㊱-②第三部 第一章 霧隠才蔵 四節 紅屋事件 三
三 湧雲大蝦蟇の術
煙が口からもくもくと吐き出されている。
(なかなかやるではないか)
才蔵が吐き出した煙の量は尋常では無い。
たちまち洞窟の中に煙が充満し静かだった洞窟の内に緊迫感が満ちた。
山の上に白い煙が二筋漏れてきた。
その二箇所に珝が急降下する。
上の方の煙の穴へ太郎が走る。
手前の方へは木の枝を掻き分け鎌之助が登っている。
手前の穴は鎌之助が大岩で塞いでしまった。
上の穴からは誰かが出て来ようとして頭を出している。
「ウー、ガウー」
太郎に髷を噛み付かれて頭を振り回されている。
「痛たたたっ」
あせって頭を引っ込め様とする。
だが、逆に太郎に穴から引きずり出され、大きな前足で軽く横面を叩かれた。
「一丁あがり!」と言いながら鎌之助が来て穴を塞いだ。
鎌之助は気絶している男を肩に担ぎ、
「ようやった、太郎。下へ戻ろう」
下では才蔵がまだ煙を吐いている。
「もう良かろう、才蔵殿。一人捕まえたぞ」
と言いながら鎌之助が縄を掛けている。
「あんりゃ、鼠じゃ」
岩穴の隅からちょろちょろと鼠が出て来た。
「鼠を使って偵察ときたな」
空が急降下したと思うと、鷲掴みにして空に舞い上がった。
「きゅー」
失神した鼠を地面に落とす。
「離れろ!!」
才蔵が叫んだ。
ドカーン。ドカーン。ドカーン。
三発の火薬が爆発して入り口の岩が吹き飛んだ。
爆発音を頼りにようやく清海がやってきた。
大汗をかいている。
「目は覚めたか?」
持久力のない清海は息があがっている。
鎌之助に言い返すこともできない。
洞窟の中から、体長四間もあろうかという大百足が一匹、のそりのそりと出て来た。
佐助がそれを見て、
「ははあ伊賀だぞ、こやつは。ちょうどいい、清海殿出番じゃ。
大がま蛙はいかがかな」
「よっし。
フーッ、一発。
ハーッ、やって。
ハーッ、みるか」
「上田では欲求不満であったろう」
「そ、そうじゃ。忘れておった。
し、尻に溜まっておるものがあった」
まだ息が収まっていない。
清海は九字を切って印を結ぶ。
「ウン」
何も変わらない。
「おかしいのう。
稽古では旨くいっておったのに。
もう一回やってみるぞ」
しかし、大がま蛙には変われない。
しまいには「ウン。ウン」と気ばかり入れて、顔を真っ赤にしている。
大がま蛙に成れない清海は脂汗をたらたら流している。
「これは特別製の蝦蟇の油じゃ」
鎌之助は冗談を言う余裕がある。
大百足が迫ってくる。
佐助達は後退りしながら、
「大酒ばかり食らっているから気が集中せぬのだ。
まやかしとは言え、術は術だぞ!」
「エイッ!!」
才蔵が気を入れた。
霧が立ち込めた。
霧が濃くなり雲となる。
雲は次々と湧いては天に昇って行く。
清海の身体は雲の中に隠れてしまった。
生臭い匂いが辺りに漂う。
雲を掻き分けるようにして大がま蛙が現れた。
三丈も越そうかという特大がま蛙である。
本人も驚いている。
まやかしのはずが「本物の大蝦蟇」なっている。
目玉をひん剥いて、ただ口をパクパクさせている。
(な、なんと!!六郎が言っておった伊賀の秘術をわしがものにしたのか…?)
大百足は一旦地にへばり付くと渾身の力を溜めて大がま蛙に跳び付いた。
片や本物の大がま蛙はというと・・・。
大きくなり過ぎてまだ身のこなしが鈍い。
首の辺りに幻術の大百足がへばり付き噛み付いた。
空が大百足の目を狙って急降下し片目を嘴で突いた。
大百足はたまらず大がま蛙からはらりと落ちる。
清海は体の動かし方が解ったのか前足で「どすーん」と大百足を踏みつけた。
足を上げてみると黒装束の忍者が伸びている。
「ようし、二丁目や!」
鎌之助がまた縛り上げる。
今度は洞窟から炎が吹き出て来た。
炎とともに八間もありそうな赤龍が出て来て清海蝦蟇に口から火を吹きかけた。
清海も前脚で何とか火をよけようとする。
蛙は火に弱い。
既に頭の辺りが焦げている。
赤龍はそのまま天に向かって逃げ様とする。
「赤龍吐炎の術だ。どうやらあやつが首領だ、才蔵!」
佐助が叫ぶ。
才蔵が刀印で九字を切る。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前。
唵阿忍智摩利帝曳薩婆詞。エーイッ!」
「こりゃ凄い青龍じゃ。二十間は軽くあるぞ」
鎌之助が感動している。
青龍は火傷をしている大がま蛙に水を吹きかけてやり赤龍を追い駆けて行く。
清海蝦蟇が何やら言おうとして口をパクつかせている。
佐助も感心している。
「無理もない。本物の青龍だ。
幻術の赤龍とは比べものにならん、伊賀の奥義だ!
鎌之助、まだ子分が穴の中から出て来るぞ!」
「任しとけ」
と言い終わらないうちに、十字手裏剣や六方手裏剣が穴の中から飛んで来た。
「カキーン。カキーン。カキーン」
鎌之助は鎖鎌で受けている。
「おい、清海。
洞穴の中へ一発かませ。手裏剣に毒は無い」
佐助の命令に清海蝦蟇は口をパクパクさせながら、
「ドスーン。ドスーン」
地響きを立て洞穴の入り口へ歩いて行くと尻を突き込んでいる。
地響きのせいで中では岩が崩れる音も聞こえている。
しかし、相変わらず手裏剣は飛んで来ている模様で清海蝦蟇の尻に刺さる音がする。
「ブス。ブス。ブス」
「十字や六方なら深くは入らぬ。大丈夫じゃ、清海、いけっ!」
「ボワワーン……!!」
一発で穴の中は静かになった。
が、すぐに六人の黒装束が飛び出て来た。
「逃がすな!」
佐助の厳しい声が飛ぶ。
黒装束の一人が分銅を脚へ投げ付けられ転んだ。
「鎌之助っ!」
「おっと、いけねえ」
首を刎ねようとしていた鎌之助は鎖鎌を放して素手で顔面を殴りつけて気絶させた。
「三丁目!」
佐助は当て身で三人を気絶させている。
もう一人は太郎に首の後ろを咥えられ、そのまま気絶している。
さらに一人は林の中へ逃げ込もうとした寸前、清海蝦蟇蛙に「ドシーン」とやられた。
体が空中に舞い上がったところでぱくりと咥えられている。
「四、五、六、七、八丁目」
「太郎。そやつら縄抜けをするかもしれん。見張りを抜かるな」
忍びの心得のある者はいくら縄で縛り上げても関節の骨をはずし縄抜けをする。
空中では逃げる赤龍を青龍が追い戻している。
赤龍が青龍に向かって火を噴く。
才蔵は相手が火遁なので水遁を使っている。
その辺りに大雨が降った。
赤龍が怯んだと見えたところへ珝が鋭い嘴で目玉を突いた。
止めに青龍の長い尻尾が赤龍の頭に強烈な一撃を喰らわした。
術の格が違うので鼻から相手にならない。
赤龍はもろくも落下した。
「九丁目!」
下では縄で縛り上げられた九人が数珠繋ぎにされている。
鎌之助の怪力で締め上げられているから堪らない。
息を吹き返しても虫の息である。
「ふん縛りあげた、とはこの事だ」
清海は元の姿に戻って笑っているが頭は黒焦げになっている。
「才蔵殿、助かったぞ。
火傷をするところであった」
「良かったのう、坊主で。
髪の毛が有ったら燃えておったぞ」
鎌之助がからかう。
「霧隠とはよく言ったものじゃ。
すごい霧じゃのう。
お月様も全く見えなくなってしもうたわい」
清海は才蔵の技に感心している。
「あと三人はおるはずだ。
才蔵と鎌之助はここで見張っておってくれ。
行くぞ、清海、太郎!」
佐助は洞窟の中に踏み込んでいった。
「こりゃ、たまらん。臭い!」
太郎も嫌な顔をしている。
「すまん。
溜まっておったもの全部放出してしもうた。
ん?やれといったのは猿飛じゃろう。
文句を言うな」
「そうであった。
余りの臭さに頭が痺れておる」
一人の黒装束が入り口付近で倒れている。
清海の屁を直撃で受けたらしい。
どんどん奥へ入って行く。
洞窟の奥はおびただしい金品が置かれてあった。
その傍に二人の女が倒れていた。
…「あんりゃ、これはふき殿。どうしてこんな所に?」
一間1.82m、四間7.2m、20間36m
一丈3m、三丈9m




