㊹-③第三部 第三章 南光坊天海 四節 柿熟す 三
三 赦す心
伊佐がまだ苦り切った顔でどんぶり酒を飲んでいる。
「悪事だらけじゃのう…」
海野六郎がいたわってやる。
「そんなに酒も苦いか?」
「酒は旨いぞ…?。
差し入れの紅屋の肴も旨い。
特に柿の葉寿司は絶品じゃ。
ふき殿の心配りが身に染みるわい。
塩味がやさしく効いた酢飯に紀ノ川の鮎が乗っておる。
酢の香りが良いと思うたらこりゃ柚子じゃぞ。
酒も肴もたまらん程、美味いわい!!
兄者は幸せ者じゃ」
「幸せ者はおぬしだろう。
馬鹿が珍しく悩んでおると思うて、同類のよしみで同情したこの六郎がもっと馬鹿じゃった!」
「狸殿、この酒は火入れをしておらぬ。
のにこの旨さ!
新酒にしてはちとばかり早すぎる。
普通なら酢になっておるぞ。
これぞ、まさしく百薬の長じゃ!」
「言われてみれば、確かに生きた酒なのに旨い…。
おぬし、まさか…。
ずっと酒の旨さの謎解きで、しかめっ面を?」
「あいや、すまぬ。
天下国家のために悩んでいたのは事実。
酒の新製法で橋本の酒屋と研究を重ねていたのも事実。
身体に力をつけるには、火入れをして死んだ酒より、酵素が生きておる生酒が良い。
兄者へのふき殿の愛情を垣間見た気がしてな…」
同類のもう一人である清海は頬張っていた酢飯を吹き出しそうになっている。
手をばたばたしている姿は・・。
まるで膨れた河豚のようだった。
…海野六郎が真顔に変わる。
「さて望月殿、徳川方の動きも整理してみてくれぬか?」
「いいだろう。
伊佐の酒はいくら苦い話をしても甘いらしいゆえ、安心して毒を吐いてやろう」
…徳川家康という男は義理堅い男のようだ。
意外であるが…。
関ヶ原で勝利してからも、秀吉との約束を守る事に縛られていた。
約束とは、秀頼の臣下である事、秀吉から秀頼を託された事だ。
転機は慶長十一年(1611年)の三月だ。
三年半前である。
二条城で成人した秀頼を自分の目で見て、秀頼が秀吉の胤でない事を確信した。
家康の心の中で、秀吉との約束を反故にする決心がついた。
この時すでに自らの余命がさほど残されていない事も悟っていた。
その日以来、対策が一気に加速する。
…家康と光秀は天下三百年の計を練って来た。
織田も武田も大将の首を失うとその政権は崩壊してしまった。
豊臣もその例に漏れず、天下を担うのは無理だと見抜いた。
鎌倉幕府は百四十年。
室町幕府は実質八十年しか持たなかった。
しかし天皇家は万世一系で千年以上に亘りこの国に君臨している。
歴史を振り返り、深く見詰め直した。
家康の影武者は二人いる。
さらに将軍職は秀忠に早々と譲り、その次の将軍は竹千代と決めてある。
仮に秀忠や竹千代の首を取られても、子孫の中から優秀な後継者を選べるように巨費を投じている。
それが大奥という組織である。
その組織を作っているのが春日局だ。
主君を支える堅固な家臣団には最も力を注いでいる。
徳川四天王と言われた酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政は皆死んだ。
しかし、その子達はしっかりと後を継いでいる。
本多忠勝の子の中には真田信之も計算されている。
(四天王の末裔達は十五万石前後を治めている。
真田家は十三万五千石を委ねられた)
本多正信、大久保忠隣に至っては未だ健在だ。
徳川方は謀略調略を駆使している。
だが、悪事と陰口を叩かれる矢面に立っているのは本多正信と長男である正純だ。
つまり、汚れ役を引き受ける忠臣もいる。
徳川の弱点である商人との繋ぎの補強の為に今井宗薫にも白羽の矢を立てた。
時流の匂いを嗅ぎ分ける天才だ。
千四百石を与えられ旗本になるように勧めている。
宗薫は再び武士に戻るだろう。
このようにして徳川を支える人材はますます補強されている。
…家康が最も恐れていた事は家康の死が判明した後に起こる混乱だ。
その時に豊臣恩顧の大名が一つでも離反すれば将棋倒しに崩れる危険が未だに満ちている。
崩れる危険のあるところは先に潰してしまう。
弱味は悟らせない。
組織を永続させる秘訣は権力の継承という難事をいかに乗り切るかにある。
いかに多くの世代交代を繰り返していけるかだ。
「大坂の事済むまでは死を伏せよ」という言葉が遺言である。
秀忠に料紙八百枚に渡る遺言を花押とともに残している。
家康の死は隠しても何年も隠せるものではない。
三年以内の予定だったが事が遅れている。
その焦りがこのところの強引さなって現れている。
家康亡き後は、裏は天海が仕切り、柳生宗矩が将軍秀忠の補佐をしている。
この三年で家康抜きの統治体制が何とかと作り上げられようとしている。
…望月六郎が問う。
「徳川がここまでこれた『真髄』はなんと見る」
伊佐が答えた。
「謀略じゃろう」
「それは表に出ている事の一部じゃ。
わが大殿の真髄を謀略とは見まい。伊佐入道よ」
「ふむ。では忍耐か?」
「確かに。世間ではそう見るかもしれぬ。
幼少の頃より今川へ人質として出され、その後も荒波に揉まれながら忍耐に忍耐を重ねた。
自分の長子でさえも家臣団を守るために切腹をさせた。
この世に浄土を作ろうとした志、いや、執念たるや凄まじい。
だが忍耐は『真髄』と言うよりも結果ではないだろうか?
何故そこまでも忍耐できたと考えるか?」
洞窟内に割れ鐘の音が小さく響いた。
「箍が緩いからではないか?」
「ほほう。清海上人殿…」
「ふふん…。
家康は家臣を本当に大切にしておるぞ。
家康のためになら心から命を捨てる気でいる忠臣が五百人はおるという。
そのもとは『赦す心』じゃ。
これ則ち泰平の世の真髄なり」
「おぬしも天海殿に負けぬ怪僧かもしれぬのう?」
「わしは一介の坊主で良い」
上田城で大失態をしおった牧野泰成でさえ、出奔しおったのに大胡藩二万石の大名に呼び戻されていると聞いておる。
信長公の使い捨てや太閤の厳しさとは大きな違いがある」
「そうであったな」
「牧野は屑じゃと思っておったが、一人の家臣の命の代償に領地を捨てるという男気があった。
家康か天海かはわからぬが、『盗人の三分の理を認める度量』がある。
牧野への扱いを見ればわしでもその気になるわい」
「毒舌と言われるこの望月六郎も同じ考えだ。
己れも攻め抜かず、他も攻め抜かぬ。
ゆえに忍耐ができたのでは?」
「そうだ。人は皆過ちを犯す。
己れも攻め抜いては己が身が持たぬ」
「他人も他の国とても同じ事だ。
攻め抜いてはならない。
わしが言うのは口幅ったいが…。
毒舌もほどほどにして、最後は赦し合う事が戦さの無き世への鍵かもしれぬ」
笑った顔を見せた事が無い甚八が褒め上げる。
「その点、伊佐のニコニコ顔は国の宝だ。
わしから見れば伊佐の存在そのものが人の世の奇跡じゃ。
『赦す心』が生まれながらに備わっておるから、その丸いニコニコ顔が出来るのだろう」
十蔵も褒める。
「苦いはずの酒とても旨く飲める。これは天の才じゃ」
鎌之助まで持ち上げる。
「泰平の世までそのニコニコ顔を繋げて欲しいものだ」
海野六郎はゆったりと、
「ほんに、ニコニコ顔の真髄こそが『赦す心』であり、平和な世の中を作るおおもとかもしれぬ」
望月六郎が話を変えた。
「伊佐よ。豊臣がここまで追い詰められた『真髄』をなんと見る」
「・・・運が悪かったのではないか?」
窮して答えた伊佐を「毒六」が懲りもせずに弄ぶ。
「ではどうして運を逃したのかな?」
「・・・?」
返事は返せないがニコニコ顔は戻っている。
「豊臣の真髄は『不正』にあるとわしは見ている。
掠め取った天下は長持ちはせぬ。
白雲斎様から聞いておる事を洗いざらい伝えよう。
本能寺の変の折、実は、家康、光秀、秀吉の三人は密約を結んでいた…」
…望月六郎が本能寺の変からの知っている事を佐助の守役として話した。
紀見峠の洞窟に暫く沈黙が続く。
洞窟の外も、秋の夜の美しい調べを奏でる虫の音の時は終わっている。
草木さえ深い眠りの中のようだ。
静けさをを破るのはやはり一介の坊主だった。
「さもありなん。
先程、豊臣の話を聞いたが『不正』が転じて暗さを呼んでおる。
関白秀次然り。
小早川秀秋然り。
寧々派と茶々派然り。
太閤に至っては地震に腹を立て、不遜にも京の大仏の眉間に矢を射たと聞く。
徳無くして運は無し。
カーツ!。
運を引き寄せるのは徳であるぞ」
…天正十三年十一月二十九日(1586年1月18日)。
天正大地震があった。
日本史上最大級の直下型地震である。
本能寺の変から三年後の事だ。
秀吉は人心を安堵させるために京の東山に巨大な大仏を作った。
文禄五年閏七月十三日(1596年9月5日)子の刻。
再び慶長伏見地震が起こる。
秀頼出生を祝ったはずの新築の伏見城も倒壊した。
京都では東寺・天龍寺・二尊院・大覚寺等が倒壊した。
京の大仏も首が落ちた。
それは大地の怒りだったかもしれない…。
秀吉は伏見城が狙い撃ちをされた様に感じた。
「己れの身さえ守れないのか!」と激怒し、あろう事か大仏の眉間に秀吉は矢を放ってしまった。
後ろめたさが焦りを呼ぶ。
焦りは怒りを呼ぶ。
怒りに我を忘れ、足を踏み外す。
方広寺の暗い因縁だ。
その方広寺を秀頼は再建した…。
…信繁が口を開いた。
「徳川に詳しい十蔵よ。
大御所が後を託したという天海とはいったい何者であるか?
おぬしの見立てを聞きたい」
「怪人というのが世間の見方でござる。
黒衣の宰相とも呼ばれておる。
関が原の合戦の前になるまで、わしの諜報網にかからなかったほどの難敵でござる」
「光秀殿に間違いはないのか?」
「出生については明確でないが、今年七十八歳という話もある。
衣には光秀殿と同じ桔梗紋を付けている。
二代将軍秀忠の名付け親とも言われておる」
「ふむふむ?」
「『暗黒師』と呼ばれる臨済禅五山の以心崇伝と幕府最高位の儒官である林羅山という人物がおる。
方広寺の鐘銘事件で難癖をつけたのはその二人である。
この二人でさえ天海の前に出ると「蛇に睨まれた蛙」の様になるらしい。
天台密教に通じ、祈祷をすれば不生女も子を産み、旱魃にも雨を降らせたという噂もある。
天海が光秀殿かどうかは、わしではしかとは判りかねる。
それ以上の事は猿飛から言ってもらおう」
横になって話を聞いていた佐助が居住まいを正した。
「南光坊天海。
もとの名は明智光慶。
父の名は明智光秀。
親子二代で南海坊天海を務めている。
三代将軍になる竹千代は元服の後は家光と名乗る事になっている。
無論、家康と光秀からとった名である。
竹千代の父は家忠もしくは家康、母はお福、つまり春日局だ。
春日局は明智の筆頭家老、斎藤利三の娘で明智一族の血が流れておる」
信繁が突っ込んで聞いた。
「明智の血と徳川の血を残すと言う事か?」
「徳川の三代目の話でござる。
光秀殿との絆の証のために家康殿が強引に為した事。
特にその事には光秀殿はこだわっておらなかったと聞く。
こだわっておるのは「戦さの無き世をいかにして続けるか」でござる」
さすがの清海も襟を正して聞いている…。
「 徳川が表で明智は裏。
徳川が光であれば明智は影。
二人は三百年の泰平の世を守るという誓いを立てた」
「・・・」
「太閤の裏切りの結果、地獄を見た光秀と辛抱強い家康が一つの強い絆で結ばれた。
人と人が真に『信と愛』で結ばれると、独りの時よりも数倍の力を発揮する。
家康も光秀も死してもなお神霊となり泰平の世を護る」
「・・・」
「二人の亡骸は江戸の真北に位置する日光に葬る。
霊廟は家康を祀り東照宮と呼ぶ。
光秀が合祀されている証しとして、日光に明智平と呼ぶ地を遺す。
その事は遺言の料紙八百枚の中にしっかりと書かれている」
「・・・!」
「家康は三年前に、光秀は十年前に他界した。
今徳川を差配しているのは二代目の南光坊天海、光秀の嫡男の明智光慶殿である。
沼田天水の後を継ぐ甲賀忍びの上忍の頭だ。
沼田天水とは蔦屋宗次殿の本名である」
信繁が何故か自らを戒めるように語った。
「すべては猿飛と小太郎が生まれた翌日の闇夜に生じた狂いの清算であるのか?
太閤の過ちに魔が魅入った事から始まったということか?」
その言葉に海野六郎がやんわりと添えた。
…「三十二年前の『日そく』に代表された『天変』。
天正、慶長伏見の大地震という『地異』。
天地の狭間にあるわし達はいかがすべきでしょうかな?」