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碧と白の珠玉   作者: 真緑 稔
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㊴-④第三部 第二章 雪の百万石 三節 吉法師 四

 四 前田利常


 お豪の顔が火照っている。


「暑くございませぬか?」

 四半刻の沈黙を破ったのはお豪だった。


 鎌之助が次から次へ白檀をくべるので清海も額に汗を浮かべている。

「おぬし(うつ)けか?」

「空けでござる」


 破顔大笑。


 利長は音を立てて白湯を啜った。

「今回の騒動の元はいずれも本多正信殿の差し金との事。

 もう良い加減で止めさせる方法は無いものか?のう猿飛」

「ござる」


 右近の目が輝く。


「右近殿の屋敷で毒を盛られた時に清海達がいみじくも答えを言っておった。

『少量の毒は薬になる』とな」

「ほほう?」


「信玄公の命を奪い、昫の命を取った鳥兜とて本来は生薬であり、立派な薬でござる。

 鎮痛薬や強心薬、利尿にも良い」

「いかなる人物も使い方次第ということかな」


「帝王学の要でござる」

「毒とはまさか本多正信親子のことではあるまいな」


「いかにも。

 正純まさずみ殿の弟の政重(まさしげ)殿という御仁をお豪様はご存知であろう」

「はい。宇喜多家の家老でしたから」


 本多政重は正信の次男である。

 十八の時にある不祥事を起こした。

 その後遍歴をしていたところを宇喜多秀家に二万石で召抱えられた。

 宇喜多家滅亡後は福島正則に仕えている。

 生来腰が落ち着かぬ癖があり世評は良くない。


「その政重殿を前田家の筆頭家老として三万石でお迎えなされ。

 諸事万端すべて任せてしまうのでござる」

「政重の毒は父や兄に比べると少ないゆえ薬になるという事かな?」


「そうでもある。

 兄上、正信父子はわれ等から見れば悪謀家でござるが、本人達は徳川のために命懸けで尽くしておる」

「ふむ」


「吾が甲賀の上忍の頭、天水殿とて前田家のために武田信玄殿を暗殺したではござらぬか」

「ふむ」


「政重殿は確かに兄の正純殿と比べれば器量は劣るかもしれぬ。

 身持ちの悪いお方ゆえに福島殿ともそりがわぬと聞く。

 だが、こちらが心から情けをかけ信頼して任せれば、前田家のために必死で尽くされるかもしれぬ」


 お豪は嬉しそうだ。

「わたくしも同じです。

 わたくしの浪費のせいで家が傾くと宇喜多家では疎まれたこともございました」

「父の正信殿も表は毒蛇の如きである。

 が、心の奥底には一度は徳川家を捨ててまで百姓衆のために命を賭けた暖かい血が流れておる」


「『毒をもって毒を制す』とは、驚かされるばかりじゃ」

「これは清海達の知恵でござる。

 わしの知恵では無い」

 清海は坊主頭をつるつる撫でている。



「次に千姫殿のお妹御になる子々(ねね)姫を徳川家から犬千代君(利常)の正室として戴かれよ。

 子々姫は一昨年の三月にお生まれの筈。

 ぐずぐずせず早くお貰いになる事だ」

「なんと!」


「縁組の話は子々姫ご誕生の時から出ているはずだ。

 徳川とてまだまだ薄氷の上を歩む時が続くだろう。

 前田家との関係を揺るがぬものにしておきたいのだ」

「・・・」

「そして犬千代君と子々姫に早く家督を譲られて、さっさと隠居されるが良い」

「徳川方の内々の事まで知っておるのか?」


「兄上が切れ者である事はすでに徳川方にはバレておる。

 凄腕の殿様のいる加賀百万石が怖れられるのは当然の事」

「おぬし恐ろしい男じゃのう」

「この度の事は『徳川からの催促』と言えなくもない」

「正信殿はそこまでやるのか?」

「『身体のどこを押しても毒が出る』と言われるだけあって半端ではないぞ」

「じゃが犬千代はわが弟とはいえまだ八歳。

 それに母上の御子ではござらぬ」


「そのような事は前田家の私事であって、民とは関係がない。

 今は世が治まるかどうかの瀬戸際だ」

「徳川の方が真剣だと?」

「どちらも真剣だ。

 天下のために徳川がすでに厳しい決断をした事は確かだ」

「ふむ…?」 

「これからはさらに様々と手を打つだろう。

 褒められる事ばかりではないだろうが」


「豊臣家もか?」

「豊臣家とて片桐殿や大野殿だけではこれからの難局からは逃げられぬ。

 正信殿か正純殿の様な毒気の有る苦労者を筆頭家老に入れる。

 さすれば生き残る事ができかもしれぬ」

「思いもよらなんだ。

 猛毒をして豊臣家の余命を繋ぐ薬とするという事じゃな。

 しかし淀殿は受け入れまい」


「いかにも。

 淀殿にはいろいろと事情があるようだ」

「家を優先するか、民の安寧を優先するかという事かな?」

「この案とても兄上が簡単に呑めるものではない。

 利常殿はまつ様の血筋では無いし、兄上と姉上のお子でも無い。

 まつ様も姉上も辛かろう。

 だが、犬千代君はなかなかの器量人の相をしておるぞ」


 また重い沈黙が訪れた。


 それを破ったのはお永だ。

「わかりました。

 これで出来ました。

 今宵早速江戸へ文を書き、母上と於江様にお願いしておきましょう」

「すまんな、お永。

 女というものはわが子に家督を継がせたいもの。

 わしには過ぎた妻だ」


「私は残念ながら男の子に恵まれませぬゆえ致し方ございませぬ。

 こうする事で前田家のお役に立てれば。

 私も救われた様な気持ちです」

 佐助が付け加える。

「春風殿も半蔵殿も動いてくれるであろう。

 風魔小太郎もやがてお家の役に立つかもしれぬ」


「いかん、いかん。

 肝心の右近殿の意見を聞いていなかった」

「何を仰せかと思えば。

 客将の身でありながら禄も二万五千石。

 身に余っております

 家老はいつでもお譲り致します」


「・・・」


「それに切支丹が家老ではゆくゆくはお家のために良くはございませぬ。

 ちょうど良い折でございましょう」

「そうか・・・。

 有難い事じゃ。

 いつもこうじゃ。

 右近殿の言葉を聞く度に肩の荷が軽くなる。

 真の兄のようじゃ」



「有難い事です。

 右近様無くして加賀百万石は有り得ませんでした。

 後の心配事は只ひとつ。

 その右近様やお豪をはじめとする切支丹の事です。

 佐助、どうすれば良いでしょうか」

 お永が話題を変えた。


「その事は才蔵、いやマリア殿から申し上げよう」

「はい。

 我々切支丹がこの国で穏やかな日々が送れるのは長くて後十年と見ております」


 利長がさらに踏み込んだ。

「十年という事は…。

 時至れば家康殿は豊臣家も切支丹も一度に潰しにかかるということではないのか?」

「はい。そうならねば良いのですが。

 今でしたら呂宋で受け入れる事が出来ます。

 皆様が無理をする事無く、充分の準備をした上で」


「呂宋とな」

「堺の今井様や日比谷様、それに吾が父も船をご用意できます。

 わたくしが日本に帰りました目的のひとつはそこにございます」


「ふむ、まゆ姫の父上とな・・・。

 御名は何と申される」

「ファンデ・シルヴァと申します」


「何と。イスパニアのマニラ総督ではないか。

 それは強い味方じゃ。

 だが右近殿は首を縦に振らんのじゃな」

 お豪が弱音を吐いた。

「わが殿は八丈島でございますし。

 秀家様を置いてわたくし一人呂宋に行く訳にも参りませぬ」


「お豪、そう思い詰めるな。

 宇喜多様とていつ許されてご帰還になるか分からぬ。

 窮してもやり方は幾らでも有るものじゃ。

 そちの様な者が義理堅い右近殿の足を引っ張っておる。

 猿飛、何か良い策は無いか?」

「こればかりは容易ではない。

 我欲に固まった者を動かすのは易しい。

 難しいのは右近様の様に、世のため人のために固い信仰をお持ちの方でござる。

 人の世とはなかなかに難しい」


 右近がにこやかに言う。

「お心遣い真にありがたい。

 わしはイエス様にお仕えする身。

 全身全霊をイエス様の御手にお任せしてござる。

 今迄も幾度も試練がござった。

 だがその度毎にイエス様の御許に近づけた気がしている」


「ふむふむ」

 試練などとは無関係に見える清海が相槌を打っている。


「確かにこの先どんな事があるかわかりませぬ。

 わしは今の一日一日を大切にし、一人でも多くの人に福音を伝えとうござる」

「解った。右近殿は心の赴くままにされるが良い。

 金沢に居られる間は今までのご恩返しにいかようにもお手伝い申そう。

 マニラに行く決心をされたなら、猿飛や、まゆ姫が力を貸してして下さるとの事じゃ」


 音も無く障子が開き雪の庭が現れた。

(才蔵上達したな)



 …雪が止み夜空は晴れている。

 東の空に浮かぶ下弦の月が美しい。


四半刻 30分

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