㉙第二部 第四章 残り散る 一節 花の散らぬほど
「やらんのか?
わしの尻は今宵あたりが出番じゃろうと鳴り続けておるのに…」
…九月十日深夜。
捜索活動は昨日で打ち切り、八人衆は医薬隊の応援に回っている。
息抜きに八人衆が休憩がてら、久しぶりに冗談の花を咲かせている。
佐助と小助は小太郎と共にほとんど不眠不休で治療をしている。
八人衆も六日からほとんど寝ていないが、そんなことを全く気にする気配もない。
気分の切り替えの早い清海が、
「『幻龍吐炎の術』も『湧雲大蝦蟇の術』もあれほど練習したのに出さんのか。
もったいない。
『湧雲大蝦蟇の術』こそは源氏の間でわしが思いついて以来、苦節三年。
修行に修行を重ねてきた大技じゃぞ」
早速、望月六郎が毒を吐く。
「やらん。
何がクセツ三年じゃ。
わし等にとってはクサイ三年だった。
清海の屁は臭水どころの騒ぎではない。
失神しそうな臭さじゃ。のう甚八」
「第一、われ等の手助けがないとまだできぬ。
その上、やった後にはわし達の身体に屁の臭いが染み付いて三日は消えぬ。
思いつきで始めた未完成の技じゃ。
一人だけで出来るようになるまでもっと修行を積め」
十蔵が清海に耳寄りな話をした。
「清海があまりにやりたがるゆえ付き合ってやったが、あれは所詮幻術じゃ。
伊賀にはまやかしでない術があると聞いておるぞ。
とは言うものの、真髄を極めた者のみに伝わる秘伝らしいが…」
十蔵の言葉に清海が鼻をひくつかせた。
だが、肝腎の小助は治療に専念している。
清海は甲賀の望月六郎に愁波を送った。
「伊賀には確かにあるらしい。
だがあの服部半蔵とて及ばぬ秘術じゃ。
百地家の一子相伝の技だが、百地家は伊賀焼き打ちで絶えた事になっておる。
伊賀の秘術は三好兄弟には難しいだろう。
が、まやかしとはいえ、清海と伊佐が初めて挑戦した忍法だ。
二匹の大蝦蟇はかなりの迫力がある。
あれはあれで結構威力があるぞ」
「そうであろう。
小諸城でひと暴れしようではないか。のう狸殿」
海野六郎が、らしくないことを言い出した。
「おもしろの春雨や花の散らぬほど」
十蔵が興味深げに、
「なんじゃ、それは?」
粋な狸殿は優雅に語る。
「本能寺の変の直後、太閤が中国大返しをした折の事。
京に向かって逃げる秀吉軍を後ろから追えば容易く首を取れた。
毛利の諸将はこぞって追撃を主張したという。
その時、小早川隆景殿が詠んだ句と言われておる」
「ほほう?」
「『風情のある春雨であることよ。桜の花を散らさぬほどに降っている…』
と言って暗に追撃を思い留まらせたそうな」
「つまり?」
「もう充分ではないか。
あれだけ痛めつけたのだ。
秀忠軍は焦って西上の準備をしておると聞く。
清海の技はまた使う機会もあろう。のう、望月殿」
「そういう事。
先日の大嵐のような土砂降りでは安らぎもやさしさも無い。
そんな事よりも清海、おぬし猿飛の世話役であろう。
かなり憔悴しておるぞ。
『人を殺めてはならぬ』という戒めを破って何百人も殺してしもうたのだからな」
「毒舌じゃのう。
そこまで言わずとも。
あれは猿飛のせいではない。天災じゃ」
「脳天気じゃのう。
おぬしのかぼちゃ頭ならそれで済むが、猿飛はそうはいかぬ。
魚は食うが鳥も獣も食わぬ優しい男だぞ。
おそらく自分を責め抜いておる」
「ふむ…」
「猿飛自身が猿飛の持つ怖るべき力を知らなんだのじゃ。
あれはたまたま来た嵐ではない。
猿飛の神通力が引き起こしたものよ」
しばらく沈黙が続いた。
…再び望月六郎が口を開いた。
「風流狸殿、おもしろの春雨の句を猿飛にも言うてやれ。
己れを責め抜くのもよいが、『花の散らぬほど』にとな」




