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碧と白の珠玉   作者: 真緑 稔
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④第一部 第一章 出逢い 四節 秘め事

 白狼の仔は目を開けた。

 一瞬、瞳が輝いた。



 再び(まぶた)を閉じる。

 四半刻(しはんとき)もしないうちにまた目を開けた。

 佐助の懐の中から摺り上がって来る。

 何かを確かめるかのように佐助の息の匂いを嗅ぐ。

 佐助の(ほほ)に鼻を擦り寄せた。


 次の日になると急に変わった。

 山羊の乳も貪るように飲む。

 副え木を当てたまま佐助の後をついて回る。

 その日のうちに五回も副え木を食いちぎった。

 佐平の言いつけでその都度巻き直した。


 佐助は山遊びをすっかり忘れてしまった。

 じゃれ合っては手足を傷だらけにしている。

 狼の仔は佐助が川へ行けば川辺へ。

 畑へ行けば畑へ、一日中付いてまわる。

 甘噛みのお陰でボロ着が立派なボロになり、志乃もお手上げだ。



 佐助は「くう」と呼んだ。

 懐の中でクークーといって甘えるからだ。

「昫」という字は佐平が付けてくれた。

「日輪のひかりに包まれて温かい」という意味だそうだ。

 そういえば、白い珠が輝いていた時、昫の身体も薄ぼんやりと光っていた。

 昫と一緒に寝ていると温もりが何とも心地よい。


 三月の末ともなると鳥居峠にも遅い春がやって来る。

 辛夷(こぶし)が咲き、白木蓮(はくもくれん)の大振りな蕾も開く。

 遠い山々を山桜が薄紅色に染める。

 佐助が飛び降りた断崖には岩間を山躑躅(やまつつじ)の紅が彩っている。


 (くう)はひと回り大きくなった。


 春の椿事ちんじが起こった。

 ひとつは佐助が真面目に働き出した事。

 (くう)もよく働いた。

 以前は山遊びに夢中で、雪深い冬でさえ家の中にはろくにいた事などなかったのだが。

 畑仕事の忙しい時期に入り、大いに佐平と志乃の役に立った。

 もうひとつは獣が佐平の家や畑を荒さなくなった事。

 佐助の家は四阿山(あずまやさん)にある隠し里だ。


 四阿山は八千尺近い高山である。

 神々の住む山といわれ、月の輪熊が生息している。

 鳥居峠という地名も四阿山の山頂へ登る参道の入り口に鳥居が古くからあったからであるらしい。

 ゆえに村人は佐平の隠し里には滅多に足を踏み入れはしない。

 しかし動物は別だ。

 佐平の家では鶏や山羊が時々やられていたが、昫が来てから獣の害がぴたっと影をひそめた。


 昫は魚が好物だ。

 狼のくせに獣や鳥は食べない。


 佐助は魚獲りの名人である。

 道具は細めの竹の先を鋭く削いだお手製の(やり)だ。

 一回突くと先が弱り魚の筋肉に弾かれる。

 一回勝負だ。

 数本持って行く。

 魚を狙う川辺の白鷺(しらさぎ)になりきる。

 岩の上や川の中で気配を殺し忍耐強くじっと待つ。

 大物を呼び込むと一気に突く。

 思いのほか大漁になって槍が無くなったら素手で掴む。


 その佐助でさえも昫には勝てない。

 昫の漁のやり方はただやんちゃなだけだ。

 前脚で水面から叩いたリ、飛び込んで咥えて来たり。

 だが、決定的な差があった。

 大物のいるところが昫には判るのだ。

 ます山女やまめ、鮎・・・。

 (くう)のお陰で夕餉が楽しくなった。



 ーーーあたしは魚がどこにいるのかわかるの。


 動物的勘てやつ。

 (こい)(なまず)(うなぎ)だって、まかして頂戴。

 水草や岩場や泥の中にいても大丈夫。

 川海老や蟹もすぐに居場所を見つけることができるの。

 匂いじゃなくて見えるの。

 見えると言うよりも映るって感じかな。

 捕まえるぞって、気合いを入れるとね。

 だって、佐助様に褒めてもらえるのがうれしいの。

 それに家に帰ると志乃様とお父様がすごーく喜んでくれるんだもん。

 志乃様はご褒美にあたしが大好きな蜂蜜を舐めさてくれるの。

 だから、自然と頑張っちゃうんだなあ。



 夜明け前には起き、日がとっぷりと暮れるまで昫と働き遊んだ。

 時の経つのも忘れて一日一日が過ぎていった。

 断崖の山躑躅の紅が山吹の黄色に変わり、佐助がつかんで降りた藤蔓に薄紫色の花房が付く。

 その紫が川面に映り、やがて木々に若葉が萌え始めた。

 昫はふた回り以上大きくなった。

 普通の狼よりも大きいくらいだ。


 佐平は意を決して口を開いた。

「そろそろ昫を山へ帰さねばなるまい」

「・・・」

「佐助とは同じ山羊(やぎ)の乳で育った兄妹のようなものじゃ」

「・・・」

「辛かろうが狼は成長すると人間と同じ生活はできぬ。

 それが自然の道理ゆえにの」

 佐助は観念したかのように、ぼそりと、

「・・四、五日のうちでもいいか」

「そう急がずとも良い」

「 昫の寝ぐらはおいらが探す。

 山の中で一番居心地のええ場所でないと」

「そうじゃの。そうするが良い」

「昫のところへおいらが出かけて行くのはいいか…?」

「良い。昫は普通の狼ではない。

 ゆえに我らとは暮らす事も出来るだろう。

 だがの、白狼であるだけでなく、一年もせぬうちに相当に大きくなりそうじゃ」

「んん。昫はもっともっと大きくなるべ…」

「その時には昫の噂が直ぐに広がる。

 村の家畜が狼に襲われた時に真っ先に疑われるのは昫じゃ」

「・・・」

「村の衆は手は出せまい。

 じゃが(おのの)きながら暮らさねばならぬようになる。

 昫とおぬしに襲われるかもしれぬと怖れてな」

「そんな事はする訳が無い…」

「そうだ。邪推(じゃすい)という。

 しかし、それが弱い者達なのだ」

「じゃすい?」

「強い者は弱い者達の立場に立って物事を考えねばならぬ」


 その夜更けの事。

 佐助は昫を抱いて深い眠りに落ちていた。

 志乃は一段と逞ましくなった佐助のために新しい着物を縫っている。

「聞き分けのない子とばかり思っておりましたが、いつまでも(わらべ)ではありませぬ。

 (くう)が来てからの佐助の成長には驚かされるばかりです」

「あの時の事から考えてみると、昫は何か理由があって群れを追われたのであろう」

「不思議でございます」

「狼が仔を産むのは普通は今頃じゃ。

 冬や春先には仔は産まぬ」

「白狼は神様のお使いと聞きましたが。

 神々が宿るというこの四阿山(あずまやさん)だから・・・」

「どうやら佐助と昫には強い(えにし)がある」

「白い珠もこの世のものとは思えませぬ」

「あれは世人(よひと)には見せぬ方が良い。

 守り袋に入れて佐助に肌身離さぬように持たせよう」

 佐平はしばし沈黙した。


 一羽の(ふくろう)が新緑の白木蓮にとまって鳴き始めた。

「ホホ、ホッホウ。ホッーホウ。ホッホウ。ホウ」

 佐平が口を開く。

「梟は夜目が効く。『闇の中の邪気を見逃さず追い払う』という縁起の良い鳥じゃ」

 梟が鳴き続ける。

「そろそろ志乃に佐助の秘め事を話しておかねばならぬ時が来たようじゃ」

 覚悟は出来ていた。

 (どんな話でも・・・)



 …志乃は父の話を聞きながら黙って夜なべ仕事を続けた。


 

四半刻(30分)

八千尺(2400m)

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