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碧と白の珠玉   作者: 真緑 稔
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㊱-③第三部 第一章 霧隠才蔵 四節 紅屋事件 四

四 臭い(えにし)


 清海蝦蟇の屁の威力は凄まじかった。

 ふきともう一人の女、それと直撃を喰らった黒装束の一人はまだ意識がない。



 洞窟の外では九人の黒装束が数珠繋ぎに締め上げられている。


 佐助は外に出ると大きく深呼吸して新鮮な空気を吸う。

「清海のおかげで空気のありがたみを思い知らされた」


 太郎はブルンブルンと身体を震わせている。

 毛についた汚いものを振り飛ばそうとしているがが取れない。

 くしゃみを連発している。

 感度の良い鼻には相当な苦痛に違いない。


「鎌之助、後の始末はおぬしに任せる。

 なにせこやつらの大先輩だからな」

「任せてもらおう」


 鎌之助が盗人たちに向かって、

「鈴鹿峠の山賊の元首領、由利鎌之助である。

 裏の世界で生きる者であればわしの名は存じておろう」


 九人は首を(すく)めてうつむいている。


「昔は朝倉家に仕えておった。

 信長公に主君も家族も皆殺しにされ世を恨んで山賊をしておった。

 自暴自棄になったわしはやりたい放題で人もたくさん殺した」


 赤龍だった一人が顔を上げて鎌之助を見る。

 目を合わせた鎌之助が厳つい髭面を崩す。

 それから、にっと微笑んだ。

 その笑みには悪道にどっぷりと浸かってきた男にしか出せない味わいがある。


「ところが半月程前じゃ。

 この猿飛佐助様と三好清海入道殿に出会い、おぬし等と同様に痛い目に合わされた」


 ずぶ濡れ赤龍の抜け忍が震えだした。

 緊張がとれて寒さを感じだしたようだ。


「『天網恢恢、疎にして漏らさず』とは良く言ったものじゃ。

 今日見たところおぬし等は相当できるではないか。

 闇に紛れてその日その日を暮らすよりも、お天道様の下で自由に暮らす方が気持ちが良い」


 霧が晴れて西に傾いた月から光が射した。


「おお、月の雫じゃ!」

 清海が割り込む。

「月には瑞霊が宿るという。瑞霊は赦す心じゃ」


 鎌之助が清海を押しのける。

「それになあ…。

 人を殺したり人の物を奪ったりすると結局は人の恨みを買う。

 気分は良くないであろう。

 わしはそうだった。

 人様の役に立つ事をしてみよ。

 喜ばれて毎日が明るい。

 有難いことに改心すれば猿飛様はこれまでの事は一切問わぬ」


 清海がまた割り込む。

「役人にも差し出さぬぞ。

 おぬし等のせっかくの技を世の役に立つことに使うたらどうじゃ。

 今の気持ちを言うてみい。

 おい、首領。おぬし名は何と言う」

「はっ。赤沢三志郎と、オホッ、申し、オホッ、ます」


「もう縄目を解いてやろう。

 これだけきついと死ぬ奴が出るかも知れぬ。ウン」

 佐助が気合を入れると縄がバサっと解けた。

「ウヒェっ!」


「当たり前だ。

 猿飛佐助様は甲賀の惣領様じゃ。

 空も飛べば、水も渡り、水の中で息をする事も出来る。

 おぬしらとは格が違う。

 この中にも甲賀衆の成れの果てが居ろう」

「はい。甲賀衆が五人、根来衆がこの女二人、残りは伊賀でございます」


「では、ついでに言ってやろう。

 赤沢殿の相手をしたのは霧隠才蔵様じゃ」

「へえっ!」


「そういう事じゃ。霧隠才蔵と言えばわかるだろう」

「恐れ入りました。

 わしは、伊賀、比土党の中忍でございました。

 小早川秀秋様に仕えておりました。

 そして関が原で戦いました」


「関が原か。惨かったと聞くが?」

「戦いが終わり、累々と横たわる死骸を見てわしは呆然としておった。

 何が何やら解らぬ様になっておりました」


「そうか、無理もない」

「小早川秀秋様の裏切りも許せなんだ。

 わしはその事を掴んでいなかった。

 上忍の比土様は知っておった。

 わしが裏切りを知らなかったせいで、今まで生死を共にして来た下忍を十人も無駄に死なせてしもうた。

 今まで何のために命を張って来たのじゃろうと思うた」


「辛いのう」

「しばらくして頭に浮かんだのは仏様にすがる事でした。

 わし等忍びには仏様といえば高野山じゃ。

 坊主に成ろうと思うて高野山へ参りました」


「それは良い」

「ところが、もともと忍びの者ゆえ高野山に行くと裏の世界がすぐに見えてしまいました。

 坊主や僧兵らのやっておる事を見てますます生きておる事が馬鹿馬鹿しゅうなりました。

 銭も無くなりやけっぱちになりました」


「そしてとうとう食うために人様の物に手を出したか。

 一度手を出すとずるずるとやめられなくなる。

 わしがそうじゃった」

「し、しかし、人殺しはしませんでした。

 いや、もう出来ません。

 あの関が原の光景が頭から離れんのです。

 やがてこの甲賀の下忍も入り十人になりました。

 この甲賀衆もわし等と同じでした。

 訳がわからん様になって出逢うた時はまるで腑抜けでした」


「ふーむ」

「女子衆二人は根来です。

 盗賊をするのに女がおった方が良いので関が原から根来に帰るところを捕まえました。

 母親を人質にして吾等の賄いをさせ、娘は橋本の紅屋へ住み込ませ情報を入れさせる役をさせておりました」


「済まなかった。

 わしがしっかりしておらぬゆえおぬしらに辛い思いをさせた」

 佐助は頭を下げた。

「拙者もこのとおりです」

 才蔵も同じように詫びている。


「勿体無い。どうかおやめくださいませ」

 十人の黒装束全員があっけにとられている。


「わかりました、総領様のお心。

 脚を洗って改心致しますゆえ、頭をお下げになるのはどうぞお許し下さいませ。

 わし等十人の身は煮るなり焼くなりして下さいませ。

 ただし、この女子衆二人はわしらに脅かされてのもの。

 どうかお許しを」


「おぬし等よりわしの方がずっと悪人じゃ。

 わしは鈴鹿峠で罪の無い旅人を殺した。

 おぬし等が罰せられるならわしはここで腹掻き切らねばならぬ」


 元の大盗賊の言葉はなかなか説得力がある。


 そこですかさずしゃしゃり出るのが清海入道だ。

「過ぎた事を悔やんでみても何にもならんぞ。

 ここで鎌之助を含めて十一人が腹掻き切って死んだところで何になる。

 また死人が増えるだけじゃ。

 悪いと判ったらもう止めたら良い。

 これから良い事をしたらそれでええ。

 過去には戻れぬ。

 しかし、明日には行ける」

 黒装束達は鼻水を啜っている。


「それからな。高野山の坊主がどうのこうのと言って居ったが、そりゃあ坊主の中にも屑はおる。

 だが、高野山は空海様が開きなさっただけあってものすごく尊いものが有る。

 立派に修行されておられる方もたくさんおいでじゃ」


 鼻水の音の大合唱になった。


「世の暗黒面ばかり見ていると、おぬし等の様に訳が解らぬ様になって生きる事さえも嫌になる。

 世の中には明るいものの方が沢山有るのじゃ。

 見てみい」

 清海は天空をさす。


 十七夜の月はもう西の空にある。

 その光を受けて大楢の木の枝に大鷲が黄金色に輝いて留まっている。

 その下には大狼が白銀色に輝いている。


「夜にさえこの様な月の光がある。

 見たか、あの大鷲と大狼の輝きを。

 動物は良いぞ。

 あれが生命の輝きじゃ。

 動物はおぬし等と違うて迷わぬ。

 常に生命の輝きに満ちておる」


「おお、これこそ真理じゃ。

 このくそ坊主でさえもこれだけわかって人生を楽しんでおる。

 この大飯喰らいの生臭坊主にできて何でおぬし等にできぬ事があろうか」

「くそ坊主とは何じゃ。

 わしは真田十勇士の三好清海入道である」


「わかった、わかった。

 それで赤沢殿、これからどうされる?」

「お許し頂けますので」


「わしにおぬし等を罰する資格は無い」

「なんと…」

 赤沢達は感極まり言葉がない。


 そこでまた清海が、

「堺で商いをしたらどうじゃ。

 商人は面白そうじゃぞ。

 忍びの衆や武士の様に縛られる事が無い。

 自由じゃな」

「おっと、それは良いかもしれぬぞ」

 鎌之助も賛成のようだ。


「そうじゃろう。

 忍びの技を生かせば商いのもとは情報じゃから成功間違い無しじゃ。

 どうじゃ猿飛。

 宗薫殿に頼んで貰えんか」

「赤沢殿等が好ければそうするが」


「どうかな。赤沢殿」

「はい。仰せの通りに」


「よし、決まった。猿飛、宗薫殿に紹介状を書いてやれ」

「そんな面倒なものは入らぬ。

 わしが心話で宗次殿に言っておく。

 今井宗薫殿を訪ねてゆけば万事旨く行くようにしておく」


「それならなお結構。

 すぐに荷物をまとめて堺へ立て。

 そしてのう。今のおぬし等の様に彷徨うておる奴も仲間に入れてこの世の面白さを教えてやれ。

 それが罪滅ぼしという事じゃ」

「かたじけない」


「もしも今後また困ることがあれば宗薫殿に頼め。

 宗薫殿でも解決出来ねば、なに猿飛がすぐに行ってくれるわ。

 猿飛は瞬時に場所を変える事もできるのじゃ」

「わし等みたいな罪人がそんなにして頂いて、本当に有難てえ」


「罪人とはもう二度と言うな。

 もう罪人ではない。

 もともとこの世に罪など無い。

 もっと広く生きろ。

 広く生きると面白いぞ」


「ふむ。おぬしただの生臭坊主ではなかったのか?」

「わかれば良い。

 ところで鎌之助。

 ふき殿はどうしてくれる?」


「ふき殿親子は囚われの身から解放されたのじゃ。

 ふき殿達の好きにされたら良い」

「違う違う。そういうことではない。

 わしが嫁に欲しいと言っておるのじゃ。

 何とか言ってくれても良さそうなものであろう」


「ぷっ!冗談であろう。

 このくそ坊主にこんな別嬪のくノ一は勿体無い、勿体無い!」

「猿飛、何とか言ってくれ。友じゃろう」


「ああ。清海はわしの掛け替えの無い友じゃ」

「ふむふむ」


「そう言えば、兵衛作殿とお奈良殿が養女にされたいように言っておったが。

 ふき殿、紅屋は如何でござったかな?」

「はい、兵衛作様ご夫婦には大変良くして頂き申し訳ないと思っております」


「そうか、養女になっても良いのだな」

「はい、わたくしは。でも母が」


「そうじゃ、母御是。お名はなんと言われる」

「ゆやと申します」


熊野(ゆや)殿とな。平家の流れであったか?

 どうだ、かまわぬか?」

「はい。甲賀の惣領様のおっしゃる通りに」


「よし。それでは次は清海のことだ」

「わしのこと?」


「ふき殿。

 わが友、三好清海入道は日本一の大男であるが三つ欠点がある」

「はい」


「一つは大飯喰らい。

 二つは大酒飲み。

 三つは何にでも口を突っ込み問題を起こす。

 それ以外の欠点は無い。

 それさえ我慢すればとにかく明るい。

 ともに生活すると楽しいぞ。どうだ?」


「はい」


「えっ。今、何と言うた。

 確かにわしの耳にはハイと聞こえたぞ。

 本当か、ふき殿」

 清海が目の色を変えている。

「はい」


「神様。仏様。猿飛様じゃ。

 この三好清海入道にこんな春が訪れようとは。

 な、猿飛。

 今日、九度山へ行かず橋本で泊まったのも仏様の下されたご縁というものじゃ」


「そうじゃのう。

 兵衛作殿にお奈良殿。

 それに清海蝦蟇の大放屁。

 臭い縁があったのは確かではある。

 この橋本の宿にはな。ガァッハッハッハ」

 鎌之助が大笑いをしている。


 赤沢達までさすがに大笑いはできぬのを堪えている。

「クックック」

 泣き笑いだ。


「よし。わしと才蔵は先に紅屋に帰って話をしておく。

 清海と鎌之助はふき殿親子を颯に乗せてゆっくり来るがよい」


 清海と鎌之助がはなむけの言葉を贈る。


「善は急げじゃ。

 伊賀の衆と甲賀の衆は早速堺へ行くと良い」

「新しい人生が開けるだろう。必ず成功するぞ」


「そうそう、あまり肩に力を入れて頑張ったらいかんぞ。

 肩に力が入り過ぎると、見えているものまで見えなくなってかえって苦しい」

「そのことじゃ。

 商いというものはぼちぼちやるものらしい。

 堺の商人達の挨拶は『ぼちぼちでんなあ』であった。

 アッハッハッハ」


 佐助が指笛を鳴らす。

「ヒュー」

 指笛が鳴り終える前に颯が現れた。

「それでは」

 佐助の姿が消えた。


「アッ」

 赤沢達はたまげている。

 佐助が消えた方を向いて涙を流しながら頭を地面に擦り付けている。

 頭を上げた時には才蔵の姿も無かった。



 …清海一行が紅屋に着く頃。

 空はもう白んで来た。

 東の山の端が黄金色に輝き、今にも太陽が頭を出しそうである。


「おお。天地も吾等の前途を祝福してござる。

 あれを見られい」

「まあ、美しい。」

 ふき親子は颯の背で両手を合わして日の出を拝んでいる。

「美しいのう」

 清海はふきの方を見てうっとりしている。



 …兵衛作、お奈良とも大喜びであった。

 ふき親子は紅屋で働き、ふきは紅屋の養女となった。

 清海は用心棒として紅屋に住む事となった。

 祝言の日取りは九度山で相談の上決める事となった。

 佐助一行は昼餉を済ませ、盗品と金子をそっとそれぞれの宿屋に返して紅屋を出発した。


 赤犬の次郎は人懐っこさですっかり紅屋で気に入られた。

 清海よりも先に居候を決め込んだ。


 九度山に着こうとした時に心話が宗次から入った。

 佐助と才蔵が見つめ合う。



 …利休様が身罷った…。

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