられるか分かったものではない。

 仕方なく鞭を入れる。

 伏見に着いた時は伊達と上杉の兵馬は惨憺たる有様であった。


 家康は二条城に入り、大和路を通って茶臼山へ布陣。

 秀忠は伏見城へ入り、河内路を通って岡山へ着陣した。


 十一月十八日(12月18日)。

 徳川軍二十万は大坂城の南面を中心にして包囲した。


 篠山は真田丸の南に二町程の所にある熊笹と小木の生い茂った小高い丘である。

 真田丸はこの篠山を間に置いて、西に家康、東に秀忠という二つの徳川本陣と向かい合う位置となった。


 清海の予想通りの展開になった。


 信繁はこの篠山にも逆茂木と柵を配し鉄砲隊を出して守らせてある。

 篠山を利用する事で真田丸を大筒や鉄砲からも守っている。

 厚みのある一部の隙も無い要塞が完成していた。


 東軍の最前戦、つまり、大坂城南惣構堀前には東軍の錚々たる連中が布陣した。

 伊達政宗、藤堂高虎、松平忠直、井伊直孝、前田利常達が篠山を挟んで真田丸を睨む格好になった。


 十一月二十一日の宵。

 赤沢三志郎がふきからの差し入れを持って真田丸に馳せ参じた。


 差し入れと言っても荷車十台に五千人分だ。

 無論、ほとんどが赤沢が堺で調達した酒と肴である。

 真田丸に歓声が上がる。


 十勇士にはふきお手製の「栗飯」と「川海老の煮物」が三十人前、特別に用意されていた。

「兄者は偉い。幸せ者じゃ」

 伊佐が円満具足のニコニコ顔で舌鼓を打っている。


 赤沢は真田の忍び衆と何やらひそひそやって、笑いながら打ち合わせをしている。


 夜半を過ぎ、丑三つ刻となった。

 篠山から三十匹を越す大百足がぞろぞろと出て来て徳川軍を襲った。

 寝込みを襲われて気の弱い者は卒倒して口から泡を吹いている。


 余りの慌てふためきぶりのせいで、前田隊では倒れた篝火が弾薬に引火した。

 大爆発まで引き起こしてしまった。

 死人こそ出なかったが負傷者が出た。


「思ったより効果がおましたなあ」

「こうなれば徳川様の嫌がる事をとことんやりまひょか?」

 真田忍びも悪乗りをして赤沢と大坂弁でやり取りをしている。


「わしもやりたい」

 清海のやりたい病が顔を出した。


「よろしおます。

 明日の晩は土蜘蛛はどうでっしゃろ」

「面白い。是非わしにもやらせてくれ。

 どうせやるなら大きいのがええなあ。兄者」


「そうじゃな。では海野六郎様、頼む。

 ちょっと気合を入れてくれんか」

「頼まれれば友ゆえ仕方が無いが、おぬし等つまらぬ事に嵌ってしまうぞ」


「土蜘蛛と言えば土遁じゃ。

 海野六郎様のお力を借りねばならぬ。

 紀見峠で大蝦蟇になれたのも才蔵のおかげじゃった。

 わしだけの力では何かが足らんのでな。

 頼む、六郎。な、良いじゃろう」

「仕方あるまい。

 この真田丸の中に押し込まれたまま、我慢ができずに事件を起こされるよりはましだ。

 鬱憤晴らしは外でやって貰った方が良い。

 その代わり、昨夜のような怪我人は出さんでくれよ」


 二十二日の夜が来た。

 この奇襲攻撃に悪乗りして同調する真田衆が増えた。

 百人以上がが参加する勢いだ。


「今日は少し早めにやるぞ。

 毎晩丑三つでは芸が無い」

 伊佐入道が力んでいる。


「三好兄弟の鬱憤晴らしも二百人を越すやもしれぬ。

 相変わらず真田衆は乗りが良いな。

 火をつけたのは赤沢殿か。

 能力があるというのも困ったものじゃ」

 信繁は軍監の伊木を横に置いて苦笑いを浮かべている。


 割れ鐘が鳴り響いた。

「それじゃあ、六郎頼むぞ。

 皆の衆もそれぞれかかってくれ!!」


 真田丸から徳川隊一帯にかけて篠山を越え、南へと煙が流れ込んでいく。

 煙に紛れるように二百名の黒装束がそれぞれ徳川隊の方に向けて姿を消していく。


(りん)(ぴょう)(とう)(しゃ)(かい)(じん)(れつ)(ざい)(ぜん)!」

「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!」

「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!」

「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!」

 二百人があちこちで九字を切る声が響く。


 六郎が法印を結ぶ。

(おん)()()()(てい)()じん(しん) 発咤(ぱった)!」

「唵阿蜜哩帝土甚深 発咤!」

「唵阿蜜哩帝土甚深 発咤!」

「唵阿蜜哩帝土甚深 発咤!」

「唵阿蜜哩帝土甚深 発咤!」


 六郎は両手の人差し指と中指の二本を立て気合を入れる。

「えーい!!」


 厚い煙に覆われた徳川陣の背後の土の中から土蜘蛛がむくむくと現れた。

 その数二百余り。


 脚を広げたその姿は一匹が幅三間。

「大土蜘蛛」の出現である。


 幻術まやかし)とはいえ、見ただけでも身の毛もよだつ厭らしい怪物が出現した。

 またまた徳川陣中は大混乱を起こしている。


 大土蜘蛛達は白い糸を八方に吐き、次々と各陣の兵を糸で巻いていく。


 足には無数の硬い毛が生えている。

 逃げ様とするとこの毛に当たる。

 当たっただけでも一間程は軽く飛ばされる。


 何より気持ちが悪いのは赤黒く光る大きな目だ。

 この目と視線が合ってしまった者はほとんどが昏倒してしまう。

 二百匹の大土蜘蛛たちは縦横無尽に徳川陣中を這いまわり、白いねばねばした糸を吐いた。


 しばらくすると九字を切る声が聞こえる。

(りん)(ぴょう)(とう)(しゃ)(かい)(じん)(れつ)(ざい)(ぜん)!」

「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!」

「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!」

「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!」


 大土蜘蛛達はさっと土中に消えた。


 土蜘蛛が土の中に消えたので徳川の各隊も一安心。

 ねばねばの糸に包まれてしまった兵を助け出そうとしていた。


 ところがまた後ろから奇怪な音がする。

「じゃり。じゃり。ザワ。ザワ」 

 蜘蛛が這っているような音である。


 篠山のすぐ南に陣を構えていた松倉重政(まつくらしげまさ)は、気のせいだろう、と思いつつも後ろを振り向いた。

 巨大な赤黒い目が直ぐそこで睨んでいる。


 体長八間もある巨大土蜘蛛だ。

 二匹もいる。

 重政の側近、精鋭と言われた横田長七郎(よこたちょうしちろう)でも脱糞してしまった程である。


 三好兄弟には術の効きが鈍かった。

 六郎が二百匹の土蜘蛛を消した気合いで、やっと遅ればせながらの登場となったのだ。


 徳川隊は二重の精神的苦痛を与えられる事となった。

 ほっとしたところへの衝撃である。

 これには堪えた。


 百戦錬磨、古狸と言われる家康でさえも脱糞した経験がある。

 三方が原の戦いで信玄に攻められ、命からがら浜松城へ逃げ帰った時だった。

 小便を漏らす、脱糞する等は戦場ではよくある事だ。


 普段は百姓をしていて荷駄隊などに駆り出された雑兵は専業武士では無い。

 戦争と言ってしまえば聞こえは良いが、人を殺すか、自分が殺されるかに直面する。

 強度の精神的肉体的衝撃である。

 一度に交感神経が働いて脱糞してしまうのも当然といえる。


 二匹の兄弟蜘蛛は遅ればせながら暴れに暴れまくった。


 松倉隊は鉄砲で応戦しようとしたがその鉄砲が見当たらない。

 実は先の土蜘蛛隊二百匹がドサクサに紛れて、鉄砲や武器弾薬を蜘蛛の糸で絡め取っていた。


 苦労人の赤沢のやる事にはそつがない。

 商売でも成功する訳だ。

 残った僅かな鉄砲や弓で応戦するのだが土蜘蛛の毛に当たって全く効かない。


「目を狙え、目だ。目を狙え!!」

 目を狙おうとすると、赤黒い巨大な厭らしい目を見なくてはいけない。

 無理やり目を見るとほとんどが気絶してしまう。


 清海と伊佐は松倉隊を荒らすと隣の古田重治(ふるたしげはる)隊に移っている。

 ここでもやりたい放題。

 寺澤広高(てらざわひろたか)隊、脇坂安元(わきざかやすもと)隊、井伊直孝いいなおたか隊へと南面の諸隊を西から東に向かって次々と荒らした。

 そこまでやるとさすがの清海も伊佐も疲れてしまった。


 井伊隊は四千の大隊だ。

(六郎、早う戻してくれ・・・!!)

 心の中でそう思っているが六郎はなかなか戻してくれない。


「鈍い奴らよのう。

 芸もなく這いまくっておるだけではないか。

 これしきの事で疲れるようでは先が思いやられる。

 なまった五体を鍛えた方が良いだろう。

 それにしても、ふき殿の料理の腕は最高じゃ」


 海野六郎はさっさと真田丸に戻っている。

 昨日大事に残してあった「石蕗(つわぶき)の味噌漬け」でのんびり酒を飲んでいる。

 三好兄弟の事より「石蕗の味噌漬け」の方が大事なようだ。


「そうだ!

 ふき殿は石蕗の葉も沢山添えてくれてあった。

 石蕗は火傷に良いはずだ。

 早速、小太郎に薬にしてもらい前田殿に詫びを入れておこう。

 にしても清海には過ぎた女房じゃ」

 全く三好兄弟の事など心配していない。


 清海と伊佐は仕方なく、疲れた五体、いや、八本の脚をようやく動かしている。

 隣の松平忠直(まつだいらただなお)隊へとなんとか移動していく。

 松平隊は五千もいる。

 それを思うと八本の脚がもつれ出した。


 松平隊にとっても迷惑千番だ。

 向かってくる大蜘蛛は迫力満点だ。

 人間の方が蜘蛛の子を散らすように四方八方へと必死で逃げて行く。


 もともと持久力に欠ける兄弟だ。

 伊佐が先に音を上げた。

(兄者、わしゃもう動けぬ。

 一生土蜘蛛でおるのかのう!?)

 やがて兄弟蜘蛛はその場で死んだように動かなくなった。

 脚を痙攣させている。


 松平隊はこの時とばかりかかろうとするが、恐怖心の余り金縛りになっている。

 こちらも動けない。


 戦場に奇妙な空間と時間が出現した。


 その時、 両者の間に髭面の雲を衝くような大男が湧いて出た。

「き、キリガクレサイゾーだ!!」

 松平隊の中から悲鳴に似た声が聞こえる。


「えーい!」

 気合を一発入れる。

 兄弟蜘蛛と大男はスッと消えた。


 清海と伊佐は元の身体に戻って空間移動で真田丸に移されていた。

「おお疲れた。

 もう声も出んぞ。六郎」

「声はちゃんと聞こえておるぞ」


「おぬし、悪党じゃのう」

「わしは悪党じゃ。

 往生が出来るらしいではないか!」


「才蔵が助けてくれなんだら、我ら兄弟は蜘蛛のままの姿で野垂れ死にするところじゃった」

「おぬし達がのろまで鈍じゃからいかんのじゃ。

 戦場では一瞬の隙が生死を分ける。

 余り怠け者じゃから強制的に教育をしてやったのじゃ」


 真田丸が高台ごと笑いで揺れた。

 相変わらず真田衆は明るい。


「今夜の収穫は鉄砲千二百丁、弾薬もぎょうさん取って来ましたで」

 赤沢三志郎が大声で言う。

「えい、えい、おー!!」

 わざと徳川諸隊に聞こえる様に勝鬨を上げた。


 真田丸五千は意気軒昂。

 闘志が漲っている。


「明日の夜もやりまっか?」

 赤沢はまだまだやる気だ。

 海野六郎はまだ石蕗でちびりちびりやりながら、

「しばらくは良いであろう。

 これで当分徳川勢はおちおち眠れまい。

 それにあまり続けると敵とて慣れる。

 まだとっておきの奥の手があるのでな」

「そうでっか。それは楽しみでんな」


「それに三好兄弟の鬱憤も十二分に晴れた様じゃしな!!」

 六郎は清海の方を向いて、わざと大きな声で言っている。


 清海と伊佐は二人並んでどっかと座ったままだ。



 …冬だというのに大汗をかき、肩で大きな息をついている。




篠山と真田丸の距離:南に二町(218m)

丑三つ刻:午前2時〜午前2時30分


大土蜘蛛:幅三間(5m40㎝)

一間:1m82cm

巨大土蜘蛛:体長八間(14m)


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