㊵-②第三部 第二章 雪の百万石 四節 死闘 三、四
三 小助の遺言
ーーーいかん!
小助はとっさに神獣朱雀の技を出した。
八人衆と密かに磨いてきた秘術だ。
朱雀の力を持ってすれば、魔界の銛など問題ではない。
火の鳥が炎の尾を靡かせて飛ぶ。
火の鳥は佐助の起こした突風の中に入り、突風から弾き出る様にまゆの前に飛び出る。
小助は身を投げ出した。
…月と幸を失った小助は闇烏天鬼を伊賀の伝手を使って相当なところまで調べ上げた。
魔界の力の怖さが調べれば調べるほど解って来た。
昫の命を奪い、伊賀忍法の達人である月の命まで取ったのだ。
さらに意外な事まで知った。
才蔵の存在を知って希望を取り戻した小助は今度こそは絶対にしくじるまいと誓った。
ーーー闇烏天鬼の背後には得体の知れない力を持った者がいる。
天鬼は一つの駒に過ぎなかった。
戦乱の世の犠牲者だ。
天鬼のように蹂躙された者達の怨念が魔物の餌になり、魔界はますます力を蓄えている。
天下が危ない。
…才蔵が金沢に行くと聞いた時から不安を感じていた。
お永とその二人の姫、信長の血を引く者達がいる。
それに佐助と才蔵が加わる。
闇烏天鬼の獲物が集まるのだ。
小助は密かに金沢に来た。
そして執拗に天鬼を追い詰めた。
佐助と才蔵からも追われていた天鬼は逃げ場をなくした。
お永を人質にして身を隠そうと考えた。
ーーー「魔」「魔物」「魔界」というものがこの世にはある。
これに支配されると、とどの詰まりが戦さになり、この者達が災いを呼ぶ。
その根幹になっている者の存在を今一歩というところまで突き詰める事が出来た感じだ。
予想外の人物が鍵を握っているかもしれない。
縺れに縺れた糸を解かねば・・・。
猿飛に早く知らせて手を打たねば・・・。
折良く佐助が烈風を起こした。
一か八か神獣朱雀の術に挑戦した。
運良く、朱雀に変身できた。
ーーー今だ!
佐助の力と朱雀の力を持ってすればなんとかなる!
朱雀は炎の弾丸となった。
ーーーもしや!
魔界の者達のする事だ。
二重三重の罠がある!
この隙に小太郎も狙われているかもしれない…?
小太郎への一瞬の思いが小助の集中力に水を差した。
心の中に空いたほんのわずかな隙間のせいで手順が狂った。
後手に回った。
それが命とりとなった。
銛を弾きとばすつもりだったが、身体で銛を受け留めると朱雀は雪面に落ちた。
…「小助ーっ!!!」
清海の大声が金沢城に響き渡る。
本丸の火消しに向かおうとしていた清海と鎌之助が異変に気付いて駆けつけていた。
本丸の喧騒がどこか遠い世界の出来事のようにまゆの耳には聞こえる。
静まり返った雪の庭にもう一体血に染まった死体がある。
鋭い剣さばきで頭から胴体まで真っ二つに切り割かれている。
その死体は黒衣を纏っているがリボス神父ではなかった。
玄天に浮かぶリボスを見たまゆは逡巡した。
術をほどくのが遅れた。
妖のリボスの効果は多いにあった。
「佐助様、まさか…」
鎌之助の顔は蒼白だ。
「その通りだ。
いつもの魔物の悪霊だと思った。
生身の人間とは気づかず村正を抜いてしまった」
「なんと・・・」
「もう二人とも事切れている。
するべき事をしよう。
才蔵、すまぬが本丸の火を消してくれ」
佐助はとっさに命令した。
(今のまゆには打ち拉がれたままでいるよりも、仕事を与えた方が良い)
一天にわかにかき曇る。
生臭い風が吹く。
天守閣が隠れるほど厚い雲がみるみる広がっていく。
雲の中から大きな青龍の目が雪化粧をした城郭を見降ろしている。
龍の目は潤んでいた。
青龍は燃え盛っている利長の寝所の方へ降ると尻尾で炎上する建物を一撫でした。
本丸の半分が叩き壊された。
火勢が衰えるのを確かめるでもなく青龍は天に消えた。
城郭一体に大雨が降った。
四半刻ほどで雨は上がった。
大きな雨粒はまゆの悲しみに満ちていた。
やがてあたりは白い霧に包まれた。
何も見えない。
東の空から朝日が射しはじめると霧が晴れていく。
視界が良くなるまで誰も身じろぎひとつできなかった。
そんな静寂を破るのはこの男だ。
「実は昨日の夜明け前に小助に叩き起こされたんじゃ。
猿飛について金沢に行くように言われたのに、わしはなんの役にも立たんかった」
「・・・」
「亜流備流とか言ったな。
この銛はこの国のものではないぞ」
「清海、そこまで小助に聞いていたのか」
「すまぬ」
「謝るな、おぬしらしゅうない」
「村正に血を吸わせてしもうたのか?」
「そのことは後にしよう。
たかが刀ではないか。
わしが奪ってしまったのは人の命だ」
「そうじゃな。
坊主であるわしが小助の供養をしてやらねば。
天鬼の手下とはいえ伊賀者の命の供養もな」
「太郎にあんなに何度も警告されておったのに、また不覚をとってしもうた」
「猿飛、おぬしの力を持ってしても時は戻せん。
悔いるまいぞ」
「猿飛様、ここはじっと耐えるしかありませぬ。
時は戻すことはできませんが、時というものは人の心を癒す力を持っております。
時にしかない力にすがるのでござる」
鎌之助が噛みしめるようにして慈しみの言葉をかける。
「そうだな。時の力とは不思議なものだ」
…小太郎、雪乃の顔が浮かぶ。
殿や両六郎、甚八、十蔵、伊佐・・・。
…佐助は気丈に振る舞ってはいるが、心の奥底は暗闇を彷徨っている。
まゆは口を開くこともできない。
四 百万石の礎
小助の亡骸は黒魔術に操れていた伊賀の犠牲者とともに本丸の庭で荼毘に付された。
お永がそこに桜の木を二本植えた。
利長が朱雀桜と命名した。
朱雀桜は三年後に一輪の花をつけた。
花びらの先端には、ほんの少しだけ朱がさしている。
八年後の春には花吹雪を起こすまでに成長した。
永く前田家の人々に愛され、植え継がれた。
清海と鎌之助は金沢に残り右近の家で十日程滞在した。
雑賀衆と風魔小太郎の一党、それに天鬼の仲間の心の鎖をリボス神父とともに丹念にはずした。
風魔衆は駿府に行き、春風と手を組み天下のために尽くした。
雑賀衆はリボス神父の感化で切支丹になった。
右近のもとで忍びの技を活かす事となった。
天鬼の手下の者達は六人とも伊賀の藤林党の捨て忍であった。
忍びには戻らず赤沢達と合流し商人になった。
彼等は闇の力の正体や元締めの消息については肝腎のことは何も知らされていなかった。
長崎から京、大坂、江戸にかけて拠点を転々と移しつつ根を広げているらしい。
風魔小太郎は改心すると才蔵の家来になりたいと申し出た。
が、才蔵は放心状態だ。
言葉だけでなく心話も使えない。
守り神である珝も致命傷になる翼を折られている。
風魔小太郎の願い出は才蔵の代わりに佐助が快諾した。
小太郎の警護と雪乃の世話を頼んだ。
小助の残した「清庵」はこれから大所帯になりそうだ。
青柳清庵も高齢なので無理はさせられない。
小太郎は大所帯の切り盛り役には不向きだ。
下男として清庵で働くことになった。
「小太郎が二人になるぞ」
「鬼の小太郎と生き仏様の小太郎ではえらい違いじゃな」
「鬼の方は風太郎に改名する」
清海の勝手な決め付けだが鎌之助が気にいってしまった。
四本の牙は自分の歯ではなかった。
入歯を取ると、伊佐に迫るくらいの愛嬌のある顔も垣間見せた。
大男の風太郎が小太郎を一生懸命世話する姿は何とも微笑ましい。
清庵に来た患者の心をほのぼのとさせたという。
珝は左の翼を折られた。
佐助は小太郎秘伝の薬を翼に塗り込んで昫の子供の時の要領で副え木を当てた。
枇杷の木は手に入らなかったが、竹を細く割いてしなやかな網を二枚作り上下から当てた。
「まるで羽のようではないか。
猿飛は荒くたい奴と思っておったが隅に置けぬわい。
飛騨の匠も顔負けじゃ」
清海が両手で扇いで悦に入っている。
珝は瀕死だ。
昫の二の舞になるところだった。
佐助は利長に部屋を借りて、才蔵と太郎に三日三晩添い寝をさせた。
ひとつは飛べない珝を守るため、ひとつは才蔵の気の力を珝に入れさせるためだ。
もうひとつは太郎の気を珝と才蔵に充電するためだ。
念のために春水配下の甲賀衆に結界を張らせた。
珝は奇跡的な回復力を見せた。
五か目の朝には飛べるようになった。
その姿を見た才蔵も言葉を取り戻した。
…今度は真宝丸があったのだ。
真宝丸は才蔵にも良く効いた。
佐助は白山を独りで訪れた。
千子村正を供養した。
頂上付近に場所を定め、地中深く密かに葬った。
以後使われる事のないように、気の力で三つに折り封印をかけた。
その後、父信長の霊の眠る八合目の洞窟に行った。
信長から昨年の五月に「合せ鏡の術」で心話があった。
その時に映し出されていた連山は新緑の芽吹きに覆われていた。
今は白銀で別世界のようだ。
父の気配は微かに残っていた。
だが遺体も遺品もなかった。
手を合わすと、昫とともに修行をしたあの一年間が彷彿として甦った。
利長は佐助の助言をそのまま実行した。
翌年本多政重を前田藩に迎えた。
九歳の利常に三歳の子々姫(のち珠姫)を正室として迎え入れた。
四年後の慶長十年(1605年)には十三歳の利常に家督を譲り、四十四歳で隠居してしまった。
高山右近は結局マニラ行きに最後まで首を縦に振らなかった。
利常の補佐をして前田家に尽くした。
だが、右近一族だけで守られて来た信仰の火はこの年を境に急速に金沢に広められた。
百七十一人が洗礼を受け、三年後には南蛮寺も建て信者も千五百人に達した。
宇喜多家の家老だった宇喜多休閑。
朝鮮出兵の後始末のため北京まで行って交渉した内藤如安等…。
関が原で敗れた切支丹武将達が右近の元に集まった。
本多正重の御利益だ。
十三歳で家督を継いだ利常は佐助の見立て通りなかなかの器量人だった。
後世の歴史は成人した利常を「馬鹿殿様」の代名詞にしている。
「鼻毛を伸ばし、その先に蜻蛉を括って遊んでいた」という逸話まで残している。
利常は受け継ぐものをしっかり利長から受け継いでいた。
案外「馬鹿殿様」としての生き残り方は利長が清海から学んだものかもしれない。
着衣がいつも乱れている、だらしない鼻毛の殿様は戦争放棄を前面に打ち出した。
徳川と良好な安定関係を作り加賀文化に力を注いだ。
その一方で困窮農民を保護しつつ農政改革を行なった。
藩の財政は著しく潤沢になり、その資金が加賀文化の発展を支えた。
横山家と太田家による派閥争いは年月をかけて利常の代にようやく収められた。
…利家から三代で加賀百万石の礎はしっかりと築かれた。