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碧と白の珠玉   作者: 真緑 稔
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㊶第三部 第三章 南光坊天海 一節 祝言

 実に愉快だった。


 橋本の宿屋衆だけでなく町人も幅広く招待された。

 九度山の庄屋や百姓連中まで呼ばれ、この日ばかりは大祝宴となった。

 昌幸、信繁や十勇士や家臣団も当然の事ながら出席した。


 招待された土地の衆が驚いたのは清海兄弟の巨体ばかりでは無い。


 巷で人気の猛将とはとても思えない昌幸と信繁のひととなりだ。

 いっこうに威張ったところが無く頭が低い。

 真田ではもともと当たり前の有様だった。

 当の本人達は特に態度を変えている訳では無い。

 家臣もざっくばらんだ。


 慶長六年(1601年)二月十七日。

 立待月の宵に婚礼は始まった。

 大きな月の姿が三三九度の盃に映り、その月の上に白梅のひとひらが浮かんだ。


 白梅は満開だった。


 海野六郎が高砂をのんびりと謡い始める。

 猿楽さるがくだ。

 追いかけるように信繁の笛が入ると望月六郎の(つづみ)、甚八の大皮(おおかわ)が続いた。

 頃合いを見て十蔵が太鼓を入れる。

 十蔵の太鼓が入ると気合いが入る。

 拍子がぐんと早くなり盛り上がっていく。


 昌幸が立ち上がりおもむろに舞い始めた。

 昌幸の舞は魅力に溢れ、客達の心を鷲掴みにした。

 これで勢いがつき、金持ちの商家や庄屋達が流行りの幸若舞を次々と披露した。

 あとは身分の隔てなくさまざまな芸が繰り出されやがて、無礼講になった。


 坊主の祝言である。

 皆大いに呑んだ。


 甘酸っぱい梅が香が漂い、花嫁の美しさを際立たせた。



 …清海の祝言は思わぬ福を呼び込んだ。

 これ以降九度山一帯の治安が良くなった。

 高野山からも浅野家からも感謝された。


 それまでは治安が悪く赤沢達の様な盗人が当たり前の様に横行していた。

 ところが、自ら真田十勇士と言いふらし、身の丈六尺八寸、五十貫の大入道が十八貫の鉄棒を引っさげて橋本の宿屋の入り婿になったという噂が広がった。

 そこへ持ってきて清海が立て続けに泥棒やゆすり、たかりを五件ほど捕まえた。


 表向きはそういう事にしてある。

 実際は十勇士が捕まえて清海の手柄にしたのだが・・・。

 捕まえただけでなく赤沢達の様に改心させ正道に導いてやる。

 悪人と言われるもの達の内、根っからの悪人は一厘ほどもいない。

 人生の歯車がちょっと狂った拍子に道を踏み外してしまった心の弱い者達なのだ。

 赤沢や十蔵、甚八の所に送り込んで口すぎの世話まで丹念にしてやっている。


 ところで清海は妻帯しても三好清海入道と名乗っている。

 もともと本人に言わせれば「融通無碍の悟りの境地」にある清海なのだ。

「妻帯しようが独り身だろうが仏の道に仕える事に変わり無し。カーッ!」

 悠々としてこの辺一帯の治安を取り仕切っている気分でいる。


 紅屋はというと…。

 清海のお陰で紅屋なら安心。

 それに器量良し気立て良しの若女将が評判になりますます繁盛だ。

 大忙しの毎日だった。


 赤犬の次郎はちょっとそこいらでは見かけない程の大きな身体になった。

 太郎があまりにも凄い狼になったので、「太郎の弟分」と言うのは清海でもいささか気は引けるようだが…。

 兎に角、見掛けだけは立派になった。


 ただし、立派なのは図体だけだ。

 小犬に吠えられてもスタコラ逃げ出す。

 家の陰に大きい身体を隠し、顔だけ出して様子を伺う様はなんとも情けない。


「体はでかいのにこんな根性なしは見たことがない。

 わしはまだこやつが居眠りをしておるか、食べているところしか見たことがない。

 さすが清海上人様の分身じゃ」

 望月六郎が毒舌攻撃をしても、耳を垂らして鼻を擦り付けてくる。


 結局は可愛がられる。

 大きめの耳はいつでも垂れている。

 ピンと立っているところは誰も見ていない。


「お客様に吠えることもありませんので助かります。

 残飯もきれいに平らげてくれます。

 愛想は良いし宿屋にはうってつけの犬でございます」

「愛想が良いのは認めよう。

 清海とてひとつだけだが、書という取り柄があるからのう」


「そうでございます。

 何と言ってもこの笑顔です。

 なかなかのものですぞ」

「犬が笑うか?」


「清海様のように笑う訳ではありません」

「何とも言えない笑顔でございます。

 笑顔は客商売のもとですが、年季の入った女中でもこの笑顔はできません」

 兵衞作はすっかり気に入っている。


「しかし番犬にはならんじゃろう?」

「それが滅多に吠えませんが、悪人には吠えるんでごぜえます。

 低い野太い声で狼よりも怖げな声ですぞ」


「人の良し悪しを見極めるのか?」

「望月様は悪人に見えますが善人ですな。

 次郎が吠えませんですさけえ」

「こりゃあ参った」


 繁盛したのは紅屋だけでは無い。

 橋本の町全体が潤った。

「高野山詣でが安心になったぞ!」

 噂が広がり橋本で一泊する参詣客が増えた。

「安心」が水運業にも福をもたらしていた。

「どうせ運ぶなら安全確実で安い紀の川水運で」

 これは甚八のせいである。


 三好兄弟を九度山に住まわせるについて、上田を出る際に信之と小松殿は問題視していた。

 蟄居の刑を受けている割にはあまりに目立ち過ぎる。

 その上、兄の方はじっとしておらずいつも事件を引き起こす。



 …青柳清庵が雪乃に酒を注いでいる。

「『馬には乗ってみよ人には添うてみよ』とはよう言うたものじゃのう。

 あの巨体の兄弟が問題を起こすのではないかと心配していたがのう。

 九度山に昔からある大岩のように、ひとつの風景の如く馴染んでしもうた。

 地元のも者も今では当たり前のように受け入れておる」

「人徳でございましょう。

 人遁でしょうか。まさか?」


「小助がおればさぞかし喜んであろうに。

 今宵の笛とて殿が気を利かされたが、昔から小助の役じゃった…」

「人の寿命ばかりは・・・」


「昫、幸様に阿月殿、そして小助。

 まさかわしよりも先に逝ってしまうとは。

 生きるとは辛い世じゃのう」

「小太郎と十人の子達を残してくれました。

 嘆いていては小助様に申し訳が立ちませぬ」


「そうじゃ、そうじゃ。

 九度山を桃源郷にするのが小助とわしの二人の夢じゃ」

「まあ・・・」



 …愛妻家だった小助の愛が雪乃を支えている。



六尺八寸(206cm)、五十貫(188kg)、十八貫(68㎏)


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