㉟-②第三部 第一章 霧隠才蔵 三節 六千年の謎 三、四
三 抱闇赦罪
「私は切支丹でございます。」
才蔵が十字架を見せた。
「うむ」
「こちらでは切支丹への縛め付けがきつくなっていると助佐衛門様にうかがいました。
とりあえずは高山右近様にお会いしたいと思っております」
「ふむ。そうされるが良い。
高山右近殿なら宗次殿が案内してくれよう」
「あ、ありがとうございます」
「・・・。切支丹ならば聞きたい事がある」
「はい」
「耶蘇教には闇の力が紛れ込んでいると聞いたことがある。
また、イスパニア他の南蛮諸国は耶蘇教を利用して日本の国を植民地にする、という話もあるが」
「日本の国を蹂躙させてはならぬ、と父が申しておりました」
「父上とな?」
「父はファンデ・シルヴァと申しましてイスパニアのマニラ総督です」
「雪様は惣領家の血を残すためにお父上を選ばれたのかもしれぬ。
百地殿も月様も花様も亡くなったと思っておられたはずゆえに。
月様が真田の大殿を選んだように」
「そうかもしれませぬ。
わたくしにも少しわかって参りました」
「伊賀も甲賀も奥義は一子相伝だが、伊賀は体系、甲賀は霊系で引き継いでいくのでな。
雪様は必死で子孫を残そうとされたはずだ。
全ては父の暴挙が招いたことだが」
「そのことは…」
「すまぬ。それで耶蘇教のことだが」
「はい。たしかに耶蘇教にまぎれて闇の力がこの国に広がろうとしております」
「ふむふむ」
「元は切支丹の一派で亜流備流と言う者達が始まりとか。
妬みや憎悪、嫉妬に取り付かれたものたちが西洋古来の黒魔術を取り入れたそうで…」
「黒魔術とな?」
「黒弥撤という儀式をするそうです。
『神を冒涜する事』によって悪魔の力を借り、空中遊泳の術や、空の聖杯をぶどう酒でなみなみと満たしたり、剣や鉄砲にも負けぬ力を得るそうです」
「やはり魔界にもそのような力があるのか…。
わしと同じような力、いやそれ以上の力があるのかもしれぬ」
「伊賀の中にもこの一派の手に落ちた者がいると聞いています」
「うむ・・・。闇烏天鬼もそうだろう」
「その闇の勢力はこの国の闇の勢力と合体してさらに力を増していると聞いています」
「元締めなる者はいるのか?」
「わかりません」
「そうか…」
「憎しみ、怨み、妬み、それから強欲。
人の持つ弱さがこの世の中に戦争という大きな災いをもたらしていると父から教わりました」
「光があれば陰ができる。
天界に神仏や天使がおわせば魔界に悪魔や邪まな者達ができるのは必然の理だ。
魔界を消すことはできぬ」
「・・・?」
「昫の事、幸様の事、この宝珠の力。
天下の動きの中で揉みくちゃにされながら、そう思うようになった」
「はい」
「人の持つ邪まなところ、魔界の存在も認める。
そのうえで、この世の中の調和をとることこそが大事ではないかとな?」
「幸様や月様の命を奪った者さえも赦されるお覚悟で?」
「いや。赦すというところまではまだいかぬ。
わしはそんな偉そうなことを言える者ではない。
虐殺者を父に持ち、己れ自身のあやまちで何百人もの人命を失った」
「人を恨み、我が身を責めても闇の世界が広がるだけでございます。
明るいあしたは開けませぬ」
「そうだ。明日という字は明るい日と書くのだったな」
「そうでございますね」
「そういうことだ。
おぬし馬鹿ではないではないか。
清海と似ている。
きっと気が会うだろう」
「はい」
…強い潮風が吹き抜けた。
松原が揺れる。
「宝珠の力かもしれません」
「ほう?」
「頭にかかっていた霞のようなものが消えてスッキリしてきました」
「そういえば、『はあ』が『はい』になっておるぞ」
…珝が舞い降りて来た。
鋭い視線でまゆを見つめる。
「秘されていたのだ…。
まゆの真の力がな」
「・・・?」
「『碧と白の珠玉』に出逢う時まで封印されていたようだ。
宝珠の光を受けると花開くようになっていたらしい」
「はい…?」
「まゆこそがこの世の秘宝かも知れぬ。
これほど念入りに隠されていたのだからな…」
…珝の目が輝いている。
喜びを噛み締めるように大きく羽ばたいた。
蒼穹に向かって飛翔している。
「物事は『隗より始めよ』だ。
われ等から始めようではないか」
「は、はい」
「人の世の幸せは人と人との良き出逢いに始まる…」
「利休様のお言葉です」
「まゆと話しておると心の整理がついてきた。
己一人で考えるより、こうして会話をすると新しいことに気がつくのだな」
「嬉しゅうございます」
「わしでお役に立てることなら何でもさせて頂く。
わしにもいろいろと教えてくれ。
師より、死ぬまで修行をして、骨ひとつ灰ひとつ残さぬ迄生き抜け、と言われておる」
「骨ひとつ灰ひとつ残さぬ迄生き抜く・・・」
「師はそうだった。
昫もそうだった。
百地三太夫殿もおそらくそうだろう」
…目の前に広がる堺の海はマニラの海にも繋がっている。
その潮騒の中で、この世の荒波に揉まれて生を受けた二人が語り合っている。
四 真田十勇士
「わしも行きたい!」
「こやつこうなると手に負えぬぞ。
袈裟を着た大きな子供ゆえ」
「高山右近殿にも会ってみたいし、前田利長殿にも会ってみたい」
行きたがり虫になった清海に鎌之助が手を焼いている。
「いかんぞ、おぬしやわしが行ったら目立って邪魔になる。
それについさっきまで堺はええぞ!
ここは自由じゃ。わしに合うておる。
出来ればずっとここにいたい、と申しておったではないか」
「その気もある。
鎌之助よ、そう人を責めるな。
解らぬかわしの真意が。
才蔵殿をお守りしようという、優しいわしの心根が」
「わかった、わかった。
確かに清海は優しい。
だがなあ、高山右近殿といえば高潔なお人柄と聞く。
わしもおぬしの事を言える人間では無いが。
おなごの尻ばかりを追い駆けておるおぬしとは縁遠い様に思えてな」
「鎌之助。おぬしまだ人を見抜く眼力が足りぬ。
修行が足らぬな。のう、猿飛」
佐助は黙ってにこにこしながら、白ぶどう酒を飲んでいる。
才蔵が一言礼を言う。
「清海殿。かたじけない」
今井宗薫の屋敷では別れの宴席が持たれている。
座を明るくする清海と朝暮殿のお陰で始終笑い声が絶えない。
才蔵は衆人と対面している時は術をかけている。
霧隠と名乗るだけあって、自分の顔の周りにそれと解らぬように霞や霧を掛けた様な術を使っている。
ひとつは目の色を隠すため。
ひとつは女である事を隠すためである。
女性にしては大柄な才蔵だが、術のせいで普通の男よりも大きく感じる。
利休の茶席の時や、昼間佐助と会っていた時ははっきりと素顔を見せていた。
むしろ今の才蔵を見て佐助は安心している。
(やはり、苦労をして育って来たのだな。
子供でも無いし、馬鹿でもない)
「堺はホンに良い所じゃ。わしに合う。
今思うと上田でのお城勤めは窮屈じゃった。
今のわしこそは融通無碍。
一切を放下し只ひたすらに御仏にお任せしておる」
「悟りを開かれましたかな?」
宗薫が持ち上げる。
「かもしれぬ。
右近殿にも少しわしの血を入れて差し上げたら、もっと生きるのが楽になるのにのう」
朝暮殿が話の輪に入る。
「その右近様ですが。
あのお方はほんまに立派な武将でんな。
今、巷で人気の武将といえば、東は智将の真田幸村様。
西は清廉潔白な高山右近様ですわ。
お二方とも大きな力に負けまへんのや」
「ほほう。長いものには巻かれぬ、とな?
鎌之助の髭が動いている。
「昔、右近様の高槻城を信長様が攻められ絶体絶命にならはったことがございました。
右近様はご自分の一命と引き換えに皆の命乞いをされたんですわ。
髷を落とし、素足に草履を履き紙衣一枚で城を出られはってな。
切支丹の宣教師達や人質の命を守らはったんですな」
「武士を捨て信仰を取ったのだな。
わしが会いたいと思う訳じゃ」
清海が赤葡萄酒をごくんと飲む。
朝暮殿も調子づく。
「信長様もさすがでっせ。
捨て身の右近様に心を動かされましてな。
丁度ひどく寒い時期でしたので、御自分の着ておられた小袖を脱がはって『吉則の太刀』と共に右近様に差し上げたんでっせ。
その上秘蔵の名馬『早鹿毛』も贈りはった。
旧領を安堵され、さらに二万石を御加増されましたんですわ」
「ふむふむ」
赤葡萄酒の方はどんどん減っていく。
「ところがでございます。
三年前の太閤様の伴天連追放令の後はいろいろとご苦労の連続でした。
今は加賀の前田様の元でご活躍です。
宗薫殿や宗次殿がお世話されましてな。
今の所は安心ですが、先々は切支丹は厳しゅうおまっせ」
…高山右近は信仰を貫いた武将である。
前田利家に招かれ加賀で二万五千石を領し、利家亡き後の加賀で利長の補佐役をしている。
築城家としても卓越していて安土城や金沢城も手掛けた。
戦場に望むと猛将となった。
小田原攻めの際には利家と共に鬼神のごとき働きをしたという逸話が残っている。
茶道や能楽にも秀で利休七哲の一人と云われ、前田家の家風に清廉な風を送り込んだ。
…ところで和泉屋新三郎。
朝暮殿と慕われるだけあってさっぱり武士言葉を捨ててしまっている。
言葉に全く化粧というものが無い。
利休を匿う度胸もある。
そして情報通である。
「堺の商人は勇者じゃのう。
山賊などをしていたわしは恥ずかしい」
鎌之助も惚れ込んでいる。
宗薫が話を戻す。
「才蔵様。
朝暮殿の言われる様に、右近様は前田様においででございます。
宗次殿にお任せ致しては。
万事抜かり無く段取り致しましょう」
「それは有り難い」
「猿飛、わしも金沢へ行くぞ」
「わしは九度山の若殿の所へ参る。
才蔵も高山右近殿の用が済んだら九度山へ遊びに来ると良い。
小助が喜ぶだろう」
「そうじゃった。小助は伊賀じゃ!」
昌幸と幸村は取り敢えずは高野山の連華定院に滞在する事にしている。
真田家と蓮華定院は以前より繋がりが深く多額の寄進もしている。
九度山に庵を作り、出来次第落ち着く予定である。
志乃が嬉しそうに言う。
「鎌之助様と才蔵様が加わられますと真田十人衆になられますね!」
「まっこと十人衆じゃ。
いや、十勇士と呼んで貰いたい。
『真田十勇士』じゃ。どうじゃ」
佐助が清海を乗せる。
「うん良いな。
九度山が楽しみになって来たぞ。清海!」
「楽しみじゃ。
才蔵殿、加賀は遠いゆえ、先に吾等と九度山へ行かぬか。
若殿は日本一の智将ゆえ才蔵殿の相談にも乗ってくれよう。
朝暮殿も言われておった様に先々の事も広く手を打っておいた方が良いかも知れぬぞ?」
宗薫が褒める。
「ほんにそれが良いかも知れませぬなあ。
清海様はさすがお坊様じゃ。
人の世の機微というものを心得ておられる」
褒められるとますます調子に乗るのが清海である。
「楽天的に考えると良い知恵が出るものじゃ。
それに前田様なら佐助に一緒に行ってもろうたら怖いもの無しじゃ。
佐助もまだ前田様に会うて無いじゃろう」
清海はもう勝手に決めてしまった。
「才蔵殿、吾等の旅は楽しいぞ!」
佐助はかなり気が重い。
清海が事件を起こしそうな予感がする。
(まあ、堺から九度山迄は清海の脚でも一日で行けるから良いか…?)
才蔵は佐助の心を読んでいる。
「よろしくお願い申し上げる」
…「よし、決まった。明日からがまた楽しみじゃ。なあ、鎌之助!」




