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碧と白の珠玉   作者: 真緑 稔
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㊴-①第三部 第二章 雪の百万石 三節 吉法師 一

 一 、 二十年の歳月


「『一度お会いしてから逝きたい』

 と、大殿が何度も仰せであったが…。

 とうとうそれも成らずでござった」

 利長が感慨げだ。



 金沢城の本丸にある雪見の間では大囲炉裏を囲んで話が弾んでいる。

 囲炉裏の薪が良い匂いを放っている。


 利長、お永、お豪、右近、天水、春水、それにマリア、清海、鎌之助の九名が佐助の現れるのを待っている。

 佐助が現れないので料理はまだ出ない。


 火かき棒で焚き木を直している天水は事も無げだ。

「先に始めてくれ、との佐助様からのご伝言です」

 心話が入ったらしい。


「おぬし等便利じゃのう。

 心話が使えるとは羨ましい限りじゃ」

 利長の口振りは温厚で海野六郎を思わせる。


「全く猿飛め、厚かましい。

 百万石の殿様に先にやっておけなどと。

 二度とわしの事を厚かましいとは言わさんぞ」

 清海なりに気を使っている。


 それもその筈。

 先に座に現れて待っている殿様など普通はいない。

 利長は無能で凡庸な殿様だったと後世には伝えられている。

 真実はそうでは無い。


 時代の流れをよく読み取り、冷静に「凡庸」を演じるようになった。

 時代が平和に向かって落ち着こうとしている。

 鋭利な頭脳と武力が見え隠れする大名家は狙われる。

 利長自らは「無能」を演じて家臣の能力を良く引き出し、加賀百万石の礎を着々と固めている。


「この香しさはいかがでござる。

 栴檀(せんだん)は双葉より(かんば)し、白檀びゃくだんの薫りを楽しもうではないか。

 天水殿が土佐より今宵のために取り寄せたものじゃ」

「はい。佐助様のご命令で」


「雪の夜に南国の薫りの馳走とは一興にござる」

 利休七哲と呼ばれる右近の言葉が栴檀の香りをより芳しくする。


「まあ、あの子がそんな風情のあることを…。

 待つものですね。

 長い間辛抱していた甲斐がございました。

 名も母がまつ、わたくしはお永ですから」


 利長の妻であるお永の心遣いが暖かい。

「佐助はもう参りましょう。

 ご馳走を用意しております。

 さぁ皆様、先に頂きましょう」

 笑みを浮かべながら促した。


「そうじゃの。そうしよう。

 さぁさ、清海殿、鎌之助殿、一献参られい。

 今宵は海の幸を用意しておる。

 蟹鍋、のどぐろの煮付け、生牡蠣じゃ。

 白檀の香りで焼いてみるのも楽しみではないか。

 仕上げに寒鰤の雑炊はいかがかな。

 寒鰤は油がのって旨いぞ」


「堪らんのう。

 実は腹はペコペコ。

 先程からキュウ、キュウというのをどう隠そうかと困っておったところでござる」

 鎌之助の一言に一段と座がゆるむ。


「春水殿、わし等二人は飯は五人前、力は五十人力という事、お伝えして下されたかな」

「はい、清海上人様。それだけは抜かりありませぬ」

 お永の一言で一同爆笑。


「良かった。

 佐助様は良い朋輩ほうばいに恵まれておるようじゃ。

 これで会えずとも一安心というもの。

 それにまゆ姫の美しい事。

 お永も美形の一族ゆえに中々の美人と評判じゃが」


「まぁ、殿。お止め下さいませ。

 それにしてもまゆ様の肌の美しい事。

 金沢の雪のようです。

 お化粧もなさっておられませんし。

 美人とはこの様な方を申されるのですね」


「はあ・・・? 」

 まゆはぽかんとしている。

 美人だなどと言われるのは生まれてこのかた今日が初めてだ。

 思ったこともない。

 物覚えが悪くできの悪い娘とばかり思っている。

 呂宋では修行の明け暮れだった。

 着物も今日ルチアに初めて着せてもらった。


 お永が話題を変えた。

「まゆ様にはまずお詫びを申し上げねばなりませぬ。

 吾が父、信長の事どうかお許し下さりませ。

 この通りでございます」

 水を刺された様に座が静まる。


「お永様どうかおゆるしを。

 逆にこちらがお詫び申し上げねばなりませぬ」

「有難い。お赦し下されるか。

 折角のまゆ姫のお気持ちじゃ。

 有難くお受けし、もうその事には触れぬ事にさせて頂こう。

 お互い過去の恨み辛みに生きるより、今の幸せを築き上げる事が大切じゃ。

 ところでまゆ姫はお幾つになられる」


「今年十六になります」

「そうか、母上がわしを生んだのが十五の時。

 お永がわしに嫁いだのは八歳であった。

 佐助様とはお似合いじゃ。

 そろそろどうであろう。のうお永」

「まゆ様がお困りでござりますよ」


 まゆは困っている訳ではない。

 ただ呆気にとられている。

「図星かな?」

「はあ・・・?」

 不器用なまゆの地が出てしまっているだけだ。


「ではなかったかのう…」

「堪忍して上げて下さい」

 お永の方が救いの手を差し伸べた。

「いや、すまぬ、すまぬ。

 清海殿や鎌之助殿の陽気につられて、つい父上から受けついだ地を出してしもうた」


「そう言えば佐助は今年二十になります。

 亡き大殿のそのお歳の頃は『傾き者の槍の又佐』と言われていたとか。

 父は『尾張の大うつけ』と呼ばれて、お二人とも手の付けられない暴れん坊だったそうですが。

 その頃、母のまつはまだ八つ。

 でも、大殿のお嫁になるのだと信じていたそうです。

 その頃からはや五十年近く。

 まさか百万石の大名になるとは…」


「思っておりませなんだか」

 お豪が口を挟んだ。


「いえ、母上は思っていたそうです」

 座にまた笑いが戻った。

「父が『わしは百万石の大名になるのじゃ』と申されるので、母も本当にそう思っていたと聞いておる。

 そう言えば『心の底から願った事は必ずその通り実現する』と常に母から言われて育てられたのう」


 芳春院こと、まつは五十五歳。

 人質として江戸にいる。

 利長四十歳。

 その妻であり信長の四女でもある永姫は二十八歳。

 利家の四女豪姫も二十八歳。


 …豪姫は備前美作(びぜんみまさか)(岡山県)五十万石の宇喜多秀家に嫁いだ。

 宇喜多秀家は関ヶ原の戦いで敗れて島津へ逃れた。

 その後、命だけは許されたが領地没収の上八丈島に流刑となった。

 お豪は悲嘆にくれ金沢に身を寄せている。


 元来前田家は根が明るい。

 佐助一行と気が合い座も暖かだ。


 その座に緊張感が走った。

 佐助が現れたのだ。

 佐助は父親譲りの威圧感をプンプンさせている。


 お永の隣に涼しい顔をして座っているが、天井の板を透過して音もなく降りて来たのだ。


「遅参致し失礼仕った」

「まあ、佐助ですね。

 たくましいこと。姉のお永です。

 あなたがお生まれになる時、わたくし達が取り上げたのですよ。

 やっとまた会う事が出来ました」


 お永は喜色満面だ。

 佐助の術も白髪も全く気にしていない。


「わしが利長じゃ。

 良之叔父はお元気かな。

 佐助様は主筋であり、義理の弟にもなり、従兄弟(いとこ)にもなる。

 色々な意味で濃い縁じゃ。

 じゃがまあ、わしが年上でもあるゆえ今日はわしの事を兄と呼んでくれ。

 いかん、いかん、今宵は気楽になり過ぎておる。

 興奮しておるのかな」


「沢木佐助にござる。

 有難いお言葉をいただきかたじけない。

 だが、佐助様は困る」

「よし。それではわしも猿飛と呼ばせてもろうても良いかな」

「ご随意に」


 お永は涙ぐんでいる。

 次の言葉が誰からも出ない。


 座がしらけたがまた盛り上がる。


 それは右近の堅い言葉から始まった。

「それにしても只今の術は怖ろしい技でござる。

 板を身体が透るとは。

 御父上も怖ろしい方でござった。

 やはり信長公のご子息でござる」


「いやいや、猿飛はそんなに怖ろしう無い。

 恐ろしいのはやはり女でござる。

 わしはつい一刻前までマリア姫が才蔵とは知らなんだ。

 今度はまゆ姫と呼ばれておる。

 未だ腹に収まりかねておるわい」

 清海が混ぜ返す。


「清海殿とは気が合うな。

 わしも母上とお永がこの世で一番怖い」

 お永は泣き笑いをはじめている。


「甲賀も伊賀もその惣領はこの世に所在を明らかにせぬのが定法です。

 甲賀では惣領を『カスミ』、

 伊賀では『キリ』とも呼ぶ。

 ゆえに佐助様も才蔵様も今のお姿とてもまともに受けぬのが得策ですぞ」


 すかさず清海が、

「天水殿その通りじゃ。猿飛は『霞』、才蔵は『霧』がぴったりくるわい」

「であれば清海の場合は『屁』じゃのう。

 うーむ。これはぴったりくる!」

 利長が興味津々の顔なので、鎌之助が調子ずいて、

「身の丈三丈の大蝦蟇になれるという忍法『湧雲大蝦蟇の術』が清海の唯一無二の大技でござってな」


「鎌之助よ、時処位をわきまえよ。

 生牡蠣は良いが、生臭い話は白檀の芳しさに失礼であるぞ」

 清海が涼しい顔で生牡蠣をつるりと飲み込んだ。

 吹き出しそうになった酒を佐助は無理矢理飲み込んだ。


「ところで御守備は」

 春水が佐助に聞く。

「古い家守(ヤモリ)を五匹、新しく進入したのを八匹気絶させてある。

 金沢城の二回目の掃除はした。

 とりあえずだが。

 その家守達をこの庭に集めて下さらぬか。

 そうそう、一匹はその壁に張り付いておる」


 名刀「村正」の鯉口(こいくち)を切り鍔音(つばおと)を立てる。


「パチッ」

 雪見の間の一枚の土壁がひらりと剥れた。


 土壁色の布にくるまった忍び装束の者がばたりと音を立てて畳に倒れた。

 春水が覆面を取り顔を改める。

「なんと村井小弥太むらいこやたではないか!」

 利長の近習の村井小弥太は利家の代から使えている村井豊後(むらいぶんご)の末子である。

「偽の小弥太殿じゃ。本物はもうこの世にはおらぬ」



 …突然、天水と春水が畳を跳ね上げた。

 異様な気配を感じ取って防御陣を作ったのだ。








身の丈三丈 9m

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