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碧と白の珠玉   作者: 真緑 稔
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㊹-④第三部 第三章 南光坊天海 四節 柿熟す 四

  四 虎穴に入らずんば虎子を得ず


「わしは遁げるぞ!

 渋柿も甘柿も喰わん」

「逃げるが勝ちとな?」



 まとめ役の海野六郎が清海の「駄々」に「よいしょ」を始めた。

「わしはもう人殺しはしとうないんじゃ」

「そうだな。忍法の心得のいの一番は遁げるゆえな?」


「上田合戦の時も『最善策は逃げる』であった」

「清海の言う通りだ。

 十四年前の上田合戦の折も一人も殺さぬつもりであったが?」


「わし達には多くの死人を出した苦い経験がある」

「過ぎた事は仕方がないが、苦い経験を無駄にしては死者に申し訳が立たぬと?」


「その事よ。小助が存命なら桃の花が咲く九度山から離れんじゃろう」

「ふむふむ」

「戦さはしとうないんじゃ」


「兄者、太閤への恩義はどうする。

 戦さを前に逃げ出したら真田十勇士が世間の物笑いになるぞ」

「カーツ!。

 正義とか恩義とかにこだわるから戦さになるんじゃ。

 そのもっともつまらんのが仇討ちじゃ。

 それから面子(めんつ)じゃ。

 世間の物笑いになるのが怖いゆえ人殺しをするのか。

 ばかばかしい。

 伊佐入道よ、もっと広く生きるのじゃ」


 いぶし銀の渋い声が似合わない事を言い出した。

「広く生きるとな?

 ん、一理ある。

 いっそのこと呂宋へ逃げるか。

 船と海なら、わしに任せてもらおう」


 十蔵も乗って来た。

「呂宋か? 面白そうじゃな。

 新しい火遁の技術があるかもしれぬ。

 小太郎も南蛮の新しい医術が学べるぞ。

 甚八は明、暹羅(シャム)、南蛮諸国まで世界を股に掛けると良い!」


 望月六郎までその気になっている。

「遁げるなら呂宋まで行かずとも良いだろう。

 その昔、平家が四国や九州の山奥に隠れ住んだように津軽や蝦夷の山奥に遁げても良い。

 太閤への義理は上田合戦で充分に済んでおる」


 素直な伊佐も早々と気分を入れ替えた。

「佐平様のように隠れ里を作り桃源郷にするんじゃ。

 小助の加護がきっとあろう」


 そこに鎌之助が水を差刺した。


「おぬし等えらい盛り上がっておるが、十四年前は徳川に攻め込まれたのじゃろう。

 攻められて遁げるならわかるが…」


 沸激たぎろうとしていた釜の中の湯のように一気にシュンとなった。


「九度山の小助の桃源郷でじっとしておれば済む話ではないのか?

 臆病な兎でさえも追わねば逃げぬぞ」

 甚八が反省をする。

「また我らの悪い癖が出た。

 清海の馬鹿話に軽々しくも乗ってしもうたわしのせいじゃ」


「乗りが良いのは我らの長所でもある。

 心の波長が同じなんじゃろう。

 そのうち心話が出来るようになるかもしれぬぞ」

「化かしの六郎」の間延びした言い方は慰めるには持って来いだ。


 生真面目な鎌之助が話を戻す。

「遁げて、わし等が楽しう暮らすのは良い。

 が、この国が大戦さになって、多くの命が失われ民が泣いても良いのか。

 手を尽くして、戦さにならぬようにせにゃならんのではないのか?」


 狸殿は表情を変えない。

「そうであった。

 その為に長々と議論をしておったのだった。

 猿飛、おぬしの力で南光坊天海殿を抑え込めんのか?」

「抑え込めと?

 先程も申した通り『戦さの無き世』こそが天海殿の悲願じゃぞ」


「天海殿とても、抜き差しならぬところまで追い込まれておるのか?」

「追い込まれておる。

 先程までおぬし等が議論をした通りだ」

「ふむふむ」

「議論をした通りだが、清海の『閃き』については小助の遺言とは少し違うような気がする。

 近いのだが、全てが正解ではない感じがしてな。

 上人様とても煩悩の混ざりが有るのかもしれぬ」


「という事は?

 この六郎が清海の閃きについて聞いた時、猿飛は『判らぬ』で、才蔵の蝙蝠は『チッチッチ』だったのは?」


 望月六郎が割って入った。

「おそらく、ある程度は判ってはおるのだろうが…。

 甚八が十蔵を責めておったように、あれから十三年余り。

 猿飛や才蔵がぼうっとしておった訳がない。

『判らぬ』というたのは不確かな事は言えぬのだろう」


「判っておっても言えぬ事もあるのだな?」

 望月六郎がさらに説明をする。

「ああ、それもあるのだろう。

 猿飛と才蔵は今やれっきとした甲賀と伊賀の惣領じゃ。

 昔とは違い、わし達と同じ世界にどっぷりと入り込めぬ微妙な立場におる」


「わし等にも言えぬとは意味深じゃのう?」

「くどい! 狸の六郎。

 察してやれ。

 甲賀衆の意思決定は三人の上忍の頭の協議によってなされる。

 とはいえ、最終決定権を持っておるのが今は天海殿じゃ。

 惣領はその決定に指図をする事も禁じられている。

 たとえ上忍三人が滅びの道を選んでも口出しをしてはならない」


「甲賀の惣領とは厳しい縛りがあるものじゃなあ?」

「そうだ。教えを請われた時のみ答え、力を貸してやるのが掟である。

 さらに、知っての通り、甲賀の惣領には人の命を殺めてはならぬという大きな戒律がある。

 惣領の役目は奥義を次の代に伝えること。

 そして、高い立場からこの国の民を守ることにある。

 その為に人の世の権勢にはあまり深く関わってはならぬのじゃ」


 清海が得意げに受け売りをする。

「わし等は猿飛などと気楽に呼び捨てにしておるが、忍びの世界では雲の上の仙人のようなお方じゃ。

 猿飛は『カスミ』、才蔵は『キリ』と呼ばれていると言えばお解りかな。狸殿」



 …佐助が厳粛な顔で小助の遺言に話を戻す。

「もっと確実な何かを掴んでいたのだと思うがな?」


 得たり賢しと清海も、

「わしもそんな気がして来た。

『猿飛急げ! とっ、殿が危ない!』のうち『猿飛急げ!』が引っかかるのう。

 末期の時に『猿飛急げ!』という言葉はわざわざ言う事ではないかも知れぬ。

『サル・・・・』で猿飛という決めつけが、わしの頭にこびり着いていたのかも…?

 狸殿、そう思わぬか」

「もっと具体的で鍵になる言葉だったかもしれぬのう?」


「『殿が危ない!』だけが真の『閃き』かもしれぬわい」

「ふむふむ。

 となると『サル・・・・』の部分か…?

 これだけいろいろと話し合うて解った事も多かったが、謎はまだまだ多い…」

 狸殿がしみじみと言った。



 …天井にぶら下がっていた蝙蝠がバタバタと音を立てて洞窟の中を飛び回った。

 佐助のそばに来ると宙返りをした。

 あたりに霧が立ち込めた。

 中から現れたのは厳つい大男だった。

 鎌之助と風太郎よりも遥かに上の風格がある。


「小助へのいちばんの供養は魔界の計略にはまらず、平和な世の中を作る事と存ずるが」

 野太い声が木霊になり洞窟のあちこちで反響している。


「鍾馗様と仁王様の合体じゃ。

 これが、今、世間で評判の霧隠才蔵様だな。

 神出鬼没で困った者を助けると耳にしておるぞ。

 ありがたや。ありがたや。

 才蔵様のお力でなんとか魔物を封じ込めれぬのか?」


 清海は手を合わせて拝んでいる。

「このたびはそう簡単な事ではないし、甘くもないぞ。清海上人殿」


 海野六郎が、

「 議論も尽きたかな。

 そろそろ殿のお考えをお聞きしたいですな?」


 信繁がおもむろに口を開いた。


「わしは一人で豊臣方につく。

 太閤は出来心で天下を掠め取ったと聞いたが…」


 信繁は頭を掻いた。


「わしは豊臣家から受けた大恩をどうしても無碍にはできぬ。

 一度目の上田合戦の折、太閤の援助が無ければ首が飛んでおった。

 今、命があるのは太閤のおかげじゃ。

 それにもう一つ…。

 誰にも言えぬ理由がある。

 が、それを聞くのは堪えてくれ」


 信繁はまた頭を掻いた。


「そなた達に願いがある」

「・・・・・」

「わしについて来ないでもらいたい。

 このたびはわし一人でやらせてくれぬか」



 …立派なオニヤンマがスイーッと信繁の目の前を横切る。

 海野六郎の髷に止まった。

 左右の目を別々に動かして、周りをゆっくり見渡すと羽をつぼめた。


 いつの間にか髭面の霧隠才蔵の姿は消えている。


 黄金のオニヤンマを冠に頂いた海野六郎が輝きを放った。

「いや、わし等は殿についていく。

『殿が危ない!』と聞いてはなおの事」


 十蔵が続く。

「殿の臣下ですからな。

 戦さが起こらぬよう共に務めましょうぞ。

 力が足らず戦さになるかも知れぬ。

 そうなっても、わしは人殺しはせん。

 その事は、すでに上田での戦さの前に決めた事だ」


 清海が小助の声色で、

「そう甘くはないぞ。

 わし達は一度失敗をしておるのだぞ」


 今度は割れ鐘で、

「今のは小助の代わりじゃ。

 だが、オニヤンマ殿の言う通りでもある。

 殿お一人でという訳にもいかんぞ。

 それに魔界の謎を解く鍵は大坂城へ入城せずば手に入るまい」


 オニヤンマの六郎が、

「虎穴に入らずんば虎子を得ずか?」


 燻し銀は、

「ただし、佐助と才蔵は客人であり臣下ではない。

 甲賀、伊賀の忍びとその家族達の万を越える命運を握る惣領でもある。

 二人がこの国の命運を握っているのかもしれぬ。

 ゆえに別行動をとってもらう。

 鎌之助も猿飛の家来ゆえ、別行動でも良いのだぞ」


「いや、わしは殿についていくぞ。

 猿飛様の許可は頂いておる。

 猿飛様や才蔵様は友であるおぬし達と行動を共にできぬ。

 その分、わしが三人分働かせていただく。

 いや、小助の分と合わせて四人分じゃ」


「よしわかった。

 清海上人様のご慈悲である。

 鎌之助は一人で飯は四人分食うて良い。

 わしよりは一人前は控えよ。

 ガアッハッハッハ」


 洞窟は馬鹿笑いの大合唱…。

 とはならなかった。



 …信繁は笑わない。

「小助の言う通りじゃ。

 虎穴に入らずんば虎子を得ずも良いが、身の丈に合わぬ事はすべきでないと思うがな…」





次回からいよいよ最終章に入ります。

最終章は14回くらいの投稿になる予定です。

もう少しお付き合いくださると幸いです。

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