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碧と白の珠玉   作者: 真緑 稔
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⑥第一部 第二章 仙人 二節 修行

 一 紫の煙



 東の空が薄紫色に光を帯びる頃には佐助は苫屋とまやの前に来ていた。



 白雲斎が歩くともなく浮かぶともなく庵の中から出て来た。

 くうを従えている。

「早いの。(ごん)も来ておるな。

 佐平殿の許しも貰えたようじゃ。結構、結構」

 山の()が黄金色に輝き、やがて日輪が頭を(のぞ)かせた。

 日輪が完全に丸くなるまで白雲斎は手を合わせて拝んでいる。

 佐助もそれに習い、琿は佐助をまねる。

 山の端から日輪が離れる瞬間、さらに大きくなり黄金色が一層輝く。

「この一刻こそ大切なり。

 さっ、中に入れ。笹湯を馳走(ちそう)しよう」


 唐松林を抜けた日差しが苫屋に光と陰の(しま)を描く。

 光と陰の斜線を縫うように庵から紫の煙がゆらゆらと昇る。

 岩燕いわつばめ)が二羽、弧を描いて素早く舞った。

 白い腹がきらりと光る。


「おお、飛燕ひえんじゃ。瑞祥ずいしょうなり」

 枯れた声が深山に響く。

 深閑とした中、神々しい気が満ちている。

「岩清水の笹湯は体に良いぞ。

 熊笹は煎じれば血をきれいにする。

 毒に強い体にもなる。

 特に若葉が良い。

 今朝煎じておいたのじゃ。

 (くう)(ごん)は冷ましてから飲むが良い」


 切り株の上に大きな新しい(わん)がある。

 昫と琿の分まで用意されている。

「唐松の木っ端でわしが作った。

 木といえど命あるもの。

 ゆめゆめ粗末に扱う事なかれ」


 松の清らかな香りだ。

「松の香りは良いの。

 唐松の新芽で松酒も仕込んでおいたでな。

 二か月もすれば良き薬となろう。

 唐松は落葉樹ゆえ新芽は特に薬効がある。

 今こそ旬と言える」

 (松葉が酒になるじゃと。おいらが酒を飲んでも良いのか・・?)

「薬じゃ。このような薬草や忍びの術の基本の伝授は下忍(げにん)のヨモギに頼んである。

 半刻(はんとき) もすれば現れよう」


 囲炉裏(いろり)の中では若鮎が串刺しにして焼かれている。

 団栗どんぐりがぜる。

 昫と琿は初めてのようだ。

 パンと音がすると一瞬ピクつく。

 爆ぜた団栗を捕まえて転がし、冷ましては、じゃれあって食べている。

「愉快、愉快。実に楽しい。

 生が良いと思ったがそうでもないようじゃ。

 わしも老いを忘れる」

 白雲斎が目尻を下げて無邪気に笑う。


「今朝、昫が若鮎を漁って来た。

 団栗は夕べ琿が持ってきてくれたのじゃ。気が効くのう」

 琿の顔が一瞬、にっと笑った。

 琿はおだてに弱い。

「育ち盛りゆえ腹いっぱい食べてしっかりと滋養をつけることが肝要。

 ただし、ここでは時給自足ではあるが。それも修行じゃ」


 (いおり)の中は意外と広い。

 寝床と思われる物が二つ。

 地面から一尺程の高さだ。

 唐松の小枝の層が半分。

 その上に炭、その上にここに生えていたと思われる熊笹。

 そして むしろが敷いてある。

 心地の良さそうな寝床だ。


「下忍衆がこしらえてくれての。

 ひとつはわし用じゃ。

 佐助はもうひとつを昫と一緒に使うが良い。

 昫から特別なものを分けてもらえるはずじゃ」

 琿は寝床へ上がって嗅ぎ回っている。

「時々は天日(てんぴ)干しをせよ。

 良き眠りをとり、太陽と大地の生命の力を身体の芯に溜め込んでおく事」

 (面白そうだな!?)

「絶体絶命の危機を乗り越えるのは『ほんの(わずか)な気の力の差』である。

 目に見えぬ程の日々の鍛錬の積み重ねの差こそが命の分かれ目であると心得よ。

 薄き紙を一枚一枚重ねるようにな」


 (ごん)がしばらくおとなしい。

 寝床の筵をめくって一生懸命何かをしている。

 熊笹の葉を井桁に組んで重ねている。

 気が付くと三尺も積み上げていた。

「まさしく薄紙を重ねる如く也。これぞ修行の基である」



 …琿がまたにッと笑った。




 二 友達



 ーーーあたしはすっかりくつろいでいる。


 このお爺さんといるとなぜか安心。

 肩の力が抜けて気楽な感じ。

 おじいさんの声を聞いていると眠たくなるんだな。

 あごを地面につけて寝そべっちゃった。

 琿はそそうをしでかすような猿じゃないし、佐助様もワクワクしているみたい。

 だけど琿のお節介病が出ると「小さな親切、大きな迷惑」になる。

 佐助様は急に変なことをするから。

 あたしが監視だけはしておかないと。

 ところでこのお爺さんどこかで会ったような気がするんだけど?

 まあ、だいじょぶだとは思うけど念のために目だけは開けとこう。

 眠いから片目だけ。



 (ごん)は佐助が笹湯を飲めば笹湯を飲み、(うなず)けば頷いている。

 いつものように結構気を利かしている。

 いそいそと籠から木の実を出してきては囲炉裏に()べたり、昫に分けてやったリして楽しそうだ。



  ーーー変な爺さまだぜ。

 俺様は気を許してねえぞ。

 佐助と昫が心配だから昨日から張り付いているけどな。


 昫は訳ありの仔だ。

 この山では狼たちに二度とあんな事はやらせねえ。


 佐助もちょっと訳ありみたいだからな。

 あいつは怒ったら手が付けられねえ。

 危なっかしくて見ておられん。

 突然火が燃えるみたい怒りやがる。

 盗っ人を取っ捕まえた時もそうだった。

 近くにいた山犬がとばっちりで腰を抜かしちまって小便ちびったもんな。


 この爺さま、真夜中に突然来て唐松を切り倒しやがった。

 俺にあいさつもなく。

 しかもあやしい人間を四人も連れて。

 俺様はこの山の主だ。

 この山ではかってな事は許さねえ。


「戦さのない世をつくる」だとバッカじゃねえか?

 俺たち猿は戦さはしねえ。

 一番強くて賢い奴を頭に決めたらみんなが頭の言うことをきく。

 そりゃ(かしら)を決める時は一対一での喧嘩はするぜ。

 だけど相手の命まではとらねえ。

 同類で殺し合いをするのは人間だけだろ。

 馬鹿丸出しだべ。

 そんな事ちょっと胸に手を当てて考えたら解ることだ。


 だいたい人間は迷惑なんだよ。

 一番獰猛なのは熊たちじゃねえ。

 人間だ。

 佐助はちょっと違うんだ。

 人間というより獣の匂いがする。

 気性は荒いけど獰猛じゃねえ。

 この山の動物たちを殺して食ったりしねえ。

 佐助は迷惑じゃねえんだよ。

 猿は人間どもがするような「(むご)くて終わりのない戦さ」なんてしねえ。

 猿は人間より賢いんだ。


 …猿を()めんなよ!




 三 開門



 (くう)(ごん)と一緒に忍術の修行ができるとは思ってなかったので佐助は嬉しくてしようがない。



「修行の段階に応じて下忍、中忍、上忍と忍びの衆に来て貰う」

  (ゲニン、チュウニン、ジョウニン・・・?)

「佐平殿と志乃殿のことを案じておるやもしれぬがそれには及ばぬ。

 不自由の 無きように宗次殿が心配りをしてくれておるゆえに。

 宗次殿は実は甲賀衆の上忍である。

 堺の商人とは仮の姿なのじゃ」


 尋ねなくても佐助が心の中で思ったことを白雲斎は次々と語る。


「さて、いよいよ修行についてじゃ。

 忍びの技の一番の(かなめ)は気の鍛錬にある」

  (キノタンレン・・・?)

「肉体の鍛錬は当然のこと。

 技や道具についての奥義も極めねばならぬ。

 だがそれは中忍までの術。

 上忍からは特殊な気の集中力が求められる。

 修験道、陰陽道(おんみょうどう)、真言密教のうちのどれかひとつから入る。

 ただし、上忍といえど道を極めておる訳ではない」

 (シンゴン・・・?)

「いずれの道も奥深い。

 じゃが、それぞれの道は密接に繋がっておる。

二兎(にと)を追う者は一兎(いっと)をも得ず』じゃ。

 まずはひとつを極めんと志すが良い。

 他は自ずと見えてくる」

(ニト?さっぱりわからねえ)

「今は解るまい。それで良い」

 (ええのか・・・?)

「さらに上忍の先の境地がある。

『空を飛び、水を渡り、水に潜む』の境地である。

 佐助はその境地を求めよ」


 (……なんとなくわかる!)


「それには(えん)の行者の開き給うた修験道から入るが良い。

 今までのおぬしの生活は修験道の修行に近いゆえの」

 (シュゲンドウ・・・?)

(えん)の行者には『米俵を宙に浮かせて運び民を助け給うた』という伝説がある」

 (米だわらが浮くじゃと!)


「ふふふ」


 白雲斎は空中に九字を書いた。

りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん!」

 両手を結んで(いん)の字をつくる。

「ウン!」

 気合いと同時に庵の隅にある木箱の蓋が開き、

 分銅(ふんどう)のついた鎖鎌(くさりがま)がふわりと浮き出る。

 琿の身体が鎖で縛りあげられた。


 (ごん)はキーキー言っている。

 身動きひとつできない。

「ほどいてやってくれ。

 鎖鎌もしまってくれるかの」

 すぐに解いてやったが鎖鎌はずっしりと重かった。

 琿は鎖鎌をのけてもまだ動けない。

 声だけキーキーと言っている。

「金縛りもかけておいたゆえ」

 白雲斎が息をフッと吹きかける。

 ようやく琿は元に戻った。

「かわいそうであったがこれも佐助の修行の始まりじゃ。

 それに琿は大事な稽古相手ゆえ、ちっとはわしを信用してもらわんとな。ホッホッホ」


「すげえ!」


「学びには二つのコツがある。

 一つは解らずとも『なんとなくわかる』ような気になる事。

 二つは『驚く事』じゃ」

「・・・?」

「おぬしはその二つを今やったのじゃよ」

「ふむ」

「修行の門を開けおったわい。

 きっとものにするじゃろう」

「門を開けた・・?」



「おう、外でヨモギ殿が待っておる。

 さあ修行じゃ!わっぱ扱いもここまでじゃぞ、佐助」





 四.石の上にも三年



 外では百姓が待っていた。



 身体つきはがっしりとしている。

「ご、五遁(ごとん)三十法(さんじゅっぽう)をお伝えさせてもれえますだ」

「佐助だ」

「カーツ!」

 佐助は物凄い烈風で吹き飛ばされ、切り株にへばりついてなんとか(こら)えた。


「しばらくはヨモギ殿がおぬしの師匠である。

 師匠には師匠へのもの言いがある」

 (ふむ)

「言葉は大事なり」

 (ふむ)

「まず人としての言葉から学ぶが良い。

 もはやおぬしは獣でもなければ(わっぱ)でもない」

 (たしかに)


「もうひとつ。

 甲賀の下忍衆とは卑しいゆえの下忍に非ず。

 上忍、中忍、下忍、それぞれの役割りが異なるだけじゃ。

 ヨモギ殿より五遁(ごとん)三十法(さんじゅっぽう)を心して習うが良い」


 白雲斎の姿はすでに唐松林の上にあった。

 あっと言う間に見えなくなリただ声のみが山に木霊(こだま)する。


「佐助!これが飛行の術なり」



 ヨモギは普段は甲賀で百姓をしているという。

 下忍衆の中でも特に薬草に詳しいらしい。

 ゆえにヨモギと呼ばれている。

 この度は命を受けて鳥居峠まで来たのだという。

 農繁期である事くらいは佐助も知っている。

 佐助は自分の甘さに心が痛んだ。


五遁(ごとん)三十法(さんじゅっぽう)はじっくりとお伝えしますだが、忍びの技の肝腎要(かんじんかなめ)をお判りやろうか。

 忍びの技はなんのためにあるとお考えでっしゃろ」

「ふむ・・・。戦って勝つことでゴザイマショウカ?」

「そ、そうではありませんのや。

『戦わずして勝つこと』でごぜえます」

「『戦わずして勝つ』でゴザイマスカ?」

「戦えば血が流れます。

 血が流れると怨みが残ります。

 仕返しをしたらまた仕返しがごぜえます。

 結局残るのは辛い悲しみです・・」

「つらいかなしみ・・・」


「甲賀衆は相手を打ち負かす事でなく、『逃げること』が忍びの技の肝腎要やと、ちいせえ頃からたたき込まれます」

「ふーむ。忍術とは逃げることデスカ?」

「そのとうりです。

 そ、そやさかい五遁三十法が大事でごぜえます」

 どうやら、並みの忍びではない。


 みどり池と呼んでいる湖で水遁(すいとん)の「狐隠れ」から術を教えた。

 その日は天気が良く暑かったのでヨモギが気配りをしたのだ。


 朴訥(ぼくとつ)ではあったが温かみのある人柄だった。

 夜星朝星(よぼしあさぼし)で時を(いと)わず、噛んで含めるように伝授してくれた。

 徹夜の修行もあった。

 ヨモギのねぐらはどこか判らない。

 一日も欠かすことなく丁寧に根気良く、忍びの「いろは」から「忍び(がたな)」や「埋め火」、薬草や毒などの道具や術の知識や使い方に至るまで教えてくれた。


 天遁(てんとん)十法、地遁(ちとん)十法、人遁(じんとん)十法全てを授けて、翌年まだ雪が消えぬ頃に黙して去った。



 中忍の師匠は亀井八右衛門(かめいはちえもん)と名乗る武士だった。


 誰に仕えているのかは明かさなかった。

 甲賀には住んでいない忍びのようだった。

「忍という字は刃(やいば)の下の心と書く。

 隙あらば命はないものと覚悟せよ」

 という言葉で始まった。


 夏場は馬術、弓、剣術、槍、棒術、鎖鎌等、武術全般。

 冬は雪の中での柔術を中心とした体術だった。


 四六時中真剣に命を狙う。


 それが教え方のようだ。

 生き延びるために、まさに必死になっているうちに瞬く間に一年が過ぎた。

 白雲斎の命令とはいえ、命を狙い続けなければならなかった亀井八右衛門の方が佐助より辛かった筈だ。

 佐助とて解っていた。

 成長したのだ。

「さらばじゃ」


 顔色ひとつ変えずに去った。



 三年目の春には修験者が訪れた。


 年齢は佐平より上に見えた。

 健脚の持ち主だった。

 強烈な気の力を感じた。

 修験者は佐助と昫を伴い、出羽三山(でわさんざん)戸隠山(とがくしやま)、加賀の白山(はくさん)等の霊山で荒行を行った。

 琿は鳥居峠一帯の主なので留守番となった。


 頭に頭襟(ときん)、手に錫杖(しゃくじょう)袈裟(けさ)篠懸(すずかけ)という麻の法衣を身に(まと)い、ほぼ一年を高山で過ごした。

 厳しい大自然の中で寝起きも食事もともにし、一年間片時も離れず同じ時を過ごした。

 読経(どきょう)真言(しんごん)を唱える以外修験者は一言も語らなかった。

 断食(だんじき)、滝打ち、火渡り、座禅(ざぜん)祈祷(きとう)などの修行の中で、森羅万象(しんらばんしょう)の生命や神霊に触れた 。


 大宇宙に(みなぎ)るおおいなる気の力を体得した。



 …修験者は最後まで名も語らなかったが佐平に似た温もりを感じた。


半刻(1時間)

一尺(30cm)、三尺(90cm)

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