㊺-②第三部 第四章 無有(ムウ)の国へ 一節 大坂冬の陣 二
二 眠れる竜
「拙僧が鳥瞰図を書いてしんぜよう」
「ならばこの鎌之助が鳥瞰図作戦の軍師を務めようぞ」
「では鍾馗殿に軍師をお願いする。
天の時、地の利、人の和という言葉もある。
地の利から行こうぞ!」
「実は、わしと清海は空からこの地を見ておるのでな」
清海が二畳分の紙に得意の筆で地図を書き始める。
鎌之助が指示を出す。
「良いかな上が北じゃ」
清海は口八丁手八丁だ。
鍾馗様も負けてはいない。
「大坂城の北側は水と湿地帯がしっかり守っている。
大和川が東から流れ込んで北からの淀川と合流して、天満川となり西の木津川と合体する。
木津川はすでに海の一部じゃ」
結局、交代で説明をする。
「東もそうじゃ。
平野川がこのように南の柏原から八尾を抜け、岡山の西を通りこの北の大和川に流れ込んでおる。
さらにもう一本。猫間川がある。
惣構の東堀になっている」
「本丸はここ、北の天満川と大和川と淀川の合流地点を背にしたところにある。
ゆえに南側が大坂城の弱点となる。
南面だけが陸続きじゃからな」
「ただし、三つの川の合流地点の中洲、つまり、この備前島は絶対に抑えておかねばならぬ。
清海、朱で丸印を付けておけ」
清海は北端の水濠地帯に描いた中洲に備前島と書いて朱墨で丸く囲む。
「最も肝腎な事はこの大坂城は台地の上にあるということじゃ。
東西が半里、南北が三里ほどの細長い台地でござる。
上町台地と呼ぶ」
…上町台地の中でも天守閣のある北端が一番高い場所じゃ。
その一番高い天守閣のある場所は天満川からは絶壁のようになっている。
水面から十二丈から十三丈くらいの高さはある。
台地は天守閣から南に緩く下っていく。
終点が住吉辺りになる。
住吉大社辺りでも高さは二丈くらいはある。
上町台地の北端の敷地は大坂城が占めている。
東は平野川、西は木津川が守っているので徳川軍は南からしか攻められない。
「おぬし達、このような取り柄芸があったのか?
珝の背に乗ってはしゃいでいただけではなかったのか?」
海野六郎の「よいしょ」に調子付く。
鎌之助は威勢が良い。
「はしゃいでいたのだがな」
「ほう、それで?」
「わし等は珝に叱られた後、
『ヨク見テオケ』
と言われて天守閣の周りを珝が二度も旋回してくれた。
その後、住吉大社まで低空飛行をしてくれたんじゃ」
「では珝は十三年も前に今日の事を予感しておったのか?」
「珝、恐るべし。じゃろう」
清海が講釈を入れる。
「その珝に教わったんじゃがな。
大昔はこの上町台地が半島になって海に付き出ていたらしいんじゃ」
「ほほう?」
「天守閣は半島の突端にあり、その突端が最も高いンじゃ。
竜体が北を頭にして眠っておるように見えた。
そんなことが鳥の目で見るとよく解る」
「そうすると、わし等は竜体の上に立っておるのか?」
「その竜体の頭部に大坂城はある」
「北と東西は天然の水堀で守られている。
南から攻めて来るだろう徳川軍に対して、さらに『高さ」という地の利も活かせるという訳か?」
「それが要点の一つ」
「ふむふむ。上町台地は竜体だったのか…?」
「抑えておかねばならぬ事がもうひ一つ。
清海、朱で印を付けろ」
鎌之助が四つの丸を入れさせた。
上町台地の中には高台や小山が四つある。
南の方から言えば、東に茶臼山、西に岡山。
南惣構堀から一里もないところに篠山。
その篠山と空堀との間に建設中の出城の敷地となっている四つ目の高台がある。
「エッヘン! 戦さになるとこの四箇所が要所となる」
「それですぐに殿はこの高台にこの出城を作ったのか?
にしてもおぬし達只者ではないな?」
清海はますます調子付く。
「ま、そういう事かもな。
上田城の場合は弱点が東側にあった。
徳川軍は東の染谷台地から攻めて来た。
今度は弱点が南側にあり、南の天王寺方面から攻めて来る。
地形も上田城とよく似ていると思わぬか?」
十勇士に説明をしているうちに見事な地図が描き上がった。
「伊佐、これの写しを描いて本丸の軍議の間にも貼っておけ。
地形を知らぬ牢人衆の役にも立とう」
「ふむふむ?」
「それにひとつ秘策をつけておこう!」
突然髭面の才蔵が現れた。
「『天守閣の天辺の屋根の棟瓦に割れ有り。
至急修理すべし。
青瓦の事也』
と地図の横に貼り紙をしてみてくれ」
二人の鍾馗様が話をしている。
「なるほど。もし小助を殺めた一味がこの城におれば引っかかるかもしれませぬな」
「しばらくは珝に見張りをさせ、大工や忍びが天守の屋根に上がれぬようにする」
「空中浮揚の術を使える者はこの地図にも興味を持つだろう。
空中浮揚の術を使わぬ限り棟瓦は確かめられぬという訳ですな?」
「いろいろやっておれば、そのうちに尻尾をつかめるかもしれぬ」
…信繁は九度山蟄居中にも真田紐と薬の商人に変装して、こまめに大坂城に出入りしていた。
駿府、江戸なども隈なく歩いて自分の目で確かめている。
さらに軍略の天才である昌幸と戦略を練りに練っていた。
戦争になる事も当然想定している。
まして大坂城は秀吉に仕えていた頃から熟知している。
南惣構には壮大な空堀がある。
しかし、十万規模の大軍と大筒などの火器を集中されると半里もある防御線のどこかは決壊する。
ところがその南面の東端の外側にはほぼ「正四角形の台地」がある。
一辺は百五十間ほどの広さで高さが八丈もある。
信繁は入城を決めると、その高台に急ぎ半月形の出城を築城した。
この出城は真田丸と呼ばれるようになった。
真田丸の空堀の深さは二丈、幅は十間である。
堀の底からは十丈もある断崖を見上げる事になる。
堀外に二重、堀内に二重の逆茂木を巡らした。
四隅には櫓を配し三層の天守閣も作り、出城からの視界の死角を消した。
櫓と天守閣からは土地の高低差もあり、敵の本陣となるだろう岡山や茶臼山まで見渡せる。
出城の北側には武田流の半月型の馬出しを作った。
空堀と出城との隙間から騎馬隊で奇襲攻撃をかける仕掛けだ。
草の者は豊臣方も徳川方も互いに入り浸っている。
情報は筒抜けである。
これだけの備えを知れば、まともな軍師であれば直ぐには攻め入らない。
和平の道への時間稼ぎの目的の一つだ。
その真田丸に信繁は五千の兵を入れた。
…篭城戦略を取る前に、信繁は父昌幸から生前に教えられていた秘策を具申した。
それは、徳川勢に先んじて秀頼自身が山崎の天王山に出陣して旗を立てる。
伏見と京を落とし、瀬田の唐橋を焼き落とす。
そして宇治川、瀬田川を境に鉄砲隊の陣を構える。
日本を二つに割る壮大な戦略だ。
豊臣家の莫大な財力を見せつけてまず朝廷を取り込む。
天皇家の御威光に依り西国諸大名も取り込んでしまう。
「先んずれば人を制す。
少数の兵で大軍を防ぐには冬の大河を利用して戦うのが上策。
徳川軍は遠征の疲れの上、寒さに手がかじかんで鉄砲も撃てますまい。
まして、冷え切った大河を渡ろうものなら一気に体力を消耗する。
一ヶ月持ち堪えれば豊臣恩顧の大名の中で動揺する者が必ず出てくる。
情勢は一変する」
長宗我部盛親や毛利勝長、後藤又兵衛基次等の実戦経験豊かな剛将はこの案を支持した。
大野治長と織田有楽斎が篭城を主張し、結局は取り入れられなかった。
…長宗我部右衛門太郎盛親は長曾我部元親の四男である。
最盛期には四国大半を領有する大大名だった。
関が原で西軍に組みして敗れた後、牢人となった。
盛親が大坂城に入城する話を聞いた旧臣が集まり千人を超えた。
過去には再三にわたり豊臣家に逆らっている。
柴田勝家との賤ヶ岳の戦い。
家康との小牧・長久手との戦い。
そして四国征伐。
権力者に刃向かう気性が強過ぎたのか、世渡りが極上に下手であったのか…?
大坂城では重く扱われなかった。
…後藤又兵衛基次は福岡の黒田官兵衛(如水)五十二万石に仕えた。
朝鮮の役をはじめ関が原でも勇猛な武勲を挙げる。
加藤清正と並ぶ豪傑として天下に名を轟かせていた。
如水の嫡男の黒田長政と折り合いが悪く、黒田家から出奔。
細川家や福島家、前田家、家康の実子であり秀忠の兄でもある結城秀康からの誘いも辞退している。
大坂城入城前には牢人として京の六条河原の乞食小屋に住んでいた。
加茂川の流れを見つつ、悠々と茶を楽しみながら暮らしていた粋人である。
金にも地位にも囚われぬ自由人であった。
…毛利豊前守勝長は同じ毛利姓でも毛利輝元の一族とは関係がない。
勝長の父勝信は秀吉に仕え、九州小倉六万石城主となっていた。
関が原で西軍に組みして破れた。
長曾我部盛親に代わり土佐二十四万石の太守と成った山内一豊に罪人として預けられた。
山内一豊はこの毛利父子を屋敷を新築して向かえ手厚く世話をした。
それほど勝長には人望があった。
…綾の兄に当たる大谷吉継の嫡男、大谷大学吉治も参陣している。
…それにもう一人、信繁と気の合った人物がいる。
伊木七郎右衛門遠雄である。
秀吉の近習として仕えていたが、関が原では西軍に組みし牢人となった。
信繁が太閤に仕えていた頃には同役であり、信繁より二つ下で信繁の入城を大変喜んだ。
志願して真田丸の軍艦を務めた。
十蔵が荒れている。
「えーい、腹が立つ!
大殿の野戦策を退けよって。
籠城はいつでも出来る。
まずは野戦から始めるのが上策という事も分からん程度の馬鹿どもめが!!」
燻し銀がなだめている。
甚八は十蔵より二つ歳上でもある。
「十蔵、おぬしの解らぬと言っておった事が一つ判明した。
豊臣の軍資金じゃ。
少なくとも十万の牢人を五年食わしても余るほどあるぞ」
「おお、それはたまげた」
十蔵の機嫌はいつもならこれで治る。
「そこに来て未だに堺と大坂の商人達は味方じゃ。
城が海と接しておるに等しいので木津川からの補給路がある」
「それくらいはわしでも知っておる」
「金があり、兵站の補給路があるとなれば…」
「なれば何じゃ!!」
「籠城策はひ弱な家臣団しかおらぬ豊臣には身の丈にあった作戦かもしれぬぞ」
「野戦策を退けたのは魔界の悪知恵かもしれぬではないか!!」
「それも考えられるが…」
「悪知恵の主は居るのか居らぬのか?」
海野六郎が、
「居ってもそう簡単に正体を出すまいよ。
急いては事を仕損じるぞ」
甚八で抑えが効きそうにないので、化かしの六郎もなだめたつもりだ。
十蔵にはぬるい言い回しが余計に勘に触る。
…十蔵は収まらない。
鳥瞰図を指しながら、
「このように大局を俯瞰できる殿にさっさと大将をやらせれば良いものを。
煮え切らぬ奴らめ!
秀頼君も淀殿も何故か殿の言うことだけは聞くというのに!!」
上町台地:東西半里(2km)、南北三里(12km)ほどの細長い台地
上町台地北端の標高: 十二丈から十三丈(38m)
住吉大社の標高:二丈(6m)
真田丸のある正四角形の台地: 一辺百五十間(273m)、高さ八丈(24m)
真田丸の空堀の深さ:二丈(6m)、幅十間(18m)、堀の底からは十丈(30m)の断崖




