㉘-③第二部 第三章 真田征伐 四節 各個撃破 三
三 決戦
「稲という稲を刈り尽くせ!」
…九月六日。
早朝から刈田が行われた。
刈田奉行として鎮目惟明、朝倉宣正他三名が抜擢され、六千名の足軽・小者が動員された。
牧野康成隊も組み入れられた。
まず、刈田作業を警護する任を与えられた兵六千が酒井家次を大将に先手備えとして上田城下の手前まで入った。
城の東面にある七つの神社・仏閣から五十間ほど離れて南北に五町の衡軛陣を敷いた。
戦術に明るい家次はきちんと第一の防御線から五十間手前の理にかなった地点を選んでいる。
後備えとして旗奉行の杉浦久勝を先頭に本多忠政、菅沼忠政等五千が魚鱗の陣を構えた。
城攻めの許可は降りていない。
あくまでも刈田の警護のみだ。
規律の緩い隊の兵は隙を見て城下町の家屋敷に入り金品食糧を物色した。
だが米一粒も残されていなかった。
染谷馬場台では本体一万が鶴翼陣を敷き直した。
染谷城内では未だに大久保忠隣、土井利勝の主戦派と榊原康政、本多正信の西上派の折り合いがつかない。
…刈田の情報は上田城内の百姓達にも伝わる。
気性の激しい百姓は怒り狂い暴れ出す。
泣いて悔しがる者もいる。
こういう時は清海の出番だ。
十四の奉行と庄屋全てを二の丸に集めた。
「ようく聞いてくれ。
皆の衆が悔しいのはよーくわかる。
だがな、心配ご無用。
もう一度言う。心配ご無用」
「ほんとうでごぜえますか?」
「わしが責任を持って全部取り返す。
良いか、このわしが全部取り返す。
しかし、わし一人ではできぬ。
皆の衆の力を貸してくだされ」
「何でもさせてもれえますだ」
「では説明する。
夕方から雨が降り出す。
その雨は嵐になる。
このままでは稲は全部水に浸かる。
ゆえに稲はその前に刈り取らねばならぬ」
「こんなに晴れておるのに嵐でごぜえますか?」
「そうじゃ。
有難い事に徳川軍が今刈り取ってくれておる。
刈り取って荷車に乗せるまで待って荷車ごとわれ等が奪い取る。
その時に皆の力を貸してくだされ」
「へえ、いくらでもお使いくだせえ」
「わし等は稲刈りをせんでも良いのだに?」
「一つだけ聞いてくだされ。
この戦さでは敵も味方も一人も殺さぬ。
皆の衆には危ない事はさせぬ。
しかし戦さじゃ。
敵は殺しに来る」
「そんだな」
「危ないと思ったら安全なところへ逃げて自分の命は自分で守るのじゃ。
わかったかな」
「よくわかっただに」
「よし。あとは十四人の奉行衆に役割を授ける」
…碧く澄みきった秋の天頂から太陽が少し西に傾いた頃。
城内は気味が悪い程静まり返っていた。
読経の声が響き始める。
声の主は佐助である。
本丸の大手門奥の広場に護摩壇が置かれている。
白衣の佐助が護摩を焚き、燃え上がる炎に向かって経を唱えている。
民達は手を合わせて佐助を拝んでいる。
最初は噂の小太郎だと誰もが思ったのだ。
だが違う。
顔はそっくりだが白衣の男は大男で声も太い。
怖いぐらいだ。
大男の身体がだんだんと熱を帯びていくのが遠目にも判る感じがする。
今にも身体から炎が出て来そうな迫力が観衆にも伝わってくる。
四阿山の神様のお使いの優しい先生と目の前の白衣の男は別人だ。
突然、突風が吹いた。
護摩壇の火が消えそうになる。
「おおーっ!」
歓声があがる。
再び静けさを取り戻す。
佐助の読経の声はさらに大きくなっていく。
護摩を焚き始めた頃の晴天はいつの間にか怪しくなってきて、湿った南東の風が吹き始めた。
佐助は護摩壇の火をますます激しく炊かせた。
それから半刻、佐助は朗々とよく響く声で読経を続けた。
城外の先手備えの徳川兵は静まり返って佐助の読経を聞いている。
先手備えの兵と佐助とは九町以上離れているのに読経が聞こえている。
そればかりでない。
護摩壇に向かう佐助の姿がありありと見えている。
先手備えだけでなく、後備え、刈田隊、本体の秀忠軍全員が佐助の姿を見て、読経も聞いていた。
無論、真田勢もである。
「合せ鏡の術」だ。
清海の割れ鐘のような声よりも佐助の声の方が桁外れに大きいと思われるほど、声がよく透った。
声が大きいのか気の力が凄いのか…。
徳川軍の兵は呑み込まれて行く。
読経が止まった。
佐助が九字の印を結ぶ。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前。
唵阿忍智摩利帝曳薩婆詞、カーツ!」
南東の風はいよいよ強く吹き始め、焚いていた護摩壇の火が吹き消された。
大粒の雨がポツポツと降り始める。
「オオーーーツ!」
城内、城外、染谷馬場台で同時に歓声が上がった。
「神通力じゃ。神通力じゃ!」
「嵐になるぞ。嵐になるぞ!」
「猿飛様の神通力じゃ。猿飛様が城内においでじゃ!」
「神通力じゃ。神通力じゃ!」
「猿飛様じゃ。猿飛様の神通力じゃ!」
城の内外で囁かれた声があちこちで木霊のように響いている。
これは八人衆が仕掛けた真田忍び達の仕業だった。
真田忍び以外の者も催眠術にかかったかのように口々で唱え始めた。
「嵐が来る。大嵐が来る。逃げろ!」
「逃げろ。逃げろ。大嵐じゃ!」
城外の真田忍び達は口々で唱える。
それが次々に伝わっていく。
敵味方五万を超える者達はもっと凄いものを見た。
銀色に燃えるような玉が尾を引いて佐助の周りを飛んでいる。
それも二つである。
白珠が感応したのだ。
佐助は嵐の来る気配を読んで演技をしていただけだった。
しかし、読経をしているうちに読経の文言に佐助が感応し、別の世界に入っていた。
「第七の軸」が使われたのだ。
感応した佐助に白珠が感応し、お守り袋から飛び出して勝手に燃えている。
(言葉の力とは凄いものだ。「ことたま」というものか?)
佐助自身が驚いている。
だが、白珠の力はそんな甘いものではなかった…。
…二の丸から狼煙が上がった。
外堀の土塀から秀忠軍の先手備えに向け、一斉に五百丁の鉄砲が爆音とともに火を放つ。
三千の六文銭の紙幟が上がり振られている。
一万人の鬨の声が一斉に上がる。
「エイ、エイ、オーッ! 」
「エイ、エイ、オーッ!」
外堀の大手門が開かれる。
二百騎の騎馬隊が飛び出して来る。
全員赤備えだ。
城内からは鉄砲が間断無く撃ち続けられる。
無論距離があるので先手備えまで弾は届かない。
六千の先手備えは鉄砲足軽、弓足軽、長柄足軽、馬上武士と整然と陣構えをしていた。
だが、足軽達の中には早くも正気を失い、染谷馬場台向けて逃げ出す者が出ている。
徳川兵の心の中では佐助の読経が未だに響いている。
「神通力じゃ! 神通力じゃ!」
「逃げろ! 逃げろ!」
「大嵐が来る! 大嵐じゃ!」
頭の中では木霊が鳴り止まない。
神社・仏閣からも騎馬が飛び出すとともに鉄砲が撃たれる。
いずれも逃げていく小者や足軽の後ろの地面をを狙っている。
ほうろく火矢が投げられる。
これは十蔵が知恵を絞りに絞って作った特製手榴弾だ。
半球型の素焼きの壺の中に自家製の火薬を詰め、火縄を押し込んで半球を二つ合わせて細縄でしっかり縛り合わせる。
細縄は一本だけ長めに残してある。
火縄に火をつけてから細縄の端を持ち、振り回して遠心力で遠くまで投げる。
雨に濡れてもいいように全部蠟引きで仕上げてある。
火縄は臭水に浸してあるので雨が降っても消えない。
臭水とは石油の事だ。
越後で取れる。
直江兼続の協力で樽詰めにして目立たぬよう一年前から備蓄してあった。
ほうろく火矢は火薬奉行が五千発ほど作ってある。
二百の騎馬隊の先頭は清海と伊佐だ。
清海の愛馬は「桜木」。
伊佐の愛馬は「青葉」。
加藤清正の帝釈栗毛と同種の大馬である。
加藤清正も巨漢で六尺三寸あったが三好兄弟はさらに一回り大きい。
気合いが入って顔は真っ赤だ。
大手門を出た騎馬隊は第二の防御線である外堀に沿って北上した。
金昌寺門前で神社仏閣に潜んでいた五十騎と合流して蜂矢の陣形をとる。
南北に衡軛陣を敷いている徳川の先手備えを北端から各個撃破していく。
酒井家次の敷いた衡軛陣は上田城の大手門側からの攻撃を想定していた陣構えだ。
右手側面からの騎馬隊の早い動きに対応が取れない。
「蜂の矢」の先頭の怪物が二頭の巨馬に乗って猛然と駆け込んで来る。
二頭の巨馬も物凄い鼻息だ。
気の弱い小者や足軽はすでに腰を抜かしている。
騎馬隊は二頭一組になり、長さ二間の大綱の両端を持ち火をつけている。
大綱は中央の太い所が一尺もある。
臭水と松脂、硫黄、硝石を混ぜたものにじっくりと漬け込んであったものだ。
直ぐには燃え尽きない。
先手備えの兵六千の内、馬上侍は六百騎だった。
真田方の騎馬隊は火の大綱を張ったまま陣形は崩さない。
各個撃破をしながら、徒歩武者や足軽達を狙い、東南の神川の下流方向へ追い立てる。
馬上侍にはほうろく火矢を投げつけ、馬を威嚇する。
徳川の先手備え六千の兵は乱れに乱れた。
もはや統率が効かない。
大将の酒井家次はやむなく撤退命令を出した。
「後備えまで退却!」
直ぐに命令が連呼される。
「後備えまで退却!」
「後備えまで退却!」
連呼しているのはほとんどが真田忍びだ。
その声を合図に信繁本隊の六文銭の旗指物をした徒歩武者千八百が大手門から繰り出す。
神社仏閣のある第一の防御線まで押し出した。
鉄砲を乱射したりほうろく火矢を投げつけて威嚇を続ける。
第一の防御線の背後では大手門から志願兵千五百が飛び出す。
放置された鉄砲や弓槍などを拾っている。
…刈った稲を荷車に積み終えたばかりの徳川勢の足軽や小者達も雪崩を打って「後備え」目指して逃げ込んでいく。
清海達は徳川軍を蹴散らすだけ蹴散らすと刈田隊の騎馬武者に襲いかかった。
刈田隊の馬上侍はもともと百騎しかいなかったが残っているのは三、四十騎だった。
刈田奉行の鎮目惟明も襲って来る騎馬隊の迫力に退却命令を出した。
間髪を入れず真田の騎馬隊二百五十は稲が積まれた荷車に散り、荷車を馬ごと奪い取った。
今度は大手門を目指して逃げ帰る。
これを見ていた「後備え」の本多忠政は旗奉行の杉浦久勝を差し置き、猛然と駆け出した。
本多忠政隊に触発されるかのように、後備えの馬上侍六百騎も奪取された荷車を追う。
追う徳川勢も鋒矢陣形の騎馬隊に自然と組み上がっている。
退却してきた先手備えと刈田隊の馬上侍も加わって、一千三百騎が大手門を目掛けて突っ込んで行く。
先頭の本多忠政が大手門から三十間の所まで迫った。
間一髪、稲を積んだ最後の荷車が城内に入ってしまった。
無論、真田方の全ての兵はとっくに城内に逃げ込んでいる。
忠政は止む無く思い留まった。
城攻めの軍令は出ていない。
命令は刈田までだ。
城攻めの決定はされていないので城に突入すると軍規違反になる。
だが一千三百騎の内、八百の騎馬が勢いのままに突入してしまった。
大手門は開いていた。
牧野康成の部下達が先陣を切って飛び込んだ。
旗奉行や刈田奉行達も勢いに飲まれて入城する。
大手門の中の惣構は静まり返っていた。
千鳥掛け柵が組まれているので馬は歩く程の速さに落とさざるを得ない。
東備えを越え、中央の水堀を渡り、西備えに入る。
行く道には凧糸が蜘蛛の巣のように張られている。
五尺から七尺の高さに張られた凧糸は両端が頑丈な杭に結ばれている。
馬上武士を狙った仕掛けだ。
黄昏刻だ。
凧糸は灰汁で染められているので見分けがつかない。
首や兜に引っかかり次から次へと落馬する。
一尺から二尺の高さに張られている凧糸は両端が三尺の竹で結ばれている。
これは馬の脚を狙った物だ。
馬の脚にかかった凧糸が結ばれている竹は簡単に抜けて馬の脚に絡みつく。
馬は三尺の竹を二本ひきずり暴れ出す。
さらに五箇所に落とし穴があった。
これだけで先頭の牧野隊の三十頭近い馬が被害に遭った。
それらの罠をようやく乗り越えた騎馬が二の丸前の「千曲溜まり」に入ろうとした刹那の事だ。
法螺貝が鳴った。
二の丸、御作事館、お屋形屋敷、千曲館、武家屋敷、そして東西方向に築かれている土塁柵から五、六千はあると思われる六文銭の幟が上がり、鬨の声とともに振られた。
同時に鉄砲が乱射され、ほうろく火矢が投げられる。
鉄砲は先程城外で拾ってきた物が三百丁程足されている。
女子供老人達も鍋底や太鼓を叩いたり、法螺貝を吹いたり、ありったけの騒音を立てる。
土塁柵は百姓の志願兵が頭を出さず紙幟を土塁より上に差出せるように二段にされている。
土塁の上の柵には鉄砲避けの竹束が立てられていた。
ほうろく火矢は馬を驚かせるだけで殺傷能力が無い程度に作ってある。
大混乱が起きた。
馬は悲鳴をあげ嘶き転ぶ。
転ぶと埋め火(地雷)が炸裂し余計に錯乱する。
埋め火も脅かす程度に調整してある。
千鳥掛け柵で誘導された道には撒菱が一面に撒かれている。
撒菱には強い痺れ薬が塗られている。
先頭の馬達は後ろが詰まっているので退却も出来ない。
さらに、竹が両端に結ばれている真田紐が馬の首や脚を狙って投げ入れられる。
両端の竹は一尺程の長さで十字に組まれている。
真田紐の長さは二間程だ。
脚に絡みついた馬は転倒する。
首に巻きついた馬は暴れ出す。
真田紐は頑丈で馬の力でも切れない。
鬨の声は鳴り止まない。
あちこちで埋め火の爆音がする。
ほうろく火矢も鉄砲も間断無く浴びせられる。
さらに戦意を奪い取ったのは、中央の横断道の土塁の上を線になって燃え上がった炎である。
臭水に浸け込んだ茅に火をつけたのだ。
西備えにいた馬は東備えに戻れなくなり、入城した徳川勢は分断された。
先に入った馬上侍達は馬を捨てた。
撒菱や埋め火を踏みながら大手門から城外へ走って逃げるしか道がない。
入城してしまった八百の騎馬は五百に減り、馬を失った三百の武士を乗せて撤退を始めた。
折しも稲光とともに雷鳴が轟き、突然、烈風が吹き荒れ豪雨となった。
「秋の日は釣瓶落とし」
戦闘をしている間に陽はとっぷりと暮れ、辺りは暗い。
痺れ薬が効き始めて思うように走れない馬は乗り捨てざるを得ない。
…結局、徳川軍から惣構内で三百の馬を奪った。
信繁のこの日の目標は三つだった。
一、刈田された稲を全て奪い返す事。
二、馬を百頭惣構で奪う事。
三、秀忠軍を神川を越えさえ、小諸側まで追いやる事。
三百の馬の内、二百は使える状態だった。
兵馬隊が二の丸から出て来て、怪我をしたり痺れ薬にやられた馬を介抱してやる。
捕獲した馬二百を加え、信繁隊は騎馬四百五十、徒歩武者千五百五十となった。
一番隊、二番隊、三番隊、別働隊の人員を組み直した。
鉄砲衆は拾った三百が足され八百になった。
的に当てるつもりはないので俄鉄砲衆で充分なのだ。
一番隊には信繁が入り両脇を三好兄弟が固めている。
二番隊は小助が、三番隊は十蔵が、別働隊は望月六郎がそれぞれ信繁と同じ格好で指揮を執る。
もう一人の真田信繁役の海野六郎は志願兵千五百をまとめ後方から威嚇をする役だ。
甚八は神川に作ってある関を切りに行っている。
関は染谷馬場の東一里、昌幸が潜んでいる伊勢崎城の南半里地点に築いてある。
徳川軍四万を神川の川下まで追い込み北國街道の橋を渡らせる。
小諸側へ渡らせてから神川を決壊させて、橋を壊せば暫くは攻めて来れない。
…四つに分かれた信繁隊はそれぞれ偃月陣をとった。
豪雨の中を逃げていく徳川の騎馬隊を悠々と追いかける。
殺傷が目的ではない。
追い付いてはならない。
追い落とさねばならない。
投降兵と捨てられた馬を拾っては後方の海野六郎隊に届けていく。
こちらは雨松明一千本を掲げ意気揚々である。
雨松明も十蔵の指導で火薬隊が二千五百本作った。
残りの一千本は海野六郎隊が持ち、後方から威嚇している。
五百は昌幸が持っている。
雨松明は硝石、硫黄、炭、樟脳、松脂、蓬、鼠の糞、牛糞などを麻油で練り、竹筒に詰める。
それを蠟引きの紙で何重にも巻く。
水の中を潜らせても火が消えない松明だ。
鉄砲の火縄も雨に濡れても消えないように火薬隊が一丁づつ改めて処置をしてある。
嵐は想定内だから蓑などの雨具も抜かりない。
…秀忠は徳川軍の混乱を染谷馬場城から見ていた。
待機していた一万全軍に染谷馬場台から降りて援軍に向かうように指示を出した。
陣立てを整えて台地を降りようとして来たところで雷が染谷城に落ちた。
続けて三発落ち染谷城が炎上した。
雷が落ちた時、昌幸は虚空蔵山を降り染谷馬場台の東側を登っていた。
秀忠本隊一万の後背に奇襲を掛けようとしていたのだ。
染谷城が炎上するのを見た昌幸は降りて行く秀忠軍の真後ろに出る。
雨松明に一斉に火を灯し、鬨の声をあげて秀忠軍を追い落とした。
台地の上から下に向けてほうろく火矢を投げ、鉄砲を撃ち続ける。
暗闇の中、秀忠軍の兵は昌幸隊の五百の雨松明を二千に感じた。
信繁隊と海野六郎隊の二千の雨松明は五千の兵と思えた。
雨は凄まじい豪雨となり染谷台地の下は濁流となっている。
大湿地帯に降りてしまったのだ。
立っていられない程の猛烈な風に吹きまくられ、荷を背負っている小者や足軽達は歩みもままならない。
闘うどころか身の危険を感じている。
さらに、後ろからは一千の雨松明が、前方からは五千の雨松明とともに一万の兵が襲って来るように感じている。
…雷が落ちた時点で、秀忠が出す撤収命令は「全軍を染谷馬場台地に登らせる」のが得策であった。
もう暗いのだ。
地の利を知る信之を砥石城に追いやり、兵に最も明るい榊原康政とは気まずい関係になっている。
話のしやすい風見鶏の大久保忠隣の意見を聞いて決断をしたのが大間違いだった。
…秀忠軍は大水濠地帯の中を行軍している。
豪雨になれば安全に歩ける場所は限られる。
「天罰じゃ。刈田の天罰じゃ!」
「四阿山の神さまがお怒りじゃ。天罰じゃ!」
足軽達の中でこんな声が広がり始めた。
上からほうろく火矢がどんどん投げ込まれる。
鉄砲の音も鳴り止まない。
前からの銃声はさらに凄まじい。
四万の兵がいても暴風雨の中、火縄を濡らしてしまって鉄砲は使えない。
稲光と雷が追い打ちをかける。
雷が長柄衆の長槍の槍頭に落ちた。
一度に三名が死んだ。
当時の長槍は三間が一般的で長い物は五間(9m)以上の物もあった。
続いて数発の雷が徳川軍を直撃した。
小物足軽は槍、鉄砲、刀を放り出し、鎧も脱ぎ始めた。
落雷は徳川軍にだけあった訳ではない。
上田城下や砥石城、小諸城下に至るまでところかまわず数十が落ちていた。
敵味方の五万人の誰ひとりとして遭遇した事のない凄まじい嵐だった。
「小諸城まで撤退する」
秀忠は最悪の決断をしてしまった。
来る時は信之隊一千の道案内があったが、帰りは道案内がいない。
信之は砥石城を守っている。
夜の行軍なのに豪雨に通用する灯りが無い。
足元は泥濘んだり、川のようになっている。
全員濡れ鼠だ。
荷駄隊は遅れ、軍列が伸びきって行く。
信州の秋の夜は冷え込む。
冷雨に体力が奪われる。
それでもなんとか北国街道へ出て最後尾が神川を渡り始めた。
そこで甚八の仕掛けていた関が切れた。
神川は数箇所で決壊した
北国街道の橋も流された。
徳川軍の大勢の兵や馬、荷駄が濁流に呑み込まれた。
甚八が関を切ったのではない。
豪雨で関が破れたのだ。
…甚八は水遁の達人だ。
関の近くまで行った時に、人力を遥かに超えている事を悟り引き返していた。
衡軛陣
段違いにした二列縦隊。敵の動きを拘束し包囲殲滅することを目的とする。
敵軍の城に火を放ったりする時などには有効。
魚鱗陣
中心が前方に張り出し両翼が後退した陣形。魚の鱗に似た「△」の形に兵を配する。
突破力に優れている。
鶴翼陣
両翼を前方に張り出し、「V」の形を取る陣形。兵数が圧倒的に多い時に有効。
蜂矢陣
蜂の矢のように「↑」の形に兵を配する。少数の兵で敵の中央を突破する時に有効。
偃月陣
弓張り月の形。
鶴翼とは反対に中軍が前にでて両翼を下げた「Λ」の形に配置する。
小規模な部隊が精鋭で突破し敵の戦列を分断する時に有効。




