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碧と白の珠玉   作者: 真緑 稔
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㊳-④第三部 第二章 雪の百万石 二節 高山右近  四

 四 死井(しせい)


「マリア姫の毒気に当てられてわしゃ喉が渇いた。

 お内儀、済まぬが水を貰えぬか」



「遠慮をせんか」

 鎌之助が気をもんでいる。


 右近はすっかり打ち解けて、

「いやいや、この様に寛いで下さるのが何よりでござる。

 茶の湯を用意してござる。

 ご一服なされませ。まずは甘いものを」


 黒漆(くろうるし)の菓子鉢に紅白の落雁(らくがん)が並んでいる。

 見た目も美しい。


「それではひとつ」

「いやもうひとつ」

「落雁にしては美味過ぎる。

 もうひとつ。

 得も言われぬ口溶け。

 天にも昇る心地がする」


 清海は三つも食べてしまった。


「リボス様のおかげで南蛮から砂糖が手に入りますのでな。

 甘いものは体と心の疲れを癒す薬でござる。

 これを風情のある木型に入れて打ち物にしてはと思案をしております」

「苦い薬ではなく甘い薬でござるか。

 それはおもしろい。ふむふむ」


 清海はまたひとつぱくついた。


「いい加減にせい。

 侘び寂びとは一番縁遠い坊主ゆえ席を外させた方が良いかもしれぬ」

 鎌之助が止めなければ全部平らげそうな勢いだ。

 清海は全く気にしない。


「築城でも右に出る者なしと聞いておったが、菓子も作られるとは」

「凝り性でしてな。

 砂糖にひと工夫をした新作にござる。

 気になるとついつい深みにはまってしまう癖がありましてな」


「ふむふむ。さもありなん…。

 芳ばしい香りが僅かにするが?」

「そこまでお解りなってくれると冥利に尽きる。

 実はリボス様からもご指南いただきましてな。

 イスパニアの伝統菓子の製法を取り入れてござる」


「ほほう?」

「餅米と麦をよく炒って粉にしたものを少々混ぜてある。

 粉もよく挽いて特別に細かくしております。

 餅米と麦が調和すると、この微妙な味わいが出る」

「ふうむ。二者が和して妙なる調べを奏でる…。

 イスパニアと我が国の関係もそうなると良いのう、リボス殿」

「はい。それがイエス様の教えでゴザイマス」


 鎌之助も堪らず手を出した。

 一つを口に含む

「なるほど。これは絶品!

 確かに天にも昇る心地になる」


「ところで床の間の掛け軸はなかなかの書と見たが?」

「左様にござる。

 良くお判りになりますな」

「拙僧、ちと興味がありましてな」


「備中松山城の小堀政一(こぼりまさかず)殿の書でござる。

 まだお若いが才がある。

 利休様の兄弟弟子ゆえ親交がござる。

 今は古田織部(ふるたおりべ)殿に師事されておられる」


 右近は正月なので「月宮殿」の軸を掛けていた。

 小堀政一はのちに小堀遠州(こぼりえんしゅう)と呼ばれる大名となる。

 遠州流茶道の祖であり、書家、作庭家でもある。


「思案されておいでの木型にお軸の『月宮殿』の文字を彫り込んではいかがか。

 めでたい加賀名産の甘い妙薬になりませんかな?

 この口溶けの良さは月の都の不老不死の世界を彷彿とさせる」

「なんと、それは名案。

 宝の持ち腐れになるところでござった」


 意外とはこの事だ。

 清海の提案に右近はすっかり感心し、喜んでいる。



「ところでマリア姫はわしらが湯浴みをしていた間、いったい何をなされておいでであった」

 才蔵とマリアが同一人物とは清海は未だ思えない。

「はい。マリア様は礼拝堂でお祈りと懺悔をされておいででした」

「お祈りと懺悔…。

 ウーム。

 礼拝堂などこの屋敷には見えなんだが?」


 清海は腑に落ちない。

 鎌之助も頷いている。


「春水様にお願いしてこの屋敷には隠し部屋を作っております。

 そこに礼拝堂がござる。

 御覧になられたらいかがかな、清海殿」

「それは有難い。耶蘇教の礼拝堂が拝見できるとは」


「この際、清海様も切支丹に改宗なされては?」

 ルチアの声も明るい。

「それはいかん、いかん。

 祝言前の大切な身じゃ。

 ふき殿にお伺いをしてみんとなぁ。

 わしゃもう尻に敷かれておるゆえ」

 座が笑い声に包まれて良い雰囲気になったところにジュスタと女中達が茶の湯を運んで来た。


「ウゥーッ!」


 太郎の唸り声だ。

「そのお茶には毒が?」

 ジュスタをマリアが制する。


「どうやら鼠を二匹、太郎と珝が捕まえた様だな。

 鎌之助、障子を開けろ」

 雪の庭では失神した薬売りが太郎に引きずられている。


「あっ、この方は甚平様」

 とルチア。

「いえ、その者は甚平様ではございませぬ。

 私が礼拝をしている時に来た者では」


「はい。いつも通り足らぬお薬を頂きました」

「本物の甚平様は一昨日殺されたそうです」

 マリアが言い終わらぬうちに珝が鼠を鷲掴みにして舞い降りて来た。


「薬売りとルチア様がお話をしている間にこの鼠が入り込み屋根裏に潜んでいたようです。

 先程お茶に毒を盛って屋根伝いに逃げるところを珝が捕まえたようで」

「幸い二人とも気絶しておるだけだ。

 鎌之助、息を吹き返したら清海と二人で改心させてやれ」


「はい、猿飛様。

 それは良いが今宵はわしも清海もお城へ参りたい。

 リボス様にお願いしても良いだろうか?」

 鎌之助はすっかりリボスを信用している。


「それも良いだろう。

 リボス殿、お願い出来るかな?」

「ヨロシュウございます」

「それは有難い。

 リボス殿に忍びの者への要領は教えておけ。

 二人が毒を煽ったり舌を噛んだりして自害させぬようにな。

 身元も魂胆も既に露見しておる」


(本多正信殿の刺客でございますか?)

 春水が心話で聞いてくる。

(違うとも言えるしそうとも言える)


「右近殿、前田家には右近殿の属する横山派と太田派との派閥争いがござったな」

「確かに」

「太田派の中に他の大名へ硝石を密売しておる輩がおるのを最近突き止められたであろう」

「いかにも」

「その連中の仕業でござる。忍びは雑賀衆じゃ」


 …加賀、越中は日本最大にして最良質の硝石の産出地であった。

 硝石は火薬の素になる。


 火薬は硫黄と木炭を三に硝石七の割合で調合されていた。

 硫黄と木炭は良質の物がどこでも手に入ったが、硝石だけは初めは中国やインドからの輸入に頼っていた。

 加賀、越中の硝石は堺に売られ莫大な金が加賀の一向宗に入った。


 その資金が一向一揆を支えた。

 その硝石は堺で火薬に変わり信長に買い取られた。

 そして加賀の一向門徒の命を奪った。

 悲しい歴史である。


 一方、雑賀さいか衆は鉄砲を得意とする忍びである。

 多くは一向宗に帰依し、硝石の縁もあり加賀とは以前より深い繋がりがあった。

 加賀、滋賀、甲賀、伊賀、雑賀・・・「賀」の線で加賀と雑賀は滋賀を経由して結ばれていた。

 雑賀は信長に攻められた後、秀吉によって壊滅させられている。


 …(という事は、本多正信殿が派閥争いをけしかけているかもしれませぬな?)

(断定は出来ぬがかなり臭う)


 春水と佐助の心話を聞いていた天水の声が重い。

「いずれにしても右近様。

 これは右近様のお命を狙った一件に見えますが、今回は色々な刺客がこの金沢に参っております。

 佐助様と才蔵様に力をお借りして、全て片付けた上でこの一件も処理なされた方が宜しかろうと思われる」


 右近の声音は張り詰めているが凛としている。

「かたじけない。改めて茶を一服進ぜよう」


「ウーッ!」

 太郎がまた唸る。 


「どうやら死井(しせい)となっておるな」

 佐助が太郎の声の意味を言った。

「死井と申しますと?」

 ルチアは不安げだ。


「井戸の中に毒が入れられております。

 この者達は二重三重の手を打ったつもりでございましょう」

 マリアの説明にジュスタが慌てた。

「清海様と由利様は井戸のお水でお湯をお使いになられました。

 どう致しましょう」


「お内儀、ご心配無用。

 自分で言うのも何だが馬鹿に付ける薬は無いらしい。

 またわし等に効く毒も無い。

 それも少々湯浴みした程度ではな」

 清海は悠然としている。


 鎌之助がすかさず座を和ませる。

「特にこの大入道には丁度良い薬になっておるであろう。

 こやつは喉が渇いたと言って風呂の湯をがぶ飲みしておったのでな」


「わしは牛ではないが」

「牛であれば今頃は毒にやられて死んでおるぞ。

 ははぁ。マリア様の毒気に当たったとぬかしておったが…。

 実は風呂で飲んだ毒のせいで喉が渇いたのだな」


 清海は毒など塵ほども気にしていない。

「そうじゃ、鎌之助。

 ついでに井戸の水を汲み出してやろう。

 体が訛っておったところじゃ」

 二人が高山家の井戸の水を汲み出し空にするのに半刻もかからなかった。


「念の為、皆様は猿飛に毒消しを処方して貰うと良い。

 小太郎の特別製のをな。

 帰る迄にもう二、三回、井戸の水は替えて進ぜよう」



 …「力仕事だけは日本一でござる。ガァハッハッハッ」


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