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碧と白の珠玉   作者: 真緑 稔
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㊲-③第三部 第二章 雪の百万石 一節 真田十勇士 三

 三 真田紐


(ひも)奉行でござるかな?」

 海野六郎が呑気な声で信繁と話している。



 二人して丹生川(にゅうがわ)でのんびりと釣り糸を垂らしている。

 鯉や鮒、山女魚も釣れて機嫌が好い。

 昌幸を高野山蓮華定院に残して、ようやく昨夜九度山に辿り着いたのだ。


 女人高野(にょにんこうや)と呼ばれる慈尊院(じそんいん)の鐘の音がゴーンと鳴った。


 その昔、空海の母が「我が子が開いた山を一目見たい」と遥々(はるばる)と讃岐の善通寺から訪ねて来た。

 ところが空海は高野山を女人禁制としている。

 母はやむなく麓の慈尊院で暮らした。

 空海は月に九度、高野山から母に合うために訪れたという。

 慈尊院は女人高野とも呼ばれ、その地が九度(くど)山と呼ばれるようになった。


 おっとりとした六郎といるせいか、信繁の耳には今日の鐘は間が抜けて聴こえる。


真田紐さなだひもでまたひと戦さでござるか?」

「確かに。紐奉行で味を覚えてな」


「商いの戦さでござるな」

「いかにも。生きるための食い扶持をとな。


 配所の身ゆえ自分で金も稼がねばなるまい」

「そこまでせずとも資金は信之様からも入りましょう。

 猿飛に言えば堺からも入ろうものを」


 海野六郎は「狸化かしの術」を身につけてからおおらかさに一段と磨きがかかった。

 (まげ)の上に小鳥が留まって糞をしていく事もある。

 この日も小鳥の中では人なつこいジョウビタキがやって来てヒョイと髷に留まった。


 海野うんの氏は元は真田一族の本家筋にあたる名家である。


 信州の小県(ちいさがた)一帯に力を持ち、今でも商売の支配力を持っている。

 二度の上田征伐で徳川を撃退できたのは海野家の財力の支えがあってのものである。

 表は真田だが裏は海野なのだ。

 六文銭の家紋も海野氏のものだ。


「おぬしは育ちが良いのう。

 小鳥とても警戒心を解く。

 羨ましい限りじゃ。

 だが人に頼る心は宜しくない。

 心が腐って老いを早くする。

 其方(そなた)は自然と金が寄ってくる徳を持っておるが、わし達のような凡人はそうはいかん。

 女子衆には真田紐を作って貰うし、わしは百姓をする」


「惜しいですな。

 これ程の名君が九度山に埋もれているとは。

 いっその事、家康殿の誘いに乗ってそのお力を天下の為に発揮なされては如何でござるか」

「おぬしこそ影武者などせずとも、その器なら立派な大名ができるものを」


「勘違いをなされては困りますな。

 器が大きいのではなく器が大きいように見えるだけでござる」

「なるほど身の丈を知っておるとはそういうことか?

 そういう御仁ごじんを世では賢者と言うがな?」


「とんでもない。

 賢者というよりは馬鹿ですな。

 それも中途半端な」

「ほほう?」


「馬鹿も清海ほどになればたいしたものですが、中途半端ではただの怠け者でござる」

「ただの怠け者か。

 それも苦労知らずの?」


「苦労知らず?

 生まれた時から苦労はそれがし)に付いてまわっておりますぞ」

「ほほう?」


「名に苦労がついておりますゆえ。

 ()苦労(くろう)でござる」

「ふむふむ」


「殿が天下のお役に立ってくだされば、影武者の(それがし)もただの怠け者で無くなるやもしれませぬな」

「ふむ…」


 その時信繁の釣竿に当たりがあった。

 続いてすごい引きが来た。


「殿、鯉の大物じゃ」

 格闘の結果ようやく上げた。

 魚籠びくの中でも暴れていて信繁は顔にさんざん水を浴びた。


「おっと目が覚めたぞ。

 やられるところだったな。

 おぬしにはわしの術もさっぱり効かぬようじゃ」

「とんでもござらぬ」


「それどころか、鯉が掛からねば、逆にわしがおぬしの『狸化かしの術』に掛かるところだった」

「めっそうもない」


「無意識に掛けるから掛かるのじゃ。

 達人の域ではないのか?」

「掛けたとすればそのもとは猿飛ですぞ」


「その鯉、放した方が良いですぞ。

 丹生川(にゅうがわ)の主かもしれぬ」

「ほほう。

 わしがおぬしの術に掛かる代わりにこの鯉が掛かったのか?」


「大鯰であれば某の竿の方に掛かったかもしれませぬな」

「清海鯰か?」


「馬鹿が馬鹿の竿に掛かれば見ものでしたな」

「放してやろう」


「大鯰ならば喰いちぎって針も腹の中に飲み込み、悠々と天下を泳ぎまわるやも?」

「もう勘弁せい。

 わしは器用に生きるのは好かぬ。

 それに堅苦しいのが嫌いでの。

 髪の毛でも縛られるのは堪らぬ」


「殿も怠け者でござったか?」

「実は九度山で百姓が出来るのでホッとしておる。

 家康殿の所に引っ張り出されるのは懲り懲りじゃ」


「では秀頼君にお力を貸されては。

 さぞお困りでござろうに?」

「そうもいくまい」


「淀川の主はさぞ大きい鯉でしょうな。

 淀川での釣りはいかがでしたかな?」

「ふむ・・・・・・」

 信繁は会話をやめた。

 次は六郎の大きな網に掛かりそうな気がしたのだ。



 …蟄居中の真田父子は配流となった諸大名の中でも最も厳しい監視下にあった。

 監視役は紀州浅野家である。

 秀吉の正室ねねの実家でもあり、真田贔屓ではあるのだが徳川からの強い圧力に屈せざるを得ない。


 信繁は質素な草庵に住まいし、昌幸の離れと真田紐の作業場を作った。

 その草庵を土地の者は真田庵と呼んだ。


 真田紐の発明者は昌幸である。

 従来の刀の柄巻が切れ易い。

 そこで昌幸は自分の相州貞宗(そうしゅうさだむね)柄巻(つかまき)に工夫をして用いたところ、切れにくい丈夫な打ち紐が出来上がった。

 組紐に見えるが織物である。


 人体に寄生する真田虫は真田紐に似ているのが名前の由来である。

 真田虫の名前になるほど全国に普及した。

 上田合戦のおり、馬を捉えるために使ったが千切れた紐はひとつもなかった。


 昌幸は常人ではない。

 武田信玄の薫陶を受けて磨きがかかり、さまざまな能力を発揮した。

 小さな成功体験を見落とさず活かしていく。


 打ち紐は衣類をはじめ、茶器などの貴重な道具の箱の締め紐、甲冑、そして刀の柄巻、下げ緒に至る迄、この時代には幅広い需要があった。

 丈夫で使い易い上、美しさも兼ね備えた真田紐が商品として見事にはまった。


 素材は綿だけでなく山繭から取った絹や麻まで広げ、色や模様も工夫し品種も帯まで増やした。

 品質で真田紐に勝る打ち紐は無く良く売れた。

 武家も町人も公家も真田紐を愛用した。


 この真田紐を五十人程の真田忍びが商人姿で全国を売り歩く。

 そうして金と情報を真田庵に持ち帰る。

 この諜報網は徳川に次ぐ質の高さがあった。


 信繁は両六郎に影武者をさせておく。

 京、大坂、堺、駿府。時には江戸迄出ては自らの目と鼻で情勢を確かめた。

 大坂には頻繁に脚を運んだ。

 九度山に滞在の時は晴耕雨読、自給自足の日々を送った。


 資金は小助や十蔵、甚八、それに赤沢からも入ってくる上に信之からの仕送りもある。

 本業の真田紐の高収益もあり金銭的には何の不自由も無い。

 武器や金銀の備蓄が密かに進んでいる。


 真田庵に出入りする書簡や荷物はすべて浅野家が検閲する。

 すると昌幸はそれを逆手に取り信之や知人へ金や酒の無心の手紙を書く。


 住まいは草庵。

 着物も百姓姿なのでぼろ着である。

 食事も贅沢はしない。

 一見すれば困窮しているとしか思えない。


 高梨内記などは、

「情けなや、大殿が百姓を為されるとは」

 と嘆いているが、当の昌幸も信繁も一向に気にする気配も無い。

 悠々と百姓生活を楽しんでいる。


「わしは幼少の頃より上杉景勝公や秀吉公の元で人質の生活をして来た。

 やっと自由になった気がする」

 信繁はこんな事を漏らし出した。



 妻の綾は昨年の九月に実父を関ヶ原の戦で亡くした。

 さすがに見る影もなく落ち込んでいた。

 しかし、秀吉の懐刀、名将大谷刑部少輔吉継の娘である。


 生まれつき持っている屈託の無い明るい性格に戻り、

「こちらに参りましてやっと殿と一緒の生活が出来ました。

 楽しゅうございます」

 活き活きとして信繁の世話を焼いている。


 真田紐の作業場も取り仕切っている。

 元々大人びたところの無い姫であったが、大坂にいた頃よりも更に娘に戻った様に見える。

 綾の性格のお陰で真田紐の作業場が明るい。

 蟄居中の庵とは思えない。


 望月六郎は信繁の格好と口調で、

「神経が二、三本抜けておるゆえあの様に明るいのじゃ。

 深慮に富み緻密であった大谷の親父様の姫とはとても思えぬ」

 毒舌を吐いて清海と面白がっている。

 相変らず呑気なものである。


「何事も一生懸命。

 骨身を惜しまずされるのだがのう。

 脳天気ゆえ何時も必ず何かが抜けておる」

 清海まで口を合わせている。


「そのお言葉、清海様にだけは言われたくありませぬ、と綾様は言われるだろうな」

「失礼な。

 わしの方は二、三十本は抜けておるわい」

「見栄を張るな。

 清海らしう無い。おぬし、神経などあるまいに」

「ガァッハッハッハッハ」

 豪傑笑いが庵に響き渡る。


「綾様の元で働くお女中衆やご老人は楽しかろう。

 明るい気で組み上げられた真田紐を使うと、良い気が入って居るので使う方も心地良い。

 よって良く売れる。

 真田紐が売れるのは綾様のお陰じゃ」

「成る程、いかにも。

 どんな極楽蜻蛉でも一つは取り柄が有るものらしい」

 六郎の毒舌も明るい。


 作業場では十数人の婦女子や老人が毎日働いている。

 うち半分以上は稼ぎの無かった九度山の老人や病人だ。

 無理の無いように綾が仕事を当てがっている。

 厄介者だと自分を責めていた者が、稼いで家の役に立っているという気持ちに変わる。

 老人は若返り病人は元気になる。


 打ち解けて穏やかに和している。

 糸を紡ぐ者、砧で打つ者、色とりどりの紐が織り上げられている。

 信繁は真田紐を作るのにわざわざ村民を雇い金を落とした。



 …村人達は浅野家から真田の監視も命じられていた。

 村民達の生活を豊かにすると次第に村民に好かれ出す…。



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