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碧と白の珠玉   作者: 真緑 稔
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㉘-④第二部 第三章 真田征伐 四節 各個撃破 四

 四 遅参


 佐助は嵐の中を飛び回った。


 濁流の中にも入った。

 昫と一緒になって神川から三十四、五名は引き上げた。

 重症者を空中移動で上田城の医薬隊へ八十人程運び込んだ。

 比較的軽傷な者は太郎の背中に括り付けて三十人以上国分寺へ運び込んだ。

 太郎は昫よりもぐんと大きくなっている。


 国分寺は北國街道の橋に近い。

 小助は国分寺に入った。

 和尚達と緊急の治療所を作っている。


 夜明け前には嵐は収まると見ている。


 夜明けを待って、青柳清庵が女子二百を国分寺へ連れて行く。

 上田城の医薬隊は小太郎が仕切っている。

 昌幸も信繁も八人衆も不眠不休で小太郎の援助をしている。


 嵐が過ぎるまでは八人衆でさえも外に出るのは危険な状態だった。

 救助活動は佐助と昫と太郎しか出来ない。



 …切れ味鋭い指示が望月六郎から八人衆に出された。

「狸殿がのんびり言うと間に合わぬのでわしが言う。

 一刻を争う。

 夜明けとともに生存者の捜索と救出をする。

 敵も味方もない。大殿の命令じゃ」


 小助が不在の時は海野六郎がまとめ役と決めてある。

 大風呂敷の狸殿は自分に不向きな事は適任者にさっさと任してしまう。


「昨夜の軍編成と同じで行くぞ。

 一番隊が若殿。千曲川の下流から神川に向かって捜索をされる」

「南から北上するのだな」

 清海が確認する。


「二番隊は小助に代わり甚八。神川と千曲川の合流区域」

「あい解った」

「三番隊は十蔵。壊れた北國街道の橋付近」

「よし」

「別働隊はこの望月六郎。

 北國街道の橋から昨夜秀忠軍が南下した道を北上する。

 大殿隊は秀忠軍の通った跡を北から南下される」

「大殿も御出馬なされるか」

「海野六郎隊は昨夜の志願兵千五百で城下町を第二の防御線、つまり外堀から第一の防衛線まで東に向かう。人海戦術でしらみ潰しで捜索する」

「三好兄弟は残りの民から志願者を募ってくれ」

「わし等は若殿隊では無いのだな」

「そうじゃ。人海戦術ゆえ人手は多いほど良い。

 もはや戦闘は無いからな。

 清海隊は染谷台の下から第二の防御線までの蛭沢川から北半分。

 伊佐隊は尼が淵までの南半分じゃ」


「相判った!!」

「よっしゃ!!」


「具体的な方法などは全てわし等の判断で各々に任される。

 三好兄弟以外は若殿の影武者でやる。

 戦闘とは無関係な嵐の被害者にも心せよ。

 以上、大殿からの命令である」


 …秀忠軍の最後尾が小諸城に着いたのは陽が高く昇ってからである。

 昨夜の嵐は無かったかのような台風一過の晴天が広がっている。


 殿軍(しんがり)を買って出た榊原康政と本多忠政、酒井家次の隊、合わせて六千が神川から千曲川に踏み留まっている。

 怪我人と死者の回収、行方不明者の捜索、さらに放棄された武器や鎧、荷駄の回収を粛々としている。

 当然真田方の捜索隊とも遭遇する。


 その事も昌幸は想定していた。

 五人の真田信繁を神川から千曲川沿いの地域に配備してある。


 最初に遭遇したのは望月六郎と酒井家次だった。

 神川を挟んで大声で名乗りをあげる。


「真田源次郎信繁である。

 われ等はもとより戦さをするつもりはない。

 昨夜より嵐の被害に遭われた方々の捜索をしておる。

 橋も壊れて渡れぬ。

 ゆえに川より西側は当方が責任を持って捜索いたす。

 貴殿は川より東側を捜索されてはいかがであろう」


「徳川の家臣、酒井小五郎家次でござる。

 誠に持ってかたじけない。

 ご好意に甘え、仰せの通りにさせて頂きたい」


「息のある者はすでに三百人程収容し当方で治療をしておる。

 国分寺には緊急の治療所も開設した。

 治療の急がれる者は預けられるが良い。

 回復せし者は小諸城へお返し申す。

 ご遺体は筏にて引き渡す。

 いかが?」

「畏まった。ではよしなに!!」


 家次は三十七歳。

 父の酒井忠次は徳川四天王の筆頭である。

 四年前に七十歳で没している。


 捜索は日没までした。

 榊原康政と本多忠政は酒井家次を捜索隊の大将として残し、報告のために一旦小諸城に帰った。


 徳川方はおおよそ死者八十名、行方不明者三百名、治療を要した者六百名。

 真田方の死者一名、行方不明者二名、治療を要した者二十八名であった。

 真田方の死者一名は入城せずに隠れていて落雷に当たった者。

 行方不明者二名も入城せずに隠れていた者達だった。


 夜目の効く佐助と昫と太郎、そして八人衆と真田忍びの一部は夜を徹して捜索を続けた。

 生存者の救出は三日間が勝負だ。

 翌日も真田側は昌幸を先頭に捜索をした。


 …小諸城では二名の帰りを待って軍議が開かれた。

 榊原康政から報告がなされたが、以外にも主戦派の勢いは火に油を注ぐように激しくなっている。


「兵站はの大部分を小諸城に置いていったのが不幸中の幸いであった」

 口火を切ったのは土井利勝だ。


「お若いの、それは甘うござる。

 戦さの要は確かに兵站でござる。

 だが、小諸に入るまでに荷駄車を二十以上も掠め取られた。

 刈田の稲も掠奪され、昨夜の嵐で荷駄車は百は失われておろう。

 これ以上真田攻めを続ければ兵糧が持たぬ。

 この辺が限界じゃ」


 大久保おおくぼ忠隣ただちかが風見鶏の本領を発揮しだした。


「だからでござる。

 真田は兵糧を貯め込んでおる。

 城を落とし兵糧を奪えば一石二鳥ではござらぬか」


「出来るかな。

 真田の兵は二千五百、貴殿に五千の兵を預けるゆえ真田を落とし、兵糧を奪って戦功をあげるが良い。

 吾等三万五千は急ぎ西上しよう。

 いや一千は失い、この状況では四千は逃亡するかもしれぬ。

 ゆえに三万と踏むべきじゃ」


「願ってもない。それは名案でござる」

「某も真田攻めの五千に入れて頂きたい。

 刈田の稲を取り返して見せましょうぞ」

 牧野康成がすかさず援護をする。

「蛍火の術」がまだしっかりかかっている。


 本多忠政が業を煮やした。

「おぬしらそれでも武士か!

 真田は昨夜あの嵐の中を捜索隊を出し、吾等が捜索を始めるまでに三百名も救助し治療をしておる。

 忍びの情報によると、今もまだ夜を徹して捜索をしておるそうな。

 それも我が方の遭難者ぞ!!」


「これは戦さでござるぞ。何を悠長な!」

 土井利勝も譲らない。


「この度犠牲になった者の多くは小者や足軽ではないか。

 小者や足軽あっての戦さであろう。

 そしてその者達には親兄弟もあり、子もある。

 この度の犠牲者は戦さによる者では無く、嵐の犠牲者じゃ。

 ゆえに真田は敵の犠牲者の命を救うべく総出で必死の捜索をしておるのではないか。

 おぬしらは礼節を知らぬのか!!」


 本多正信が低い声で言い放つ。

「最低限の事だけを言っておく。

 旗奉行、杉浦久勝。

 刈田奉行、鎮目惟明。

 同じく刈田奉行、朝倉宣正。

 そして先頭を切って大手門に駆け込んだ牧野隊の騎馬武者三十名。

 さらに突入を阻止しなかった牧野康成。

 以上の者は軍令違反で厳しい処罰をせねばなるまい」


「な、何を言うか、あの勢いは阻止できなんだ!」

 痛いところを突かれた牧野康成が怯んでいるのが誰の目にも明らかだ。


 本多忠政は怒り心頭だ。

「いや、某が先頭を切っていたが我が隊は皆留まった。

 上田城内には一人も入っておらぬ。

 我が隊の者がしかと見ておる。

 おぬしが煽るところをな!!」


「先駆けをしたのは本多殿ではないか」

「いや違う!

 軍令を守って上田城内に突入しなければ、若殿が援軍のためにに染谷馬場台を降りる事も無かった。

 われ等は染谷馬場台に戻り、高台で嵐をやり過ごす事も出来た。

 よしんば小諸城に引き上げていたとしても、橋が壊れる前に最後尾が渡り終えていたであろう。

 牧野殿、おぬしの仕掛けた軍令違反のせいで一千人の犠牲者が出たのだ!!」


「何を言うか!」

 本多忠政より二歳上の土井利勝がいきり立つ。


 軍議は炎上した。


 深夜を超えて、日付けが九月八日になった頃に神川にいるはずの酒井家次が突然現れた。

 忍びから軍議の様子を聞いて駆けつけたらしい。

 普段は温和な家次の登場が燃え上がっていた軍議に水を打った。


「若殿失礼つかまつる。

 牧野殿、土井殿、庭に出らい!!」

 と言うなり、土井利勝の襟を肩越しに掴んで庭に引き摺り出した。


 十一も歳が違い、格も違う。

 酒井家次は徳川四天王の家督を引き継いで十二年の歴戦の強者(つわもの)だ。

 利勝は争う事も出来ず、庭に出るなりぶちのめされた。


 家次は続いて牧野康成の前に立つ。

 康成は自ら庭に出た。


「この痴れ者め!」


 庭に男が二人転がった。

 秀忠の近習が介抱しようと立ち上がる。


「放っておけ。良い薬じゃ…」

 榊原康政の柔らかな鶴の一声に座の緊迫感がほどけた。


(それがし)が残ります。

 たとえ人質でも構いませぬ。

 若殿は真田の小塁などに大事な日時を使う事無く、西上なされませ。

 内府様からは上田城を落とす旨の書状を頂いておりますが、ここは臨機応変の対処が必要と存じまする」


 仙谷秀久が心を込めた嘆願をした。

 これには秀忠も心を動かされた。



 …「大御所からの御使者ご到着!」

「大御所からの御使者ご到着にござりまする!」

 使者の大久保忠益(おおくぼただます)が泥まみれの姿で、足を引きずって廊下を歩いて来る。


「遅うなりまして誠に遺憾至極にござります。

 急ぎご覧あれ!」

 家康からの書簡を開けた秀忠は唖然とした。


 ーーー九月九日までに美濃の赤坂に着陣すべし


 書状の日付けは八月二十九日だった。

 家康が江戸を発った九月一日の前日である。


 大久保忠益は八月二十九日に江戸を発った。

 使者の役目を果たそうと急いだ。

 しかし、途中大雨による利根川の増水で足止めをされた。

 それからは焦りに焦って道を急いだ。

 あと一息と思い、昨日の嵐の中を一睡もせず進んでいるうちに、馬が脚を痛め今になったいう。


 これには十蔵の部下の真田忍びは一切関わっていない。

 このような使者の存在を知って入れば、十蔵ならば早く届くように逆に助けていたはずだ。


 理由は何であれ、大久保忠益の遅延こそが攻められるべきであった。

 大久保忠益は歴戦の勇者だ。

 利根川の増水は有っても知恵と金を使えば方法はいくらでもある。

 きちんと届けて入れば無益な上田合戦は起こっていない。


 西軍の忍びが工作をしたのかもしれない…?



 …「今日は九月八日であったな…」

 秀忠の声が(かす)れている。

お読みいただきありがとうございます。

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