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碧と白の珠玉   作者: 真緑 稔
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㊺-①第三部 第四章 無有(ムウ)の国へ 一節 大坂冬の陣 一

 一 難攻不落の城


 十月十日早朝。(11月11日)

 所は高野街道の河内長野。



 朝霧の中から忽然と姿を現したのは真田隊百四十人だ。


 武田信玄ゆずりの緋縅(ひおどし)(よろい)に、真田六文銭の旗印を靡かせている。

 先頭には鍾馗様のような髭面の由利鎌之助が悠然と一騎。

 少し間を空けて、六尺八寸の巨漢の三好入道兄弟。

 露払いである。

 無論、主役は鹿角飾りの兜を被った真田信繁に嫡男の大助。


 赤備え一色の壮観な鎧姿が威風堂々と行進をしていく。


「おお、これが天下に名高い真田衆か!」

「真田信繁はんはあの立派な鹿の角の兜のお方やで!」

鹿角脇立之兜(しかづのわきだてのかぶと)と言うんですわ!」


「どっちが三好清海入道でっしゃろ。

 牛が馬に乗ってはるみたいでっせ!」


 清海の愛馬「桜木」、伊佐の「青葉」は双子の巨馬だ。

 二十歳(人間の六十歳に相当)になるが、未だ衰えを知らない怪物である。

 馬体が大きいので二頭が並んだだけで町の中では道幅いっぱいになる。


 醸し出す迫力が尋常でない。

 圧倒された観衆は本能的に逃げる。

 急いで町家の中に避難しようとするところへ、二頭がわざと荒い鼻息を後頭部から首筋にかける。


「猿飛佐助はどれじゃろう?」

「あの先頭の厳ついお方が霧隠才蔵でんな!」


「とすると小柄なのが筧十蔵はんでっしゃろ。

 鉄砲を二丁も持ってはりまっせ!」

「いや五丁でんがな。

 鞍にも変わった格好の鉄砲がありますやろ!」

 大はしゃぎで見物をしている。


 突然、三本の矢が信繁目掛けて射られた。


 信繁は少しも騒がず、馬上で悠然と刀を抜いて矢を叩き落とした。

 信繁の刀が朝陽にキラリと光った。

 観衆は一瞬静まりかえる。

 どこからともなく拍手が聞こえると、やがてやがて大歓声になる。


 ヤンヤの大喝采が収まって少し経った頃。


 今度は清海と伊佐を目掛けて鉄砲が二十発以上撃ち込まれた。

 清海は鉄棒で伊佐は大薙刀で四、五発ほどの弾丸を跳ね飛ばしたが十発くらいが体に命中した。

 無論、くさり帷子(かたびら)は着込んではいるが近距離からの狙撃だ。

 巨体に命中しているのだから、目の前にした民衆は固唾を呑む。


 前方の商家の屋根の上から黒い影の集団が逃げていくのが見える。

 行軍は止まる事なく粛々と続けられる。


「われこそは三好清海入道なり!

 徳川のヘナチョコ弾など痛くも痒くもござらぬ!!」

「われこそは三好伊佐入道なり!

 江戸の卑怯者など相手に足らず!!」


 大音声で割れ鐘が喚き散らす。


 また大喝采が上がる。

 太閤のお膝元ゆえに、伝説の真田十勇士の人気は高い。

 行列が通る先々で次々と大拍手が沸き起こる。

 大見世物となった。


 実際のところも大芝居だった…。

 屋根から狙撃したのは十蔵と甚八、それに赤沢等の堺衆の抜け忍達だ。


 清海が金棒で不意に来た鉄砲の弾を叩き落とせる訳がない。


 清海と伊佐が鉄棒と大薙刀を振り上げるのに合わせて、金棒と大薙刀を狙って鉄砲を撃つ。

 身体を狙ったのは文字通りのヘナチョコ弾だ。

 鎧に当たると潰れるように細工してあった。

 空砲も混ぜて撃つ。

 大坂人好みのど派手な演出である。


 このような見世物を手を変え品を変え繰り出しながらの行軍だ。

 見ている者は引き込まれていく。


 巨馬に鼻息をかけられる上に、弾や矢が飛んで来るので恐ろしさはある。

 だが、芝居小屋でも見れない非日常が目の前にある。


「ヒュン!」


 空気を破って流れ弾が身体の近くを通過する。

 腰を抜かす者もいる。

 心は真田隊と一緒に行軍をしている。

 恐いもの見たさも手伝い、極めて面白い。


 行軍の前後には数百名の町人達が群がりながら付いて行く。

 数百名も集まると一挙に千名以上に膨れ上がるのが群衆の力学だ。


 大坂城に近づくにつれて行軍はわざと迂回した道筋を取る。

 歩みも遅くして時間をゆっくりかける。

 合流する真田衆を受け入れる目的もあった。

 真田隊には続々と侍達が合流した。


 四天王寺から平野を通り大坂城おおさかじょうみなみ惣構(そうがまえ)堀の八丁目口に着いた。

 集まった真田衆と真田忍びが集めた牢人達で千名の大部隊に膨れ上がっている。

 付き従う民衆は二千を越えた。


 お祭り騒ぎになった。


 いつの間にか振る舞い酒が出されている。

 太鼓や笛の音も聞こえる。

 気の良い民衆は踊り出している。


 これも十勇士達の計画のひとつだ。

 派手に真田隊入城を演出し宣伝をする。

 それにより真田人気を上げ、大坂城へ入城する牢人達の呼び水にする。

 大坂城での主導権を取るのも狙いだ。 



 …清海は建設中の真田丸の広場にやって来ると大伸びをした。

「ああ、気持ちが清々したわい」

「その台詞はわしに言わせろ。

 わしと六郎は殿の影武者で大半は九度山に監禁されておったようなものじゃった。

 おぬしはしょっちゅう紅屋を空けていたではないか。

 猿飛の御用とやらで鎌之助と諸国漫遊をして楽しんでおっただろうが。

 この極楽とんぼが」

 望月六郎は相変わらずの毒舌で気晴らしをする。


 甚八が輪をかける。

「清海は何をやっても楽しいのじゃ。

 今日より『三好脳天気入道』と正式に改名を命ずる」


 行軍に参加していたのは信繁役の望月六郎と三好兄弟に鎌之助だけだ。

 それで充分だった。

 大部分は真田忍び達に活躍してもらった。


 甚八と十蔵は見世物の裏方で忙殺を極めた。


 …信繁と土遁の名手である海野六郎は八月の末からすでに大坂城に入城している。

 惣構(そうがまえ)の南側の東端に出城を築くのに精を出していた。


 さっさと秀頼の許可を取り、すぐに着手した。

 支度金としてもらっていた黄金二百枚と銀三百貫を全額注ぎ込んだ。

 追っかけ豊臣方からの資金提供も決定した。

「張りぼて」ではあるが急ぎ三層の天守閣も作ろうとしている。


 砦ではなく城一つを築城するつもりなのだ。


 佐助と才蔵はどこで何をしているのかさっぱりわからない。


 小太郎は雪乃と駿府に移った。

 志乃の元で成長した孤児達を連れてる。

 こじんまりと施療所「清庵」を開いた。

 風太郎と二人は十日後には真田丸に入る事になっている。

 戦さになれば負傷者の治療が必ず必要になる…。


「あちこちで噂が満開になっておるぞ。

 一回目の桜の花を見事に咲かせたという話がな。

 おぬし、今日は大忙しだったらしいの」

 海野六郎が十蔵をねぎらっている。


「なんの軽い軽い。

 赤沢達が思いの外やりおったので面白かった。

 仕事は息が合うと苦にならん。

 次はもっと凄い花を咲かせてやる」

「もっと凄いとな?」


「ところで大坂城内はどんな具合じゃ。

 ひと月以上も居れば大分わかったのではないか」

「今のところは聞いた通りじゃ」


「やはり…」

「秀頼君のあの薄化粧は気持ちが悪い。

 とぼけの六郎と言われるわしでさえ鳥肌が立つ。

 問題はあの薄化粧の下に隠しておるものだろう」


「そうだな。演技という事もある」

「それと六尺五寸の体じゃ」


「背丈は清海並みだからな」

「身体の大きさだけでなく、醸し出しているものからしても太閤の胤ではない」


「信長公やお市の方の血を引くゆえに美丈夫であろうが」

「だが、怪しくもある。

 微妙だな…」


「大野修理はどうじゃ。

 片桐且元を追い出してしもうたらしいが」

「十万の牢人をまとめきれる器量ではないな」


「三人の弟とも仲が悪いと聞くが」

「おまけに秀頼君の父親だという噂がささやかれておるほど単鈍じゃ」


「間抜けか?」

「わしはそこまでは言わんが…。

 そんな事ゆえに家臣団が統率されておらぬ。

 殿がいくら良い戦術を提案しても理解できまい。

 白粉(おしろい)が舞っておるせいでな」


「わしは白粉の匂いが好きじゃが…。

 そう言えば北の方から良い匂いがするぞ…」

 横で清海が鼻をひくつかせている。


 毎度の事ながら十蔵が弾ける。

「堪らん!

 この上人様は秀頼君よりタチが悪い!!」


 海野六郎は、

「殿が哀れになってきた。

『清海が入城するまでに寝場所を作ってやらねばなるまい。

 あやつの居場所だけは大坂城内にはどこにもないからのう』

 と言われてな。

 この出城を急いで作られたのは三好兄弟の為なんじゃが…?」



 …片桐旦元(かたぎりかつもと)は石田三成亡き後、豊臣家の家老を務めた。


 家康の豊臣滅亡戦略に対抗する大坂方からの調停の使者を勤めた。

 秀吉恩顧の武将として豊臣家を存続させるために必死で働いた。

 幼少より秀吉に使え、賤ヶ岳の七本槍の一人として武名をあげた尾張衆である。


 旦元本人は豊臣家のためを考え、己れが持つすべてを注入した。

 だが秀頼母子に疎んじられた。

 方広寺梵鐘事件ではやる事なす事全てが裏目に出た。

 最後は徳川方に組みしているとまで疑われた。

 徳川方の調略に嵌められたのだ。


 結局、大野治長等に攻撃され、十月一日大坂城から逃亡した。


 その後は徳川方に引き取られた。

 旦元自信も不本意であった事であろう。

 大和に四万石を与えられたが、大坂の陣の後すぐに亡くなった。


 しかし、旦元は大坂城の隅々まで知り尽くしていた。

 この事が豊臣家の致命傷になる。


 …大野修理治長(おおのしゅりはるなが)は淀君の乳母である大蔵卿おおくらきょう(つぼね)の子であり、茶々とは乳兄弟である。

 近江衆でありながら関が原では東軍に組みした。

 秀頼の側近として仕え、片桐旦元を追い出してからは豊臣方の指揮を取っている。


 信繁とは同じ馬廻り衆として務めた旧知の間柄だ。

 信繁を大坂城に招いたのは大野治長である。

 真田丸築城案に対しても一番先に応援をした。



 …大坂城の由来は本願寺の蓮如がこの地に石山本願寺を作った事による。

 明応五年(1496年)の事だ。

 戦乱の時代となるにつけて、城砦化された寺は信長をしても十一年をかけて攻めあぐねさせた。


 京にも近く奈良にも近い。

 日本第一の貿易港堺にも近い。

 大坂港とは木津川で連結している。


 戦略的にいえば、北には天満川。

 東には平野川。

 西には木津川が流れ、天然の要塞となっている。


 その天然の要塞である石山本願寺跡に、秀吉が安土城を真似て築いたのが大坂城である。

 十五年の歳月と金銀を惜しみなく注ぎ込んだ。


 五層九階建の大天守閣が城の北端にあり本丸がある。

 その本丸の外側には水掘りがある。

 内堀である。

 そして二の丸がある。

 この二の丸には豊臣一族、重臣の屋敷、兵舎がある。

 二の丸の外側には巨大な水掘りがある。


 世に言う大坂城の外堀である。

 幅が四十から五十五間、深さ二丈もあった。


 更にこの外堀の外側には、半里四方に「惣構(そうがまえ)」という広大な敷地があった。

 この惣構(そうがまえ)の防御は、南面には深さ三丈、幅十一間の空堀を配置してある。

 北、東、西面には天然の大河。

 更にその外側は大湿地帯で守られている。

 惣構えの外側の防御線の長さはのべ三里半に及ぶ。

 この堀と大河に加えて五重に張り巡らされた堅固な石垣が絶妙に配されている。


 巨大な水の要塞である。


 広大な惣構(そうがまえ)の敷地には、人質となる大名の妻子を住まわせる屋敷や家臣団の住宅、寺、御用商人の住居などがあった。

 それぞれ武家地、寺院地、町屋と言われていた。


 特に町屋は単なる住居ではなく『市』のある町であった。

 この惣構(そうがまえ)があったからこそ、幾らでも牢人を収容する事が出来た。


 天守閣は軒瓦がすべて金箔で貼られ、軒も壁も天井までも黄金で飾られた階もあった。

 その壮麗さは目を奪うばかりのものだったという。

 世界はまさに大航海時代。

 西欧諸国が日本を黄金の国と呼び、虎視眈々と狙ったのも無理からぬ事である。


 この難攻不落といわれる大坂城へ入った人数は開戦までに十二万人。



 …内一万人はもともと城内にいた女中達だった。






秀頼:六尺五寸(197cm)

二の丸の外堀:幅四十から五十五間(72mから100m、深さ二丈(6m)

半里(2km)

惣構南面の防御:深さ三丈(9m)、幅十一間(20m)の空堀

惣構えの外側の防御線の長さ:三里半(14㎞)


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